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第6章 お昼に何を食べますか。


 購買室の近くにある食堂では、おばちゃんが声をあげていた。
「春限定のさくら定食! 今日までだよ〜」
 春の野菜をふんだんに使ったメニューとデザートに桜餅がつくのが人気で、久世沙幸がつい毎日食べてしまった桜餅とはこのことだろう。
 荒巻さけを見習って昼ごはんを抜くことにした沙幸は、廊下から指をくわえてじっと見ていた。
「がまんがまん……」
「沙幸さん……あなたもですか……」
 その隣には、もう貧血の限界を超えて倒れそうなさけがやってきた。
「さけ! 大丈夫?」
「気がついたら匂いにつられてこんなところに……でも……身体測定は午後……」
「がまんだよね……きゃっ!」
 美海ねーさまの真昼のスキンシップがはじまった。
「ちょっと。あんっ。こんなところで……えっ。やめてっ!」
 美海はおっぱいをこれでもかとモミモミし、確信した。
(ダイエットなんかして、ちょうどいい肉付きが台無しになったら困りますわね。ここはひとつ……)
「沙幸さん。何を勘違いしてるのかしら。うちの体重計は今壊れてますのよ。通常より3キロ重く表示されてしまうのを知らなかったのですか」
「え? ということは、いつもより2キロも痩せてるってことだ……!」
 ぱああ♪
 沙幸に笑顔が戻った。
「さけ、ごめんね! 私食べちゃうから〜。後でねー」
「あ……はい……」
 美海ねーさまは、ぴょんぴょんしながら食堂に入っていく沙幸を見て、にっこり。後をついていき、いったん立ち止まって振り返った。
「さけさん……わたくしの沙幸さんに手を出さないでくださいます?」
「そ、そんなつもりは……」
 さけは肉体も精神もすっかりボロボロになって、生きた屍のようにげっそりとしていた。
「はーい。さけちゃん。美味しそうな名前だよねー」
 病弱女性が大好物のナンパ師イルミンのレイス・アズライト(れいす・あずらいと)が声をかけてきた。
「さけちゃん。一緒にごはん食べようよ。さくら定食今日までだよ?」
 パクパク……。
 さけはもう声を出す元気もなく、ただ口をパクパクしていた。
「……さ、さかなみたいだね」
 パクパク……。
「……」
 戸惑うレイスを救ったのはパートナーだった。
「兄さん。もう待ち合わせの時間なんだから、ナンパしてないでください」
 イルミンに転校したリース・アルフィン(りーす・あるふぃん)だ。今日はお昼を人と一緒に食べるために来ていた。
「あ、さけさんこんにちは〜。兄さん、ほらほら行きますよ」
「ああ、うん……」
 レイスはいまだ口をパクパクしてるさけをチラチラ見ながら、リースに手を引っ張られていった。
「もう来てるのか? 氷雨ちゃんは」
「うーん。来てるはずなんですけど、どこかしら――」
 2人はぶったまげた。
 葦原明倫館の鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)はなんと……かっこいい男に抱っこされていた!
「おーい、リースちゃん! あ、レイス君も。こっちだよー!」
 抱っこされたまま手を振っている。
「氷雨ちゃん、な、なにしてるんですか?」
「え? 何があ?」
「何がって、だ、抱っこされてるじゃないですか! あ、はじめまして、イケメンさん」
