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ルペルカリア盛夏祭 ユノの催涙雨

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ルペルカリア盛夏祭 ユノの催涙雨
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リアクション

 慎重に慎重を重ねてアドルフィーネ・ウインドリィ(あどるふぃーね・ういんどりぃ)は尾行をしていた。
 対象は、タキシードの男とロリータ服の少女。
 かどわかし事件の犯人と被害者などではない。どちらも身内のようなものだ。
 尾行しているのは、単に彼女の趣味である。
 七夕がどうのと言っていたのを聞いていたアドルフィーネは、二人の行き先に見当はついていたが、その施設のどのコーナーをまわるのかまでは知らない。
 ただ、おもしろいことが起こりそうな予感はしていた。
 もし何も起こらなければ……。
(起こすまでよね)
 ふふふ、と緑色の瞳を細めて怪しく忍び笑いをするのだった。

 つけられているとも知らず、盛夏祭会場を目指すエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)ミュリエル・クロンティリス(みゅりえる・くろんてぃりす)
 エヴァルトは、幼いながら恋愛イベントに興味を示すミュリエルにさせたいようにさせるつもりでいる。もちろん、まだ早いと思われることには触れさせないが。
(子供とはいえ、十歳頃にもなれば恋愛ごとに関心を持つか)
 エヴァルトは思い直し、会場の入口をくぐった。
「どこへ行きたい?」
「大聖堂へ……」
 おずおずと指差したミュリエルの手を取り、エヴァルトは目立つ双塔へ向かう。
 ミュリエルはすれ違うカップル達を見ては、憧れるような眼差しで見送った。
 特に織姫と彦星の衣装のカップルはいつまでも目で追ってしまっていた。
 いつかはあんなふうにエヴァルトの隣を歩きたいと夢見つつ。
 やがて大聖堂の正面に立ったミュリエルは、広場を飾る笹達に目を瞠った。
 まだ雨の名残で水滴のついた笹は、ライトアップにより星を散りばめたようにキラキラと輝いている。
「綺麗ですね……」
「諦めずに待っててよかったな」
「はい」
 大雨になった時は悲しくなったが、ミュリエルは窓にへばりついて雨があがるのを辛抱強く待ち続けた。
 中へ入り、飾り作りの会場を訪れて間もなく、ミュリエルがエヴァルトの手を離して小走りに駆け出した。
 エヴァルトは呼び止めようとして、彼女の向かう先が短冊コーナーだとわかると、何も言わずに見送る。
 おそらく対になっている人型の短冊が気になったのだろう。
 ミュリエルは儚げに見えて中身はけっこうしっかりしている。用事をすませたら戻ってくるはずだ、とエヴァルトは信じて、せめて見つけやすい位置へと移動した。
 ミュリエルはと言うと、エヴァルトの予想通り人型の短冊を手にしていた。
 それはさまざまな色や質の紙でできていて、選ぶのにそうとう迷った。
 気に入った紙と好きな色のペンを手にあいた席に座る。
 片方には自分の名前。もう片方にはエヴァルトの名前。
(本当はお兄ちゃんに書いてほしいですけれど……)
 こういうことは照れてやってくれそうもないことを、ミュリエルは知っている。
 だから、好きな人は困らせたくなくて言い出せなかった。
 名前を書き終わった短冊を背の届く目いっぱいのところに飾る。
 仲良く揺れる短冊に微笑んで、エヴァルトのもとへ戻った。

 二人がブーケ作りコーナーへ行ったのを確認したアドルフィーネは、ミュリエルの短冊のある笹から数本離れた笹に、自分の短冊をつるした。
 正確には、アドルフィーネが書いたエヴァルトの短冊だ。
 その短冊には、こう書かれてあった。
『名前:エヴァルト・マルトリッツ 好み:犬耳ょぅι゛ょ』

