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リアクション
5:朱色の乱気流
冷たい空気に満ちた神殿の中で、光が弾け、衝撃が空気を揺らす。
床を抉って幾つもの剣戟が音を散らした。契約者達との交戦が始まってから半刻が経過しようとしていたが、状況は一進一退を繰り返し、一対多数ながら決定的な場面は中々訪れようとしない。結界を破壊するような大技を使わせることは防げてはいるが。
「けど、判ったこともあるわ」
絶望の旋律の陽動で攻撃を引き受けながら、スカーレッドの一撃を紙一重でかわし続けていたセレンフィリティは、その鎌の側面を弾いて距離を取り、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)の展開するトリップ・ザ・ワールドに飛び込むことで白竜と羅儀のコンビと前後をスイッチし、息をついた。
「この動きは、自分ね身体やその動きを完璧に把握していなければ無理だもの」
つまり、意識こそ影響を受けていこそすれ、戦い方もその力も紛れもなく本人のもの、と言うことだ。
「何かに憑依されたんじゃなくてこれ、たぁおっそろしい姉さんだな」
こちらは飛び込む隙を窺っている唯斗だ。何度か接近を試みてはいるのだが、投げ技を仕掛ける隙がない。振り被られる鎌は、攻撃そのものを自身の防御膜のように展開するため、守りの一撃に抉られかねないのだ。
「まあ、あの威力はセーブを敢えてしていないのでしょう。それで息切れも見せないとなると……」
小次郎の分析に「体力切れを狙うのは難しいと見たほうが良さそうですか」と望が難しい顔で眉を寄せた。それに頷いて、あれだけ激しい攻防を続けていながら、一向に疲労する気配の無いスカーレッドの様子に、小次郎は溜息交じりに口を開いた。
「確かに乗っ取られてはいないようですが、体に負担が掛かっているようにも見えませんしね……恐らく、暴走の原因になっている何かが、彼女にエネルギーを与えているのでしょう」
「どの道、体力切れを狙ってられる時間もないわ。それに、疲労は無くても、無敵になってるわけでもないみたいだもの」
セレンフィリティはそう言って、先ほどまでの交戦での感触を思い出しながら続けた。ダメージが届かないわけではない。絶望の旋律が与える精神的なダメージは、その表情を見る限り蓄積しているようであり、怪我もまた回復している様子は無い。
「あくまで、スタミナが無尽蔵……ってことね」
「要は戦い方、ということですね」
頷きながら、小次郎が鞭を構えるのに「ならば」と辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)がするりと手を袖口へと滑り込ませ、望は溜息をつきながら「正直、前回お札を使いすぎたので、余り使いたくないんですよね、残り枚数的にも……」と、稲妻の札を取り出した。
「これが靴下の中に隠しておいた最後の一枚! もうコレっきりですからね!」
なけなしの一枚を手に、ちゃっかり「請求は教導団にまわしてもいいですかね?」と氏無に振って、その顔が苦笑気味に頷いたのを見て「さて、とは言え」と望は戦況へ目を戻した。問題はこれを使うタイミングだ。迂闊に使えば味方のほうが餌食になる可能性もある。ノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)はそんな望を横目に、二刀を構えて間合いを計った。
「この様な形での手合わせは不本意ですが……相手にとって不足はございませんわね!」
その一声を合図に、バーストダッシュで飛び出したノートが、鎌を振りぬいた後の一瞬開いた武器との合間に飛び込むと、その接近に気付いて軌道を変えた柄と剣とが激突した。ガギッと鈍い音がして、振り抜く勢いを途中で殺された鎌の動きが僅かに止まる。が、直ぐにでも押し戻されそうなその圧力に、ノートは眉を潜めながらも、逆らわず半身をあえて引くことで、スカーレッドのバランスを崩させた。
