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リアクション
第5章 カレーが好きな奴に悪い奴はいない・その2
それから数刻。
集結したガネーシャ捜索隊は、淀んだ空気とすえたカビの臭気の支配する、地下牢を進んでいた。
先頭を歩く支倉 遥(はせくら・はるか)は光条兵器で足下を照らしながら仲間を誘導する。
しばらくすると鉄柵に行き当たった。
遥は最大光量で牢獄を浮き彫りにする。
そこでは、象面人身の獣人が威厳に満ちた目をこちらに向けていた。
黄金製の王族のような衣装を纏った、身の丈3メートルを超える巨体の持ち主である。まだ名乗ってすらいないが、その身から発せられるオーラに一同は全てを悟った。彼こそが幽閉されし冥界の支配者ガネーシャなのだ、と。
「話は先ほどの忍に聞いておる。その方ら、余の手の中にある情報が欲しいそうだな」
「ああ、いやそうなんだけど……、この部屋はどうなってんだ?」
牢の壁際にはダンボールが天井に届くまで積まれている。
それからガネーシャの眼前では、ベルトコンベアーが左右の壁を貫いて牢を横断している。
「ガルーダの奴が余に与えた労役だ……」
その時、コンベアーが動きだし、右の壁から刺身の盛り合わせが流れてきた。
次々と流れてくる盛り合わせの上に、ガネーシャは慣れた手つきでダンボールから出したタンポポを乗せていく。
「おのれぇ、ガルーダァ……! なにゆえ余がこんな仕事をせにゃならんのだぁっ!!」
その目が紅く輝くと同時に、背後のダンボールがガタガタと激しく揺れた。
「サイコキネシスか……!」
牢獄は震度4ぐらいの激しさで持って揺れている。
「さあ、余を早く解放するのだ!」
「……ちょっと待ってくれ。その前に幾つかハッキリさせなきゃならないことがある」
そう、果たしてこのまま解放していいのか、彼が有害な存在なのか否かを見極めなくてはならない。
白刃の如き視線を遥は向ける。
◇◇◇
「あのー、私たちから質問してもいいですか?」
人形師茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)はおずおずと手を挙げる。
幽閉されているとは言え、相手は冥界の支配者のひとり、衿栖はうやうやしくお辞儀をした。
「初めまして、ガネーシャさま。茅野瀬と申します。あなたをお救いするためはるばる参上致しました」
「ほう、礼節を知っておる者もおるようだな。うむ、なんでも尋ねるが良いぞ」
とは言え、彼女自身の発言はまだここでするタイミングではないらしく、パートナー達に順番を譲った。
まず、レオン・カシミール(れおん・かしみーる)が尋ねる。
「ひとつ気になっていることがある。ガルーダ、ハヌマーン、タクシャカ……、そして、ガネーシャ。どれもヒンドゥー教に出てくる神々や神に連なる者達の名だ。おまえ達がヒンドゥーの神かは知らないがどうも無関係とは思えない」
「その宗教のことなら知っておる」
「やはり何か関係が?」
「地球で死んだ者もナラカに落ちる。パラミタで死んだ者もナラカに落ちる。二つの世界はナラカで繋がっているとも言えよう。もしも、ここから現世に帰還出来た者がいたとすれば、我らの名を世に広めることも出来るだろう」
「だろう……って。どうやって戻る? ここは死の世界ではないのか?」
「余も知らぬ。臨死体験でもした奴がおったのだろう、たぶん」
ピシャリと言われると、それ以上追求することも出来ず、レオンはうむむと小首を傾げた。
続いてもう一人のパートナー、茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)が尋ねる。
「ねぇ、奈落人に吸血鬼っているの? そして奈落人の血って吸えるの?」
「妙に偏った質問だな」
「だって180年生きてきたけど、奈落人に会うのは初めてなんだもん。吸血鬼としては聞いておかないとね!」
「まあよい、答えよう。奈落人は憑依することで力を得る種族だ。よって吸血鬼の死体、もしくは気絶した吸血鬼に憑依出来れば、吸血鬼となれるだろう。それから奈落人本体の血を吸うことは出来ん、我らに実体はないからな」
「実体がないって……どういうこと?」
「貴様らにわかりやすいように言えば、一種の霊体のようなものが我らの本体なのだ」
この発言から察するに、ガネーシャもおそらく象の獣人の死体に憑依している状態なのだろう。
今度は藤波 竜乃(ふじなみ・たつの)が元気よく手を挙げた。
「はいはい、次それがしっ!」
そんな彼女に対し、契約者のゲー・オルコット(げー・おるこっと)は離れたところで別のことをしている。
ひたすらに牢の周囲を調べているようだが……、その真意はのちのちわかるので、ここでは竜乃に着目しよう。
彼女は元気よく尋ねた。
「奴隷都市アブディールのおいしいお店と隠れた観光スポットをおしえて!」
ガクッと一同はズッこけたが、本人はいたって大真面目である。
「……まぁ、そんなに知りたいのならおせーてしんぜよう。ここ千年はカレーが激アツであるぞ」
「カレー?」
