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螺旋音叉『怠惰』回収

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螺旋音叉『怠惰』回収

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1.月の下にて


 このあたりには、植物が生えていない。
 ドームをひっくり返したような形に陥没している地面の中心には、さび色のねじれた音叉が屹立している。音叉の影響なのか、ここには植物も、動物も存在しないようだ。
 夜空に頼りなさそうに浮かんだ月は、雲のベールの向こうでぼんやりと光っている。
「何か、一句浮かびそうだな」
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)はアゴに手をやって月を見上げる。
 彼の片足には槍が添え木代わりに固定されている。エヴァルトはパートナーたちとともに第一次螺旋音叉調査隊に参加し、飛空挺が落下するという憂き目にあった。足の骨は、飛空挺が落下したときに、パートナーたちをかばったときに折れた。
「風流ですね〜」
 コルデリア・フェスカ(こるでりあ・ふぇすか)は地面の上に寝そべったまま呟く。剣の花嫁であるコルデリカは、飛空挺の落下以降体調が優れないようだ。今も、完全に脱力して夜空を見上げている。
 彼女の体の上に掛けられている防寒コートはエヴァルトのものだ。コルデリアは、身を切るような夜の冷気の中でさえ自分の体を温めようとはしなかった。
「うぅ……なんだか、力が出てこないよ」
 ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)もまた地面の上に身を横たえている。機晶姫であるロートラウトは、いつもならば重装甲を身にまとっている。落下の際の衝撃を少しでも軽減するために装甲をパージしてしまった。
 装甲をパージしたおかげか、あるいはエヴァルトがかばってくれたおかげなのか、右腕以外はほとんど無傷だ。しかし、武器を持つ右腕の駆動系はぼろぼろだ。人間にたとえるならば開放骨折といったところだろうか。内部機構が露出している。
 放っておいたら良くないのは分かっていても何もする気の起きないロートラウトにかわってエヴァルトが露出した内部機構を隠すように包帯を巻いたのだ。
「……何か、聞こえたか?」
 エヴァルトは辺りを見回す。調査隊のメンバーのほとんどがここにいる。エヴァルトは調査隊のメンバー全員を把握しているわけではないが、数人はここにいないようだ。どこかではぐれたメンバーが助けを求めているのかもしれない。
 調査隊のメンバー全員を把握している花音・アームルート(かのん・あーむるーと)は、原因不明の眠りについている。肉体的に怪我は見あたらないが、彼女の眠りがさめる気配は未だない。
 エヴァルトはもう一度耳を澄ます。
 音叉から発せられている低く耳障りな低音。神経を逆なでされるようないやな感じがする音だ。
 そして、もう一つ。切れ切れの悲鳴。
 エヴァルトは二本目の槍を杖代わりにして立ち上がる。素早く視線を巡らせるが、自分も含めて無傷なものなど一人もいない。
「ちょっと散歩に行ってくる」
 エヴァルトは二人のパートナーに近所のコンビニに行くような気軽さで気怠そうにしているロートラウトらに向かって小さく手を振る。
「んあー……」
 コルデリアはまるで重病人のような動きでなんとか半身を起こすと、エヴァルトの歩んでいく方向を見つめた。

