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凍てつかない氷菓子

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【九 襲撃】

 実地検分に入っていた真人から、津田俊光殺害に用いられた武器がレーザーガトリングであることがほぼ間違い無い旨の連絡と、司法解剖結果に脊椎消失の一文が紛れ込んでいた事実が、ルージュの携帯を通じて高層マンション一階ロビーに陣取っている面々に報告された。
「レーザーガトリングに、攻撃対象部位以外の箇所を任意で消し去る機能なんて無かった筈、だよねぇ」
 師王 アスカ(しおう・あすか)がスケッチブックを抱き込むような格好で、思案にふける。彼女のいうように、レーザーガトリングにそのような機能は無い。
 であれば、誰かが意図的に、津田俊光の遺体から脊椎を抜き取ったことになる。一体誰が、何の目的でそんなものを抜き取る必要があったのか。
 その時、捜査部第三班からの連絡を受け取っていたルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)が、険しい表情で駆け寄ってきた。何か、新しい情報でも仕入れたのか、いささか興奮しているようにも見える。
「アスカ、お前の読みは、当たっていたようだぞ」
 ルーツが何をいっているのか、よく分からない。アスカは小首を傾げて、更にルーツの言葉を待った。
「ブルーハーブ総合病院を調べていた緋山と星渡の両名から、とんでもない事実が報告された」
 曰く、二番目の犠牲者であるジェシー・バートンが、殺害される直前に、脳と脊髄の移植手術を実施した形跡が見つかった、というのである。
 アスカは思わず、ごくりと息を呑んだ。考えたくない事態が、彼女の頭の中で非常な現実味を帯びてきた。
 するとそこに、ルージュや美羽といった面々が、アスカとルーツの会話に割り込んできた。
「少し聞き耳を立てさせてもらっていたのだが、随分面白いネタを仕入れてきたそうじゃないか」
 ルージュがにやりと、形の良い紅い唇を歪めた。その様が妙に恐ろしく感じられたのだが、今はそんなことをいっている場合ではない。
 アスカは殺害現場の真人と、ブルーハーブ総合病院の緋山と星渡が寄越してきた情報を頭の中で紐付けた結果を、自身の推論を交えながらルージュに説明した。
「これはあくまでも推測の域を出ないんだけど……津田俊光は、まだ、生きているんじゃないかなぁ?」
 アスカはいう。
 ジェシー・バートンが殺害直前に脳と脊髄の移植手術を施した相手こそ、津田俊光なのではないか、と。
 そして更に、頭部が消し飛んだ上に脊椎までなくなっている津田の遺体は、実は既に脳と脊髄が移植された後の、いわば津田の抜け殻であって、遺体でも何でもなく、単なる用済みの肉体だったのではないか、とも付け加えた。
 美羽とベアトリーチェが、ルージュの傍らでごくりと唾を飲み込む音を響かせている。アスカ自身も、喉がからからに渇く気分だった。
 重苦しい静寂が、その場の空気を支配した。
 誰もが、別の誰かがこの静寂を破ってくれるのではないかと期待したが、しかしその期待を実現したのは、この場に居る者の声ではなく、ルージュの携帯から鳴り響く着信音だった。
 慌てて応答に出たルージュの表情が、見る見るうちに険しい色へと染まっていく。太田を守る護衛部隊からの連絡である。たった今、太田の前にアイスキャンディが姿を現した、というのだ。

     * * *

 ほとんど一瞬にして、太田のプライベートオフィスは火の海と化していた。
「えぇい、火力の差は歴然か!」
 雨霰と叩き込まれてきたミサイルの群れから、辛うじて太田を守りきったエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が苛立たしげに吼える。
 いや、実際にはデーゲンハルト・スペイデル(でーげんはると・すぺいでる)の魔力による援護が、協力にエヴァルトを助けていたのであるが、しかし飛来するミサイルをオフィスの窓際で叩き落すという芸当は、矢張りこのエヴァルトでなければ出来ない芸当であったろう。
 だがそれでも、落とされたミサイルの信管はきっちり作用し、爆発が連鎖的に発生して、太田のプライベートオフィスの窓側一帯が紅蓮の炎で包まれてしまったのである。
 しかしそれでも、夜月 鴉(やづき・からす)御剣 渚(みつるぎ・なぎさ)が、強固な楯となって太田の身を爆炎から守り切っていた。
「向いてないと思ってたけど、案外、やってみれば何とかなるもんだな」
 背中に軽い火傷を負いながらも、鴉は炎に包まれる窓際に一瞥を加えた。渚も間一髪のところで自身の能力を最大限に発揮し、太田に傷ひとつ負わせなかったのを、密かに喜んだ。
「ふっ……この私の前で派手に燃やしてくれたもんだな。上等だ!」
 だが、既にアイスキャンディは窓の外から姿を消している。別の護衛隊員達による迎撃が始まり、空中戦闘を展開し始めていたのだ。
「ちっ……何だ、あの速さは。中には人間が入っているんじゃないのか?」
 宙空を信じられない程の高速で滑空するアイスキャンディを、窓と紅蓮の炎越しに眺めて、エヴァルトが心底苛々した様子で呟いた。
 これに対してデーゲンハルトは、恐ろしく冷静な表情で高速飛行を展開するアイスキャンディを、じっと眺めていた。
「我の箒と偽龍翼で追跡出来るか……と思うておったが、どうもあの速さは尋常ではないな。あの速度で逃げ回られたのでは、とてもではないが追いつけるものではない」
「あぁ、やめた方が良いと思うぜ。下手にあの速さについていこうとしたら、絶対体が持たねぇよ」
 鴉がデーゲンハルトに同意する傍ら、エヴァルトは悔しそうにジェットブーツを装備した自身の脚を、軽く叩いた。
「いや……俺なら何とかなりそうだったんだがな」
 しかし、ジェットブースターもアクセルギアも無い今の彼では、空に出た途端、間違い無く背後を取られて撃墜されてしまうだろう。
 ただやられに行くだけというのは、流石にエヴァルトも馬鹿馬鹿しく思え、飛び出そうという気にはなれなかった。
「その判断は正しい……血の気の多い若者だとばかり思っていたが、流石に冷静だな」
 やっとひと息入れて起き上がってきた太田が、彼を守り切った四人に対し、素直に賞賛を贈った。完全な奇襲という程の一方的な攻撃でもなかったのだが、それでもあの大量のミサイルの群れから、たった四人で守り切ったというのは、これは中々出来る芸当ではない。
「攻めるのが無理なら、せめて徹底的に守りに入るのが吉だな」
「右に同じく」
 エヴァルトと鴉が、今回の襲撃に対する方針を即座に固めた。彼らが守れば何とかなるだろうという前向きな気分が、蹂躙された無残なオフィスの中で、確実に芽生え始めていた。

