校長室
薔薇に捧げる一滴(ひとしずく)―BL編―
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葉に記された、希望 ルドルフから手に入れた情報を元に、赤エリアで捜し物をすることになった天音とブルーズ。もともとそうするつもりではいたが、このエリアを任されルドルフは桃のエリアへ向かったため、責任は大きい。 「雫の次は欠片……か」 手に入れた情報は、この霧は防犯装置の効果に加え愛の雫と同じ成分が含まれている可能性が高いこと。物体として風に流されて移動するため、エリア特有の効果が混ざってしまっているということ。そして、完全に止めてしまうには欠片が必要だということ。 「愛だ恋だと申込書にあったのは、これのことだったんだな」 「それは、違うと思うよ」 確かに、防犯装置や今回の霧。それらは仕組まれた事故の可能性があることは否定出来ない。けれど、この美しい薔薇たちを眺めゆったりする時間は大切な人と取って欲しいものだろう。たくさんの愛にまつわる花言葉を持つ花なのだから、尚更だ。 「親愛、感謝――お世話になっている人には、休ませてあげたいっていう純粋な物だと思うよ」 彼の真意までは聞けなかったけれど、と歩み進める天音にブルーズは考え込む。 (感謝されたいと思っているわけではないが、参加する前は一言だってそんなことを漏らさなかっただろう) イエニチェリのお茶会というだけで興味が沸いた2人。大事な申込書を貰って来たにも関わらず、天音は書く意味がわからないと投げ捨て、部屋着に着替えると服を脱ぎ捨て。掃除をしようと部屋に入ったブルーズが、先に洗濯かと色物と分別している際に見つかったそれに「大事な物はテーブルの上に置いておけと言っただろう」と叱りつけても読書中の彼は生返事。 だから、天音に少しでも思いやりの心だという発想があることにブルーズは驚くのだが、それは一般的な見解で自分たちには当てはまらないんじゃないかと思う。 「……我は、お前の隣に立つ相手としてそんなに頼りないか?」 何を言い出すかと思って振り返れば、不安そうな顔。どんな考えを巡らせてそこに行き着いたかはわからないが、簡単に答えをくれてやるほど優しいと思っているわけでもないだろうに。直球で尋ねる彼に、少しばかりわかりやすい答えかたをしてみる。 「馬鹿だね君は。頼りにならない相手が、そもそも僕の隣に立っていられる訳がないとは思わないのかな。……今、君が立っているのは何処だろうね?」 いてもいなくても大差ないなら、置いておく価値もない。自分と同等で高め合うことが出来るのか、尊敬に値するのか……そうでなくとも、いつだって可愛がっているはずなのに、その愛情表現が屈折しているとでも言うのか彼にはあまり伝わっていなかったようだ。 「それが、気紛れでなければいいのだがな」 「……そんなに自信がないなら置いていこうか?」 台詞こそ突き放すような言葉なのに、悪戯な微笑みを浮かべられると諦めにも似た疲れが押し寄せる。重い足枷を付けられて、天音以外の元へなど行けないようになっていくのに、それが心地良いとさえ思ってしまう自分はマゾなのだろうか。 「遠慮する。あの部屋が荒れていく様子が目に――」 真っ白い薔薇の中で、1つだけ透明な葉。霧がかった景色の中で見つけることが困難だと思われていたそれは、天音の手元くらいの高さについていた。 言葉を止めたブルーズの視線を追い、天音はそのまま薔薇の根元を掘り返す。 「これが、欠片……」 砕いた氷砂糖のように薄く濁った小さな欠片。ひまわりの種くらいの大きさのそれは、外に取り出されると辺りの霧を吸い込んでいく。 まだ他のエリアが残っているからか、冷気のように漂う程度残ったものの、赤エリアの視界はすっかり開けた。 「ひとまず、これで安心だね」 欠片を持ち帰り調べたいのは山々だが、面倒なことになりそうだ。