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恋歌は乾かない

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恋歌は乾かない
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chapter.1 恋の前心無きとて歌は在り 


 みなとくうきょう。デートスポットとして名高いこの施設には100を超すテナントが入っており、年間来場者数は50万人ほどと言われている。
 訪れる人々と夏の日差しで熱気がこもっているが不快感はなく、時折吹く風が施設内のあちこちにいる幸せそうな男女の間を通り抜けていた。

 ここの従業員たちが休憩やミーティング、雑用などのために使うバックヤード。そこに向かって足を動かしながらパートナーのルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)と会話をしていたのは、フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)だった。
「フリッカ……本当にこの暑い中着ぐるみのアルバイトをするんですか?」
「もちろん! だって時給がこんなに高いんだよ? これでお金を稼いで、兄さんを探すビラをつくるの!」
 ルイーザの心配をよそに、フレデリカは持っていた紙をこれ見よがしにルイーザの顔へと近づけた。そこには確かに、着ぐるみスタッフ募集の文字と高額な時給が記載されていた。が、紙に書かれた一文を見てルイーザは怪訝そうな顔をする。
「この、サイコキネシスを使用できる方歓迎、というのは一体……」
「えっ、そんなこと書いてた? でも私ちょうど使えるし、ピッタリじゃない! ナットくんミーナちゃんかあ……ルイ姉、ミーナちゃんは私がやるね! どんな着ぐるみかなぁ。可愛いといいなぁ」
 胸を躍らせ、軽やかなステップでバックヤードヘ向かうフレデリカとは対照的に、ルイーザは嫌な予感を覚えていた。この直後、その予感は的中することとなる。

 フレデリカとルイーザがバックヤードに向かっている頃、レン・オズワルド(れん・おずわるど)とそのパートナーメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)は施設入場口の近くにいた。ふたりは何やら真剣な表情で言葉を交わしていた。
「光源氏がどうのこうの、と呟いている女性がいるという話を聞いたのは確かだ」
 レンの言葉にメティスが質問を投げる。
「それで、その女性が紫式部だと……?」
 どうやらふたりは、みなとくうきょうに来た式部の噂をどこからか聞きつけ、その行方を探しているようだった。
「それは実際に会ってみないことには分からない。が、もし本物なら、日本の文学界にとって至高の存在である彼女だ。大学の講師にはうってつけだろう」
 レンの口ぶりから察するに、彼は式部を空京大学の講師としてスカウトしようと計画しているらしかった。いつか大きな争いが起きた時のため、自分が守りたいものを守るために大学へと進んだレンにとって、大学への貢献ともいえるその行動はごく当然の振舞いともいえる。
「とはいえ、独り言をぼそぼそと呟いているというのが気になりますね。もしかしたら、精神状態がやや不安定という可能性も」
「そう断定するのは早い気もするが……様子見は確かに必要かもしれない。護衛も兼ねて、近すぎず遠すぎずの距離から見守ることにしよう」
「ですね。しかしこの場所で尾行をしていたのでは、あらぬ誤解を受けるかもしれません。ということでレン、この方法でいきましょう」
 そう言ってメティスが取り出したのは、フレデリカが持っていたものと同じ、着ぐるみ募集の広告だった。
「あなたはこのナットくんの着ぐるみに入って、観察と護衛を行ってください」
「ナ、ナットくん……?」
「ナットくんです」
「サイコキネシスを使用できる方歓迎、とあるが……」
「いえ、それはこっちのミーナちゃんだけのようですから問題ありません。さあ、そうと決まれば早くバックヤードに行ってください。高額バイトのようですから、先客がいてもおかしくないですし」
 メティスは知らないことであったが、それは言うまでもなくフレデリカたちのことであった。
「俺がこのナットくんをやるとして、メティス、おまえは……」
 眉をひそめるレンに、メティスはあっけらかんと告げた。
「私は外の車で待っています」
「俺だけ!? 俺だけ着るのか? ミーナちゃんを着ないのか?」
「はい。何を当たり前のことを」
「……」
 メティスの言うことにも一理あり、さらに自分から護衛をすると切り出した手前引き下がることも出来なかったレンは渋々求人広告を手にバックヤードへと赴いた。メティスはその背中を見届け、施設を後にするのだった。
「どうして俺がこんなことを……ん? あれは……」
 文句を言いながらレンがバックヤードに着くと、既に着ぐるみを前にしていたフレデリカとルイーザがそこにいた。フレデリカは大声で従業員に詰め寄っており、何やら揉めている様子だ。当然レンにはまだ気づいていない。
「ちょっと、何よこれ。可愛いのは名前だけじゃない! 第一これ、どうやって着るのよ?」
 着ぐるみを手にしたまま、信じられないといった様子でフレデリカが苦情を言う。彼女が持っている着ぐるみは、施設のマスコットキャラ「ミーナちゃん」なのだがそのネーミングとは裏腹に相当グロテスクなつくりとなっていた。
 昆虫のような足が10本ほど生えていて、手は片方のみ、それもなぜか筋肉がりゅうりゅうとしており、指は6本というアンバランスさ。顔はマスコットキャラとは思えぬ生々しさを醸し出しており、体はダルマのような丸みを帯びつつも樹木のような皺がいたるところに刻まれている。お子様だけでなく、老若男女問わず気味悪がること間違いなしのビジュアルである。
「えーと……これを考えた人は本当にこのキャラが愛されると思っているんでしょうか?」
 これには思わずルイーザも疑問を抱かずにはいられなかった。もっとも、彼女が手にしているもう一体のマスコットキャラ「ナットくん」はいたってまともな外見であったが。
「サイコキネシス保持者歓迎ってこういうことだったのね……ルイ姉、やっぱりミーナちゃんとナットくんを交換……」
 フレデリカが言いかけた時、様子を見ていたレンが割って入った。
「済まない、それは俺が着ることになっている」
「先輩!?」
 突如現れ、ナットくんの着ぐるみを指差したレンを見てフレデリカは驚きの声をあげた。どうやらふたりは顔見知りで、フレデリカにとってレンは先輩にあたる間柄のようだった。
「しかし、それでは私の着るものがなくなってしまいます」
 すっ、と着ぐるみを体で遮りながらルイーザが言う。
はっきり言って彼女もレンも別段そこまでナットくんの着ぐるみを着ることに情熱はなかったのだが、ミーナちゃんのあまりのグロテスクさを目の当たりにして、「アレを着るくらいなら」という意識が働いたのだった。
 完全にミーナちゃんの押し付け合いになってきたところで、従業員がもう一体の着ぐるみを持って3人の前にやってきた。
「ちょうど空いてる着ぐるみがひとつあったから、もうひとりはこれを着るといい」
 それは、ナットくんの着ぐるみだった。
なりゆき上、その時点でそれぞれが手にしていたものを着る流れとなってしまう。つまり、ルイーザがそのままナットくんを、手ぶらだったレンが2体目のナットくんを、そしてフレデリカが必然的にミーナちゃんの着ぐるみを。
「さあ君たち、暑いけど頑張って働いてくれよ!」
「……はい」
 従業員の元気な声に、3人は何とも言えない表情で着ぐるみを着始めた。



