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第四章 ラストはレストランで


「日が暮れてきましたね」
「はい。今日という日もそろそろ終わりが近づいています」
「あ、その台詞知ってます。いつも夕方の天気予報で言ってますよね」
「ふふ、ばれました? 自分で言うのもなんですけど、結構お気に入りなんです」
「そうなんですか。これからは注意して聞いてみますね」
「も、もう。そう言われると次から恥ずかしくなるじゃないですか」
 夜の帳も下りようか、という時間帯。アーケード街を歩く人々の年齢層がごっそりと入れ替わり、あれだけ老若男女、独身からファミリーまで揃っていたというのに、もはやカップルか若い大学生グループばかりである。
 泪と唯斗はというと、ブティックへ行ったり喫茶店に立ち寄ったり、ペットショップで犬を眺めたりと、非常に平凡なデートを楽しんだ。当初の目的の相談事は果たされてはいないが、いずれにせよ泪を後押しせんとする生徒たちの協力の賜物だ。
「えっと、あれはなんでしょうか」
 泪が指差す先には人ごみからぴょんと飛び出た看板があった。
「ほっぺが落ちれば恋に落ちる。二人の恋を応援するレストランはこちら」
 看板の字面どおりを可憐な声で読み上げているのは騎沙良 詩穂(きさら・しほ)だ。ちなみに製作も自ら行った。
「へえ……。どうですか泪ちゃん。行ってみませんか?」
「いいですね。ちょうどお腹も空いた頃ですし」
(やった、食いついたみたい♪)
 心を躍らせつつ相変わらず謳い文句を朗読し、看板を上下に動かしながら詩穂はレストランへと移動する。泪と唯斗は看板を目で追いながら詩穂の後に続きレストランのエントランスをくぐった。
「いらっしゃいませ」
 見事だった。
 広すぎない空間に純白のテーブルクロスが敷かれたテーブルが並び、そのひとつひとつを卓上ライトがたおやかに乳白色で照らし出していた。
「さあ、こちらの席へどうぞ。コートをお預かりします」
 2人の外套を永井 託(ながい・たく)が受け取る。ウェイターとしてデートを演出する役を与えられたのだ。もっとも、本人としては楽しそうなことに首を突っ込みたかっただけなのかもしれないが。
「こちらウェルカムドリンクのシードルでございます」
「ありがとうございます。それじゃあ、このシェフの気まぐれパスタを……」
「おすすめはねぇ、このコースメニューかなぁ」
「え?」
 不意に崩れた敬語を不審に思ったのか、聞いてもいないコース料理を勧めてきた託に驚いたのか、泪がメニューから顔を上げ託の顔を見た。
「でもこれ限定1組様って書いてありますよ。さすがにもうないんじゃないんですか?」
「これは先生たちのようなカップルのために用意したからねぇ」
「先生?」
「……あ」
「あなたどこかで会いませんでしたか?」
「え? 気のせいじゃないかなぁ?」
「アルバイトですか?」
「いえ、だから人違い……」
「蒼空学園、永井 託くん」
「う……」
「こんな時間にアルバイトなんて、教師として私はあなたを注意しないといけません」
「えーと……」
 託は思考をめぐらせた。デートのサポートのことを知られたら全員の努力と自分の楽しみがすべて水の泡だ。しかし、アルバイトだと認めてしまえば、蒼空名物、8時間耐久お説教がはじまるかもしれない。それではいくらなんでも割に合わない。だがしかし、サポートのことを暴露しようが結局叱られそうだ。
「あの、先生……」
「まあ、うちの生徒に悪い生徒はいません。きっとどうしてもお金が必要なんでしょう」
「は、はい。そうなんだよねぇ。ちょっと物入りで……」
「ふふ。クリスマスでしたから、男の子はお金がかかりますよね。よろしい。特別に許可します。私はここで蒼空学園の生徒とは誰とも会わなかった。それでいいですね」
「はい」
「ではあなたのおすすめのこのコース。2人分おねがいします」
「わか……かしこまりました」
 託は満面の笑みで厨房へオーダーを通しに行った。


