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伝説の教師の新伝説 ~ 風雲・パラ実協奏曲【1/3】 ~

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伝説の教師の新伝説 ~ 風雲・パラ実協奏曲【1/3】 ~

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第三章:ようやく文化祭パートなわけだが

 さて。
 
 イコン格闘大会の一回戦が行われていた頃、特設ステージから程近い校舎とその周辺では、極西分校生たちによる出し物が行われていた。
 飾りつけは野暮ったく出並ぶ屋台もありきたりだが、洗練されていない様子がむしろ普通の高校の文化祭に見えて新鮮だ。
 平穏なざわめき。物珍しさに大勢がやってきていたが、特に凶悪なトラブルも起こることなく、皆がわいわいと楽しんでいる。
 なんという不気味さ。
 その普通を不審に感じてやってきていたメンバーもいた。彼らは、各々文化祭を楽しみながら、内情を探ろうとしている。
「店で暴れている客がいるだって? それくらい軽くつまみだせよ。パラ実生なんだからさ」
 買出しから帰ってきた酒杜 陽一(さかもり・よういち)は、生徒たちからの意外な報告にこめかみを押さえた。なんということだ。あの荒くれどもが、ならず者一人シメる事もできないとは。
 彼は、二年ほど前の事件の際にも分校で力を尽くし、【伝説の社会科教師】と呼ばれるようになった。その後、臨時教師としてしばしば生徒たちの面倒を見ていたのだ。その縁があって、陽一は生徒たちの信頼も厚く、動き回っても疑われない立場にあった。
 今回の収穫祭では、陽一は馴染みの生徒たちと一緒に『伽刃蔵(キャバクラ)喫茶』を出展していた。パートナーの酒杜 美由子(さかもり・みゆこ)の【資産家】、【設備投】で用意された備品や飲食物を運び込み、簡易店舗を設営していた。
「あら、おかえりなさい。今のところ、大きな事件は起こっていないわよ。ちょっと酔っ払いがいるくらいかしら」
 美由子は店の中を指差した。彼女は、キャバ嬢やホストたちの衣装を調えたり内装を用意したりしている。ちょっと面倒な客に不機嫌そうだ。有事に備えて、ソファーやテーブルなどの備品の中に、非殺傷性のスタングレネード・催涙弾・発煙筒・ゴム弾を撃つ暴徒鎮圧銃など仕込んであるのだが、それを使うまでもないところが鬱陶しい。なんというか、ウザい客なのだ。
「やれやれ」
 陽一はそちらに向かう。
 キャバクラとはいえ、未青年には酒は出さない。客の入りもなかなかで、面白がって覗きに来る人たちもいるようだ。
 雰囲気をかもし出すために薄暗くしてある店に入ると、店員をやっているモヒカンの一人が陽一に耳打ちする。名前は“アブドル”。以前、陽一がもみワゴンで旅をしたときに、この極西分校を紹介してやった不良の一人だった。お前、外人だったのか? と陽一が苦笑したほど、モヒカンたちはどいつも顔の見分けがつきにくい。
「どうした、ぶっ飛ばしてやれよ」
「そうじゃねえんだよ、先生。分校じゃ私闘、喧嘩は禁止されてるって言ってるだろ。決闘で叩き出すんだ」
 陽一が分校の様子を見に来たことを知っていて、『決闘システム』を実演して見せてくれるようだ。
「これでも、オレは青ワッペン保有者なんだ。上位ってわけじゃねえが、それなりに決闘慣れしてる。そこいらの連中には負けねえよ」
 アブドルは、ワッペンを陽一に見せてくれた。
「相手は、誰だ?」
 陽一が聞くと、アブドルは指差した。ならず者は、女だった。酒の匂いを漂わせている。
 その女性客は、女子生徒たちをはべらせて、ソファーにふんぞり返っている。他の客たちは迷惑そうに彼女を見つめていた。
「お客さんねぇ。うちは健全な店なんで。ちょっと表で話を聞こうか?」