そのまま元の場所へ埋め直すと、ブルーズがハンカチを差し出した。 「ありがとう。それにしても、あんな低い位置を良く見ていたね?」 「……たまたまだ」 まさか、何かを願うよう、その手にキスをするつもりだったとも言えず、用事が終わったなら戻るぞと背中を向けてしまう。 (素直に言えば、ご褒美くらい考えてあげたかもしれないのにね) そんなことを天音から切り出してあげるわけもなく、2人はゆったりとお茶をしに休憩スペースに向かうのだった。 捧げるのは君 そうして晴れた霧を喜んで、サトゥルヌスとアルカナは散策を続ける。 「天気が良くなってきて良かったね、アル君。次はどこに行こうか?」 目的もなく、2人並んで歩く。たったそれだけのことがこれほど嬉しいとは思いもしなかったアルカナは、今というときが永遠に続けばいいと願う。 (あの悪魔がいない上、サトゥと2人きりなんて……今となっては贅沢をしているようだな) 大の苦手としている姉と契約され、男子校なので学舎まで来ないだろうと思っていたら、男性的な見た目を利用して入学。おかげで、アルカナが心休まるときは全くと言っていいほどなかった。 「アル君?」 「あ、あぁ。サトゥの行きたいところでいいぞ。俺は薔薇の種類に詳しいわけじゃないからな」 それじゃあ……と地図を持っている逆の手は自分と繋がれている。霧が出てきたのを口実に、迷子にならないよう繋いだ手はいいつまで繋いでいられるだろうか。 「……ねぇアル君。好き?」 「え?」 上目遣いに尋ねられ、一瞬言葉に詰まる。サトゥルヌスからそんな言葉が聞けるとは思わず、アルカナの思考は追いつかない。 「ねぇ好き? それとも……嫌い?」 「嫌いなわけがないだろ! 寧ろ、好きに決まってる!」 悲しそうに歪められたサトゥルヌスの表情に我慢が出来ず、つい大きな声を出してしまった。驚かせてしまったようで、目を大きく見開いてからゆるゆると笑顔を取り戻す。 「良かった、昨日もなんだかつまらなそうだったし、お花とかあんまり好きじゃないのかなって心配したよ」 「……花?」 「うん。それ以外何かあったっけ?」 小首を傾げて考えている様子も実に可愛らしいが、それは残酷なまでにアルカナの想いをシャットダウンしている。 (今のは期待しすぎだな。さすがにこの展開はないか……) 深呼吸をして煩悩を打ち払うよう頭を振っていると、サトゥが微苦笑を浮かべている。 (本当に好きなものに対しては、上手く思いを伝えられないんだよね) いつか、素直な自分になれたらいいなと思いながら、繋いだ手を握りしめて次の薔薇へと向かうのだった。 そんな2人を微笑ましく思ったのか。この広大な薔薇園で和みを誘う小動物の鳴き声。鈴倉 虚雲(すずくら・きょん)は大切な物だと言い張って、園内に猫を持ち込んだのだ。確かに、大切なものは人それぞれなので否定はしないが、うちの子は可愛いんだぞと抱いたまま入ろうとしたので、慌てて警備係が取り押さえた。さすがにたくさんの人が集まる上、迷子になっては大変だ。急いで用意させたケージに入れるよう勧めると、狭い所へ閉じ込めるのが可愛そうなのか、覗き込まないと顔が見えないのが寂しいのか、彼は今生の別れのような顔でケージに入れるのだった。 そんな様子を一部始終見ていたパートナーの紅 射月(くれない・いつき)は、薔薇を見て回る虚雲に問いかけた。 「僕は、猫になれないのでしょうか」 「はぁ?」 その意図が分からず、振り返った虚雲はケージをちらりと見て持ちかえた。 人が猫になれるはずもない。確かにゆる族なんて種族もいるが、魔法なんて非科学的な物まで登場して平凡な日常ではなくなったが、だからといって可能なこと……もとい、やっていいことと悪いことがある。 「猫は猫だからいいんだろ。