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黒ひげ危機脱出!

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黒ひげ危機脱出!

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3.亀の喜悦


 一組のカップルが今まさに飛行ガメの甲羅に新たな剣を突き刺そうとしていた。一本の剣を二人で支える姿は、結婚披露宴のケーキカットを連想させる。
 レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)の脳裏に純白のウェディングドレスを着た自分が浮かび上がる。言うまでもなくその隣に立つのは――。
「レイチェル、早くせな日が暮れてまうで」
 大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)はじれったそうに剣の先で飛行ガメの甲羅をつつく。
「それでは、泰輔さんの武運長久を祈願して」
 レイチェルは小さく咳払いしてから、泰輔とともに持つ剣の柄に力を込める。パートナーの武運長久を願うのは剣の花嫁として当然の心理だが、レイチェルには真の願いともいうべきものがある。
 誰も知らない(レイチェル本人は隠しているつもり)の思いを、いつの日か……
 緊張のあまり、力が入ってしまったのか、二人の持つロングソードは、一気に刀身の中程まで飛行ガメの甲羅に突き刺さってしまう。
 滅多にない強い刺激に、飛行ガメは身体全体を揺らすようにして悦ぶ。人間でいえば大きく伸びをするような行為に当たるのだろう。しかし甲羅の上にいる人間たちにとっては笑い事ではない。
「レイチェル!」
 泰輔がバランスを崩したレイチェルを抱きしめる。泰輔の足下には、無数の抜き身の剣が散らばっている。剣を差しに来たカップルにこの剣を売って小遣い稼ぎをしようともくろんでいるのだ。
 飛行ガメが喜悦を極めて身をよじるたびに抜き身の剣が泰輔の足下で踊る。もとより安売りで買ってきたものだ。その刃には鋭さはないが、素手で切っ先に触れればけがをする可能性はある。
「……」
 飛行ガメの身もだえが収まった頃、レイチェルは無言で泰輔の足下に散らばる剣のうち一本を拾い上げる。
「おおきに。拾ってくれたんやね」
 泰輔はレイチェルに向かって右手を差し出す。「剣を渡してくれ」ということだ。
 しかし、レイチェルはまるで泰輔の姿が目に入っていないかのように剣を持つ手に力を込め、渾身の力で甲羅に剣を突き立てる。
「え!? なにやっとる――」
 再び飛行ガメが大きく身を揺らす。
「わ、わ、わ。レイチェル、しっかりつかまっとれよ」
 泰輔は乱心したとしか思えないレイチェルをそれでも守ろうと抱きしめる。泰輔の腕の中で、レイチェルはすべてが満たされたような笑みを浮かべている。
「ようやく収まったか――レイチェルいったいどうしたんや? あんまり欲張ってお願いしすぎると神さんにもそっぽ向かれてまうで」
 泰輔は自分の腕の中にかばっていたレイチェルを解放すると、彼女の目をのぞき込む。
「人事を尽くして天命を待つ、ってやつや――レイチェル?」
 泰輔はレイチェルの顔を見て黙り込む。レイチェルの顔は真っ赤だ。
「レイチェル、胸は苦しいか?」
「苦しい――です」
 顔を近づけてくる泰輔に、レイチェルはさらに顔を赤くしながら答える。心臓が胸から飛び出しそうなほどに早鐘を打っている。
 レイチェルは、雷のような鼓動を危機ながらそっとまぶたを閉じる。
 呼吸をしていていいものかわからないので、呼吸を止めたまま待つ。
 一秒、二秒……。
「あかん、低酸素症か!」
 泰輔はまぶたを閉じたレイチェルを見て叫ぶ。
 急に気圧の低い地点に行くことによって、血液中の酸素分圧が下がり様々な症状が発生する。高山病と呼ばれることもある。
 主な症状として、幻覚を見たり、胸の圧迫感を感じたりする。
 実際の高山病では、むしろ顔色は赤ではなく土気色に近づいていく。しかし、レイチェルの思いに気づいていない泰輔にとっては、レイチェルの行動は低酸素症を疑うに十分なものだろう。
「――っ!」
 レイチェルは泰輔の足下から剣を拾い上げると、先ほどまでとは全く違った思いを込めて一気に突き刺した。
 ロングソードはつばの部分まで甲羅にめり込む。
 飛行ガメは、生まれて初めての刺激に馬のような鳴き声を上げて大いに悦んだ。