「なんだぁ? あたしは教導団の少尉様だぞ。二十歳も越えてるし酒飲んでどこが悪いんだぁ? キャバクラだろ。ビール持ってこいや、こらぁ!」
 すでにご機嫌で出来上がっているのは、教導団のセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)だ。彼女は、極西分校で収穫祭が行われると聞いて、遊びにやってきていたのだ。パラ実の文化祭なら、きっとカオスに満ちあふれた悪の祭りとか勝手に決め付け、嬉々として乗り込んできたのだが、案外平凡でつまらなくしょんぼりしていたところだった。
 もっとこう、血なまぐさいのとか、ヒャッハーぶっ殺! みたいなのを期待していたのに、誰も襲い掛かってこないし、食べ物に毒が入っていたりしなかった。
 それ以前に、セレンフィリティは二年ほど前の分校内の騒乱で、臨時教師を任されていたのだ。全然来ていなかったので、皆忘れてしまっていたのか、誰も襲い掛かって、もとい気づいてくれていなかった。
 大食い大会とか殴り食い大会とかやっていないのかなと辺りを見回していたセレンフィリティは、ちょどキャバクラ喫茶なる店を見つけたので入り、飲み食いしまくっているところだったのだ。途中、自販機で買った缶ビールもいい感じに回ってきてこれからが盛り上るところだったのに。
「……」 
 陽一は呆れた。よりによって、知った顔じゃないか。セレンフィリティもまた、臨時教師のはずだったのに、生徒たちの悪い手本を教えているとは、いい心がけだ。
 ちょうど店で使う水がある。陽一はペットボトルのキャップを開けた。
「とりあえず、お冷やの追加だ。頭冷やせ」
 陽一は、セレンフィリティの頭からどばどばとペットボトルの水をかけてやった。
「うわっ、冷たっ!? 何するのよ!」
 我に返ったセレンフィリティの前で、陽一は店の外を指した。
「文句があるなら、決闘で勝負をつけようぜ。こちらの青ワッペンのアブドルが相手をしてくれるそうだ」
「うるせぇ、モヒカンがなんぼのもんよ! 暴れたりなかったところよ。死ねぃ」
 勢い良く立ち上がったセレンフィリティが拳を振り上げようとした時。
 突然、複数の男たちが店内になだれ込んでくる。
 陽一もセレンフィリティも、一瞬そいつらに目を奪われた。学ランをぴっちり身につけたモヒカンたちが5人ほど。顔には、真っ白で無表情のお面をつけているのが特徴だ。
「『決闘委員会』の者だ。校内での喧嘩は禁止されている。このいさかい、決闘で勝負をつけるか?」
「何だ、こいつら?」
 陽一は、アブドルに耳打ちする。
「聞いての通り、決闘を取り仕切っている委員会だぜ。決闘に立会い、一応フェアに勝敗を判定してくれるんだ」
「無視したらどうなる?」
「いくら先生でもやめておけよ。こいつら、めっぽう強ぇえんだ。後から後からわらわら湧いてくるしな。ルール守っている間は味方だし、モメてもメリットはねえやな」
「なるほど」
 陽一は、とりあえず納得することにした。
 さて、どうなるかと見ていると。
「ちっ、もういいわよ。なによ、ちょっとハメ外してみたかっただけじゃない」
 なんだか面倒臭そうな事態を察したセレンフィリティは、決闘もせずに退散することにしたようだ。
「じゃあ、お帰りはあちらだ」
 陽一は、半眼でセレンフィリティに伝票を手渡した。その額を見てセレンフィリティは目を剥く。
「なによこの額。ボッタクリバーじゃない!」
「人聞きの悪いことを言うな。全部あんたが飲み食いしたんだろうが」
「……ちっ」
 セレンフィリティは、数枚のお札を押し付けると、ぶつぶつ言いながら出て行った。
「パラ実生たちより、外部の生徒の方がタチ悪いじゃねえか」
 陽一がそういっている間に、お面をつけた異様な集団は無言で店から去って行った。
「あんな怪しい連中がいてくれるおかげで、こうやって無用な争いを避ける効果もあるってことだぜ。俺たちにしちゃモノ足りねえけどな」
 青ワッペンをしまい終えたアブドルは接客へと戻っていく。