この癒しは誰にも真似出来ないっての」 「だから、ですよ」 真っ白い薔薇の前で呟く言葉は、儚いようで芯のある言葉。想いを含む妖しげな視線に、虚雲は足下にケージを置いた。 ことあるごとに回りくどく説明する彼の思考を読めるはずもなくて、黙ってその言葉の続きを待った。 「例え言葉を話せなくても、虚雲くんと歩める時間が変わってしまっても……傍にいれるのならなりたいですね」 (……おまえが来たいって連れてきたクセに、そんな顔すんなよ) にっこりと微笑むくせにそれはどこか物悲しそうで、本当にどこかへ行ってしまうんじゃないかと手を伸ばしたくなる。 けれど、かけてやれる言葉なんて見つからない。そんな顔をさせている原因が自分にはわからないからだ。 「……虚雲くんは、なぜ小さい薔薇を避けたんですか?」 わかってる、この気持ちが一方通行なことは。特別な庭園に来たって、ここには不審な目で見る人がいないからって。彼が自分の手を取らないことは知っている。ならばせめて、その心を癒し笑顔にすることが出来る存在になりたいと思うのは罪だろうか。 「小さい薔薇って……あれだろ? こ、恋をするのは若すぎる、とか変な意味があったよな」 自分には興味がなくても、射月が楽しみにしている。それなら、ちょっとくらい調べれば話が出来るかと流し読みをした本に載っていた一文だった。 別に、熱烈に恋人募集中! だとか言うつもりもないけれど、若いとかどうとかで境界線を張られるのはまっぴらごめんだし、否定されるのも嫌だ。何をかはわからないが、直感的にそう思ったのだから仕方がない。 「黄色の小さな薔薇には、笑って別れましょうという意味があるんですよ」 「…………っ!」 色や状態で変わる花言葉。気にしすぎだと言われても、些細なことでも気になってしまう。こんなに近くに好きな人がいても、信頼を裏切ることは出来なくて、埋まるはずのない距離感を詰めたくても叶わない。 (虚雲くんは僕を見ていない。あなたを見続けてきた僕だからわかる現実――) それでも、そのときが少しでも長く続くように。おまじないのような物でさえ縋ってしまいたくなる自分は、どこまで女々しいのだろう。 「笑ってなんて、絶対無理だろ! つか、紅は俺の……おれ、の……あれ?」 (今、俺……なんて言おうとした?) パートナー、それとも友達? それも間違いじゃないが、もっと違う大切な言葉。けれど、心の奥の奥に蒔かれた種は、やっと芽吹こうかと殻を押し割りかけたばかり。それが何なのか虚雲自身が知るよしもなかった。 「わかってますよ、契約者です。これからも……あなたの隣に居ていいですか?」 (守ると言う口実がある限り、縛り付けてしまうかもしれない。……何も望みません、虚雲くんがいてくれれば) パートナーとして傍にいるため、想いを封印するため……誓うよう手の甲へ口づける。左手の薬指付近に落として上目遣いで覗き込めば、いつもの怠そうな中にもほんの少し染まる頬が見える。 「……どうせ駄目だと言ってもついてくるんだろ? なら勝手にしろ」 「それだけですか? お返しのキスが貰えると思ったんですが」 手を離し、冗談半分で両手を広げてニコニコしてみる。先ほどまでの空気を払拭するように言えば、呆れかえって溜め息を吐くか猫を抱えて先に行ってしまうか……そうしたら、いつものように話し出せばいい。 「……はぁ」 (やっぱり予想通りだ。さぁ次はどんな話題を――) 「え……?」 頬を掠める温もりと、至近距離にある虚雲の赤い顔。何が起こったのかわからなくて、暫く瞬きを繰り返していた。 「おまえは契約者っつーか友達だし! その、あれだ。外国での挨拶を今日だけ特別にやってやる」 猫を抱えて去っていく虚雲の背中を見ながら触れる頬。決意を揺るがす爆弾をいくつも投下していってくれた。 「友達……か」 (それなら契約が途切れても……傍にいてもいいですか?) 