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シフォンケーキあらわる!

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第一章 RUN、生クリーム、RUN!!

「……走って来ます」
 蒼空学園の、カフェテリアのそば。
 実に無表情な顔つきで、一点を凝視したままドロシー・レッドフード(どろしー・れっどふーど)ゲー・オルコット(げー・おるこっと)に声をかけた。
「走る? 何がだ?」
「生クリームが。素足で」
「もうちょっとマシな嘘付けよ。嘘つきは泥棒の始まりっていうけど、その嘘じゃ泥棒じゃなくてお笑い芸人になっちまう」
 ドロシーの言葉に噴出しながら、オルコットは歩き出す。生クリームが走ってくるなんて、そんな馬鹿な事。
「あ!?」
 ……あった。そんな、馬鹿な事。
 そうその奇妙な物体は、するりと通り過ぎオルコットの足元を掬った。更に撒き散らした生クリームが、狙いすました罠のようにオルコットの足下に広がって。
「冗談だろ!?」
 滑った右足に左足が引っかかる。瞬間的に天地が逆さまになり、オルコットは仰向けにひっくり返る。
「……事実は物語よりも奇なり、と言うことです」
 天を仰ぐオルコットをドロシーが覗き込む。
「物語でも、走る生クリームなんか聞いたこと無いだろ。それにしてもあのクリーム……!」
 ふつふつと湧き上がるテンション。あんなものにしてやられるなんて。
 生クリームまみれで拳を高く突き上げ、オルコットが叫ぶ。
「目には目を、歯には歯を、……転ばされたら転ばせ返せ。大作戦の開始だ、ドロシー!」
 走り出したオルコット。やれやれと、ドロシーが後を追って。
「……まさかですよね」
 その様子を、カフェテリアの中から眺めていたのはウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)
 ちょうどカフェテリアでバイトの最中だったウィングは、走り去っていった生クリームを心配そうに見つめる。転倒したゲー・オルコットの様子を見て、自分が所属する部活……魔法研究剣術探求部の部員の誰かが何か問題を起こしたのかと思ったのだ。
 とはいえカフェテリアのバイトを放り出す訳にもいかない。
 まずは許可を取ろうと、ウィングがカフェテリアの奥へ引っ込む。
 その間も、生クリームは走っていた。
 面白がって追いかけていた生徒達も、次々と足を取られて転んでゆく。生クリームの速度についていけず足がもつれてしまうのだ。
 これ以上怪我人が増えても困る。
 アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)は生クリームの暴走を止めようと、生クリームの跡を追っていた。止めるだけなら大したこと無い筈だ。剣を抜いて次のタイミングを待つアリア。
 ところが。
 アリアのすぐまん前を、どりーむ・ほしの(どりーむ・ほしの)ふぇいと・てすたろっさ(ふぇいと・てすたろっさ)が横切る。間が悪い事この上なく、走って来た生クリームが、どりーむに向かって突進し。
「きゃー!」
 つるん、ぺたん。
 生クリームに足を取られてもんどり打ったどりーむ、その場にしゃがみこんでしまったのだ。
「え?!」
 この距離では避けられない。
 それでもアリアは、咄嗟に体を捻った。
 どりーむに体当たりすることは回避できたものの、その所為で生クリームに足を取られ、思いっきり滑って前のめりに倒れる。顔をぶつけないようにするのが精一杯だった。
 精一杯だったから、そう気が回らなかったのだ。スカートには。
「いたた……」
 小さくうめくアリアの耳に。
 水色、と呟く誰かの声が聞こえる。
「やっ……」
 アリアは慌ててスカートを抑えた。自分に向いている沢山の視線。ということは、この人達はスカートの中の水色をばっちりくっきりしっかり見たに違いない。