「何を隠そう、余は病的なほどのカレー好きでな。ニコ働に申請して労役にカレー職人を加えてもらったほどだ。おかげでアブディールのカレーは神保町よりレベルが高いぞ。まずオススメはニコ働前の『バクシーシ』だな。正統派インドカレーの店なのだがほうれん草のカレーが格別だ。ライスかナンか選べるが、余はナンを勧める、プラス1ゴルダでチーズナンにしてくれるのだ。これは本当に美味い。それと隠れスポットだが……、三丁目の『ムットゥ』だ。ここは欧風カレーの店なのだ。まるで琥珀のような輝きを放つ神々しいルゥは、この名店が作り上げてきた幾千年にも及ぶ伝統を目で、そして舌で楽しませてくれること請け合いだ。この都市に来たからには是非とも試して欲しい一品だ」
目をキラキラさせて、ガネーシャは雄弁に語る。
「ハラ減ってきた……」
グーグー竜乃はお腹を鳴らした。
「カレーの話はそのぐらいにしてください」
次なる質問者はドロシー・レッドフード(どろしー・れっどふーど)である。
「ニコニコ労働センターの仕事内容についておしえて欲しいのです。地獄には石を積み上げる仕事……、ある程度積み上げると鬼が倒しに来て、死者は永遠に積み続けなくてはいけないと言われますが、そんな感じなのでしょうか?」
「……石を積むのも意味わからんが、折角積んだのを倒してしまうのか?」
「そうらしいですけど……」
「それなんか意味があるのか?」
言われてみれば、実に不合理で無意味だ。
「ここではそんな無駄な仕事をさせる余裕はない。常に必要な仕事が労役に組み込まれておる」
「例えばどんなものです?」
「それこそカレー職人から刀鍛冶やその他スーパーのレジ打ちなんてのもおる。だがまあ、戦いに関係する労役が大半を占める。一番需要があるのは戦士だ。ハヌマーンやタクシャカを牽制する意味でも軍の強化は不可欠だが、奴ら以外にも湿原の向こうには都市を狙う奈落人は山ほどいる。余所者に出し抜かれぬためにも兵の確保は重要なのだ」
◇◇◇
ガネーシャは奈落人にしては温厚な性格をしているように思える。
態度はビッグだが質問には丁寧に答えてくれるし、現世の人間だからと見下すような真似もしない。
だが結論を出すにはまだ早いと遥は思う。
「……あんた、飯はちゃんと食ってるのか?」
これ見よがしにバナナを食べながら、照明代わりの光条兵器をガネーシャに向ける。
その低く渋い語り口は完全に往年の刑事ドラマの影響下にあった。
光をガネーシャの顔に向けた仕草も、電気スタンドの光を容疑者に浴びせる刑事を明らかに意識している。
「……ええい、眩しいではないか。無礼だぞ、光を下げろ」
「なに、すぐに質問はすむ。あんたが正直に答えてくれればな……、リンゴでも食うか?」
そこにキャリーカートを引いて、ベアトリクス・シュヴァルツバルト(べあとりくす・しゅう゛ぁるつばると)がやってきた。
「本日のおやつは本場日本の青森から運ばせた津軽リンゴです」
積まれたダンボールの上からリンゴを手に取り、伊達 藤次郎正宗(だて・とうじろうまさむね)はリンゴを齧る。
「そうだな……、まずはナラカの成り立ちについて話してもらおうか」
「ナラカの成り立ちなど知るか。貴様は宇宙の成り立ちを訊かれて答えられるのか?」
遥と正宗は顔を見合わせる。
「なあ、オレたちの間で隠し事はなしにしようぜ、そのほうがお互いのためだ」
「遥の言う通りだ。そんなんじゃお袋さんも泣いてるぜ」
「その三文芝居をやめいっ!」
ガネーシャのイライラが爆発した瞬間、目の前の鉄柵がガシャアンと騒いだ。
おそらくサイコキネシスを放ったのだろうが、鋼鉄の柵を越えて思念波が干渉してくることはなかった。あらゆる攻撃やスキルを外部に出さないよう、この牢自体に特殊な魔法がかかっているのだろう。
「しかし、やっぱり危険な性格だったか……」
どうもすぐ癇癪を起こす性格らしい。すぐキレる若者ならぬ、すぐキレるバケモノである。
……ここで始末するべきか?
二つの小瓶を手の中で弄び、遥は自問する。
迷っている間に、屋代 かげゆ(やしろ・かげゆ)がガネーシャにリンゴを勧める。
「……ぞうさん、りんご食べる? 毒は『入ってない』よ?」
その言葉に偽りはない。
だが、リンゴを剥くナイフに毒使いスキルによる遅効性の毒が塗られている。
何故にそんな酷いことを、と言う疑問ごもっとも。どうも彼女は心的外傷を抱えてしまったようである。前回、ぞうさん状のナニかで酷い目にあったため、ぞうさん事態に警戒心と言うか、敵対心を抱いてしまっているようである。
突然の行動だったが、それで遥の腹は決まった。
二つの小瓶は毒薬と解毒薬、解毒薬を懐にしまい、毒薬でトドメを刺そうと決意する。
かげゆの毒では殺しきれないだろう、だがその時、解毒薬と称してこちらの劇薬を飲ませればあるいは……。
「……ごめんよ、花子」
戦時中の動物園を匂わせながら、かげゆはリンゴを手渡す。
むしゃむしゃと食べ始めたガネーシャだが、すぐにぶふーっと吐き出し、ゲロゲロリンゴをかげゆにブッかけた。
「クソ不味いわぁ! 毒が入ってるぞぉぉぉぉぉぉ!!」
その瞬間、牢の中を震度7相当の揺れが襲った。
吹き荒れるカクタリズムにダンボールは雪崩を起こし、刺身の盛り合わせは握りつぶされたように飛び散った。
カレーのエピソードで薄々気付いていたと思うが、美食家である彼の舌を誤摩化すことは大変に難しい。
「やっべ……、バレた……」
遥は顔を引きつらせる。
ちょっとタイトルは出せないが、戦時中の象を殺処分しようとした悲しいエピソードを思い返して欲しい。
知らない人は象と毒でググってみよう。
象は毒では死ななかったのだ。