言葉に出来ない、贅沢な願い。 この関係に終わりが来ないように、今が永遠になるようにと願いながら彼に捧げる薔薇の色を思い浮かべる。きっと虚雲は、有名すぎるベタな告白に使われる物だと勘違いして騒ぎ出すだろう。 (でもね、虚雲くん。紅は赤と似ているようで違うんです。紅の薔薇の花言葉は「死ぬほど恋いこがれています」なんですよ) 何枚も重ねられた仮面を被り、今にもあふれ出しそうな感情を抑えつけて。射月は今を維持するので精一杯だった。 そうして、端から見ればいつも通りの穏やかな顔で2人が歩いていると、仲の良さそうなカップルが目に入る。邪魔してはいけない、と避けて通ろうとしたのだが、どうも様子がおかしい。 明智 珠輝(あけち・たまき)が上機嫌で話しかける人物。それが、どう見てもこの薔薇の学舎で校長を務めるジェイダスだからだ。 「ふふ、ジェイダス校長に愛の雫を使ったらどうなるでしょうか。媚薬の一種だとしたら……ふ、くふふっ!」 見なかったことにしよう。そうさ、あれはお楽しみの最中なんだから! アイコンタクトとって、そそくさと退散しようと思ったとき、運悪く他のグループに見つかった。ヘンリーを案内している響とアイザックだ。 「よ、お2人さん! デートじゃなけりゃ一緒にまわらないか?」 気さくに声をかける響の声が珠輝にも聞こえたのだろう。しっかりとジェイダスを抱きしめて返事をする。 「お気遣い頂かなくとも結構ですよ。彼は見た目の通りクールな人ですから……!」 (いや、誰もそんなことは聞いて無い) 一同の冷ややかな目を羨望の眼差しだと勘違いしたままうっとりとした顔で微動だにしないジェイダスをねっとりと撫で回す。 「あれって、確か――」 『体育祭で配られた、校長人形っ!?』 肩幅に足を開き、障害物競走に立っていたそれ。参加賞のようにパラシュートで配られたそれを、まさか後生大事に取っておこうというような奇特な……いや、校長を尊敬している人物がいたなんて。 けれども、声をハモらせた響とアイザックはふとヘンリーを見る。自分たちは役員として参加していたが、そのチームにはいなかった。そして、用事が終わったあとは競技を眺めていたけれど彼らしい人影を見たことがない。 「どこかで参加してたっけ」 うーんと響が考え込む中、ヘンリーは珠輝と目が合ってしまう。普段の自分なら対抗意識を燃やすところだが、今日から自分は変わるんだと意を決して出てきたのだ。あちら側に戻ってしまっては意味がない。 「…………ふむ」 なにやら値踏みするような目で見られている気がして、視線から逃れるように響たちの後ろに隠れる。が、それは叶わなかった。 「そちらの方、私が制作したにゃんこ写真集をお貸ししますので、暫く預かっていてもらえませんか」 ジェイダス人形を預かると言うよりも、猫好きの虚雲にとって「にゃんこ写真集」は甘い囁きだった。即答で了承すると、珠輝はヘンリーを連れて少し離れた場所で話をし始める。 「知り合いなのか?」 アイザックが不思議そうに言うのも無理はない。珠輝が嬉々としているのに対し、ヘンリーはどこか怯えているのだ。幸い、見える距離にいるのですぐに助けにいけるため、もう少し様子を見ていようと遠目から見守ることにした。 「あ、あの……なんでしょう、か」 「単刀直入に言いますと、あなたは新入生ではありませんね?」 びくりと跳ねた肩を見て、図星かと口角を上げる。自分の推測が正しいのなら、問題ない。 「自分で言うのもなんですが、私って濃い性格をしているらしいんですよ。そのせいか、同じタイプはすぐ嗅ぎ分けられるんです」 2人もいると、つまらない自分は霞んでしまうでしょう? と微笑む珠輝に、正体がバレてしまっているんだとヘンリー……もとい変熊は制服を握りしめる。 「服を着たって、俺は俺のままか……」 「当たり前ですよ」 しれっと言う珠輝に、突き刺さるナイフ。