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そんな、一日。~九月某日~

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そんな、一日。~九月某日~
そんな、一日。~九月某日~ そんな、一日。~九月某日~

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4


 ツァンダ東の森の端に、わたげうさぎの里、という場所がある。
 里には多くのわたげうさぎが平和な日々を過ごしていた。というのも、生活圏である丘の周囲は刺々した茨で覆われており、害獣や害鳥の類を立ち入れなくしているのだ。また、ぱっと見も侵入が難しそうな森にしか見えないため、一般人が入ってこようとも思わない。そもそも、人間が通るための秘密の道を知っているのは白銀 風花(しろがね・ふうか)だけなのだけれど。
 なので今日、ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)たちは風花に案内を任せ、わたげうさぎの里を目指していた。
「皆さんこっちですわ〜」
 と風花は言い、足場の悪い道を軽い足取りで越えていく。ツアーガイドのような呼び声とは裏腹に、ハイコドを始め、ソラン・ジーバルス(そらん・じーばるす)はかなり苦戦していた。
「あでで……茨、結構痛いな……」
「いだたたた……こ、こんなところ狼や狐が通れるわけないわよ!」
 と、唸るばかりで満足に足を進められない。
 ふとハイコドが藍華 信(あいか・しん)の方を見ると、信は慎重な足取りながらも一歩一歩確実に進んでいて、茨に引っ掛けたような傷もなかった。
「信、すごいな」
「ん? ああ……前に来たことがあるからな。進み慣れてる」
 会話をしながらでも進める程度には、もう慣れているらしい。ハイコドは、会話に気を取られている間に手の甲を茨に引っ掛けた。薄皮一枚切れただけだったが、ぴりぴりとした痛みが残った。
「皆さーん、大丈夫ですか〜」
 風花の声は、もうずいぶんと遠くなってしまっている。
 里に辿り着くまでが骨だと、ハイコドはソランと顔を見合わせて息を吐いた。
「そういえば」
 茨をかき分けながら、ハイコドは呟いた。「ん?」とソランが疑問符を返す。
「考えたらこの四人って、『始まりの四人』か」
 ハイコド、ソラン、風花、信。
 この四人で、まずは一年頑張った。するとそこから、花妖精、ポータラカ人、そして妻の姉兼ハイコドの妻、と集まってきたのだった。
「ホント、いろんなことやってきたな」
 それは、思わず口にしてしまうほどに様々なことだった。
 起こったことを指折り数えてみたけれど、たくさんのことが起こりすぎて、途中でいくつまで数えたか忘れてしまうほどに。
「ここに来てからまだ数年だっていうのに……こんなに色々起こるとはねぇ」
 ハイコドは苦笑しつつも、悪いことではない、と確かに感じていた。
 この四人から、全ては始まった。
 そう思えるのは、悪くない。


 ほどなくして、茨地帯を抜けた。
 茨地帯の先は緑に溢れた広大な地で、我知らずハイコドはほうっと息を吐いた。
 そんなハイコドの様子に風花は「うふふ」と嬉しそうに笑い、「みーんなー」と誰もいない場所に向かって声をかけた。
「出てきてー!」
 風花の声に呼応するように、ぴょこり、またぴょこりとうさぎが次々と顔を出す。
 その総数は、ぱっと見て数えることが不可能なほどの数だった。
「す、すごい……」
 ソランがそう言ってしまうのも無理はないだろう。ハイコドは、ゆっくりと首肯する。
「ああ、すごい数だ……」
「ある意味恐怖を感じるわよ、この量……」
 うさぎは可愛いが、ここまで集まるとソランの言う通りである。
 もふもふと増えていくうさぎたちが集まりきったところで、風花はソランに向き直って言った。
「ソラ姉様にお願いがあるんです」
「お願い?」
「はい。この子たちの自衛の特訓に付き合っていただけませんか?」
「特訓ってことは、基礎は出来てるんだ?」
「ええ、一応私から、戦闘方法と逃げ方は教授してあります」
「オッケー。じゃ、狼になるからこの子たちと追いかけっこでもする?」
 言って、ソランがうさぎたちから離れた。狼の姿に戻り、さあ始めようか、とうさぎたちを見た瞬間、
「いっ!?」
 ソランは悲鳴を上げた。うさぎたちが襲いかかって来ていたからだ。
「ちょ、狼とうさぎなんだから、立場逆――ごふっ!?」
 まず一羽目が飛んできて、ソランの額に頭突きをかます。
「あだっ!?」
 間髪入れず数羽が体当たりを仕掛けソランのバランスを崩し「ぎゃんっ!」、倒れたところで別の一羽がのしかかり「ふぎゅっ!」、また別の一羽が引っかき「ふぎゃ!?」、瞬く間にソランはぼろぼろになってしまった。
「やめー!」
 風花の声が響き、統率のとれたうさぎたちはさっとソランへの攻撃を止め、一定の距離を取った。
「よし。ソラ姉様をノックダウンできるなら、みんな大丈夫そうね」
 と、風花は満足そうに頷いている。
 ハイコドはというと、
「お、おい、ソラ……大丈夫か?」
 最初は「狼がうさぎに負けるなよ」と軽い野次を飛ばしていたが、途中から何も言えなくなっていた。
 すべてが終わってようやく声をかけると、ソランは倒れたまま「ウサギコワイウサギコワイ……」と死んだ魚の目をして繰り返し呟いた。
「手ひどくやられたな……」
 苦笑し、同情しながらヒールを施す。と、間もなくしてソランはむくりと起き上がった。傷はすべて、消えている。
「あー、やられた。完膚なきまでにやられた」
「すごかったな」
「だってあの子たち強いんだもん。すごいよ、ちゃんと急所狙ってくるし」
 話しているうちに、何羽かうさぎが傍に来た。つい今しがたのトラウマで、ソランが無意識に一歩引く。するとうさぎたちはごめんねとでも言うように、木の実をソランに差し出した。
「……これ、私に?」
「いい子じゃないか」
「たまらなく可愛いね」
 ソランの恐怖心がなくなったと見るや、うさぎたちはソランに近づきぺろぺろと舐めた。気遣いがいじらしい。そう思っているのはソランも同じのようで、優しい手つきでうさぎたちの背を撫でていた。


