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お見舞いに行こう! せかんど。

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第十五章 だいすきなひとといっしょ。そのろく。


 気が付いた時、大谷 紬(おおたに・つむぎ)は病院のベッドの上に居た。
「……?」
 なぜ、こんなところに居るのか。
 わからなくて、ただ首を傾げる。
 その時ふっと、ドアの向こうに人の気配を感じた。思わず息をひそめると、聞こえてくる声。
「この子の包帯の下は……」
 やめて。
 聞きたくない。
「足は、」
 やめてって言っているでしょう。
「もう……」
「煩い!!」
 大声。びり、と空気が震える。途端、シン……と静まり返る病院。病室に、紬の荒い息の音だけが響いた。

「紬大丈夫かな……」
 紬の身を心配してそわそわしっぱなしの石田 三月(いしだ・みつき)を見て、鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)は苦笑した。
「だからこうしてお見舞いに来てるんでしょー。ほら、早く病室さがそ!」
 言って、背中をぽむと叩き。
 歩いていた看護師に「すみませーん」声をかけた。
「あの、大谷紬って何処に運ばれましたか?」
「大谷さん? ご案内しますね」
「ありがとうございます。ボク、紬ちゃんのパートナーなんですよ」
「そうなんですか。じゃあ、きちんと寝るように伝えてくださいね」
「寝る?」
「寝不足で倒れたんですよ、彼女。あ、病室。あそこです、ほら、先生の集まっている……」
 看護師が指差した先にある、病室。医師が二人、神妙な顔で立ち話をしていた。礼を言う間も惜しいのか、すぐさま三月はそちらへ向かってしまい。
 もー、と思いつつ、「ありがとうございましたっ!」礼を言って、氷雨も後を追った。
 追いかけて、一歩踏み出した時。
「煩い!!」
 裂帛した声。
 紬の、声。
 三月が走った。あ、と思う間もなく、医師を押しのけ病室に消えて行く三月。
「こら、君!!」
 焦るような医師の声。
「すみませんっ!」
 ぶつかったことを謝りつつ、氷雨が通してもらおうとしても、阻まれて出遅れる。
 病室内から聞こえる声はなく、静寂。
 しばしして。
「逃げて」
 紬の紡ぐ、透明な声が響く。
 逃げて? 逃げる? 誰から? 何から?
 え、と言う間もなく、病室から三月が飛び出して。その腕には紬が抱えられていて。
「ちょ、何で逃げるのっ!?」
 真っ先に浮かんだ疑問を投げるも、無視された。
 なんだよっ!
 追いかけようとしても、どうにもこうにも医師が邪魔だった。
 どいてくれればいいのに!
 おまけに、三月にとっては氷雨が上手くバリケードとなって医師を阻む形になっていたようで、医師の妨害はあまりなく。
 廊下を駆ける、三月。
「ちょっとーっ!」
 止めようとして叫ぶけれど。
 反応は何もないし。
 おまけに、三月が窓に手を掛けた。
「え!?」
 周りの医師や看護師と、一緒に驚く氷雨。
 だって、ここは、三階――。
 思う間もなく、紬を連れた三月は、窓から身を躍らせた。