 耳たぶまで顔を真っ赤に染めて、涙目でアリアは立ち上がった。それからキッと目線を据え、生クリームの駆け去った方向を思いっきり睨み付ける。
 こんな目に遭ったのも、あの、あの、あの、生クリームが、悪い。
「……後で掃除すればいいわ……食べ物を粗末にするのは良くないけど……」
 にっくき生クリームの粉砕を心に決め、アリアは生クリームの周回地点へと仁王立ちする。
「……えっと」
 そのアリアの姿に少し気圧されながら、どりーむ・ほしのはその場に座り込んでいた。
 避けてくれたお礼をアリアに言いたいが、声をかける事の出来る雰囲気ではない。
 クリームまみれでどうしようかと考えているどりーむのそばに、ふぇいとが走り寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫〜。あたしは大丈夫だけど……」
 大丈夫じゃないのはふぇいとの方だ。なぜか鼻血を出しているふぇいとに、どりーむはレースのハンカチを渡した。
「それにしてもなに〜? この甘くてぬるぬるしたのは〜?」
 どりーむの頬についた生クリームを、ふぇいとが指で拭う。その指先をどりーむがぺろっと舐めて。
「生クリームね〜。あの大きいケーキには、ちょっと足りないわね〜」
 誰かが足してくれるといいんだけどな〜。のんびりとそう言ったどりーむの側に、相沢 美魅(あいざわ・みみ)が駆け寄って来た。心配そうにどりーむの顔を覗き込み、それからふぇいとの様子を伺う。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
 相沢 美魅はどりーむに声をかけた。
「大丈夫、ありがとう」
 にこ、と笑い返すどりーむを見て、ほっとしたように美魅も微笑む。
「学園の中がこんな事になってしまって……他校の皆さんにはご迷惑をかけています」
「別に困ってないよ〜。それより、あの大きなケーキには、クリームが足りないと思うの〜」
 のんびりしたどりーむの言葉に、美魅が笑った。
「確かにそうですね。後で足す事にしましょう。でもその前に、……行きましょう、セフィリア」
 どりーむにそう告げると、美魅はパートナーのセフィリア・ランフォード(せふぃりあ・らんふぉーど)をともなって生クリームの捕獲へと向かった。通りすがり、校門を入って来た他校生に、危険を知らせようと声をかける。
「あの」
「えっと、何、あれ」
 やって来たのは、七瀬 瑠菜(ななせ・るな)とパートナーのフィーニ・レウィシア(ふぃーに・れうぃしあ)
「ケーキを焼くっていうから手伝いに来たんだけど、……料理部が焼いてるのって、あれなの?」
 呆気に取られる瑠菜に、美魅が柳眉を寄せて応じた。
「何か問題が起こってしまったみたいです。膨らみ過ぎて、ケーキを作っていた二人が閉じ込められていて」
「膨らみ過ぎってレベルじゃないと思うけど。……って! 今の!」
 瑠菜が凝視する方向を、美魅も見つめた。もう一周してきた生クリームが、生徒達を騒動と転倒へと巻き込みながらまた走り去っていく。
「何これ! ボールが走って来た!」
「はい、……今からそれを止めに行こうと思っています。皆さんが困ってますから」
「そうなんだ。だったらあたしも手伝うよっ」
「ありがとうございます。……私が追いかけてみますから、皆さんで待ち伏せていただけますか? セフィリアも先回りをお願い」
「わかった!」
「分かりました」
 待ち伏せを任せ、美魅は生クリームを追いかけ始めた。ふと見ると、フィーニがぱたぱたと後ろから付いてくる。
 バーストダッシュで後を追いかけようとしながらも、美魅は小さなフィーニが気になってスピードを上げる事が出来なかった。考えた挙句、フィーニと一緒に歩調をあわせる美魅。
 その側を、颯爽と駆け行く一騎の騎馬。
 馬を操る鬼院 尋人(きいん・ひろと)は、怒りを通り越した呆れ顔で蒼空学園へ突入した。
「何が起こっているかと思えば、緊張感のない!」
