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ハロー、シボラ!(第3回/全3回)

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ハロー、シボラ!(第3回/全3回)

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chapter.12 シボラ・ウォーズ(3)・聖水の帰還 


 彼らの突拍子もない言動は、ゆっくりだが確実に抗争を沈静化させていた。それだけ、彼らが注目を集め両部族の手を止めさせたということである。
 しかしもちろん、根本的な解決にはなっていない。聖水が戻らなければ、彼らの怒りが消えることはないのだ。
 そこで、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は両部族に認められようと思い立った。自分を認めさせることで、彼らが言うことを聞いてくれるかもしれないと考えたのだ。
「密林に平和をもたらし、今度こそヨサークにこいつを引き渡すためにも……やらなければならない」
 そう言った呼雪の隣には、先日手懐けた珍獣、オラウンコが座っている。彼には、これをヨサークに渡すという使命も残っていた。
「呼雪が使命感に燃えているけど、何かが違うような気が……」
 パートナー、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が首を傾げるが、呼雪は気にも留めず、オラウンコのお尻を叩く。
「準備はいいな、よしお! ヌウとヘルが場をセッティングしたら、俺たちの出番だからな」
「よしお!? え、呼雪、いつの間にそんな名前つけてたの!?」
「良い名前つけてもらえて良かったな、よしお!」
 ナチュラルにその名前を呼ぶもうひとりのパートナー、ヌウ・アルピリ(ぬう・あるぴり)に、ヘルはさらに驚いた。
「しかももう浸透してるって……どういうことなの……」
 まあそこは深く考えても仕方ない。そう割り切ったヘルは、自分の役割に徹することにした。
 彼の役割。それは、自らの派手な出で立ちを利用し、パパリコーレの者たちを落ち着かせることだった。となると当然、もうひとりのヌウはベベキンゾの者たちを落ち着かせることになる。ヌウはおあつらえ向きとばかりに、全裸になっていた。虎の獣人だけに、密林の雰囲気に当てられたのかもしれない。
「ベベキンゾ族が襲ってこないように、ヌウ、体使って頑張る!」
 特に他意はない。
 さて、両陣営に向かったヘルとヌウは、丁度良いタイミングで静まり始めていた喧噪の中、「少しだけあそこにいる人間のことを見てほしい」とお願いして回った。彼らの格好も幸いしたのか、戦いに疲れ始めていたこともあったのか、両部族はその申し出を断ることはなかった。
「呼雪、こっちは大丈夫だよ」
「コユキ、ヌウの方も!」
 遠くからふたりの声が聞こえ、呼雪はすう、とひとつ息を吐いた。同時に、オラウンコ……もとい、よしおを連れて争乱の中心へと歩を進めた。なぜかその手には、アコースティックギターが。
「たとえここが未開の地で、言葉が届かないとしても……音楽は通用するはずだ! 皆、聞いてくれ!」
 声高にそう主張した呼雪は、もう一度呼吸を整えると、弦に指をかけた。そう、彼は、ギターをコミュニケーションツールとして使おうとしていたのだ。呼雪の透き通った歌声が、周囲に行き渡る。
「良いじゃないか 生まれたままの姿も、美しく着飾った姿も どちらも素晴らしい
 いがみ合うことなんてないさ みんな素晴らしい
 ついでに言うと 言葉が通じる珍獣と人間ってぶっちゃけ差がないよね
 ならみんな一緒で みんなハッピーなのが良いんじゃないかな
 ハッピーなのは素晴らしいことなんだから」
 陽気な曲調に乗せて届けられたその歌詞は、愛に満ちていた。たぶん。隣で下手なハモりを聞かせているよしおが若干鬱陶しいが、音楽という文化に触れた彼らは、ゆっくりと、ゆっくりと呼雪のメロディを噛み締める。
「あら、これはチャンスねぇ」
 その様子を見て、雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)は小さくそう呟くと妖艶な笑みを浮かべた。ブラウス一枚のみを羽織ったセクシーな格好の彼女は、呼雪と同じく「互いの状態を認め合えばいいのに」という思想を持っていた。そしてそれを広めるなら、今が好機と踏んだのだ。
「見てなさい、このエロスミューズ、リナ様のエロスを」
 いや、若干訂正しよう。彼女の思想は、呼雪のそれとはややずれていたかもしれない。もしかしたら彼女が広めようとしている思想は、共存ではなくエロスなのかもしれない。それはこのあと、彼女の言動で判明するだろう。
 リナリエッタは、パートナーのベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)が運転する機晶マウンテンバイクにまたがると、そのまま呼雪の近く――紛争の中心地帯まで突っ込んでいく。
「さあ、思う存分語ると良い」
 ベファーナが、優しくリナリエッタをバイクから下ろし、彼女に視線を注ぐ。リナリエッタはそれに応えるように、両部族へ語りかけた。
「あなたたちは、なぜ気付かないのですか」
 その一文から始まった彼女の語りは、まるで高尚な文学を口にするかのような重々しさを携えていた。
「服を着飾ることと、一糸纏わぬこと。それを対立させることに意味などありません。むしろ、着飾ることと一糸纏わぬことを併せて、人は初めて愛を、エロスを知るのです」
 ここまできて、やっと彼女の思想が判明した。やはり彼女は、エロスの権化であった。もうここからリナリエッタの加速は止まらなかった。
「私の姿を見なさい。この、ぶかぶかのシャツから見える胸、そして太もも。全裸ですべてを曝け出すより、服ですべてを覆いつくすより、エロスを感じるでしょう? 衣服がなければパンチラ、ブラチラは成立しないのです。そして裸がなければ、服の上から太ももを感じることも、うなじを沿って胸の谷間を覗き込むこともできません」
 先程も誰かが勘違いしていたが、別に彼らはエロスの感じ方で喧嘩をしているわけではない。よって、どこにエロスを感じるかはさほど彼らにとっては問題ではなかったのだ。が、両部族の若者たちはリナリエッタの色気も影響してか、徐々にではあるが考え方が変わってきていた。
 そう、呼雪、リナリエッタの発した「君たちは仲良くなれるんだよ」というメッセージに、賛同を示し始めたのだ。エロスはともかくとして。
 調子に乗ったリナリエッタは、宗教チックなことを始めた。
「そう、あなたたちは手を取り合えるのです。さあ、無駄な争いは止め、互いのエロスを感じ合うのです。そしてエロスを解放するのです。このエロスミューズ、リナのように!」
「彼女は、裸に服を着せることでエロスを求める、言わば裸が先にくるタイプなのかな。僕は逆だけどね。最初から破れたストッキングをはかせたって、興奮しないでしょうに」
 真剣な表情で彼女の話を聞いていたベファーナは感想を呟くが、この場においてはまったくどうでもいいことだった。
 そして彼女はといえば、ラーラーと神秘的なメロディを口ずさみ始めていた。というか前回もそうだったが、もしかして彼女はミューズの概念を間違えていないだろうか。しかしそんな細かいことは気にせず、リナリエッタは呼雪のギターに合わせるように歌声を響かせる。
「ラー、ラララ、ハッピー、ハッピー」
 もはや、完全に宗教の域である。そのある種の不気味さに、嫌悪感を示す者もいた。中でもしきたりを重んじる年配のベベキンゾ、パパリコーレらは依然としていがみ合う姿勢を止めない。
 ここに、まさかの改革派と保守派が生まれてしまった。
「服ってのも、着てみたら意外と良いかもしれない」
「許さん! 衣服を着るなど、神への冒涜だ!」
「なんだか裸って、気持ち良さそうだよね」
「下品な! 何も着ないでおしゃれが出来るはずがない!」
 次第にそれは大きなうねりとなり、彼らはとうとう内部分裂を起こしてしまった。ついには我慢できなくなったベベキンゾ、パパリコーレ双方の老人たちが、ものすごい剣幕で相手の陣営に突進を決行してしまう。
 ドドド、と地鳴りまで聞こえてそうなその両者の突進は、土埃を引き連れて中央で激しくぶつかり合おうとしていた。
 その時だった。
「待つんだ! それは危険だ!!」
 そう叫び、飛び出したのはメジャーだった。彼はその身を投げ出すように飛び込むと、両手を広げ立ちはだかった。
 次の瞬間、どん、という鈍い音と共に、彼の体が空へと吹っ飛んだ。
「うああっ!?」
 そのまま足から地面に落下するメジャー。彼の無謀な行動は、両者の間に微かな罪悪感をもたらした。若い者たちは既に争う意思をなくしつつあり、一瞬場がしんとなる。これまでからは考えれない静寂だ。
「ど、どうしよう。こんな時ファルがいたら、ファルならなんとかしてくれるのに……!」
 暗くなってしまった雰囲気の中、ヌウが悔しそうに言った。
 ちなみにその頃呼雪のもうひとりのパートナー、ファルは家でおやつを食べながら、ポリポリお腹をかいていた。仮にファルがここにいても、間違いなく当てにはならなかっただろう。