 そんなことは知らないエヴァルトは、ミュリエルが「ブーケを作ってみたい」と言うので共にテーブルにつき、コーディネーターのアドバイスを受けていた。
 ブーケの見本やカタログを見るミュリエルだが、その種類の多さにどれにしたらいいのかわからなくなってしまった。
「お兄ちゃんが好きなブーケはどれですか?」
「俺が選んでいいのか?」
「私じゃ決められなくて……」
 ということだが、エヴァルトもカタログ等を見ているうちに、どれがいいのかわからなくなる始末だった。
 彼としてはミュリエルが喜びそうなものを選んでやりたいのだが、悲しいことにこの方面のセンスはまるっきりないことを自覚している。
 それもあって彼女の好きにさせていたのだが。
 結局、二人で額を寄せ合いああでもないこうでもないと話し合っていると、横のほうから遠慮がちに声をかけられた。
「悪い、うるさかったか……うん?」
 声のほうを向き、そこにいたのがミュリエルより少し年下と思われる女の子だったことに首を傾げる。
 頭の上でヒョコヒョコと動く耳が犬っぽい。犬の獣人の子供だろうか。
 女の子はもじもじしながらエヴァルトを見つめて言った。
「あなたが、エヴァルト・マルトリッツさんですか?」
「そうだけど」
「あの、あたし……」
 りんごのように頬を赤くしながら彼女が差し出したのは、人型の短冊。
 そこに書いてある内容に、エヴァルトの顔から表情がこそげ落ちた。

『名前:エヴァルト・マルトリッツ 好み:犬耳ょぅι゛ょ』

(こんなの書いた覚えないぞ。──いや、この字はアドルフィーネか!? こんなことをするのは奴しかおらん! ここにいるのか? ついて来てたのか。今もどこかに隠れて笑ってるな……! とにかく)
 帰ったら説教だ、と硬く決意する。
「あー……あのな、これは……」
 悪戯だと説明しようとすれば、犬耳の女の子はいつの間にかミュリエルと仲良くブーケを作り始めていた。
 『みんな仲良く』を信条にしているミュリエルは、嫉妬や独占欲を抱くことはほとんどなく、それはライバルになるかもしれない相手に対しても効果があるようだった。
 ミュリエルがそうしたいならそれでもいいか、とエヴァルトは女の子を追い返すことをやめた。

 ブーケが出来上がった頃に時計を見れば、そろそろミュリエルが眠くなる時間だった。
 女の子の保護者が来たことに安堵し、エヴァルトはミュリエルの手を取り会場を出る。
「上手にできたな」
「はい」
 彼女のもう片方の手に握られているブーケを褒めると、それ以上に嬉しそうに微笑む。
「……お兄ちゃん、眠い、です」
「今日はたくさん歩いたし、ブーケも作ったからな」
「おんぶ、してくれますか……?」
「もちろん」
 膝を着き、向けられた背にミュリエルは素直に甘えた。
 と、同時に、安心したのか吸い込まれるように眠りに落ちた。
 手から滑り落ちたブーケを拾うエヴァルト。
 ミュリエルが起きないように、ゆっくり歩き始める。
 敷地から出る時、エヴァルトは一度振り返り、甘く楽しい時間を過ごしているだろう人達を祝福した。
「恋する者達に、彦星と織姫に、幸あらんことを」


 シオン・グラード(しおん・ぐらーど)が予約したヴァイシャリーのレストランは、店の雰囲気も従業員の応対も、料理も食器も、すべてにおいて洗練されていたため、彼もレン・カースロット(れん・かーすろっと)も大満足だった。
「何か……いいね。こういうお店での食事も」
「それはよかった。肩が凝るなんて言われたらどうしようかと思ってたよ」
「言うわけないよ! シオンが選んだお店だもん、おいしいに決まってるよ」
「信用してくれて嬉しいよ」
 食後のコーヒーも薫り高い良い豆を使っているようだ。
 二人が着いた頃には降り出していた雨は、いつの間にかあがっている。
 大きな窓の向こうには美しく調えられた庭園が広がり、よく気配りされた明かりが配置されていた。
 室内の照明の反射などで星が見えるかはわからない。

