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泥魔みれのケダモノたち

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泥魔みれのケダモノたち

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第1章 黒鬼、最初の犠牲者!

「ハムーザ3世ちゃーん!」
 シャンバラ大荒野のただ中でありながら、地平線の彼方まで毒の沼地が広がっているという異様な光景の中、ペットを探すアケビ・エリカの悲痛な声が灰色の空に響き渡っていた。
 金色の長い髪を揺らしながら栗色の瞳を輝かせ、エリカはハアハアと息を喘がせながら沼地の奥に入り込んでいく。
 その横顔を仔細に観察すれば、荒野の凄惨な実情にはそぐわぬ、清楚で知的な印象の美少女である。
 エリカの瞳はどこまでも清らかで、曇りがなく、そのことが彼女の純粋さと高い知性をみる者全てに想起させ、また、観察眼の鋭い者なら「天然」な要素も感じさせられることだろう。
 だが、そんな彼女の後から荒野の蛮族たちが多数つき従っている光景をみるなら、エリカの美貌に対する感動を打ち消す強烈な負の勢力の存在を、誰しもが実感するところである。
「ねえねえエリカちゃん、ハムーザってゆるスターなんでしょ? どうして3世なの? 1世じゃダメなの? ねえねえ」
 ペットを追って危険な沼地の中にまで入り込んだ、エリカの切実な思いをわかっているのかいないのか、どこか空気を読んでいない空調でひたすら話しかけているのは、小夏亮(こなつ・りょう)である。
 しかしエリカは、「すさんだ荒野の怖いお兄さんたちを癒して更生させたい」とパラ実の暴力そのものの生徒たちに優しく声をかけ、励ましてなだめ、勉強を教えるなど、パラ実生の実体を知る者がみたら思わず正気を疑ってしまうほどの奇特な志を持った少女である。
「ハムーザ3世ちゃんは、私が飼い始めてちょうど3世代目になるゆるスターなんです。1世はもうこの世にいないんですよ。小夏さんも探してくれるんですか?」
 小夏に特に嫌悪感を感じた風もなく、育ちのよさを感じさせる上品な口調で答えていた。
 もっとも、小夏はいかにも「怖いお兄さん」といった外見ではないが、それでもパラ実(正式名称:波羅蜜多実業高等学校。しかしすごい名前の学校だ!)の生徒として、抗争で潰されることもなく今日まで生きながらえているワイルドな男子の一人である。
 だが、エリカは平気だった。
 平気、というより、エリカはゆるスターのことしか考えていなかった。
「もちろん、俺も探すよ。だから、さ! メアド教えてくれない? 沼地で何組かにわかれてさ、手分けして探そうよ、それで、お互いの状況を携帯とかでやりとりできたら、便利だと思わない?」
「え、メアド? うーんと……」
 特に困ったという顔もせず、エリカが個人情報を教えようとした、そのとき。
「君、あまり調子に乗ってはいけませんよ」
 御茶ノ水千代(おちゃのみず・ちよ)が、小夏を睨むようにしてたしなめた。
「えっ!? だって、メアド知るぐらいいいでしょ」
 御茶ノ水の眼光は、素人なら震えあがるほどの迫力を持っていたが、小夏は何ともないという口調で応じていた。
「とぼけるのはよくないですね。エリカさんの個人情報が、この荒野ではいまや抗争の種になるくらいの価値を持っているという事実は、誰しもが認めることです」
「いや、俺はただ、個人的に……」
「ですから、君は、ゆるスターを探すのではなく、このお嬢さんに近づくことしか考えてないのではないんですか?」
「うーん、誰かと仲良くなりたいという気持ちを持つことが、そんなに罪なのかな?」
 小夏は内心御茶ノ水をどうしようかと思案していたが、まともにやりあって無傷でいられる相手ではなく、エリカの前でもあり、ここはひくべしと本能的に悟ってきていた。
 と、そこに。
「そうだな。女性の個人情報を聞き出すなら、もっと慎重にやるべきだ。誰も仲良くなっちゃいけないといってるわけじゃない」
 斎藤邦彦(さいとう・くにひこ)が加勢してきたとあっては、さしもの小夏も撤退するしかないところだ。
「うーん、そうか。わかったよ」
 どうせ、エリカの個人情報を聞き出そうとするなら、御茶ノ水や斎藤でなくても、必ず誰かが邪魔を仕掛けてくるのである。
 そう簡単に、抜けがけはできないのだ。
 一時撤退を決め込んだ小夏に、斎藤が重要な事実を指摘する。
「で、忘れているのかもしれないが、私たちはいま、非常に危険な場所にいる。気をつけないと、沼地の鬼たちが出てきて、何をされるかわかったもんじゃないぞ」
 斎藤の言葉に、彼の側にいたパートナーのネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)が身体をびくっとさせる。
 何をされるかは、噂で聞いてるから、よく知ってるのだ。
 ネルとしては、斎藤も、自分も、噂で聞いたような目にあわないことを切実に祈るるばかりだった。
 と、そこで。
「みなさんのお気持ち、私は大変嬉しいです! 私は、ハムーザ3世ちゃんは、きっとこの沼地にいると思っています。みつけたら、また後で一緒にお勉強しましょうね。あと、私は小夏さんは、本音で語りあえるいい人だと思います。みんな、彼をよく知らないうちに、彼を疑わないで下さいね。人を信じることも、みなさんに教えていきたいです」
 そういって、エリカが、先に立って、沼地の奥に入りこんでゆく。
 その後を、わらわらとついていく荒野の蛮族たち。
 その中で、小夏は、エリカの暖かい言葉に感動の震えを禁じえないでいた。
(おお……。エリカちゃん、俺は絶対に君についていくよ! でも「いい人」だと思ってもメアドは教えてくれないのね)