「煩い!!」
 イラついたような紬の声を聞いて、慌てて病室に入った。
 が、中に居たのはいつも通りの紬。
 安堵すると同時に、「三月」やはりいつも通りに伸ばされてきた手を取り、抱き上げると。
「三月、逃げて」
「紬を連れて?」
「そう。逃げて」
 短く交わした言葉。
 良いの? 目で問うと、頷かれた。紬が良いなら、悪でも良い。
 ただ、ぎゅっとしがみついている手が、いつもより力強かったから。
 何か嫌な事があったのだろうと推測はできた。
 じゃあ、自分のする事は一つだけだ。
 医師と氷雨の絡まり合う病室入口を駆け抜けて。
 看護師と患者の行き来する廊下で、三月は言う。
「紬! 俺、紬の為に頑張るね!」
 このままじゃ、すぐに捕まってしまうと思ったから。
「しっかり捕まってて」
 抱きしめているだけじゃ、足りないかもしれないし。
 頷く気配。掴まれる服。彼女の体温。
 紬を抱いていた片手を離し、窓を開けて、窓枠に手を掛けて、足を乗せて。
 飛び降りた。
 バサンッ!
 衝撃と、木々を突き抜ける音に鼓膜を揺らされながら。
「…………痛、」
 なんとか着地。
「紬、大丈夫?」
「平気。三月は?」
「大丈夫。……下に生垣があってよかったね」
「ん」
 こくり、頷く紬に微笑みかけて。
「なんで逃げたかったの?」
 問いかける。
「包帯のことや、足のこと……言われて。もう、あそこに居たくないと思った」
 あぁ、そっかぁ。だから声がイラついていたのか。納得していると、
「あと、病院に居るとパソコンが出来ない……」
 苦笑するような理由まで混ぜられた。
「でも少し休まなきゃ」
「……休むにしても、……三月の傍がいい。病院じゃ、三月に会える時間が減る……」
「紬……」
 じーん、と暖かさが胸に広がって行く。
 思わず抱きしめると、「苦しい」と言われたけれど、抵抗はされない。
 ごめんね主。
 俺、主を放って紬と逃げ出すような奴だった。
 でも後悔はしていない。だって紬が笑ってる。
「……、へへ」
 三月も笑い返した時、「ふたりのばかー!!」頭上から、声。
 怒りの表情を浮かべた医師や看護師に囲まれて、困った顔をしている氷雨が居た。
「ごめんね主! 俺達先に帰ってるからー!」
「うあー! ばかーばかー! 帰ったら覚えててよねー!」
 さあそれはどうだろう?
 帰ったら二人仲良く、寝ているかもしれないからね。
 顔を合わせて二人は笑い。
 三月は紬を抱き上げて、ゆっくりと歩き出した。


*...***...*


 残暑厳しい秋の日の。
 特に予定の無い昼下がり。
 芦原 郁乃(あはら・いくの)は、団扇を片手に寝そべっていた。
 床の上に大の字になって、ぼーっと。
 そう、ぼーっと……していたら。
 なぜだか無性に秋月 桃花(あきづき・とうか)に会いたくなって。
 だけど彼女はここに居なくて。
 代わりに近くにあった抱き枕を、ずるずると手元に引き寄せた。
 ぎゅ、っと抱きついてみると、綿のふわふわした感触。
 それに物足りなさを感じながらも、枕に顔を埋めて目を閉じる。
 思い出すのは、彼女のことばかり。
 さらさらとした、指通りの良い綺麗な髪の毛。
 甘い香りのする、温かな身体。
 柔らかい、肌の感触――肌の?
「っは、ははは、肌の!?」
 思い出して、枕を抱えたまま床を転げ回った。
 何を、何を思い出しているのよ、私は! そんな卑猥な――桃花の肌のことなんて、感触のことなんて、あわわっ……!
 慌てて考えを消そうとしても、一度意識してしまえばそれで終わりだ。
 もうそれしか考えられなくなる。
 それしか――桃花の、ことしか。
 ぎゅっと抱きついた時に、回した腕に触れる体温。肌の感触。
 その身体にもっと触れたくなって、強く抱きしめる。
 ……だめだ。
 想像じゃ、足りなくなった。
 桃花は、どこ?
 ねえ、触らせて。
 ねえ、あなたを感じさせて。
 それから、あなたで感じさせて。
 あなたが、欲しい。
 がばり、起きあがると。
「どうしたんですか?」
 背後から声をかけられて、
「!?」
 驚いて振り返る。
 驚いた郁乃に驚いた、といった顔をした荀 灌(じゅん・かん)が立っていて、「あわ……」声にならない声を発する郁乃に、きょとんとした視線を向けていた。
「郁乃さん? あの、どうしたんですか?」
 問われるけれど。
 い、言えるわけがない!
 純粋で純情な荀灌に、桃花でいけない妄想を働かせていたなんて!
「あ、う、うあ」
 奇声を発して、真っ赤になった顔を抑えて、それから頭を抱えていたら。
 目の前がくらくらしてきた。
 暗転。