 『海賊黒ひげ』。世界一有名な海賊と言っていいだろう。
 エドワード・ティーチ(えどわーど・てぃーち)はその海賊黒ひげの英霊である。英霊としてよみがえった影響で、少年の姿になり、自慢の黒ひげもなくなってしまったが、紛れもなく伝説の海賊黒ひげの魂の一部を持った存在である。
 そのエドワードは。
 タル状突起にはまっていた。
「ぐぅぅ! 俺様としたことがっ」
 エドワードは知るよしもないが、彼の転倒の原因となったのはレイチェルによる甲羅への剣の突き刺しだ。足下が大きく揺らいだ拍子に転倒し、そのままタル状突起にはまり込んでしまったのだ。
「エドワード、何をやっているのですか」
 水神 樹(みなかみ・いつき)はパートナーの情けない姿を見て嘆息する。
「船乗りが不安定な足場で転倒するなんて情けないですよ」
「っぐ――これがホントの黒ひげ危機――ぐわぁ! めっちゃいてぇ!!」
 にやりと不敵な笑みを浮かべて何かをいおうとしたエドワードの言葉は彼自身の悲鳴によって遮られてしまった。
「どぉもー、助けに来ましたー」
 佐々良 縁はレティシア・ブルーウォーターの救出に飽きて――もとい周りにいた人を信頼して任せ、新たにタル状突起にはまったエドワードを助けに来たのだ。
「エドワード、男ならば自分の痛みや苦しみはぐっと飲み込むのですよ」
 樹の言葉にエドワードはぐっと唇をかむ。たしかに、海の男が痛いの辛いのと騒いでいたら格好がつかない――ような気がする。
「なんかこの穴とか、怪しいよな……っと」
 アリスの佐々良 睦月も、あたりに刺さっていた剣を抜くと無造作にエドワードのはまっているタル状突起に刺す。
「いてぇ! いてぇって!」
「エドワード、とらえなさい! ――あぁ、うちのがお世話になります」
 樹は縁たちに頭を下げながら、自分の近くに転がっていたエドワードの使っている剣を拾い上げる。
「エドワード、武人たるもの武器を簡単に手放すようではいけませんね」
 樹の口調は穏やかだが、彼女に見つめられるエドワードは生まれたての子猫のように振る振ると振えている。
「おや、何かふるえてますねぇ。うふふ、なんだかかわいいですねぇ」
 縁は興味深げにエドワードの姿を見つめる。
「マナーマードだ、マナーモードだ! このまま剣を刺していったらドライブモードになるんじゃねぇの」
 睦月はエドワードの姿を見てはしゃいだ声を上げる。ドライブモードとは。携帯のマナーモードの一つだ。別名公共モードと呼ばれ、設定中は着信やメールを受信しても着信音や振動しない。
「あら、なかなかおもしろいですね。エドワード、ドライブモードになってみます?」
 樹はエドワードに答える暇も与えずに、彼の剣をタル状突起の穴へと挿入する。
 エドワードの悲鳴が空に響き渡った。

 額に日本角の生えた少女が、刀剣の乱立する甲羅の上を駆ける。
「どう? 怪しいものはある?」
 硯 爽麻(すずり・そうま)は自分の背中にしがみつくパートナーの白 海里(ましろ・かいり)に尋ねる。
 海里は自らの歴史知識、捜索、指揮の技能を生かし村正とおぼしき刀剣に目星をつけて甲羅の上を駆け回る。
 いったいどうしたことか、甲羅がやけに揺れるが体躯が大きくなった爽麻の手足は柔軟に揺れを吸収し自由に動き回る。
「ん?」
 爽麻は鼻をひくつかせる。
「どうしました? 爽麻」
 背中の海里は、爽麻の顔をのぞき込む。普段であれば海里の方が背が高いが、鬼神力の影響で爽麻の体躯が大きくなっている。いつもと逆転したようで、なんだか新鮮な感じがする。
「なんだか、柑橘系の匂いがする」
「そうですか? わたしはわかりませんが」
 海里は首をかしげる。爽麻の尻のあたりからは、見事な狐をしっぽが生えている。超感覚によって、海里では感じ取れないかすかな香りをかぎ取ったのかもしれない。
「さて、木などは見えませんが」
 飛行ガメの背中には、こけや、背の低い多肉の高山植物のようなものがまばらに生えている。
「なんだろう?」
「爽麻、今は村正探しが先ですよ」
「うん!」
 爽麻はますます速度を上げて掛けはじめる。
「爽麻、ちょっと止まってください」
 爽麻の駆ける速度が速すぎて、甲羅に刺された刀を検分する余裕がない。
「日本刀は多いですが……模造刀も混じっているようですね」
 海里は小さく肩をすくめる。
「恋人との永遠を誓うのに模造刀をつかうの?」
「さて? そのあたりの心理は魔導書の私にはわからないですね」
「難しいね」
 爽麻も腕組みをして考え込む。
「あ、そうだ……木の葉を隠すなら森の中だと思うんだ」
 爽麻の脳裡にイメージがわき上がる。無数の日本刀。その中に一本だけ隠された村正。妖刀として名高い村正を恋人との愛の記録として残しておくなら、持ち去れれないよう、目立たないように細工するのではないだろうか。
 その方法として爽麻が考えついたのが、似たような日本刀の中に紛れ込ませるということだ。
「あそこに日本刀いっぱい刺さってるよ、海里くん」
「見てみますか……」
 海里は一気に全速力で駆け出した爽麻の背中から振り落とされないようにしっかりとしがみつくのだった。