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リアクション
くすんだ木製のドアがある。ノブは埃で汚れ、蝶番は錆びて土色になっていた。
蹴り開ける。
ドアの金属部分は冗談のような音を上げてどこかへ跳んでいった。
「始まってるじゃねーか」
ここは図書室――イルミンスール魔法学校の名物と呼ばれる地下迷宮状の大図書室、正確にはその書庫だ。
空気には紙と革、及びインクの匂いが入り交じって、図書室独特の『あの』香りがする。しかもそれは、途方もないほどの年月をかけて醸成されたものゆえ、琥珀色をしているのが見えるようで、むっとするほどに濃厚なのである。
目眩がするような光景だった。
どれだけ本があるのだろう。びっしりと本の詰まった重厚な本棚が、高くそびえまるで壁のようだ。その壁は有機的な無秩序さをもって乱立し、一種の迷宮を成していた。その合間を走る螺旋階段に梯子、渡り綱、あるいは昇降機の数々が、この迷宮をただの平面に終わらせない。
本嫌いの人間が高熱を出した状態で図書室に投げ込まれて見る悪夢……といったところか。
悪夢ではなく、魔法に裏打ちされた現実なのだが。
もうひとつ、にわかに信じがたい『現実』が日比谷 皐月(ひびや・さつき)の眼前に展開されていた。
灰色の、やけにプラスチック的な質感をしたマネキン人形が、眼球のない目、開くことのない唇を有した顔をぐるぐると巡らせて、人間には到底真似できない姿勢で踊っていた。しかし人形が演じるのは楽しいダンスではなく死の舞踏だ。その両手に生えたやはり鉛色の鞭を、動きに合わせ縦横に振り回していたから。
しかもこのマネキン人形は一体ではない。この場所のあちこちに出現しているのだ。
図書室の方々から、鞭が跳ねる音や銃声が谺してくる。電撃だろうか、バチッと爆ぜるような音もしていた。その音は少なくない。いや、耳を聾するほどに激しい。図書室は静粛にという言葉の意味を、誰か教えてやってくれないか。
「これ全部、クランジなんとかってーのが起こした騒動なんだよな?」
「……『なんとか』じゃなくて『Σ(シグマ)』だそうです。独自情報によれば」
雨宮 七日(あめみや・なのか)が抑えた口調で応えた。
「独自情報かー。さすが地獄耳、いや、地獄猫耳」
「……猫耳、嫌なんですけど」
抗議のつもりかヒョコヒョコと、頭の猫耳を動かして七日は口をとがせた。
皐月らがこの地を踏んだのは、国軍経由で緊急作戦が発令されたためだ。
小山内 南(おさない・みなみ)というイルミンスールの生徒の身を速やかに拘束せよ――これが当初の作戦概要だ。小山内南はクランジの可能性が高い、というのが最初の段階での話だった。
緊急動員に応召し移動している途上、事件が勃発した。校長のエリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)は小山内南(こと『クランジΣ』)に襲撃され、そのパートナーミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)と共に図書室に逃れたという。
これを追ってゾロゾロ現れたのが、踊るマネキン人形というわけだ。姿は灰色一色、表情はおろか髪の毛すらないという無粋きわまりない姿だが、記録にあるクランジΧ(カイ)と容貌が似ているため、便宜上『量産型クランジΧ』と呼ばれている。
量産型クランジΧの集団と、突入した契約者たちの戦いが始まっていた。
多少遅れて到着した皐月だが、まだ戦況を判断するのは難しい状態ではある。
このとき、踊るマネキンの一体が、もげそうなほど首を振りながら皐月に迫ってきた。まだ距離はあるが早く決断しなければ危険だ。
ところが皐月は大いに落ち着いている。
「いきなりご挨拶だな。おい」
不敵な笑みを浮かべた。
「量産型相手とはいえ無策は不味いよな……待ってろ、5秒で考える」
「待ってろ? 皐月、まさか考えもなく突入したって言うんじゃないでしょうね。私に猫耳までさせて」
ここまで言いかけて、いやいいんですけど、と、七日は問いかけをやめた。
皐月のことなら誰よりも、七日はようく知っている。
考えもなく突入したに決まっているじゃないか。そんな人間だからこそ、クリフォトに向けて戦艦で突撃なんていう『自殺行為』を平然と行えたのだ。
だが七日は知っているのだ。今回の事件の報を受け取るや、大怪我して入院していた病室から飛び出していくような皐月はたしかに馬鹿だと思うが、それは信頼できる『馬鹿』だと。
――いつだって皐月は、不可能と思われる事態を可能に変えてきた。
そんな皐月に引きずられるようにしながら七日は、冒険を楽しんでいる自分にも気がついている。
皐月が行動を起こした。
「傷口が開かなきゃいいが……!」
このとき皐月の腕に巻かれていた包帯が、気合いとともに弾け飛んだ。
皐月はその腕で本棚の一つを抱きかかえるやぐいと上半身を巡らせ、引っ越し屋を優に上回るパワーでこれを眼前に下ろした。
これを繰り返す。
ずん、ずん、と立て続けに書架で自分たちを囲んで全方向へのバリケードにする。
「ま……悪いが正面切ってのおつきあいは御免しようかな。こちとら怪我人なもんでね」
本棚の厚みはせいぜい本二冊分、そこに、ためらうことなく光条兵器を突っ込む。
光の刃は本棚を通り抜け、その向こう側に飛び出した。
手応えはあった。突っ込んで来たマネキンはダメージを受けたことだろう。
標的を選べるのが光条兵器の特色、本棚を斬らず敵のみを斬る。
「壁抜けアサシン作戦というわけだ。パラディンらしくない? そういう細かいことは気にしないほうが人生楽しいぞ」
「楽しいかどうかは知りませんが、皐月と同行する以上、少々のことに頭を悩ませていては身がもちません」
猫耳七日は憮然として言う。
「どうせ次は、『バリケードをぐるりと組んじまって壁の向こうが見えない。ゴーストを使って索敵&壁向こうの情報伝達を頼む』とか言うつもりでしょう?」
「よく判ったな」
「……付き合い長いですから」
このときすでに七日は、ゴースト『ヤマダさん』を召喚していた。
さすがだ、と言って、
「あとはアンデッドで量産型を壁そばに誘き出してくれると言うことなしだな」
さあ一丁、やりますか――皐月は再び不敵な笑みを浮かべた。
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