 重苦しい静寂が、彼らにのしかかる。いっそやぶれかぶれで、とことん争い合おうか。一部の部族がそんな危険な考えに身を委ねようとしていた時、それよりも僅かに早く、静寂は破られた。
 破ったのは、多くが待ち望んでいたものだった。
「待たせたな、聖水だ!」
 聖水入手班、そしてヨサークたちが駆けつけたのだ。彼らの手には、しっかりと聖水が抱えられている。

 彼らは急ぎ、互いの御神体であるミイラ、丸石に駆け寄ると、その水をつう、と上から垂らした。すると、たちまちふたつの御神体から光が溢れ、今の今まで戦場だったこの地を明るく照らした。御神体を語っていたパパリコーレの老婆が涙を流しながら呟く。
「おお、おお……神様じゃ、神様がお戻りになった!」
 若干キャラが変わっているが些細なことだ。
 見る見るうちに輝きを取り戻したミイラと丸石は、本当の意味での神々しさを放っていた。その神聖さを肌で感じたのか、若者たちだけでなく揉めていた老人たちも、「あなた方の御神体も、とても輝かしい」と相手を自然と認めていた。
「これで、皆がハッピーだな」
 ジャーン、とギターをかき鳴らしながら、呼雪が言って再び明るいメロディを流す。すると、その場にいた全員が、彼やリナリエッタの言葉を思い出しながら歌いだした。それはやがて、大合唱となり、シボラの大地を包んだ。
「オールフォオワン、ワンフォーオール。ひとつにならなくていいよ。認め合えばそれでいい。ひとつにならなくていいんだよ。価値観とか、理念とか、宗教とかも」
 暮れかかった空。その下で歌声はしばらく止むことはなかった。