 だから、店を出て空を見上げた時、二人はその光景に息を飲みしばらく動けずにいた。
「すごい星……」
 レンの口からようやく出てきた言葉は平凡なもので、しかし感動のすべてがこめられたものだった。
 夜空を横切る天の川と無数の宝石を散りばめたような星達。
 吸い込まれそうで怖いくらいだ。
「ねぇ、シオン。織姫と彦星の星ってどれかな?」
「え? そうだな……」
 星が多すぎてシオンもすぐにはわからなかったが、頭に星座図を描き、今の時間とを照らし合わせて見当をつけた。
「あれじゃないかな」
「あれかぁ……今頃きっと楽しい時間を過ごしてるね」
 レンは自分のことのように嬉しそうだ。
 どちらからともなく二人は歩き出し、夜でもつまずいたりしないように造られた庭へ向かう。
 上から見たら幾何学模様のようになっている庭だ。樹高もないので迷路にはなっていない。植えられているは薔薇を中心にした、色とりどりの花を咲かせる樹木だった。
 淡い光を放つランプに照らされ、まだ葉に残っている水滴が小さくきらめいている。
 昼間とはまるで違う場所に迷い込んでしまったような錯覚さえ覚えそうだ。
 ささいな音さえ眠っているような夜の庭は、訪れた者を静かに歓迎した。
 繊細な雰囲気のせいか、シオンはレンに対して妙に遠慮してしまっていた。
 それとも、意識しているのだろうか。
 ふと、シオンは唐突に気がついた。
 今まで気に留めなかったのが不思議なくらいだが、彼とレンは年が近いのだ。
 一歳か二歳か。たったそれだけ。
 彼女とのこの距離に急に居心地の悪さを覚えたのは、年の近い女性だと気づいたからだろうか。
(いや、違うな。それなら他の人ともそうなるだろうし。それなら、今になってどうして……)
 シオンは自分の心がわからなくなった。
 レンは、性格の明るい魔女でちょっと甘えん坊で、方向音痴なところがあって、優しいおねーさんが好きで、ゴツい人とギャル男が苦手で、最近は弓の扱いの勉強をしている。
 シオンが知っているレンのことを一通り挙げてみるも、だからどうしたという思いしかない。
(だから……だから、何だか危なっかしくて護らなきゃいけない気になって──)
 ああ、そうか。
 急に視界が開けたようだった。
 見えなかったものが見えた。
(俺は、レンが好きなんだ)
 気がついてみれば、どうして今まで気づかなかったのかと、これまでの己を罵りたくなる。
 何とも思わない女の子を、必死になって護ろうとするだろうか?
 こんなに鈍い自分に、彼女はどんな想いでいつも『好き』と言っていたのか。
 だったら今ここで自分から、とシオンは思うものの、今さら言ってもいいものかと何故か消極的になってしまう。
 シオンの思考がぐるぐるとループを描きかけた時、レンの声がそれを断ち切った。
「あのね、シオン」
 これから告げようとしていることは、もう何度も口にした言葉だが、それでも慣れることはない。
 いつも心の半分は期待で舞い上がり、もう半分は不安に震える。
 受け入れてもらえたら、そんな気ないと言われたら。
 正反対な二つのものがレンの舌を凍りつけようとする。
 けれど、何故か今日はうまくいくような気がした。
「私……私は、あなたのことが好き。ううん、愛してるの!」
 大声ではないが、はっきりと届いた声にシオンの体は何かを思う前に動いていた。
 腕の中にぎゅっとレンを閉じ込める。
 結局受け身だったことに小さく自嘲したシオンは、せめてこれくらいは……と、言葉での返事の代わりにキスで気持ちを伝えた。
 背中に回されたレンの手は、あたたかかった。