「……っ!」
自らの力が逆に自身を傾かせた、スカーレッドの僅かな間を突いて、噛みあう武器を支点にその足を振りあげた。とっさに武器を弾いてそれをかわそうとしたスカーレッドへ、その足につけられたヴァルキリーの脚刀が襲い掛かる。逸らした顔の頬を裂き、断たれた黒髪が舞う。が、体をそらせたスカーレッドは弾いた鎌をその勢いをもって回転させて、切っ先でノートの横腹を狙って薙いだ。いや、正確には薙ごうとしたのだが、それを阻んだのは、刹那の放った刀だ。正確に急所を狙うその一撃に、咄嗟にスカーレッドは軌道を変えざるを得なくなり、その間で再びノートがバーストダッシュで距離を取った。
忌々しげに舌打ちし、スカーレッドはそのまま、今度は邪魔をした刹那に向けて鎌による真空派を放ったが、その時には既に刹那の姿はない。千里走りの術で死角へと移動を終えた刹那は、近接の面々が離れた一瞬を狙ってしびれ粉を撒き、毒虫の群れを放った。どちらとも、スカーレッドの振るう大鎌の前ではその衝撃波で殆どが弾かれる形となったものの、飛び散った粉末の全てを消しきれるわけではなかったようで、僅かにその目が顰められたところで、続いてその視界を奪ったのは弾幕ファンデーションだ。
「……っ、小賢シい!」
毒づき、風圧で振り払おうとしたが、その一瞬の死角に、小次郎の放った鞭がその手を、足を打った。攻撃そのものは、威力は低い。だが、痛覚を刺激されたスカーレッドの意識が、僅かに乱れる。
瞬間、弾かれるように飛び出したのは村主 蛇々(すぐり・じゃじゃ)だ。調査団によって回収された双振りの剣――やけに手に馴染むそれを握り締めて、正面から突っ込んだのだ。無謀ともいえる一撃だが、その直前。放り投げられていた黄昏の星輝銃が、蛇々のテクノパシーによってスカーレッドの背後から火を噴いた。投じられた時は陽動だと、気にも留められていなかったその銃は、威力は兎も角スカーレッドの意識を背後へ散らした。その僅かな間が、飛び込んだ蛇々の真空波を直撃させていた。本来ならば、蛇々とスカーレッドの力量差ははっきりしていて、その攻撃も大したダメージにはならなかっただろう。だが、その剣、そして蛇々の中に宿る過去からの記憶が、その不思議な力で、一瞬ながらスカーレッドの動きを止めるほどに、威力を見せた。その間で、間合いへ飛び込んだのはセレンフィリティだ。
「喰らいなさい……!」
飛び込んだ気負いをのせて、脱いでいた上着をスカーレットの顔に叩きつけた。直撃は流石にしなかったものの、ばさりと空気を受けて翻った上着が塞いだ視界の範囲は広い。間合いを計りかねて、振り上げの遅れた、その一瞬を衝いてゴッドスピートで急接近をかけたセレンフィリティは、絶望の旋律でゼロ距離射撃をしかけ、るように見せて、身構えるスカーレッドに向けて洗礼の光を浴びせた。行動を測ろうと注視していたのが仇になり、まともに光を食らったスカーレッドが、その眩しさに眉を寄せ、直接脳へ差し込まれた相手の強大さが、その手元を刹那、怯むように狂わせた、瞬間。裸拳――裸に近づけば近づくほど攻撃力が増すという、大胆な水着姿のセレンフィリティに相応しい格闘術だろう――の一撃を鳩尾へ叩き込んだ。いや、叩き込もうとしたところで、実際には鎌の柄に阻まれたのだが。しかし、その衝撃は柄を伝ってその両腕へ走り、小次郎の鞭が増させた痛覚のために、ぐっと呻く声と共に、スカーレッドの動きが鈍り、その集中が明らかに削られた、そこへ。
「……!」
機を察して飛び込んだのは、綺羅 瑠璃(きら・るー)だ。鎌の内側に滑り込み、強引にその剣を柄に押し当てた。そのままぎりぎりぎりと鍔競りあったが、何しろ腕力は圧倒的に差が有る相手だ。直ぐに押し戻されたが、構わず瑠璃はその体ごと押し付けるようにして、ぐぐっと互いの間を詰めていく。直ぐにでも払われないのは、先程までの攻撃で、腕への負担が増しているからだろう。それでも、押し切られるのは時間の問題と思われた、が。次の瞬間、瑠璃の胴を、剣の切っ先が貫いた。
