波羅蜜多実業高等学校へ

葦原明倫館

校長室

空京大学へ

THE Boiled Void Heart

リアクション公開中!

THE Boiled Void Heart

リアクション



6.被検体76号


 葛葉 明は、一人遺跡の中を彷徨っていた。自分がやってきたときにはなかったはずの壁の穴などを気まぐれに通っている内に完全に道を見失ってしまった。
「なんだかさわがしいわね」
 何の変哲もない通路に、一人の女性が寝ている。
「――おろ?」
 その女性は、まるで糸の切れた人形のように微動だにしない。
(揉むべきか、揉まざるべきか。それが問題ね)
 今まで多くの乳を揉んできたが、身動きの取れない相手の乳を無理矢理に揉むのは、ほんの少しだけ抵抗を覚える。
「脈拍がないじゃない!」
 寝ている女性の顔を軽く叩いていた明は、その冷たさに驚く。慌てて心臓マッサージを始める。
「あ、気道確保忘れてた」
 人を殴ることは数あれど、蘇生作業など滅多に経験することはない。明は慌てて女性の顎を引き気道確保しようとする。
「――ヤード・スコットランド(やーど・すこっとらんど)、起動しました」
 ぱっちりとまぶたを開いたヤードと、明の視線がぶつかる。
「おはようございマス」

 スリープモードから復帰したヤードは、自分のパートナーである凱がジョシュアに協力を申し出た結果、改造されてしまったことを明かした。
 奇妙な言動を繰り返す凱によって、ヤードは強制的にスリープモードにされてしまったのだという。
「あー、さっき見かけたよ。ハンチグング帽被った人でしょ」
「もしよろしければ、連れて行ってくれませんカ?」
 ヤードの嘆願に、明は苦笑をしながら頭をかく。
「そうしてあげたいけど、ちょっと道に迷っちゃってね」
「――この建造物は、一つも分岐のないはずです。来た道をそのまま戻れば――」
「え? 分岐あったよ?」
 明は自分の背後の、何者かによって破壊された壁を示してみせた。
「……何者かが、遺跡内で戦闘行動をしているのですか?」
「さあ――と、むこうから来てくれたみたいよ」
 明は地面に座り込んだヤードを助け起こす。そうしながらも、彼女の視線は通路の奥に固定されている。
 ぼんやりとした明りの向こうから、調子外れの口笛を吹きながらハンチング帽の男が現れる。
「ボンソワール、あんこだまは旅を終わりました」
 男――桜田門 凱は、トレードマークのハンチング帽を掲げてみせた。
 マッチ箱にマッチを擦るような音が、明の耳に聞こえた。自分の隣に立つヤードの腕が、石の床に落ちて金属音を奏でる。
 一体どのような原理かはわからない。しかし、凱がヤードに何らかの攻撃を仕掛けたことだけは確かだ。
 いつもの明ならば、面倒ごとには関わらず逃げるところだ。しかし……
「うーん、心臓マッサージしちゃったしな」
 連続的な擦過音。
 ヤードは無事な腕で明を押しやり、不可視の攻撃にその身をさらす。衝撃もなく、しかし攻撃は文字通りヤードのその身を『抉って』いく。
「始めに虚無があった。けだし、虚無とは何だ?」
 凱は自分に両手に視線を落とす。
「それは、今のあなたの頭の中にあるものヨ」
 ヤードの服はぼろぼろになっている。辛うじて原形をとどめている腕を掲げ、凱に向かって突進していく。
 連続的に響く擦過音。まるで初めからそうであったかのように、ヤードの腕が『虚無』へと起きかけられていく。
「左腕パージ――リミッター解除」
 ヤードの左腕が、強制的に切り離される。ヤードの身体から焦げ臭いが立ちのぼる。
 踏み出された足が、遺跡の床の踏み砕く。ヤードのすべての力を込めた、頭突きが凱の鼻に叩き込まれる。
「――」
 作り物のようにきれいな鼻血を吹きながら、凱は吹き飛んだ。鼻血に混じって直径が一センチ程の水晶球が床に落ち、砕け散る。
「ヒャッハー!!!!!!!!!!」
 壁が破壊され、ナガン ウェルロッドが現れる。自分が踏みつけにしている凱に気付く。
「おぉぃ!? おっさんが倒れてるぞ」
「や……どいてあげた方が言いっスよ」
 サレン・シルフィーユが気の毒そうに呟く。
「うっし、そっちのお嬢さんは俺が担いでいくぜ!」
 ラルク・クローディスは空の麻袋でも抱えるように倒れたままのヤードを肩に担ぎ上げる。オーバーヒートしたヤードの身体に触れた際に、彼自身の皮膚が焦げる匂いが漂ったが、顔色一つ帰ることはない。
「そこの人、もうすぐこの遺跡壊れるっスよ。逃げることをおすすめするっス」
 サレンは、呆然とことの成り行きを眺める明に、手にした爆薬を掲げてみせた。ジョシュアの居室の冷蔵庫から拝借してきたものだ
「――この遺跡の構造はだいたい把握していマス。ナビゲートしマス」
 ラルクに担ぎ上げられたヤードいつも通りの口調で言う。
「このおっさんどうする? 身ぐるみ剥いどくか」
「連れて行ってやってください。お願いしマス」
 ヤードの言葉に、ラルクは小さく頷く。空いた腕で凱を軽々と抱き上げた。端から見れば人さらいのような格好だ。
「私もおいとましようか……な」
 その場に取り残された明も、走り去るナガンたちを追って駆け出した。