薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

リアクション公開中!

終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア 終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

リアクション


●ずっと幸せに/小さな誓い
 
 あれから、五年。
 あっという間の五年だったとも、充実した五年だったとも言えよう。
 白波 理沙(しらなみ・りさ)は今も、彼女とともにある。
 雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど)と。
 あれからもパラミタは完全に平和になったというわけではない。少なくとも、理沙の周囲は穏やかではなかった。雅羅とは公認の恋人同士として、色々な場所に遊びに行った一方で、大小さまざまな事件に巻き込まれもした。
 でもいずれも乗り越えた。不安に思うこともなかった。
 なぜって、いつも理沙の側には、雅羅がいて支えてくれていたから。かけがえのない人と、力を合わせることができたから。
 そして、理沙と雅羅が交際をはじめてから五年後の六月、つまり本日。
 理沙と雅羅は結婚式を挙げる。

 取り立てて特殊な式にはしなかった。
 というよりもむしろ、ごくごく一般的な結婚式だ。互いの親戚や友人が集まり、披露宴会場となるホテルに設けられた小さなチャペルで、誓いの言葉と指輪を交わす。
 新郎新婦ではなく新婦ふたりの挙式だが、パラミタでは普通のことである。
 粛々と式は進み、やがて理沙と雅羅の口づけで頂点を迎えた。
 待ち構えているのは、参列者たちが組む花のアーチだ。
 祝福されながらふたりは教会から出て行く。
 手をつなぎ合って、いくらか緊張しつつも微笑みを浮かべて。
 きゅっと雅羅の手を握って理沙は囁いた。
「雅羅、これまで、あなたに支えられて幸せな五年だったと思うわ」
 えっ、と驚いたような声を雅羅は出した。
「違う。理沙、私こそ、あなたに支えられていたと思っていた。ずっと」
 雅羅の頬は薔薇色に染まっている。
 とても綺麗だと、本当に魅力的だと理沙は思った。
「十分知ってると思うけど、私はずっと、地球の親族からは恐がれていた。カラミティ(疫病神)なんて呼ばれて遠ざけられていたわ。もちろんいい思い出もあったけど、嫌なことのほうがいっぱいだった。そんな地球から逃げるようにしてパラミタに来た私の……運命が変わったのは理沙、あなたと出会えたからよ」
 理沙の手を握り返す手に力がこもった。
「理沙、あなたといれば、出かける日の雨天も、飛行機の運休も、くじ引きの外れだって全部、大切な思い出だと考えられるようになった。だから私に不運はもうないの。あなたこそ私の幸運の女神……私、幸せよ」
 雅羅の不運体質は去った。それは、アクシデントを不運と思わなくなったから。理沙といられる限りそれすら楽しめるようになったから。そうすると不思議なもので、いつしか、突然の夕立も、訪ねた店の臨時休業も、雅羅は出くわしにくくなっていったのである。
 結局、幸福だとか不幸だとかそういったものは、これに直面した本人の、気の持ち方次第なのではないか。
 理沙は胸が熱くなった。涙が、こぼれ落ちそうになった。
 けれど今は泣くのはよそう。雅羅と結ばれたこの日だけは、笑顔を皆に振りまきたい。
「ありがとう」
 理沙は声を上げた。祝福をくれるみんなに、そして、雅羅に。
 雅羅も声を上げた。理沙と、世界のすべてに。
「ありがとう」
 本当に、ありがとう。

 披露宴の席。
 和やかに宴は続いている。最初の祝杯があげられ、理沙と雅羅、それぞれのプロフィールがスライドショーとして紹介された後、
「それでは次は、お二人の友人を代表して……チェルシー・ニール(ちぇるしー・にーる)様からの祝辞がございます」
 司会者の声に、チェルシーはすっくと立ち上がった。
「がんばれ」とでも言いたげに、カイル・イシュタル(かいる・いしゅたる)は片手でグラスを軽く掲げる。本日のカイルはシックな黒の礼服姿だ。銀の髪は丁寧に編んで頭の後ろにまとめている。
「行って参りますわ」
 チェルシーは会釈すると、緊張で胸を高鳴らせながら壇上に上がった。
 しかしいくら緊張していても,ロリータ調のドレスの裾を踏んだりはしない。いやむしろ一般の参加者には、チェルシーの足取りは、紫の蝶が舞うような優雅な動きに見えたのではないか。お嬢様生まれ社交界育ちの経歴は伊達ではないのだ。
 そうして一礼するとチェルシーは、マイクを前に語りはじめたのである。鈴が鳴るような声で、
「理沙さん、雅羅さん、ご結婚おめでとうございますわ。どんな辛いときでも大切な人が側にいてくれるのは一番の幸せだと思います。そもそもわたくしが理沙さんと出会ったのは……」
 数分話して拍手に送られ、チェルシーは席に戻って静かに息をついた。
「お疲れ。いいスピーチだったな」
 カイルがドリンクのグラスを、そっと目の前に押し出してくれる。
 半秒、いや、四分の一秒にも満たない時間だっただろうか。チェルシーは無表情でドリンクの泡を見つめていたが、すぐに笑みを見せて、
「お褒めいただき恐縮ですわ」
 くすっと微笑んだ。紫色の髪が揺れる。
 そうしてチェルシーはグラスを傾けたのである。
「素敵なお式ですわね。カイルさんからすると複雑かもしれませんけど……」
「まあ、な」
 カイルはふっと唇を歪めた。
「……しかし、それはお互い様だろ?」
 チェルシーはまばたきした。それは、蜂が翅を震わすようなかすかな動きだったが、カイルの目にははっきりと動揺のサインに映った。
 されどもチェルシーが驚きを面にしたのはその一瞬だけだった。すぐに彼女は観念したように笑ったのである。
「……ふふっ、お見通しでしたか」
「同病相憐れむという。ま、この場合は恋の病だがな」
 カイルが理沙に恋愛感情を抱いていたこと、それは知る人ぞ知る秘密であった。他のパートナーたちにも既に知られている。だが肝心の理沙は、彼の想いにはまるで気がついていなかった。
 一方でカイル以上の秘中の秘、それがチェルシーの想いだった。チェルシーは厳重にその気持ちを隠し、心の金庫にしまって鍵をかけていた。これについては他のパートナーすら知らないことだったろう。
 今日、チェルシーはその金庫を溶接したつもりだった。二度と開かないように。
 しかしすでにカイルには判っていたのだ。
 それは彼の言う通り、同じ人を愛したがゆえの直感がもたらしたものなのかもしれない。
 カイルはそれ以上追求せず、そっとグラスを置いた。
「俺は……理沙が幸せならそれが一番だ」
「同じ気持ちですわ。これからもずっと……温かく見守るつもりです」
「俺もそうするつもりだ」
 ふっとカイルは微笑した。
 チェルシーも微笑を返した。
「俺たち、思ってた以上に似たもの同士なのかもな」
「かもしれませんわね」
「じゃあ、今日は俺たちも決意を新たにするということで」
「ですわね」
 と小声で言って、二人は小さくグラスを会わせた。
 それは小さな乾杯、他の出席者の誰も、気がつかなかった小さな誓い。

 幸せに。理沙。
 ずっと雅羅と、幸せに。