心を抉るような言葉に、希望を打ち砕かれた気がした。 「TPOを弁えていると評価が上がっても、軽蔑されることもないでしょう。人の視線がそんなに怖いですか?」 顔を隠すようになった理由、それさえなければ自分は普通の生活を送れていただろうか。1人くらいは心許せる友がいただろうか。 「動く歩道から降りるときは、タイミングが合わないと転けるかもしれない。けれど、それに怯えていては、何も変えられませんよ」 「……なんで、そんなことを言うんだ?」 正体に気付いたならバラしてしまうかと思った。けれど、そうする素振りもなく告げる言葉には前進を促す応援が含まれている。 「ふふ、ライバルが1人減りますから……と、言うことにしておいてください」 にこりと微笑まれた顔にはまだまだ何かを隠していそうだけれど、ほんの少しだけ告白する勇気がわいてきた。 (あっちの俺も、俺なりの信念があってやってきたことだ。それを自分が否定してどうする) 「ありがとう、貴様のおかげで決心がついた」 差し出した右手には精一杯の敬意を込めて。握手を交わすと変熊は響たちのところへ戻ってきた。 「よ、おかえり」 「悪かった!」 にこにこと迎え入れる2人に向かって、開口1番の謝罪。当然、なんのことだかわからない2人は顔を見合わせるしかない。 「俺は、ヘンリーじゃない。変熊仮面なんだ……」 訪れる沈黙に鼓動が早まる。薔薇学生でいつもの自分を知らない人はいないだろうし、普段の行動を弁解することも出来ない。 「変熊って、あの体育祭で活躍してた?」 「言われてみりゃ、面影あるな」 じぃっと眺め、ふと思い出したかのようにアイザックは笑い出す。 「だから、制服裏表だったのか」 「体育祭は凄い作戦だったよなぁ、勇敢な奴は嫌いじゃないぜ」 (あ、れ……?) なんで騙してたとか、普段のアレはなんなんだとか。そういう否定の言葉がやってくると思っていた変熊にとって、意外な言葉で迎え入れてくれた2人。あのときのように深く傷つけられるかと思っていたのに、そんな言葉は一切出てこない。 「もっとさ、他にないのか? 偽名を使ったこととか、いつもの格好とか」 気を遣わせているのなら正直な意見が聞きたい。そう思って自分から卑下して促してみても、2人は苦笑するばかり。 「さすがに、服は着るべきかとは思うけど……あそこまで堂々とやってりゃポリシーかなんかあるんだろ?」 貫き通せるのはスゲーと思うぜ! なんて言いながらアイザックはこれからの季節風邪はひかないのかと気にしてみたり。最初に声をかけた響もまた、あの様子をみれば実名を名乗れば避けられるとでも思ったんだろうと今なら想像がつくと言い。 「ありがとう、こんな俺でも……友になってくれないだろうか」 「何言ってるんだよ、残り時間はもう付き合ってくれないつもりか?」 やっとの思いで素顔で作れた友達。それに感謝しようと振り返ると、珠輝の姿はどこにもなかった。 「猫……いいなぁ」 そこには、にゃんこ写真集2巻の見本誌を覗き込む虚雲と、絵本を読み上げるお母さんのごとくページを捲る射月の姿。 (同じ学校だし、また会えたときでいいか) あんなに真面目な振る舞いをしていた珠輝だが、言うだけ言うとジェイダス(?)とのデートを楽しみに旅立ったらしい。物忘れの激しい彼のこと、覚えていてくれるかどうかわからない。もっとも、人助けをしたつもりもない彼は、いつものように飄々とした顔で忘れたふりをするかもしれないが。 今日は、自分にとっての新しい誕生日。この記念日の最後に仮面を受け取ってもらおうと、変熊は友達の前で笑うのだった。 そんな幸せな空気の傍で、神無月 勇(かんなづき・いさみ)はツタで身体を縛られたまま横たわっていた。きつく締め付けられ、呻き声すら出せない。 