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【七 不可視と可視の境界】

 ツァンダ南方山岳地帯の、とある山林の中。
 ミリー・朱沈(みりー・ちゅーしぇん)フラット・クライベル(ふらっと・くらいべる)は、本隊に随行させたアシェルタからの連絡がぷっつりと途絶えたことに、ふたりして焦りの色を見せ始めていた。
 もしかして、エージェント・ギブソンにこちらの動きを見抜かれたのか……そんな疑念が湧いてきたりするのだが、実際のところはアルゴンキン001が敵の襲撃を受けて撃墜されたからであり、そのような事態を露とも知らないミリーとフラットが、勝手に焦っているだけなのである。
 ミリーは思わず、腕を組みながら小さく呟いた。
「ん〜……やっぱり、ボク達も行った方が良いのかな……?」
「さぁそれはぁ……どっちでも良いけどぉ」
 全くもって答えになっていない台詞を適当に吐いているフラットに、ミリーはいささか憮然とした表情を向けるものの、この程度の反応はいつものことだから、いちいち気にしていてはきりが無い。
 と、その時である。
 北方の斜面を登ってくる小型飛空艇が一台、ふたりの目についた。
 やがてその小型飛空艇は、若干緊張した様子のミリーとフラットの前で、ゆっくりと停止した。ボディ側面には、マーヴェラス・デベロップメント社のロゴマークが描かれていた。
「やぁ、ちょっと良いか?」
 小型飛空艇を駆っていた互野 衡吾(たがいの・こうご)に声をかけられ、ミリーとフラットは何事かと、互いに顔を見合わせた。
「カルサロッサっていう村を探してるんだが、場所知らないか?」
「あー……それなら、ここから南東に登ったところだけど」
 何となく答えたミリーだが、情報としては間違っていない。カルサロッサは、スパダイナが隠されているという遺跡に程近い、山村なのである。
「そういえばさぁ、ちょっと前にも、お兄さんと同じようにカルサロッサの場所を聞いてきたひと達がいたっけなぁ」
「ほぅ? それは、どんな連中だ?」
 思わず身を乗り出して訊いてくる衡吾に何となく気圧されながら、それでもミリーは記憶の中にある人物像を丹念に思い出しながら答えた。
「えぇっと、男ひとり、女ふたりの組み合わせだったかな。何っていうか、物凄く変な組み合わせ」
「ふぅん……変な組み合わせねぇ」
 衡吾は如何にも興味無さげに呟き返してみせたが、その内心は決して穏やかではなかった。
(矢張り、本隊以外に動いている連中が居たんだな……こいつぁ急がねぇと)
 それから衡吾は礼をひとこと口にして、再び小型飛空艇を駆動させた。
 別れ際に、ミリーが問いかけてきた。
「ねぇ、お兄さんは何してるひと?」
「あぁ俺かい? 俺は……そうだな、仕事だよ、仕事」
 そういい残して、衡吾は再び小型飛空艇を全速力で滑走させていった。

     * * *

 ミリーが衡吾に答えた三人組というのは、戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)クリアンサ・エスパーニャン(くりあんさ・えすぱーにゃん)、そしてレイチェル・スターリング(れいちぇる・すたーりんぐ)という、確かに妙な取り合わせの面々であった。
 元々は小次郎がひとりで行動していたところを、クリアンサとレイチェルが声をかけて同行することになったのだが、正直なところ、小次郎は最後までクリアンサ達と付き合うつもりは毛頭無かった。
 ただ途中でマーダーブレインに遭遇した場合は相当に厄介だから、遺跡に到達するまでは協力者が居ても良いだろうという考えで、行動を共にしているに過ぎない。
 小次郎自身は正子率いる別働隊を追跡し、遺跡内を尾行して、スパダイナを横から掻っ攫う腹積もりであり、その一方でパートナーのリースを本隊に随行させて、エージェント・ギブソンからの情報を逐一収集して、少しでも有利に立とう、というのが計画であった。
 ところが、である。
 つい先程の話になるのだが、リースからの連絡がぱったりと途絶えてしまった。理由は、ミリー達が潜入させたアシェルタの場合と同じである。
 だが小次郎自身は、まさかアルゴンキン001が撃墜されようなどとは思っても見ないから、正子達のようにその撃墜現場を目撃してもいなかった。
「どうか、なさいましたの?」
 渋い表情で黙然と斜面を登る小次郎に、クリアンサが怪訝そうに横から問いかけてきた。もともとあまり会話の多いグループではなかったが、ここ十数分程は更に、小次郎の足取りに妙な重さが加わっている。
 だが流石に、問いかけられた以上は無視し続ける訳にもいかず、小次郎は口元を作り笑いに歪め、僅かにかぶりを振った。
「いえ、何でもありません、といえば嘘になりますが、そう大した話でもないのです」
 そして小次郎は、どうせそのうちばれるだろうからと、リースを本隊に随行させている旨を正直に告白した。同時に、先程からリースからの連絡が途絶えてしまっていることも付け加えると、レイチェルが何かに思い当たった様子で、ふと小首を傾げた。
「そういえばさっき、遠くで何かが爆発するような音が聞こえたけど……」
 そのひとことに、小次郎の表情が凍りつく。
 まさかという思いと、そんな馬鹿なという疑念が、彼の胸中を交互に去来した。だが、もしアルゴンキン001に何かあったのだとすれば、リースからの連絡が途絶えた事実と符合する。
 一瞬その場に立ち止まり、どうしたものかと思案を巡らせた小次郎だったが、彼の意思はすぐに、結論を下した。
「どうなさいます? 心配なら、本隊の様子を見に行かれますか?」
 クリアンサの気遣いに対し、小次郎は否、とかぶりを振った。
「いえ……このまま遺跡を目指します。リースならば大丈夫。彼女とてコントラクターなのですから」
 最後のひとことは、どちらかといえば小次郎が自分自身にいい聞かせているかのような響きを含んでいた。
 だがとにかくも、本人がそのようにいう以上は仕方が無い。クリアンサとレイチェルが互いに顔を見合わせ、僅かに肩を竦めると、もうそれ以上はこの件に関して何もいわなくなった。