 どういう理屈か知らないが、ケーキが校舎を覆いつくし、生クリームが走るなんてどんな馬鹿げた状況なのだ。
 空京周辺では、頻繁に物騒な事件が起こっている。その警護に向かうこともある尋人にとって、このネジのゆるい状況は耐え難いものだった。とにかくさっさと片付けたい。
 その一心で、尋人は愛馬アルデバランを駆り生クリームを追いかける。
 転倒者が障害物になっている。巧みな手綱さばきでそれを避けると、尋人は生クリームとの距離を詰める。
「何だあれ、おっかけっこか?」
 椎堂 紗月(しどう・さつき)は、青い大きな目で不思議そうに走り去る騎馬を見つめた。
 大勢の生徒達が、何かを追いかけて走っている。どうやら、先頭を走る小さな何かを追っているらしかった。猫かそれとも子狐かと、紗月もその人だかりに向かって駆け出してみる。
「へ?」
 ぽかんと、紗月は口をあけた。そうしてごしごしと目をこする。
 足が、走っていた。半球型のステンレスボールに生えた、すこぶる奇妙な足が。しかも馬鹿みたいに速い。
「何だあれ。……みんな、あれつかまえようとしてんのか?」
「……そうらしいな」
 紗月の後からついてきた椎堂 アヤメ(しどう・あやめ)が、あきれたように答えた。
「じゃ、俺達も追いかけようぜ。面白そうだし」
「どうしてそうなる……」
 アヤメの言葉を聞き終わる前に、紗月は走り出していた。
 超感覚を研ぎ澄ませ、ぴょこんと飛び出た狐のような耳を前方へと向ける。金髪をなびかせながら、一気に生クリームまでの距離を詰める。
 その紗月の背中を追って、アヤメは小さく息をついた。アヤメにしてはゆっくりとしたペースで、紗月の背中を追って走り出す。面倒だというのが走りににじみ出ていた。
「ちゃんと追いかけろよ、アヤメ!」
 振り返って紗月が怒鳴る。だがその声にアヤメは答えなかった。
「紗月、前」
「え?」
 前方に向き直ったがもう遅い。
 目の前に張られた一本のロープ。ロープの両端をゲー・オルコットとドロシー・レッドフォードが引っ張っている。ちょうどマラソンのゴールに似ているが……何といってもリボンではなくロープだ。引っ掛ける気満々の。
 先頭コケたら皆コケる!
 その先頭を走る尋人。ロープに気付いてたじろいだのか、尋人の愛馬アルデバランが高くいなないた。
 しかし。
「ゆけ!アルデバラン! ペガサスファンタジー・ジャーンプ!」
 そう叫ぶと、鬼院尋人が鐙を蹴った。ぐんとアルデバランの体が空を切り、悠々とロープを飛び越える。
 そしてその声につられた、他の追跡者たち。
 椎堂紗月も思わずロープを飛び越える。だが。
「うそ!?」
 着地したその先に、まんまと出来た生クリーム溜まり。これはさすがに避けようも無い。
「わ、わわ!」
 滑って慌てて尻餅ついて。
 生クリームまみれでぺたんと地面に座り込む紗月。しばし唖然としていた紗月を引き戻したのは、背後から響いてきたシャッター音だった。
 は、と紗月は背後を振り返る。
 視線の先では、アヤメが無言で携帯を構え、写真を撮っていた。
「何してんだよ……」
 紗月の言葉には返事をせず、アヤメは撮った写真をしげしげと見やる。そうしてぽつりと呟いた。
「……エロ」
「エロくねーよ! 見てないでアヤメも手伝え!」
 慌てて立ち上がると、アヤメは生クリームの走り去った先を見据える。
「絶対とっ捕まえてやる!」
 言うなり、紗月は走り出した。尻尾がぶんぶんしなっている。相当ムキになっているに違いない。
「しょうがないな……真面目にやるか」
 本日のお宝写真ごと携帯をポケットに入れ、アヤメも後を追いかけた。
 後に残された鬼院尋人。うん、いいジャンプだった。すばらしいぞアルデバラン。
 満足げな表情でぽんぽんと愛馬の頬を撫でると、ふと気付いてその目線をオルコットに向け、少しきつい口で言った。
「何やってんだあんた達。危ないだろう」
 尋人のもっとも至極なその言葉に。
「……大作戦だ!」
 胸を張ったオルコットのそばで、ドロシーがため息をついた。