「決闘委員会か」
 陽一は、お面のモヒカンの消えていった方を見つめていた。
 とても鍛え抜かれ統率の取れた組織であることは、分かった。
 後ほど聞いた話によると、あの委員会に教室は無いのだという。いわゆる生徒会のように集まって会議をしたり話し合いをしたりすることは決してない。
 決闘が始まったときのみ現れ、決闘が終わると去っていく。お面をしており、顔が分かりづらいことから、正体もほぼ不明なのだとか。
 それにしても、と陽一は思った。
 生徒たちのこの大人しさはなんだろう? 話したところ、洗脳されているようにもいないようにも思える。原因がわからなかった。
 聞く所によると、こうなったのはやはりあの特命教師なる連中がやってきてからだという。決闘システムの大幅改定が行われ、皆が次第に落ち着いていったのだとか。
 とりあえず、待つか。陽一たちが内情を探っているのが分かったら、あの教師たちは必ずここへやってくる。それまでに出来るだけ準備を整えておこう。
「いや、皆さん。お騒がせして申し訳ない。もう大丈夫なので、どうぞごゆっくり」
 陽一は、笑顔に戻ってキャバクラを続ける。しばらく、成り行きを見守ろう。
 彼は、あちらこちらの対応に追われ忙しくて特に気にも留めていなかった。
 キャバクラ喫茶の隅の席で、ホストたちと戯れることもなく黙って様子を見ていた一人の目立たない女子生徒の客が居たことを。
 髪を肩の辺りで切り揃えた真面目で大人しそうな素顔の女の子だ。彼女が席を立つと、美由子が見送る。
「あら、もうお帰り? あまりサービスできなかったかしら?」
「いいえ、とても有意義な時間でした」
「そう、よかったら、またいらしてね」
「はい、いつでもお呼びください。すぐに参ります」
「?」
 美由子は首をかしげる。
 女子生徒は、微笑みながら勘定を済ませて静かに店を出た。しばらく歩くと、彼女は誰もいない一角で立ち止まる。
「お疲れ様です、委員長
 お面モヒカンの決闘委員会メンバーが女子生徒を待ち構えていた。彼女は小さく頷く。
「あなたたちは他のメンバーと合流して、通常任務に戻ってください。以上です」
 ここでのお仕事はおしまい、と女子生徒は指をパチンと鳴らした。
「では、解散」
 その合図で、屈強なお面のモヒカンたちは散っていく。
 そして、その女子生徒の姿も人ごみの中へと消えていった。



「ひどい目にあったわ。やはりパラ実ね!」
 セレンフィリティはその場から駆け出していた。パートナーが心配だ。こんな危険な場所に連れてくるんじゃなかった。何も起こっていないだろうか?
「事件起こしているのはセレンじゃない。いい加減にしないと、そのうちに殴るわよ」
 セレンフィリティのパートーのセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、話を聞いてすでにグーで殴り終えてから、呆れた口調で言う。
「ちょっと目を離したすきにこれなんだから。バカなことやってないで、食べ歩きを続けるわよ。せっかく珍しい物を見に来たんだから」
 素っ気無くあしらうセレアナに、セレンフィリティは「だってつまんなかったんだもん」などとぶつぶつ言っていたが、程なく忘れたようだった。
「……」
 他に何か楽しめる場所はないのかと辺りを見回していたセレンフィリティは、よさそうな出し物を見つけて足を止めた。
『食い逃げ冥土(メイド)喫茶・鋼苦須苦龍(コークスクリュー)』。
 殺伐としたレイアウトの看板は魅惑的に映った。
 なんでも、会計を済ませずに部屋を出て100m逃げ切ったらお代は無料だとか。逃げ切る自信があるなら、いくら食べてもいいということだ。
「ごめんやっしゃー」
 セレンフィリティは、通が馴染みの蕎麦屋の暖簾をくぐる仕草で中に入った。入り口が殺気立っていたのでどんなに恐ろしげな場所かと思いきや、可愛いデコレーションに彩られたオシャレな内装の喫茶店だった。客もそこそこ入っているようだ。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