「……ぐ、ゥ……!?」
ずぐり、と鈍い音と共に、スカーレッドが呻き声をあげる。瑠璃の背から突き立てられた鈴の剣が、その太股を深々と抉っているのだ。瑠璃自身の体を死角に使ったのだ。勿論、鈴の光条兵器は、瑠璃の体を損ねることなくスカーレッドだけを抉っている。そのまま、引き抜いた剣をもう一撃、と構えたが、それより早く。
「が、ァ、ああァアア……!」
獣のような声を上げて、強引に降り抜かれた一撃は、今度こそ二人諸共に吹き飛ばした。それはそのまま地面を抉る強烈な衝撃波となって、契約者達との距離を取らせたが、異変が起こった。スカーレッドが初めて、その鎌の先を床に落とすと、攻撃をやめたのだ。
「……! 疲労、している?」
その異変の内容に、最初に気付いたのは刹那だ。
見れば、先ほどまで息切れも見せなかったスカーレッドの呼吸が乱れ、その表情には痛覚によるものではない疲労が浮いている。止まっているのは、恐らく流れ出る体力を留めるためだろう。
「……歌、ですか」
その原因を悟って、鈴が呟くように漏らした。そう、いつの間にか歌菜たちの歌が聖堂に響き始め、スカーレッドへ力を流していたものが、その接続を保っていられなくなったようだ。
「どうやら、状況は好転したようですわね」
ノートが不敵に笑みを浮かべてそう口にすると、それに背中を押されたように、一同は一層の闘志を燃やして、スカーレッドへと向かっていったのだった。
そうして、激突の行われている最中。
言うだけ言ってすっきりしたのか、それとも氏無の態度に自重することにしたのかはわからないが、黙ったまま他の皆が顕現のために動いている様子を眺めているハデスの後姿を、冷たい笑みで眺めていたのは天樹 十六凪(あまぎ・いざなぎ)だ。
「封印されし存在の顕現……ハデス君は、僕の目論見通りに動いてくれているようですね」
そう呟いて、十六凪はその笑みを深めると、ディミトリアス、そして氏無を交互にさりげなく見やりながら、監督者のように全体を見渡して分析しながら、その目を細めた。
「顕現したモノから何かを得られれば良し。得られずとも、これによってシャンバラとエリュシオンの関係が悪化すれば、今後の『真オリュンポス』による世界征服時に、付け入る隙ができるというものです」
顕現されるものが何であれ、強大な力の持ち主には違いない。もしそれが邪悪なものであれば都合がいい。それに、氏無はああは言っていたが、現実、この異変が既に取り返しのつかない失態であり、帝国側から批判がきても可笑しくない事態だ。氏無と言う男がそれが判っていないとも思えないが、どんな手を取っていたとしても、綻びは必ず生まれる。どちらに転んでも、十六凪としては損をしない展開だ。
「最も望ましいのは、『最悪の事態』となり、調査団の皆さんや、アルケリウスさんの切り札を切らせることですかね」
集まっている契約者達は手錬れが多いが、それだけでは事態を収束できる保証は無い。面白くなってきましたね、と小さく心中で呟く十六凪だったが、その後方ではアルテミス・カリスト(あるてみす・かりすと)が警戒も顕にその背中を眺めていた。
先日トゥーゲドアで捕まってから、身の潔白を証明するのに時間がかかってしまい、ここに合流するのが遅くなったのだが、アニューリスたちの船に同乗する折、十六凪がいたことに、疑問があったのだ。よもや、十六凪が帝国領で裏工作をしていたためだ、などとは思いもよらないが、それでも何がしかの不審を感じて、アルテミスはキッと背中を睨むように見つめる。
「また十六凪さんが、何か企んでいるような気がします……今度はこの間のようにはいきませんからね!」
トゥーゲドアで捕まった際の原因は十六凪だったのだ。もうその策謀には乗らないぞとばかりに意気を見せるアルテミスだったが、そのむき出しの熱意に、十六凪が人知れず口元の笑みを深めたのは、終ぞ気付く事はなかったのだった。
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