 バックヤードで着ぐるみ騒動が起きている一方、施設入口では八ッ橋 優子(やつはし・ゆうこ)が案内板を見て溜め息を吐いていた。その顔は、明らかに冷淡さを帯びている。
「ていうか、どう見てもパクリじゃん」
 触れてはいけないところに堂々と触れる優子の発言に、パートナーのアン・ボニー(あん・ぼにー)が苦笑しつつフォローする。
「いやいや、パクリって言うかアレだよ。リスペクト的な? オマージュ的な? パラミタと地球の架け橋的な? ほら、赤レンガじゃなくて青レンガだしさ。なんたらワールドもないし」
「どうせならそこまですればいいのに。中途半端にパクるんじゃないっての。半端もん見てるとイラつくんだよ」
 優子の口調に棘が混じる。横浜育ちらしい彼女にとって、この施設は特に真新しい感もなく、ただの二番煎じにしか映っていないようである。優子はくるりと踵を返すと、ぶっきらぼうに告げた。
「帰る」
「ええっ!?」
 せっかくここまで来たのに? とアンは慌てて優子を止めようとするが、既に優子は入口から遠ざかり始めていた。
「本場の方に何十回も行ったことあるから今さらこんなとこで遊んでもダルいし」
「困ったねえ……あたしもまた横浜行くってのもアレだし、やっぱりここはこのみなとくうきょうで我慢……」
「パルコ行ってくる」
 小型飛空艇に乗り込む優子。ちなみに念のため説明しておくと、彼女の言うパルコとは、パラミタルーザーズコートというタシガン近辺にある運動施設のことだ。
「え、ちょっ、ちょっとパルコ行ってくるって……!」
 アンが引き止めるよりも早く、優子は飛空艇を発進させ空へと飛び去っていった。
「ほ、本気で帰りやがった!」
 伸ばした手のやり場を失ったアンは自分の頭にそれを持ってくると、仕方ない、といった様子で小さく呟いた。
「こうなったらあたしひとりで買い物でもするか……」
 溜め息を吐いて施設内へと入場するアン。しかし直後彼女は、重大なことに気づく。
「あっ、あの女、財布持ってってるよ!」
 アンは再び大きく息を吐いた。同時にアンは目的を変えざるを得なくなる。ショッピングモールの場所よりも先に、お金を持ってる男を見つけなければ。
 目の前に広がる賑やかな景色の中へと、彼女はそのまま駆けだしていった。