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春フェスに行こう!

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「ミーナ! 次! マイクの準備はいいか?」
「もっちろん!」
 そして、『ブルー』ステージ、御神楽音楽堂の舞台裏。
 加賀崎 昭延(かがざき・しょうえん)の発した怒鳴りがちの声に、ミーナ・リンドバーグ(みーな・りんどばーぐ)はばっちりだ、とばかりにサムズアップとともに応じる。
「開場前にばっちりしっかり歌ってみたし! 問題ナシだよっ!」
 ステージ上が演者たちの戦場なら、ここ舞台裏もまた戦場。
 裏方を引き受けたスタッフたちにとっての激戦は、この春フェスが全行程を終了するまで、続く。
 それは小柄なミーナとてけっして例外ではない。昭延のようながっしりとした長身の男とだって、やるべきこと、その量の多さではさして変わらない。
 引き受けた以上は、責任を持ってやり遂げなくては。
「そうか、よし──……うん? 歌った?」
「わ、わー! とにかく! テスト済みってことだよっ!」
 裏方が軽くマイクテストをするというのならともかく。早朝、まだ誰も出てきていなかった時間帯とはいえ勝手にステージを使っておもいっきり熱唱しちゃいました、というのはバレたらまずい。
 隠し通すことだって裏方としての最低限の責任感だ、うん。
 自分にそう言い聞かせつつ、うっかり滑らせかけた口を慌てて噤みながらミーナは長いケーブルの束を巻いて、逃げるように運んでいく。
 幸いにして、やらなければならないことがバックステージには絶え間なく、山のようにある。
 だから、逃げおおせられる。ミーナは。
 深く追及する暇もなく、流される。昭延から。
 重要なのは、今はミーナが粗相をしたかどうか、その有無ではない。
 機材が問題なく、滞りなくステージのために使用ができるかどうか。ただ、その一点に尽きるのだ。
「──よし。こっちは万端だよ、いつでも出てってくれていい。そっちの準備はどうだい?」
 だからミーナでなく舞台裏に控える次の演者たちに、昭延は声をかけるのだ。そちらが当然に、優先であるからこそ。
 今、ステージ上に流れているのは澄み切った、明るくも静かな曲。
 バックバンドの力を借りた演者、二人。
 夜月 鴉(やづき・からす)のギターにあわせ、パートナーのユベール トゥーナ(ゆべーる・とぅーな)が歌う。
 聴く者すべての心を清めていくような。大人しいけれども大人しすぎず、けっして過度に激しくも走り過ぎない。純粋に音と声とで前に向かい歩いていくことを表現する。
 心に深く響いてくる、そんな曲だ。
「準備? ……んなもん、とっくに終わってる。誰に言ってるんだ、そんなこと」
 その曲調。雰囲気は例えるなら、ぽかぽかと気持ちのいい晴れの日の、散歩。時折早足になったり、またあるときは歩調を緩めたり。
 けれどたしかなのは、外に。前に向かっていく。歩みを止めずにいる、その気持ちだ。聴く者に二人の曲はそれを感じさせる。
 ──『to fly out』。……「飛び出せ」。なるほど曲名がまさしく、体を示している。
 セミ・セミファイナルのステージとしては、ぴったりだ。
 そして彼らの次には──……、
「メインイベントといかないのが少々気に入らないが……トリを食ってやる勢いでやってやるさ!」
 いよいよ、あと二組。ゆえにあとは駆け上がるだけ。
 そうだ──昭延の言葉に応えた、健闘 勇刃(けんとう・ゆうじん)と。
 彼の率いる冠 誼美(かんむり・よしみ)セレア・ファリンクス(せれあ・ふぁりんくす)とのバンドが、次に待つ。
「がんばろうね、セレアお姉ちゃん」
「ええ。お互いにね」
 頷きあう、勇刃のパートナー二人。
  誼美がくるくると、準備運動をするようにドラムスティックを指先で回す。
「ん? 楽譜見てやるのか?」
 ギターの音階を確かめていた勇刃はセレアの抱える楽譜──演目の一曲目であるはずの曲、『その記憶、風と共に行く』のそれに気付き、言う。
「違いますわよ。きちんと、音階もタイミングも頭と身体に入ってます」
「?」
 じゃあ、なんで? 
「お守り、です。せっかく、健闘様と誼美様との、晴れ舞台なんですもの」
「わー、なんか、すてき」
 悔いは残したくないでしょう? ──言ったセレアはほのかに頬を赤くして、バンドの仲間でありパートナーである二人へと微笑んだ。
 直後、歓声。……耳を埋め尽くし、一切の音を掻き消すほどの割れんばかりの拍手の豪雨。
「──来たか!」
 舞台袖とバックステージの境界に立つスタッフが、ストップウォッチを見た。やがて、ジェスチャーをした。
 行け、と。
「うっし! 行くぞ!」
「うん!」
「はいっ!」
 いよいよ、このフェスも大詰めだ。
 さあ、それではメインを頭から飲み込むくらいに──盛り上げに行ってこようじゃないか。