「そういえば、前に来たことがあるって言ってたな」
 と、信がハイコドに話を振られたのは、特訓も一段落してピクニック然とした雰囲気を楽しんでいた時だった。
「いつ来たんだ?」
 問いに、信は答えるかどうかを一瞬、悩んだ。ちらりと風花の方へ視線をやり、うさぎと笑顔で接する彼女を見て、まあ言っても問題ないか、と判断する。
「初めて来たのは、風花があの石碑を作ってる時だったな」
 次いで信が目を向けたのは、里の端っこにある沢に置かれた、大きめな石碑だった。
 あの石碑は、とあるおかしな人間のおかしな実験において無駄に命を散らされた千百九十九羽のためのものだ。
「あの頃の風花は、自殺するんじゃねーかって顔してたから。こっそり後つけてきたんだよ」
「そうだったのか」
「散々な目に遭ったけどな」
「散々?」
「いきなりうさぎたちに襲われた」
「ああ……」
「さっきソランも言ってたけど、あいつらツエーんだよな」
 けらけらと笑いながら軽く言い放ち、信はすくっと立ち上がる。
「お参りするか」


 信から聞いて、この石碑がデパートの事件で死んだうさぎたちのものだと知ったハイコドは、そっと手を合わせていた。
 長い間目を閉じて祈り、ようやく目を開けると、隣に風花の姿があった。
「なんて祈った?」
「……次に生まれる時こそは、幸せな一生を終えてね、と」
 そう言う風花の横顔がひどく寂しそうに見えたので、ハイコドは一瞬、次に自分はどんな行動に出ればいいのかわからなくなった。
「あまり自分を責めるなよ。アレは俺たちじゃ何も出来なかったことだ」
 少し悩んで、陳腐な言葉に落ち着いた。風花の反応を待つと、風花は、澄ました顔をして答える。
「責めるのはあの事件の一ヶ月後には止めましたわ」
 じゃあ今の顔は、と思ったが、この場所で、彼らへの祈りを捧げるときくらいあんな顔をしてしまっても仕方がないのかもしれない。
「この子たちの分も私は生きて、この里の子たちを守り続けます」
 現に風花は今こうして、強い意志ある声で未来を口にしている。
「そっか」
「はい」
「……だけど、うさぎたちの幸せを守るのもいいが、自分の幸せも掴めよ? うかうかしてると適齢期逃して大慌てになるぞ」
「それはっ! ハコ兄様が結婚するのが速すぎなだけです!」
 頬を赤くし抗議する風花の頭を撫でる。風花は拗ねたように頬を膨らませていたが、やがて突然ふっと笑った。ハイコドも、つられたように笑う。
「幸せに、なりますよ。なって、この子たちに早く生まれ変わりたい! こんな風に幸せになりたい! って思わせなきゃなんですから」
 そう微笑んだ風花の顔は、気負っているようでもなく自然なそれで、この表情を見てハイコドはようやく安心したのだった。


 少し離れた場所で信が石碑に手を合わせていると、隣に立ったソランが信の服の裾を引いた。
 ん? と信が疑問符で返すと、ソランは「お疲れ様」とだけ言った。
「なんのことだ?」
「事件直後の風花のこと。私たちにはどうも出来なかったから」
「ああ……」
 風花は、信やハイコド、ソランと出会うまで、自分がわたげうさぎだと思って生きてきた。
 そんな風花が、千羽以上のうさぎが死ぬところを見てしまった。
 平気でいられるはずがない、と思った信の考えは的中し、何度となく風花と話し、色々なことを聞き、そうしているうちにやっと、風花は落ち着きを取り戻していった。
「ここまで持ってくるのは大変だった」
「だよね。これが出来たのは、元飼い主のアンタだからこそよ」
「褒めてる?」
「褒めてる。
 さっきも言ったけど……お疲れ様、信」
「その一言があれば報われるよ」
 それに、と、口には出さず信は呟く。
 それに、風花が元気になったなら、多少の疲れくらいなんてことはない。
 信は、視線の先で笑う風花を見て微笑むのだった。