 目の前で、郁乃が崩れ落ちた。
 いつも元気に笑っている、郁乃が。
 それは、荀灌にとってとても大きな衝撃で。
 自身の記憶の一部が抜けてしまうように感じた。
 実際、次に荀灌が気付いた時には病室で、ベッドには郁乃が横たわっていて、隣には桃花が居て。
「もう大丈夫だから……」
 と、頭を撫でられていた。
「わ、私……」
 何が起こったのか理解しかねて、不安げに桃花を見つめると、
「大丈夫」
 優しい目で、優しい声で、そう言われたから。
「……はい」
 ただ、頷いた。
 この人が大丈夫って言うなら、大丈夫なんだ。
「荀灌〜、ごめんねっ? 心配掛けたね、もう大丈夫だよ」
 郁乃にそう言われても、いくら彼女が元気そうに笑っても。
「……本当に?」
 じとーっと見上げるしかできない。
 本当に? 本当に大丈夫なのですか?
 もう、元気なのですか?
 倒れませんか?
 その気持ちを全て目に込めて見つめると、「うん」と郁乃は頷いた。
「も、大丈夫」
 にっこり笑って、ブイサインをする彼女を見て。
「まったくもう……」
 心配しました、と素直に言うことはできず、呆れたようなため息を吐いてしまったけれど。
 郁乃は、嬉しそうに微笑んで頭を撫でてくれた。

 荀灌が、売店へとお茶を買いに出かけている間に。
「まったく、熱中症になるなんて」
 そう、桃花がため息を吐いたら、
「……熱中症?」
 郁乃は不思議そうに訊き返してきた。
「そうですよ。……心配……したんですからね?」
 頷き、少し強い口調で言うと、
「うん……ごめん」
 神妙な様子で郁乃は言って。
 それから、「その、あの。え、えへへ?」笑って誤魔化す時のような、曖昧な笑みまで浮かべて。
 そこで、「?」と疑問符を浮かべることになった。
「どうして、熱中症になるまでご自身を顧みなかったのですか?」
「え、あ。あの、それは……何と言うか……」
「言うか?」
「か、考え事、かな?」
 あははははー、と誤魔化しに入った彼女に対して。
「郁乃……様」
 ぽつり、名前を呼んだ。
「え……?」
 声音の変化に気付いたのか、戸惑うような郁乃の声。
 それに構わず、身体を伏せて寝ている郁乃に抱きついた。
「と、桃花っ?」
「心配、したんですからね……」
 消え入りそうな声で呟いてから、ぎゅっと強く抱きしめた。郁乃の存在を確認するように、強く強く。
「……あのね」
「……はい」
「私、桃花が傍に居なくて、胸が苦しくて……だから、桃花のこと考えてて……」
「!」
「そしたら、こうなっちゃった。ごめんねっ」
 明かされた、今回の騒動の理由。
 なぜだろう、今度はこっちの胸が苦しい。
「じゃ、あ」
「うん?」
「次からは、倒れる前に……桃花を、呼びつけてくださいね」
「いいの?」
「いいもなにも……桃花は、郁乃様と永遠を約束した身。……むしろ、嬉しいです」
 恥ずかしさを押しのけて、苦しさを吐きだすように言葉も出したら郁乃は笑んでくれて。
 その笑顔が、なによりも嬉しかった。


*...***...*


 瀬島 壮太(せじま・そうた)がバイト中に無茶をして右腕を骨折したと聞いて。
 エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は聖アトラーテ病院を訪れた。
 白い三つ揃えのスーツ姿は目立つのか、たまにちらりちらり、視線を感じつつも、壮太の病室を目指す。何号室に入院しているのかは、壮太のパートナーのミミから聞いていた。
 コンコン、とノックしてから病室のドアを開ける。大部屋。同じ部屋の誰かが、「宴会だー!」などと、何やら病室には不似合いな言葉を飛ばしていた。
 その脇をすり抜けて、カーテンの閉じているベッドへ。
「壮太君」
 声をかけてみる。返事はない。すー、とカーテンを開けてみると、
「おやおや」
 年相応な、無防備な寝顔を晒して熟睡中。
 お疲れだったのでしょうか。
 バイト三昧な彼のことだから、普段からあまり休めていないのかもしれない。
 ベッドの脇、パイプ椅子を組み立てて座り。
「お疲れ様」
 短い髪を撫でた。「ん、」と身じろぎしたものの、まだ目を覚ます様子はない。
 ただぼうっとしているのも手持無沙汰だなぁと、エメは壮太の左手を取って。
 静かに静かに、そこに居た。