 イコンを倒せる力があれば、パワードスーツ如きに遅れを取ることはない。
 牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)は頑なにそう信じていた。
 しかしいざアイスキャンディを相手に廻してみると、そんな馬鹿な、或いはこんな筈では、という思いが次々と湧き上がってくる。
 パートナーのナコト・オールドワン(なこと・おーるどわん)ラズン・カプリッチオ(らずん・かぷりっちお)そしてシーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)との四人で、襲い来るアイスキャンディを迎撃し、圧倒的な力で叩きのめす。
 それが当初アルコリアの描いていた青写真であったが、彼女のそんな思いは、アイスキャンディ、即ち試作パワードスーツ『ストウ』の常軌を逸した性能の前では、微塵に打ち砕かれた。
「うぬぅ……まるで駄目だ。抑えられぬ」
 インフィニットPキャンセラーが張り巡らせる広大な結界は、シーマのシーリングランスを始め、諸々の技能を片っ端から封じ込め、彼女をただの木偶の棒へと貶める威力を発揮していた。
 手を焼いているのは、何もシーマだけではない。空飛ぶ箒シュヴァルベでアイスキャンディに迫ろうとするラズンも同様だった。
 ラズンはアクセルギアを活用して何とかアイスキャンディに触れるところまで接近しようと、何度も試みているのだが、全く追いつく気配すら見られない。
「こんなにも素敵な化け物と出会えるなんて……世の中、捨てたもんじゃないわね」
 軽口を叩きつつも、ラズンはアイスキャンディの恐るべき戦闘能力を肌で感じていた。
 アイスキャンディは、ただ単に飛行速度が速いというだけではない。
 傍から見ていれば失速するのではないかとすら思える程の急旋回を見せ、普通であれば可動部がGに耐えられず、間違い無く空中分解を起こすであろう無理な転進角度で、速度を保ったままいきなり飛行経路を変えてしまうのである。
 超高速の標的を狙う場合、そのほとんどは慣性の法則から相手の動きを先読みし、弾速を考慮に入れた弾丸到達点を事前に計算しておかねばならない。
 しかるに、アイスキャンディは慣性の法則を無視するかの如く、超高速のまま自在に宙空を駆け巡る。これでは、アイスキャンディに対する正確な射撃など、如何にコントラクターといえども、まず不可能であった。
「マイロード……このままでは、こちらが全滅してしまいますわ。早く、何か手を」
「そうですね。でも、まさかここまで、こちらの攻撃が当たらないとは予想外でした」
 珍しくアルコリアが仏頂面で、小さく唸る。
 火力は十分な筈であった。しかし、幾ら火力が大きくても、当たらなければ意味が無い。ましてやアイスキャンディのインフィニットPキャンセラーは、こちらの攻撃補助能力、或いは防御能力の大半を無力化してしまっている。
 いわば今のアルコリア達は、単純にコントラクターとして身体能力の優れた人間ではあるものの、攻撃力は皆無に等しい上に、防衛手段を全て失い、ただの的と化してしまっていたのである。
 天御柱と教導団は、よくもこんなとんでもない怪物を造り出したものだと、内心変なところで感心したアルコリアだったが、今はとにかく、この追い詰められた状況を何とか打破しなければならない。
 ところが――。
「あ、マイロード……敵が」
 ナコトにいわれるまでもなく、アルコリアはアイスキャンディが別の相手に攻撃目標を切り替えたことを知った。あの忌々しいパワードスーツは、今やアルコリア達など眼中に無い様子で、高層ビル群の向こうへと消えていってしまったのである。
 総ての人が、正しい。この世にはただ、勝ち負けがあるだけ……それがアルコリアの思想ではあったが、しかしまさか、己が敗者の側に立とうとは、夢にも思っていなかった。
「……敵が変われば、戦術も変わる。ただ単に技能や装備に頼るだけでは駄目だ、ということですね」
 アルコリアのひとことに、シーマとナコト、そして引き返してきたラズン達が沈痛な面持ちで頷く。
 特にアイスキャンディのインフィニットPキャンセラーといった、半ば反則に近い装備を相手に廻す場合、余程知恵を絞って対策を練らなければ、また今回の二の舞であろう。