「よっしゃ! 計画通りだな。仕込がムダにならなくて一安心だぜ!」
 レストランの厨房の一角を間借りしてアサルト・アーレイ(あさると・あーれい)は泪たちに提供する料理を手がけ始めた。
 厨房の使用に関して、支配人からは一発OKが出た。見ず知らずの学生に神聖なる仕事場を貸してくれるとは、支配人の器量の大きさと共に泪の人気ぶりがうかがい知れる。
「前菜は白身魚のカルパッチョだ」
 一般人より筋肉質なアサルトの両腕は実に繊細な包丁さばきを見せる。
 ためらい無く引かれる刃の前には、どんな材料も切断されてしまう。その切断面たるや、ささくれの一つも無くつややかで美しい。
 腕まくりをしたアサルトは冷蔵庫からカルパッチョの入ったボウルを取り出した。
 白いプレートに湯通しした赤のパプリカの細切りを2本並べる。形を整えれば見事にハートの形がかたどられる。
 そのハートの内側にマリネされた水菜と白身魚を盛り付けると、まさにカップル向けの前菜の出来上がりだ。
「いっちょあがり! 託! 持っていけ!」
「了解」
 厨房に顔を覗かせた託に皿を預けると、アサルトは早速次の料理に取り掛かる。
「調子はどうかな?」
 すると立て看板を持ったままの詩穂が姿を現した。
「いい感じだぜ。俺の料理の腕が役に立つことなんて今までなかったからな。すっげぇ楽しいぜ」
「そっかー。じゃあ詩穂もお手伝いするね。詩穂も料理得意なんだもん」
「マジか?! 全然そういう風には見えなかったぜ」
「ぶー。女の子なんだから料理くらい出来て当たり前だもん」
「悪い悪い。頼むぜ」
「うん!」
 詩穂は看板を立てかけ、肩からかけているトートバッグからエプロンを取り出した。
「ず、ずいぶん派手だな……」
「かわいいでしょ?」
 蛍光ピンクの生地にふりふりフリル。おままごとから飛び出してきたかのようなデザインにアサルトは思わず苦笑いをする。
「それでそれで、詩穂は何をすればいい?」
「そうだな……。今からメインディッシュの準備に取り掛かるんだが、その前に出すスープを作ってくれないか。あと余裕があるならパスタも頼む」
「りょうかーい☆ 詩穂が作れるやつでいい?」
「ああ」
「あ、もいっこ質問」
「なんだ?」
「メインディッシュはなに?」
「ふっふっふ。それはな……」
 アサルトは冷蔵庫へ向かうと、もったいぶりながらメインディッシュの材料を取り出した。
「牛のヒレ肉だ。こいつをローストしてチェリーソースをかける」
「わあ!」
 得意げなアサルトと目をらんらんと光らせている詩穂。
 2人の自信はこの言葉に集約されていた。
「絶対恋に落ちちゃうくらいおいしいね♪」


 レストランのホールの2階部分は吹き抜けになっている。
 フロアを見下ろすようにバルコニーが設けられてはいるが、人が立ち入るのは採光窓にブラインドを下ろすときだけだ。
 しかし、この日このときは人影があった。
「…………」
 右手にはペンを握り、左手にはメモ帳をもって黒衣 流水(くろい・なるみ)が立っているが、紙面には糸ミミズのような歪な直線が一本引かれているのみで、他にはなにも書き込まれていない。
「結局、観察するだけじゃ愛について何も分からなかったわ。なんとなく想像はついていたけど」
 柵にひじをかけ、うっとりとした表情で眼下を眺望する。
「思いっきり卜部先生に体当たりして、2人を無理やりくっつけたとき……。お互い気遣いあってて……それってつまりお互いのことを大事に思ってる、ってことよね」
 組んだ手の上にあごをのせ、目を閉じる。
「愛って……いいわね」
 なにやら愛について勘違いしていそうだが、たしかに流水のまぶたの裏に仲むつまじく食事をとっている2人の光景がありありと浮かんでいた。
「たったひとつのきっかけで、人ってあれだけ変われるのよ……」
 くるくるとペンを回す。
 未来の自分が誰かを愛し愛されている状況を夢想しているのだろうか。
 3分間、流水は、
「愛って……いいなぁ」
 と口にするまで一言も言葉を発することはなかった。
 再び視界の中に泪と唯斗の姿を収める。
「自分もああなりたい……」
 流水はメモ帳を閉じた。
(明日から、自分が少し変わるような気がするわ。そう、愛を探さないといけないから)
 そしていつものように、バルコニーは無人となった。