 出迎えてくれたのは、メイド姿のエンヘドゥ・ニヌア(えんへどぅ・にぬあ)だった。
 女子生徒たちに誘われて、喫茶店の管理者兼メイドウェイトレスをやっていると聞いていたが、本当だったのか。一応、手を振って挨拶しておく。
 席に案内されたセレンフィリティとセレアナはおしぼりを受け取りながらメニューを見た。普通だ。ここまではただの喫茶店。だが……。
 セレンフィリティは鋭い目つきになった。戦場に赴いた軍人の面持ちだ。
「メニューの品、全部持ってきて。それぞれ五人前で!」
「ちょっと、やめておきなさいよ。あんたまさか、エンヘドゥまで困らせる気なの?」
「……」
 セレンフィリティはセレアナの忠告を聞いていなかった。
 出口が、あそこに一つと、窓がガラス張り、か……。と脱出口の確認を始める。
 しまった。真ん中の席へ着いてしまった。窓際か出口の傍が良かったのに。
 セレンフィリティは自分の迂闊さを呪った。よく見ると、客がこちらの動きを監視しているようにも思える。客とは表向きで、食い逃げを防ぐための覆面警備員かもしれない。
 席を替えてもらうか? いや待て。逃げやすそうな席はトラップが仕掛けられているかもしれない。今さら席を移ったら、こいつ食い逃げするつもりなのでは? と店側に警戒心を呼び起こさせて準備されてしまう。あくまで普通の客を装うのだ。
「いや〜、私ケーキに目がなくてさ。五人前くらい普通に食べるのよ」
 セレンフィリティは、誰も聞いていないのに笑顔でフォローした。ちゃんとお代は払いますよ、お金持ってますからね、とアピールするために、財布の中身を数えだした。
「挙動不審すぎるでしょ。言っておくけど、私は付き合わないからね」
 セレアナは、溜息をついた。
 セレンフィリティは食べれるだけ食べて、食い逃げに挑戦するつもりのようだ。
「お待たせしました。ゆっくりしていってくださいね」
 エンヘドゥは、本当にメニューの品を五人前ずつ持ってきた。テーブルに置ききれないほどの分量だ。ケーキやパフェなどの甘い物の他にパスタやサラダまである。どれもこれも美味そうだった。 
「いただきます」
 セレンフィリティは、出された料理を黙々と食べ始める。セレアナは、それをコーヒーを飲みながら眺めるだけにするようだ。
 挑戦者となったセレンフィリティは、食べ続ける。彼女にとってはいつものことだ。普段からあれだけ食べまくっているのに、見事なプロポーションをどうやったら維持できるのか非常に謎である。が本人曰く、教導団にいたら訓練やら実戦参加で否応なくカロリーが強制消費されるので無問題らしい。
「ぐはっ!?」
 そんな健啖家のセレンフィリティが、突然食事を吐き出した。ビクビクと痙攣し硬直状態に陥った彼女は、そのまま椅子ごと背後へ転倒する。
「セレン!?」
 ただ事じゃない気配に、セレアナは傍に駆け寄った。明らかな異変に、店内もざわめく。接客中だったエンヘドゥも心配げに覗き込んできた。
「どうした? 何かあったか?」
 騒ぎを聞きつけて奥の厨房から様子を見に来たのは、この喫茶店で料理人をやっていたジャジラッド・ボゴル(じゃじらっど・ぼごる)だ。用心棒も兼ねているジャジラッドは、セレンフィリティを一目見て言った。
「なんだ、ただの麻痺か。食い逃げかと思って来て損した」
「いや、あの……?」
 あんまりの出来事に呆気に取られるセレアナだが、すぐに担架が用意され、セレンフィリティはそのまま運ばれていった。
「お帰りですか? ありがとうございました。お会計はこちらになりますわ」
 エンヘドゥは悪意の全くこもっていない純粋な笑みを浮かべたまま、セレアナに伝票を渡した。
「え?」
 セレアナは、固まった。セレンフィリティが調子に乗って頼みまくった全ての合計代金が記載されている。虚ろなままなんとか支払いを済ませて、彼女はよろよろと喫茶店を後にした。