 氷雨を抱っこしていたのは、英霊の黒田 隼人(くろだ・はやと)だ。
「君がリースちゃんか! かーわいい! ていうか、小さい! 俺、黒田隼人。よろしく。おっととと」
 可愛くて小さいのが大好きな隼人は興奮して氷雨を落としかけた。
「あの……なんで抱っこしてるんですか」
「だって――んぐおっ!」
 隼人が喋りかけた瞬間、氷雨は陰で肘鉄をくらわせた。
 声が出なくなった隼人に替わって、氷雨が答えた。
「リースちゃん。さっきから何言ってるの? 抱っこなんてされてないよ。ボク、魔法で浮いてるんだよー。すごいでしょー」
「でも、隼人さんって……今……」
「いないいない。だーれもいないよ。それより、早くごはん食べよう。さくら定食楽しみだねー」
「う、うん……」
 氷雨はそのまま隼人に抱っこされてカウンターに並んだ。
 リースもレイスもなにがなんだかわからなかったが、大丈夫。これは誰もわからない。
 テーブルにつくと、隣には桜花賞でダンシングアホーに大金を賭けたノインとそのパートナーマリア・クラウディエ(まりあ・くらうでぃえ)が優雅にさくら定食の“特上”を食べていた。
 いつもは弁当を中庭で食べている2人だが、Y1のある日は購買室の様子がよく見えるここで食事することにしていた。ただ、実はこのマリアこそがノインに馬券を買わせている的中率96%のギャンブラーという事実は誰も知らなかった。
 隣に座ったリースと氷雨も当然そんなことは知らず、世間話をしていた。
「ねえ、リースちゃん。蒼学ってのぞき部とかもいるし、おかしな学校だよね」
「あ、うん。のぞき部ね、ありましたね。そんな部活も……はは。ああ! そうそう。私、イルミンで魔法実験部に入ってるんですよ」
 リースは女子のぞき部の新入部員として活躍していたが、話題を逸らした。
「女子のぞき部ってさあー」
 と氷雨は話題を戻そうとしたが、それはレイスが制した。たまたまだが。
「氷雨ちゃん! 明倫館の女の子って、可愛い!?」
「え? あ、うん。みんなかわいいよー。リースちゃんも着物似合いそうだよねー」
「えー私? そうですかねえ。そんなことないと思いますけど」
「きっと似合うよー。今度明倫館おいでよ。みんな着付けできるし」
「そうですね、遊びに行ってみようかしら」
 小さくて可愛い2人で盛り上がっているところを、隼人はにまにましながら見ていた。
(かーわいいなあ……)
 そんな可愛い2人も、いよいよレースが大詰めとなって熱気溢れる購買室が気になっていた。
「ねえ。あれ……リースちゃんも今度出てみなよ」
「えー! そんなの無理ですよ。いつも怪我人が出てるらしいですよ」
「うっそだー」
「本当ですよ。ねえ、マリアさん。怪我人出てますよね?」
 隣のテーブルで上品に食べていた蒼学のマリアに訊いてみた。
 全てのデータが頭に入っているマリアだが、ここは当然知らないふりをして、かつおかしな優等生ぶりを無駄にアピールしてみた。
「全然知りませんわ。でも……何かに挑む姿勢はステキですよね。私も今度参戦してみようかしら」
「マリアちゃんは無理だよー! お上品だもーん!」
 氷雨が思わずツッコミを入れたが、真実は上品とはほど遠い。
「ぶっ。ぷぷっ」
 ノインは思わず噴き出していた。
 もちろん、マリアに陰で肘鉄を食らったのは言うまでもない。