     * * *

 ところが、墜落したアルゴンキン001から脱出した001隊の面々はというと、小次郎がリースに期待したような、コントラクターだから大丈夫、とはとてもいえない状況に陥っていた。
 脱出した直後は、皆が皆ばらばらに中腹森林地帯へと着陸し、或いは落下するなどして、完全に離散状態に陥っていたのであるが、お互いに連絡を取り合い、ものの十数分程度で全員が一箇所に集合していた。
 アルゴンキン001の墜落現場から、およそ300メートル程東へ離れた場所に位置する切り立った断崖の下であり、目印とするには丁度都合が良かったから、ここに集まろうということになったのだ。
 そして全員が集まり、互いの無事を確認し合った直後に、それは唐突に現れた。
「きゃああ!」
 最初は、睡蓮の甲高い悲鳴から始まった。
 誰もが彼女の声のした方向に視線を走らせた時には、既に睡蓮の姿は無かった。
「睡蓮!?」
 唯斗がエクス、プラチナムと共に慌てて睡蓮の姿を探したが、どこにも見当たらない。更にその直後、アレットと澪が続けて姿を消した。
 いずれも、糸を引くようなか細い悲鳴を残して、木立の間で急に見えなくなってしまったのだ。
 敵の攻撃を受けている。
 誰もが直感的にそう察知した。
「セレアナはあたしの後ろ! あたしはセレアナの後ろ!」
「背中、預けたわよ!」
 最初に反応したのはセレンフィリティとセレアナのコンビであったが、他の面々も円陣防御を組んだり、木の幹や岩などを背にして前面への防御に徹するなどして、自身の周辺に対し、警戒線を張った。
 白昼堂々、これだけの人数の中で突然、睡蓮、アレット、澪と、続けて三人ものコントラクターが掻き消えたのだ。隊の外側に対する警戒ではなく、自分自身の周囲という極めて近い位置に対して警戒を張るのは、当然の反応であるといって良い。
 そんな中でもひとり冷静なのは、相変わらずエージェント・ギブソンであった。
「マーダーブレインですな」
「……見たんですか?」
 傍らで杖を構えていた真人が、思わず訊き返した。これだけ皆が警戒しているというのに、エージェント・ギブソンだけはまるで茶飲み話でもしているかのように、淡々と言葉を紡ぐのである。
 真人の疑念に満ちたその反応は、極当然であるといわねばならない。
「一瞬ですが、見ました。どうやら攻撃の瞬間だけは、非表示には出来ないようですな」
 何のことをいっているのか、真人にはよく分からない。だが、マーダーブレインが襲撃してきたというのであれば、これが最初の遭遇ということになる。
 相手の戦闘能力を知る絶好の機会であると、いえなくもなかった。
「非表示って、どういう意味よ!?」
 セレンフィリティが怒鳴るような調子で訊いた。これに対しエージェント・ギブソンは矢張り、酷く落ち着いた口調で応じるのみである。
「既にご説明しました通り、奴らは映像体です。デジタル映像は、表示と非表示の切り替えが容易です。但し攻撃の際は物理接触点を映像表面に発現する必要がある為、その瞬間だけは表示に切り替わるのでしょうな」
「……冗談じゃないわ。見えない敵と、どう戦えっていうの?」
 セレアナが半ば呆れ、半ば苛々とした調子で低く唸る。攻撃を受ける寸前まで姿が見えないというのでは、まるで防ぎようがないではないか。
「まるで方策が無い、という訳でもないのですけどね」
 いいながらエージェント・ギブソンは、掌サイズ程の金属製の箱を懐から取り出した。真人が思わず、隣から覗き込む。
「それは何ですか?」
「印加反転粒子散布装置です。印加反転粒子とは、弊社が開発中の荷電素粒子で、空間中の電気信号を可視化する働きがあります。如何なる信号にも反応出来ますが、あらかじめ帯域を指定しておかねばならないのが難点です」
 曰く、元々はスパダイナの暗号化無線信号を捕捉して、スパダイナの正確な位置を割り出す為に持参していたものらしいのだが、空間中で映像非表示状態で移動するオブジェクティブを捕捉する為にも使えるらしい。
「では、それを早く!」
「生憎ですが、今、私が持参している印加反転粒子はスパダイナの暗号化無線信号の周波数に帯域を設定してしまっております。マーダーブレインを捕捉するには、この帯域設定を変更する必要があるのですが……」
 その帯域設定治具は、先のアルゴンキン001墜落の際に失われてしまったのだという。尤も、アルゴンキン002に搭乗しているエージェント・ホフマンも同じく印加反転粒子を持参してきているので、002隊が無事であれば、恐らくは帯域設定治具も一緒に携行しているだろう、との話であった。
「要するに、002隊と合流するまでは一方的にやられっ放しって訳!?」
 セレンフィリティの怒声が、空しく響いた。その間も、マーダーブレインの見えざる攻撃は続いている。