 熱っぽいし腕は痛ぇし。
 最悪だ、と悪態をつきながらも、身体は休息を欲していて。
 睡眠を貪っていたところ、
「……?」
 左手に温もりを感じて、目を覚ました。
「…………」
「あ。おはようございます」
 ぼうっとしていると、隣からかけられた声。
 熱のせいでぼんやりとした頭と視界に飛び込んできた、ある一人の存在。
 ……あれ? なんでエメがここに居るんだ?
 友人である、エメの存在。
 入院していることは、ミミにしか知らせてないのに。
 あーそっか。
 そっかこれ夢か。
 そう結論付けた後、
 夢に見るほど会いたかったのか、オレ?
 疑問に思いつつも。
「エメ」
 会いたい人に会えたことが、嬉しくて。
 無邪気に笑う。
「はい、お呼びですか?」
 優しく声を掛けられて、髪を梳かれて。
 ……妙にリアルだな、と思う。
 ギブスも包帯も巻かれていない無事な左手を見る。手には、エメの右手が添えられていて。
「……エメ?」
「はい?」
 きゅ、とその手を握ると、見た目ほど細くはないごつごつとした手の感触が伝わって。
 あっれこれエメの手だ。想像にしてはできすぎじゃね?
「…………」
「…………」
 そこから導き出される結論としては、
「夢じゃねえじゃねえか!」
 うっかり名前呼んじまったよ! 笑っちまったよ!
 ……恥ずかしい……!
 照れ隠しにしかめっ面をするものの。
「はい、現実です。おはようございます」
 にこりと笑うエメの余裕にやられた。
 落ち着こう、と息を吐く。
「……あんた何してんの」
「お見舞いですよ。壮太君の」
 言いながら額に手を伸ばしてきた。されるがままにしていると、「熱はそこまで高くないようですね」ほっとしたような声。
 心配してくれたのかな、なんて。
「……そのモモ缶、くれんの?」
 でも、素直にありがとうとは言えるわけがなくて。
 目についたモモ缶に、論点をずらしてみた。
「はい。お見舞いには定番だと聞いたので」
「ふうん。オレ、手ぇ使えねえから。あんた開けてよ」
 ねだってみると、はて? と首を傾げられた。
「開けたことねえの?」
「ないですね」
「じゃ、教えてやっから。その穴に指引っかけて。そ、起こして、んで」
 プルタブ式の桃缶の開け方を教えて開けてもらおうとしたけれど。
 かつっ、かつっ。
「……手袋したままじゃ、そりゃ滑るだろ」
「ですね」
 右手の手袋だけ外して、開けることに挑戦すれば、
「あっ」
「うわ」
 手が滑ってシロップを零したり。
「横着して片手しか外さねえからこうなるんだよ」
「洗いに行ってきます」
 そんなたどたどしさも、自分のためにやってくれてんだなーと思えば微笑ましいし。
 悪い気は、しない。
「お待たせしました。やっと食べてもらえますね」
 はにかんで言うエメに。
 あー、と口を開ける。
「珍しいですね、こんなに甘えてくるの」
「うっせ、右手使えねえもん。已む無くだから。早く」
 急かすと、くすくす笑いながらもエメが桃を口に運んでくれた。
 甘い。甘くて、美味しくて。
 次。とばかりにまた口を開けて。
 なくなるまで、そう時間はかからなかった。

 何を話すともなく、二人きりで居たわけだけど。
 いつの間にか、病室は暗くなり、電気が灯されていて。
「ああ、もうこんな時間ですか」
 時計を見たエメは、少し驚いた。
 いつの間にか、数時間が経過していたから。
 ずっと繋いでいた手を離し、椅子から立ち上がると、
「帰んの」
 ぶっきらぼうだけど、寂しさがほんの少し混じっている壮太の声に、微笑んだ。
「また来ます」
「ん。……じゃ、無事帰れるように送ってく」
「送るって」
「病院の入口までならオレでも行けんだろ」
 おら遅くなる前にさっさと帰れ、と、ともすれば追い出さんとまでに壮太が急かすのでまた笑う。
「大丈夫ですよ、か弱き乙女でもあるまいし」
「そーゆー油断がオレみたいになんの。……入院ってさ、結構辛いから。あんたにはそんな目に遭ってほしくねえの」
 わかる? と目を逸らしながら言う壮太。
「わかってますよ。壮太君は優しいなあ」
「ばかじゃねえの」
 廊下に出て、隣り合って歩いて。
 入口まで来て、またねと手を振る。
「早く治ってくださいね」
 病室で会うより、外で会いたいから。