「またお越しくださいませ!」
「もう来ないわよ!」
 とんだぼったくりバーだった。いや、まあ頼んだのは確かだし仕方ないか……。セレアナは、運ばれていったセレンフィリティを迎えに彼方へと姿を消す。
 生徒たちに、こうなってはいけませんと身をもって教えてくれた、反面教師なんだろう。まあ、多分。
「おかしいな。腕によりをかけてもてなしたつもりだったんだが、どこか悪かっただろうか?」
 ジャジラッドは忸怩たる思いで厨房へ帰っていった。【謎料理】で心をこめて作ったのに。しかも、特に力を入れた桃源郷へ誘う至高の玉子焼きは食べずに残されたままだった。気に入ってもらえなくて残念だ。
「もう、いけませんよ! あなたの仕業ですね!」
 始終を見守っていたエンヘドゥは、厨房へやってきて、メッ! と怒った。巨躯のジャジラッドを一生懸命見上げようとする、その表情はとても魅力的なのだか。
「すまん。そんなつもりじゃなかったんだ」
 豪胆と粗暴でならすジャジラッドが、エンヘドゥの前ではシュンと小さくなった。彼女と親しくなるつもりで、この喫茶店の手伝いをしに来ていたのだが、まだ目的は達せられていない。
「それにしても。それなりの繁盛ぶりなのだが、例の教師たちが来る様子はないな」
 ジャジラッドはすぐに気を取り直して、また厨房で料理を作り始めた。
 こんな超のつく美人がウェイトレスをやっていて、料理もまあジャジラッドが【謎料理】しなければ美味いのに、どうしてなのだろう? 
「あら、わたくしだって、今は一応教師ですわ。一生懸命ご奉仕いたしますわね」
 エンヘドゥは、もう怒った様子もなくそう答える。ご奉仕とか、むしろジャジラッド自身が常連客になりたいくらいだ。
「それなんだが、エンヘドゥは、この後どうするつもりなのだ? 教育実習に来ているということは、教員になるつもりなのか? カナンで教鞭をとるのか、空京大学に残って客員教授を目指すのか」
「そうなれればよろしいのですけど」
 エンヘドゥはちょっと寂しげに微笑んだ。
 彼女が普通の女の子だったら、きっとそうなっていただろう。だが、エンヘドゥはお姫様なのだ。興味すらわいてこないような男と政略結婚し、民草のために国政に参加しなければならなくなる。それもそう遠くない日に。
「ですからここは、わたくしの“夢”の場所なのですわ。願わくば、もうしばし、わがままをかなえてくださいませ。これ以上は何も望みませんから」
 彼女がパラ実に来たのだって、手違いでも誰かの嫌がらせでもなかった。
 監視の目から最も遠く、王宮より最も正反対で、彼女を取り巻く上品な仲間たちから最もかけ離れた人たちがいる場所で、優秀なエリート生ではなく何を言っても理解してくれそうもない生徒たちと一緒に、困りながら勉強してみたかったのだ。
「悪い子たちもたくさんいますわ。でもわたくし、そんな彼らも含めて気に入っているのです。こんな人間くさい学び舎が」
「そうだったのか」
 ジャジラッドは調理を続けながら頷く。エンヘドゥがそんなことを考えていたなんて知らなかった。
「分校の生徒たちとわたくしと、何の違いがありましょう? 違ったのは生まれだけですわ。神様の気まぐれがなければ、わたくしもここで、ひゃっは! などと言っていたかもしれませんのよ。ですからね、ジャジラッド、わたくしもうしばらくは、この学校で彼らと付き合うつもりです」
 実のところ、エンヘドゥの滞在期間は終了しているのだ。教育実習は普通二週間で区切りがつく。それを彼女の意思で延長してもらっている形だった。というか、誰も突っ込まずなし崩し的に教員にさせられてしまっていたのが実情だが。
 パラ実では、誰もエンヘドゥを特別扱いしない。おっぱい大きい美人姉ちゃんの一人だ。それが楽しい、と彼女は言った。
「喜ばれても困るぜ。今はちょっとこの分校の様子がおかしいだけで、パラ実はもっと危険で野蛮なんだ」