「……きたか!」
 斎藤邦彦は身構えた。
 沼地のあちこちで泥が隆起し、エリカと追随者たちを取り囲むような動きをみせ始めたのだ。
 恐るべき黒鬼たちの出現に備えて、めいめいが武器に手をかける。
「みなさん、逃げて! 私は大丈夫です! 殺されたりはしないと聞いてますから!」
 覚悟の光をたたえた瞳で前方をみすえるエリカが、追随者たちに逃走のチャンスを与えるが、ここまできた生徒たちは、誰一人逃げるつもりなどない。
 なるほどエリカは、黒鬼たちに殺されるわけではないが、その代わりに大変な屈辱を味わうことになるのだ。
 放ってはおけない!
 そして、ついに。
「ワリャ、誰の許しを得て入りこんだんじゃコラー!」
 恐るべき恫喝のかけ声とともに、泣く子も黙る黒鬼たちが泥の塊の中から順次姿をみせ始めたのである!
「エリカさん、さがって下さい」
 御茶ノ水千代がエリカの前にたって促すが、エリカは下がらない。
「いえ、私は、どのような困難も乗り越えて、ハムーザ3世ちゃんを探し続けます!」
「たいした覚悟ですね。でも、エリカさんは喧嘩はできないでしょう?」
 エリカのひたむきさに内心驚嘆の念を覚えながら、御茶ノ水は身構えた。
「私は、喧嘩するつもりはありません。衣服を着てたら襲われるというなら……」
 周囲の者が驚いたことに、エリカは自ら上着のボタンに手をかけた。
「いや、そ、それはダメだ。不謹慎な奴らを喜ばせるだけだし、エリカの尊厳にとってよくない結果しかもたらさないことだ」
 斎藤は慌ててエリカを制止した。
 そんな斎藤を、ネル・マイヤーズは尊敬のまなざしでみつめている。
 少なくとも斎藤は、エリカが黒鬼に「剥かれる」ことに邪な期待を寄せている、荒野の蛮族たちの何人かとは違うのだ。
 しかし、エリカを守ろうという生徒たちの気概をあざ笑うかのように、巨大な拳を振りまわす黒鬼たちは、包囲の輪を徐々に縮めていった。
「おんどれら、アホか! 数だけ揃えて、恐怖におもらしするのを待つ身とは!」
「たいしたもんだな、文明の恩恵とやらは! 闘争本能さえ忘れ果てて、チキンたちの右往左往で荒野をチキンチキン猛レースとはこのことだ!」
 わけのわからない脅しの文句を並べながら、黒鬼たちが徐々に、意図しているのかいないのか、エリカに向かうかのように輪を狭めていく。
「わーっ、エリカちゃん、そう、闘わなくてもいいんだ、一緒に逃げよう!」
 小夏亮はエリカの手をとって、一緒に輪を突破しようと促した。
 そのとき!
「テメー、こんだけの軍勢前に、何をのほほんと、ナメとんのかコラー!」
 黒鬼たちがいっせいに怒号をあげ、小夏につかみかかってきたのだ!
「うわー! 逃げて、エリカ!」
 悲鳴をあげる小夏の口が、黒鬼たちのごつごつした拳に塞がれる。
「こ、小夏さーん!」
 エリカが小夏に伸ばした手は、もう彼に届かない。
「なんじゃ、こんなもん着てんなやー!」
「魂に衣なんか要らねーんだよ!」
 ビリビリビリ!
 黒鬼たちは小夏の衣を引き裂き、何も覆うものがない、無惨な姿になった彼の首根をつかんで、沼地の泥に顔面から叩きつけた。
「お、おわあああああ。予想を遥かに超える怪力! まさか、俺が最初の犠牲者になるとはー!」
 悲鳴をあげる小夏を、黒鬼たちはよってたかって引きまわし、泥まみれの泥人形へと変えてゆく。
(くっそー! でも、これで俺のポイント、エリカの中で上がった……か……な……)
 消え行く意識の中で、小夏はささやかな期待を胸に抱くのだった。