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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

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三つの試練 第二回 咲かせて、薔薇色吐息

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第一章 種〜芽吹くもの

1.

 霧深いタシガン。その山奥に、ひっそりと、それはあった。
 かつては『夏の館』、そう呼ばれたこともあった。
 広大な庭は、今は森の一部に埋もれてはいるが、かつては美しく整備されていたのだろう。錆び付いた東屋の梁や、薔薇の絡む支柱の繊細なデザインからも、それは微かに伺うことができた。
 その奥に佇む屋敷からは、三つの塔が、暗く沈んだ空を串刺しにしている。タシガンの古い建築様式にのっとったその館は、やはり緑の浸食にあちこちが崩れ落ち、廃墟となっているが、荘厳な気配はいささかも衰えてはいない。
「お化け屋敷みたいだな」
 瀬島 壮太(せじま・そうた)は、デジタルビデオカメラを片手に、そう呟いた。
 
 薔薇の学舎に在学する友人から、この館の噂を聞いたのはつい先日のことだ。
 学園祭でちょっとしたトラブルがあり、その際に身柄を拘束したタシガンの民から、この屋敷が、薔薇の学舎……ひいては、地球人への排斥運動を根深く続けている一団のアジトになっているとの情報を得た。
 そして、ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)により、生徒達に掃討作戦が命じられた……というのが、瀬島の今知りうる全てである。
 薔薇学の生徒たちに先んじて、この館へ侵入を計ったのは、その情報がそもそも囮、または嘘ではないかと危ぶんだからだった。こうして単身乗り込んだのは、ひとえに瀬島の情の厚さ故ともいえる。
 タシガンへは小型飛空挺で乗り込み、夜が明ける前にこの館へとたどり着くことには成功していた。隠れ身でその姿を消し、ひとまずは荒れ果てた庭をぬけると、軒下へと辿り着く。
 ところどころ崩れ落ちた壁は、冷たい石造りのものだ。窓は少なく、頭上遙かに、明かり取りのような穴があるのみだった。全体には、二階建てだろうか。どれだけの部屋が使用可能かは別として、広さは相当にある。
 内部には、人影はない。おそらく。しかし、誰かが……おそらくは複数人がいることは、とうに瀬島は感知していた。
 庭を通り抜ける際、蜘蛛の巣も少なく、また、微かながら複数の足跡も見かけた。歴とした道はないものの、何者かたちが、ここを行き来しているのは間違いないと見て良いだろう。
 慎重に、瀬島は歩を進めつつ、耳を澄ます。
(誰かいねぇもんかな)
 瀬島が知りたいのは、ここに排斥派が潜んでいるとして、何故アーダルヴェルト卿はそれを黙認しているのか。そして、ここ以外にもアジトはあるのか、といったことだった。
 できればリーダーも(いるとすれば)確認しておきたい。
 夜明け前の、ひんやりと冷え切った空気が、肌を刺す。足下からはい上がってくる冷気に、ぶるりと背筋を震わせたときだった。
「……なるほど。小僧たちが仕掛けてくる気か」
 微かに声が聞こえる。瀬島はさらに気配を消すように、重心を低くしながら、その『声』へとさらに意識を集中させた。
 ――徐々に、ざわめきと、各々の微かな立ち居振る舞いの音が、瀬島の鼓膜を震わせた。
「それで……様は、なんと?」
「逃げも隠れもせぬ、と」
「そうだろうな。あの方は血に飢えている」
(やっぱり、リーダーはいるらしな。ちきしょう、名前が聞き取れねぇ。もっとハッキリ喋れよ、どうせなら!)
 しかも、彼らの話しぶりから察するに、この場には同席していないらしい。が、どうやら、かなり凶暴な人柄ではあるようだ。
 そのうち、低い呟きが聞こえた。
「あれを、地球人に渡すなどということは、決してあってはならん」
(あれ?)
 なんのことか、と瀬島が訝ったときだった。
「誰だ!」
 鋭い声に、慌てて瀬島は身を起こす。どうやら、必死に聞き取りをしようとするあまり、気配が感づかれてしまったらしい。
 多勢相手に、一人ではいくらなんでも無謀だ。とりあえずの情報を整理しながら、瀬島は素早くその場を離れ、薔薇の学舎へと急ぎ、向かったのだった。



 一方、掃討作戦に先んじて、薔薇の学舎の生徒たちには、とあるものが配布されていた。
 それは、ラドゥ・イシュトヴァーン(らどぅ・いしゅとう゛ぁーん)が用意した、『種』である。
 吸血鬼の体内に植え付けられると、その身体を苗床として薔薇を咲かせるという、一種の魔性の寄生植物である。
 吸血鬼にとっては、瀕死になるという以上に、その薔薇を奪われることはなによりの屈辱ともなりうる。
 これを、敵対勢力である吸血鬼に植え付け、その薔薇を手に帰還すること……それが、ジェイダスより与えられた命だった。
 しかしその種は、生徒達にとっては、同時に困惑の種でもあった。

 ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)は、一通の手紙を書き終えると、種を添え、封をした。
『誇りを汚すことは、俺の美しさにはありません。それを真に美しいと思う心は醜い。そういった美しさでイエニチェリになりたいと思いません』
 それが、彼の考えだった。
 それに、タシガンの民が、その地を穢されたくないという誇りは、認めて良いものだとも思う。
 後はこれを、ラドゥのもとに返却するだけだ。
 ウィリアム・セシル(うぃりあむ・せしる)もまた、それに倣った。
 校内に人気は少ない。皆、すでに出発の準備を調えだしているのか、あるいはそれぞれの困惑を抱えているのか。華やかな薔薇の学舎は、いつになく沈んだ空気のなかにあった。
「皆花を咲かせるのが美しいと思うなんてどうかしてるよね」
 アーダベルトの言葉に、セシルは尋ねた。
「あなたは、何が美しいと思いますか?」
 彼がこの種の返却を決めたのは、「現在の主なら、そうせよと仰いますから」という理由だ。アーダベルトの補佐に努めているのも、現在の主……アーダベルトの本妻の願いだからだった。
 アーダベルトは、答えた。
「己の魂の輝き。それを美しいと感じる心かな」と。
 校長室には、鍵がかけられていた。かわりに、入り口にいたのは、いつものように白いトーブを身にまとったディヤーブ・マフムード(でぃやーぶ・まふむーど)だ。
 寡黙なジェイダスの忠臣は、無言のまま、鋭い一瞥で「何用だ」と尋ねてくる。アーダベルトを守るかのように、セシルは一歩前にでると、かわりに「ディヤーブ殿、これを、ジェイダス殿にお渡しください」と封筒をさしだした。それから、一礼をし、二人はその場を後にする。……夏の館へは、向かう予定だ。しかし、それはあくまで話し合いのためだった。
「ヴィナ。彼らは、説得に応じると思いますか」
 歩を進めながら、セシルは再び、アーダベルトに問いかける。
「上手くいくかなんて分からないけど、俺は自分の信念に忠実でありたい。それと…彼らに寛大な処置を願うよ。処断しても、何も変わらないか悪化するだけだからね」
 その言葉に、セシルは、彼が困難を理解した上でなおそうしようとしているのだと理解した。それならば、全力でもって、彼の補佐をするのが己の役目だ。
「わかりました」
 セシルは深く頷き、再びその金色の瞳で、まっすぐに正面を見据えた。