「……っ」 ギリギリと絞めるそれを外そうにも手首を動かせば食い込むばかりで、助けを求めるようにミヒャエル・ホルシュタイン(みひゃえる・ほるしゅたいん)を見上げた。 「――昨日、君は何をしていたんだい?」 悔しそうに見上げる勇の顎をつま先で軽く持ち上げ、咳込む彼を煩わしそうに見る。 「お、はか……まい、りに……っ」 苦しげに紡ぐ勇の顎をそのまま軽く持ち上げ地面に落とす。人の足で踏みならされた路地は硬く、顎はじんわりと赤く染まる。 「君はずっと僕の側にいればよいのだ、それを……ペットが勝手に動きまわって!」 昨日、用事があると出かけた勇。遅くに帰ってきたときの顔は朗らかで、ミヒャエルはそれが悔しかった。今日は聞き出すチャンスがあるだろうと縛り上げて問い詰めれば、墓参りの前にお茶会へもコソコソと出かけていたことなど隠し事がボロボロと出てくる。 「約束、したんだ……僕は、忘れないって。じゃないと、ミヒャエルに合わす顔、が――」 顔を苦痛に歪めながらも絞り出す声。一体何が言いたいのかこのままでは分からないので、首や胸元を縛っていたツタを緩めることにする。急激に流れ込んだ酸素にむせ返りながら、朦朧とした頭で1番伝えたい言葉を選び出す。 「僕は、彼女を忘れない。その代わりもう、あそこへは行かない。……同じ後悔はしたくないんだ」 ずっと過去に縛られて、前を見れなかった自分。大切なものを失うのが怖くて、作れなかった自分。それを事件のせいにして逃げ続けていたけれど、それは自分の弱さだったと知った。 「偽物じゃ意味がない、本物は……記憶にある。ミヒャエル、君を守ることは……出来るかな」 「ペットが生意気に……勝手にしろ、主に尽くすのはペットの役目だ」 弱々しく微笑む勇にぶっきらぼうな態度を取りながらも、縛り上げていたツタを外し始める。 「そんなに弱っていたら、逃げるに逃げられないだろうからね。感謝するんだよ」 (今度こそ守るよ。守り抜けなかったからじゃなくて、君を守りたいから) 楽になった身体に安堵してか、力の抜けていく身体……意識を手放した勇の隣で、ミヒャエルは静かに目が覚めるのを待っていた。 甘い一時を送っていたヴィナとカシスは、さらなる甘さを求めて甘い薔薇の前にやってきた。 先にカシスのお土産用の薔薇をもらいに行き、求婚したばかりの2人を祝福するかのような純白さを前に甘い囁きを繰り返し、次はヴィナの希望する甘い薔薇。幸せそうに味を確かめると、口いっぱいに広がる薔薇の香りに合わさって瑞々しい甘さが印象的だった。 「ったく、甘い薔薇だからってすぐに食わなくても……っ」 その後味が微かに残る舌を差し入れ、共有するかのように咥内を這わせる。もう食べているのはどちらなのか、わからない程に深くなる口づけ。 「……ね? すぐに食べたいくらい美味しいだろ?」 「こんな、のでっ、わかるかバカ!」 恥ずかしそうに肩を押し返すから、意地悪く微笑んで小さな薔薇を口元にあてる。 「まだこれだけあるし、ゆっくり楽しめるよね? 2人で、さ」 「――勝手に言ってろっ!」 そうして、ポケットの中身を手に肩を押し返せば、違和感に気付いて滑り落ちるように受け取った。 「鍵……?」 乗り物ではない、見覚えのある形に口元が綻びそうになる。 「その鍵はヴィナの好きなようにしてくれていい」 あえて何の鍵かは言わずにそっぽを向いたままのカシスを優しく包むよう抱きしめると、まだこちらを振り返ろうとしないカシスは続ける。 「どうするかは自由だ。けどな……それは、お前だから渡すんだからな? それだけは忘れるなよ」 どうするか、なんて決まっている。一緒にいれる時間が、また少し増えたことに喜ばないわけがない。 「これで、いつでも甘い時間が過ごせるな。この薔薇みたいにさ」 なくてもカシスは甘いけど、なんて付け加えながらねだられる口づけは、薔薇が無くても甘い物だった。