 ようやく雨が上がった頃、御影 美雪(みかげ・よしゆき)風見 愛羅(かざみ・あいら)は盛夏祭会場へ向かった。
 門をくぐると係員の人がプレゼントの指輪をどうぞと勧めてきたが、愛羅が断ったので美雪は係員に軽く会釈してその場を後にした。
「よかったの? けっこう綺麗だったのに」
 そう言った美雪に、愛羅はピタリと足を止めると胸元に光るリングネックレスをつまみ、すまし顔で返す。
「私達にはこれがあるじゃないですか」
 これ以上何が必要なのか、と挑戦的にさえ見える。
 彼女が『私達』と言ったように、美雪も同様のデザインのリングネックレスを身につけていた。
 愛羅はエメラルドの、美雪はアクアマリンの石が飾られている。
 それもそうか、と美雪もネックレスを持ち上げ、愛羅の石とカツンと合わせた。
 二人の契約であり、絆であり、始まりの想い。
 これに勝るものがいったい他のどこにあるというのか。
 微笑み合い、二人は日本風の庭園のほうへ歩を進めた。

 庭の構成の中心になる池、起伏のある地形、築山、庭石、季節の草木。灯篭。東屋。
 静かに凝縮された美に心を和ませながら、美雪と愛羅はのんびりと歩く。
「今日はずっとこんな天気かなぁ。まぁ、織姫と彦星もたまには誰にも見られずに、ゆっくりしたいんだろうねぇ」
 ふいに、美雪が茶目っ気たっぷりに言う。
「でも、たとえ雨が降って川の水が増して橋が流されたとしても、俺は泳いででも愛羅に会いにいくよ」
 同じような声の調子で、けれど誠実な眼差しで言えば、案の定愛羅は呆れたような目でため息をつく。
「泳ぐなんて……。私なら、その年は大人しく諦めます」
「愛羅ってふだんは嘘が上手いのに、俺に対してはすごく下手だよね」
 クスクス笑う美雪に、心の中を見透かされていることを突きつけられた愛羅は、頬をかすかに赤くして何かを言おうとしてやめるということを数回繰り返した。
 諦める、なんて言いはしたが、愛羅だって会いたい人に会えないのは嫌なのだ。
(どうしても美雪だけはうまく騙せませんね)
 本当に自分の嘘が美雪限定で下手なのか、それとも彼の観察力が並外れているのかはわからないが、ともかく愛羅がつく嘘はいつも見抜かれてしまう。
 けれど、それを不快だとは思わない。
 相手を特別だと思っているからだろうか。
 情けない顔を見られたくなくて、そっぽを向いてふつふつと考えていると、急に美雪に真剣な声で名を呼ばれた。
 愛羅が振り向く前に、美雪の言葉が届けられる。
「俺、愛羅のこと、好きだよ」
 愛羅は金縛りにあったように動けなくなった。
 まったく考えたこともない台詞だったわけではない。
 答えだって決まってる。
 それは美雪もわかっていた。
 ただ、一度もきちんと言葉にして伝えたことがないから、この日を理由に伝えようと思ったのだ。
 愛羅が動けなかったのは一瞬で、すぐに美雪と向き合うことができたが、いつものように冷静だったかと言われれば、とてもそうとは言えなかった。
 長い沈黙の後、愛羅はそれでも目はそらさずに気持ちを言葉にする。
「そんなこと……知ってます。私も好き、ですから……」
 美雪の心からの嬉しそうな笑顔に、愛羅の口元にも淡い笑みが浮かぶ。
 言ってよかったと思った。
「あ、見て。晴れたよ」
 空を示す美雪の指先を追えば、いつの間にか雲は流れて消えていた。
 見事な天の川が横たわっている。
 愛羅は吸い寄せられるように見入った。
「今日はいろんな顔の愛羅を見れて嬉しいなぁ。来て良かった」
「いろんな顔って……」
「かわいいよってこと」
 目を丸くする愛羅の手を取り、美雪は散歩の続きを促す。
 晴れてなくてもかまわない、と美雪は思っていた。
 織姫と彦星に願わなくても、願いは自分で叶えて想いは自分で届けるものだと思っていたから。
 けれど、こうして晴れて、満天の星の下を好きな人と歩けるのは格別だった。
 天上の天の川と地上の人工の天の川の間、二人は夢の中にいるようなひとときを過ごした。