 話しているうちに、ジャジラッドは少し心配になってきていた。カナンの姫君にいてもらえるのは有難いが、帰る頃には取り返しのつかないことになっていたら、パラ実との繋がりが強まるどころか、下手をすると外交問題にまで発展しかねない。
「話は分かったから、そろそろ持ち場に戻れ。皆が待ってる。エンヘドゥのことは、あまり怒らせないようにするからよ」
 こんなところでいつまでも話し込んでいても仕方がない。素っ気無く追い返す仕草をするジャジラッドに、エンヘドゥは小さく微笑んだ。
「ジャジラッドが、わたくしのことを気にかけてくださっていることは、よく分かっておりますわ。今は何もお返しできませんけど、いずれ……」
「そんなつもりで言ったんじゃねえよ」
「もちろん、承知しておりますわ」
 エンヘドゥは楽しそうに答えると、厨房を出て行った。また元気に接客し始める。
「……」
 その様子を眺めながら、ジャジラッドは思った。
 このまま無事に事を終えて満足して帰ってもらいたいものだ。そのためには、色々と手助けしてあげることもやぶさかではない。
 さしあたりの懸念は、分校内を暗躍しているという噂の特命教師たちだ。何をする気かは知らないが、おかしな事件にエンヘドゥが巻き込まれないとも限らない。
 彼は、暇を見て工作に取り掛かることにした。
 噂の特命教師にサービス券つきの招待状を送って、愉快なイベントに案内して差し上げるのだ。
 さらには、この喫茶店を舞台に決闘もできるのではないだろうか、とジャジラッドは考える。別にイコンで殴りあわなくても、食べる競争で決闘は成り立つはずだ。
「決闘? いいけど、ここに委員会が来ちゃうよ?」
 ジャジラッドに相談を持ちかけられたメイドウェイトレスの女子生徒は、ちょっと嫌そうな顔になった。軽めで調子ノリっぽく元気のいい女子生徒だったので、ちょっと早食い競争で決闘して欲しいと頼んでみたのだが。
 ジャジラッドは別のワードに反応した。
「委員会?」
「うん。この決闘システムを仕切っているのは、『決闘委員会』っていう委員会なのよ」
 あまり頭のよろしくない女子のようで話は要領を得なかったが、ジャジラッドはじっくり聞き出した。まとめると。
『決闘委員会』は、決闘システムにおける立会人らしい。勝敗の審判をし、ワッペンの管理をしているという。彼らのあずかり知らぬところで行われる決闘は決闘とはみなされず、単なる私闘になり処罰の対象になる。決闘の結果、『決闘委員会』がワッペンを発行してくれるのだ。しかも、委員会はいわば生徒会のようなもので、生徒たちが運営しているのだという。
「これがワッペン。個人の情報がICチップに入ってるんだって」
 メイドウェイトレスの女子生徒は黄色いワッペンを誇らしげにジャジラッドに見せてくれた。黄色は下から二番目だが、彼女なりに苦労して獲得したものだった。
「これをね、相手のワッペンと重ね合わせると、委員会がすぐさまやってきて勝敗を見届けてくれるのよ」
 相手が居ないから、今は呼べないけどと女子生徒は言う。
「特命教師たちがワッペンを管理していたんじゃないのか」
「でも、誰が委員会の人なのかわからないのよ。知られたら、脅されたり襲撃されたり不正の片棒を担がされたりするかもしれないでしょう? だから、いつもお面をかぶっているのよ」
「なるほど」
 ジャジラッドは頷いた。
 標的は特命教師たちだけかと思っていたら、予想外のところから予想外の怪しい組織の話が聞けたものだ。細かいルールは追って知るとして、決闘システムを調べるには対戦相手が必要だ。
「教師たちも決闘システムに参加できるんだよな? 捕まえてきてくれるか?」
「え〜、逆ナン? ヤッダ〜!」
 女子生徒はジャジラッドをパンパン叩きながら嬉し恥ずかしそうに身体をくねらせた。アホい娘だが、話に乗ってくれそうなのはこのメイドしか居ない。
「すまん、エンヘドゥ。ちょっと彼女と行ってくるわ」
 ジャジラッドは、休憩時間を利用してメイド少女と獲物を見つけに出かける。

 さて……。