「馬がキターーーッ!」

 誰かの叫び声で、購買室前の熱気はさらに膨れあがった。
 上履きを喉に突っ込んだニタマゴアイシテルも、くしゃみを繰り返すクールヒートクイーンもタタカイイヤーンも、1階に落ちた3馬も腰や肩を押さえながら購買室のある棟に突入し、階段をゼエハアゼエハアしながら上ってきていた。
 が、先頭は彼らではなかった。
 とたとたとたとたとた……。
 一足先に着いた「馬」は、ゴール寸前で無駄に走り回っていた。
「あー! カガチー! 遅いですよー」
 カガチズブライド(柳尾なぎこ)だ。
「おお、わりいわりい。しっかしすげえ人だなあ」
 レースに参加している自覚があるのかないのか、マイペースな2人は悠々と待ち合わせしていた。
「なんだかすげえ人だけど、まあしょうがねえ。なぎさん、行こうかねえ」
「うん。なぎさん小さいからへっちゃらですよー」
 カガチズブライドは人混みの中、その隙間を縫うようにすいすいと進んでいった。
 オッズ200.1倍のダンシングアホーが強引に入っていった。
「どけどけーい。なぎさんのためだ。わりいな……」
 と人をぶん投げて進んでいる。
「じゃあなぎさんも一発。えーいっ。なぎさんアターック!」
 どっかーん。
 ピクピクピク……。
 カガチズブライドは跳ね返されて、購買室の外に出てしまった。そりゃそうだ。
「あれ? なぎさんどうしたんだろねえ。外で待つことにしたのかな? まあいっか。俺が買ってやれば」
 そして、マリアの予想通り、ダンシングアホーが一着でカウンターに辿り着いた。
 はっきり言ってこの200.1倍の馬券が当たると、パラ実の田中は破産だ。払えるわけがなかった。今、こっそり逃げようとしていた。
 が、次の瞬間、その足が止まった。
「おばちゃーん。新発売のたい焼きパンひとつ。あと、いちご牛乳。ある?」
 ダンシングアホーとカガチズブライドが欲しかったのは、焼きそばパンではなく、たい焼きパンだった。
 これには会場は大混乱。罵声と怒声が飛び交った。
「どわあ! なんだあいつは!」
「なんでまた、たい焼きパン!!!」
「どういうことだーー!」
「間違えて予約が必要だと思ったんじゃねえかー?」
「バカヤロウ! たい焼きパンなんか誰も買わねー! 予約がいるかボケー!」
「とにかくダンシングアホーは消えた。200.1倍のミラクル万馬券はナシだー!」
 という声は、食堂のマリアとノインにも聞こえていた。
「ま、まさか……」
 カランカラーン……。
 マリアは一瞬にして顔色が悪くなり、箸を落とした。
「どうしたの、マリアちゃん?」
 氷雨が心配して尋ねてみるが、
「う、うん……。なんでもないの……あは。あは。あはははは」
 マリアは壊れた。
 デザートを取りに行こうとしたリースが声をかけた。
「マリアさんも、デザート食べますか?」
「や、やめとこうかな。お金が……あ、いや、えっと……ダイエット。そうそう。ダイエット。ははははは」
 マリアはたい焼きパンを恨んだ。
 ちなみに、たい焼きパンとはたい焼きの形をして中に餡が入っているパンである。
 レースは、緊迫した状況を迎えていた。
 チンチンモミモミが、カウンターにあと一歩と迫っていたのだ。
「うおっ。それでもまだこの人混みとは、ああもう。焼きそばパンがどこにあるのか……こ、これか!」
 人をかき分けて手を突っ込み、むんずと掴んだ。
 むにゅ。
「あれ? メロンパン?」
 チンチンモミモミが掴んだのは、クールヒートクイーンのおっぱいだった。
「なーにやってんだコラアアア!!!」
 モンクの体捌きで一瞬にしてチンチンモミモミを撃退、放り投げていた。
 ぴゅーーーー。
 ぶっ飛んできた体を受け止めたのは、やはりパットミニンゲンだった。
「お、重い……です……」
 そうこうしている間に辿り着いた「馬」が、喉につまった上履きを引っ張り出してカウンターで叫んだ。
「おばちゃーん!」
 クールヒートクイーンは絶望し、その場にへたり込んだ。
「そんな……私が負けるなんて」
「はあはあ。やったぜ……勝ったんだ。オレが一番なんだ……あ、おばちゃん。ラーメン一丁。煮卵つけてね」
「なんの勝負やねん!」
 スパコーン!
 デンコウセツカは大型のハリセン光条兵器でぶっ叩いた。
「え? 俺、焼きそばパンって言わなかった?」
「思わずツッコミ入れてもうたわ。あ! やってもうた。光条兵器使ってもうた。ルール違反や〜」
 ニタマゴアイシテルにもう一度チャンスが巡ってきた。
「おばちゃ……ん?」
 目の前には、大きな体のドラゴニュートが立っていた。
 あまりやる気なく、クールヒートクイーンに言われて仕方なく参加しただけのタタカイイヤーンだ。
「焼きそばパンひとつ!」
「はい。おまちどうさま!」
 タタカイイヤーンことテオディスは焼きそばパンをゲットし、半分をアルフレートに差し出した。
「アルフレートの分だ」
「私も勝っていたら同じことをしただろう。だが、テオ。逆の立場ならどうだ」
「勝負は勝負、ということか」
「わかるだろう。そのパンは受け取れない」
 たかが焼きそばパンだが、最後は妙にカッコよく幕を下ろした。
 タタカイイヤーンの倍率は高かったので、彼に賭けた人には春が来たことだろう。

 春のY1桜花賞、レース結果。――1着、9番人気タタカイイヤーン(騎手、テオディス・ハルムート)。単勝オッズ85.9倍。

 そして、昨日の敵は今日の友――
 参加者は健闘をたたえ合いながら、仲良くたい焼きパンを食べていた。
 そこに、ようやく最後の「馬」がやってきた。
 サイシュウヘイキオー、ルカルカだ。やはり、校門からは遠かったようだ。
「あ。渋井さん。レースの登録ありがとうございました……で、やっぱりもう終わってるよね。くっそーーー! あそこで人にぶつからなければ……!」
 ルカルカはヤケになって、たい焼きパンを買い占めた。
「こ、これは……もしかして」
 さらに遅れてきたダリルが一口食べて言った。
「このパン、要するにあんぱんだな……」
「あ。言ったね……」
 みんなが思いながら黙ってたことを、あっさりと言ってしまった。
 中庭で食べてるカガチも、同じことを思っていた。
「なぎさん、どう? これ、ただのあんぱ――」
「おいしいですーーっ! なぎさん毎日食べるですよー!」
「あい」
 おいしいは何にも勝る。