 エヴァルトは、夜の闇の中を急ぐ。脚の中で砕けた骨が、痛みと熱で存在を主張する。
 なだらかな勾配だが、折れた脚で進んでいくのは辛い行程だ。
「……ゃ……」
 いつもならほんの数十秒でたどり着くであろう50メートル足らずの距離。
 その先に、蒼空学園の制服を無残に切り裂かれたアリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)
の姿があった。スライムもどきに捕まっていたのか、全身が粘液のようなもので濡れている。
「早く君の体内を浄化しなければ! 神の蒼色電波が告げている。巫女の受胎の日は近いのだ! 我がオベリスクを拝せよ!」
 なだらかな勾配を、ほとんど転がり落ちるようにして逃げるアリアの背後には、剣呑に光り輝く一振りのナイフを手にした青年だった。蒼空学園の制服が
 名は知らないが、顔だけならエヴァルトも知っている。第一次調査隊のメンバーの一人だ。
 事故のショックで理性のタガが外れてしまったのだろうか。
「……まったく、この寒さはこたえるな」
「あ……ぅ」
 アリアは歯の根も合わぬ様子で震えている。恐怖のためか、自分の身体を隠す事もせずに震えている。
 エヴァルトはジャケットをアリアの白い背中に掛けてやる。ジャケットに隠されていたエヴァルトのシャツは、彼自身の血で黒く染まっている。
(手加減できるか……)
 今は正気ではないとはいえ、同じ学園の者と戦うのは気が重い。怪我の影響もあって、本気で向かってくる者を手加減していなす自信はない。
「邪魔をするな! お前も地下帝国のドブ色毒電波に操られているんだな! 正気に戻れ!!」
 青年は白目を剥きながらナイフを振りかぶる。反射的に手にした槍の石突きを突き出して迎え撃つエヴァルト。青年は正気を失っているとは思えない動きでエヴァルトの突きを受け流す。
 青年の受け流しによってエヴァルトの体重が折れた脚に架かる。エヴァルトは思わずその場に膝をついてしまう。
(ここまでか……!)
 甲高い金属音が響いた。
「遅れてごめん」
 ロートラウトの右腕に、青年のナイフが突き立っている。普段であればエヴァルトを助け出し、青年のナイフを奪うくらいの芸当はやってのけるロートラウトだが、やはり今が調子が出ないらしい。ロートラウトはそのままゆっくりと倒れ込む。
「怪我を隠すなんて〜水くさいですわ〜」
 ようやく駆けつけたコルデリアは、手にしたトンファー型の光条兵器で青年を殴りつけようとする。エネルギー体はまったく発生していないが、鈍器としては十分な威力があるだろう。
「アラヤダ」
 手にしたトンファー型光条兵器はコルデリアの手から滑り落ちる。コルデリアはそのままつんのめるようにして転倒する。
 螺旋音叉『怠惰』の影響を受けながらもここまでたどり着けたこと自体、驚異的なことだ。
「これで終わりだ!」
 空中でトンファー型光条兵器をキャッチしたエヴァルトは、全力で青年の顎を殴りつけた。
「……」
 立っているのはエヴァルトただ一人。ロートラウトも、コルデリアも地面に突っ伏したままぴくりともしない。
 アリアはショックが抜けきらないのかエヴァルトのジャケットの下で身体を小さく痙攣させている。嗚咽は聞こえないが、泣いているのかもしれない。
 エヴァルトは視線を夜空へと向ける。
 空には、月がぼんやりと浮かんでいる。
「一句……」


 一人の青年が月を見上げているその少し前。
 五月葉 終夏(さつきば・おりが)は蒼空学園理事長室にいた。
 言うまでもなく、この部屋の現在の主である山葉 涼司(やまは・りょうじ)を訪れたのだ。
「それで、話はなんだ?」
 涼司は終夏の顔を見ようともしない。涼司が今取りかかっているのは、第二次螺旋音叉調査隊の人員選定だ。調査隊のメンバーは、希望者だけではなく涼司が半ば強制的に組み込んだ者もいるようだ。
「山葉君、花音ちゃんを助けに行くのは君しかいないよ!」
 終夏の言葉に、モニターに注がれていた涼司の視線が一瞬だけ揺らぐ。
「俺が蒼空学園だ」
 涼司の言葉に、終夏は一瞬凍り付く。
「いや、それは前にも聞いた気がするけれど……待ってると思うんだよね、花音ちゃん。山葉君が助けに来るのをさ」
「蒼空学園そのものである俺が、パートナーのためだけに動く事はできない」
「……分からず屋め」
 終夏は口の中で小さく呟く。
「しかしみんながぜひとも俺の協力が必要だというなら、行ってやらない事もない」
「山葉君!」
 終夏は思わず駆け寄って涼司の手を取る。
「か、勘違いするなよ! 花音だけのためじゃなく、蒼空学園全体のためだからな」
「うんうん!」
 終夏は、なぜか頬を赤く染めた涼司の手を取って何度も大きく頷いた。