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【賢者の石】陽月の塩

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【賢者の石】陽月の塩
【賢者の石】陽月の塩 【賢者の石】陽月の塩

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 ■ ひとときの休息 ■
 
 
 
 夕食が終わると、塩作りに協力しに来た人々は部屋に戻ったり、その場に留まってお喋りに興じたりと、思い思いの時間を過ごす。
「夕涼みをされる方はこれをどうぞ」
 メイベルはよく冷やしておいたスイカを切り分けて、皆にふるまった。
 水気のあるさっぱりとした甘味のスイカは、こんな夏には似合いの食べ物だ。
「花火を持ってきたからみんなでやろうぜ」
 ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)は事前にたくさん買ってきておいた花火を手に皆を誘った。
「真白やえーくんは海にも入れないで退屈だったろう? 花火をして楽しもうよ」
「えーくん、ヴィナ・アーダベルトにいわれたとーり、にっちゅうはちゃんとおすなあそびしてたよ。おすなのおしろもつくったの」
 ヴィナの他のパートナーたちは塩作りを手伝ったが、エーギル・アーダベルト(えーぎる・あーだべると)はその間何もしないて良いからと1人で砂遊びをしていた。やっとみんなと一緒に遊べると聞いて、エーギルは目を輝かせる。
「そうだな。この花火は大人しく遊んでいたえーくんへのご褒美だ」
 エーギルの頭を撫でてやってから、ヴィナはアゾートにも声をかけた。
「アゾートちゃんも一緒に花火しないか?」
「ありがとう。でもボク、ちょっと砂の様子を見て来たいから」
「良い息抜きになると思うよ。ずうっと同じことばかり考えてると思考が凝り固まっちゃって、いい考えも浮かばなくなったりしないか? 無理にとは言わないけど、もし気が向いたらおいで。浜辺でやってるから」
 無理に誘わずそう声をかけると、アゾートは今度は素直に頷いた。
「うん。だったら砂の様子を見た後にでも行ってみるね」
 そう言ってアゾートは外に出て行った。
 その後をエリセル・アトラナート(えりせる・あとらなーと)が追って行こうとするのを見て、トカレヴァ・ピストレット(とかれう゛ぁ・ぴすとれっと)が苦笑した。
「そんなにアゾートさんが心配なの?」
「ええと……アゾートさんは何だか賢者の石に対して執念深いというか……なんだかちょっと心配になるんですよね」
 せめて気晴らしに何かしてあげたいとエリセルは答えた。
「夜の海岸を散歩でもして、アゾートさんの執念を少しでもやらわげられればと思うのですが……まあ、拒否されたらそれまでですけれどね」
「そう。いってらっしゃい」
 いったんはエリセルを送り出したが、トカレヴァはその後をすぐに追う。エリセルがアゾートを心配するのは分かるけれど、そんなエリセルがトカレヴァは心配なのだ。
 エリセルに害をなす者がいたら容赦なく攻撃する構えで、トカレヴァはこっそりと彼を尾行していった。
 
 
「ん〜っ、何して過ごそうかな〜?」
 花火に行くにはちょっと疲れているけれど、寝てしまうにはまだ早い。ミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)がどうしようかと考えているところに、志位 大地(しい・だいち)が部屋から戻ってきた。
「合宿の夜といえばカードゲームですよね」
「トランプ?」
「いいえ、UNOですよ」
「UNO……? 何なんだ、それは? やった事ないんだぞ」
 ロレッタ・グラフトン(ろれった・ぐらふとん)が大地がケースから出したカードをのぞき込む。トランプよりもずっと単純化されたカラフルなカードだ。
「ミレイユさんは知っていますか?」
「ううん、ワタシも初めて見たよ〜。でも何だか面白そうなカードだし、それで遊びたい♪ ルールは難しいのかな?」
「ハウスルールは色々ありますが、基本は簡単ですよ。場に出ているカードと同じ色か同じ番号の手札を出していく。出せるカードがなかったり、あっても出したくなければ山札から1枚取る。順番にカードを出していって、手札が無くなった人が勝ち、というゲームです」
 大地の説明を聞きながら、ロレッタはカードを眺めた。赤青黄緑の4色のカードそれぞれに1桁の数字が書かれている。
「それ以外に、手番を反対回りにするReverseカード、次の人の順番を飛ばすSkipカード、次の手番の人にカードを2枚引かせるDraw Twoカードが役札として入っています。それと、いつでも出せて場札の色を好きに指定できるWildカード。そして出せるカードが無い時だけに使える、現在の場札の色を指定できる上に次の手番の者に山札から4枚取らせるWild Draw Fourカードがあります」
「要するに、相手を邪魔したり自分を有利にしたりする特別のカード、ってことね」
 UNOはやったことがあるメーテルリンク著 『青い鳥』(めーてるりんくちょ・あおいとり)が横から口を添えた。
「うー、難しそうなのだぞ」
「実際にやってみると簡単ですから、細かいルールはお試しプレイしながら教えますね。それで感覚をつかんでください」
 大地は良く切ったカードを、ミレイユ、ロレッタ、、自分、と順に手札が7枚になるように配り、カードの出し方、役札の効果等を教えていった。
「うん、なんとなく分かった気がする。ロレッタは?」
「ふんふん、ルールはだいたい飲み込めたんだぞ」
 ミレイユとロレッタがルールを理解すると、大地はおもむろに魔法のクーラーボックスを出した。
「ではこれを賭けて勝負といきましょう」
 開けて見せた中には、ムースやババロア、プリン等の冷たいスイーツが詰まっていた。
「わぁ美味しそう。もしかしてこれ、大地さんの手作りなのかな?」
「勿論そうですよ。腕をふるいました」
 ミレイユに大地が答えると、ごくり、とロレッタと青い鳥が同時につばを飲む。
「食べたいんだぞ」
「美味しそうね」
 青い鳥も大地のお菓子は大好物だ。もともと負けず嫌いだから勝負事には本気を出してしまう性格なのだけれど、その上に大地の手作りお菓子がかかっているとなれば余計に負けられない。
 やる気満々のロレッタと青い鳥に、これは自分も負けていられないとミレイユもはりきった。
「ではカードを配りますよ」
「あ、ちょっと待っててくれるかな」
 ミレイユはちょっと離席すると、敷物とランプを持ってきた。
「テーブルじゃなくて、床に直接座ってやろうよ〜」
 敷物の上に4人で輪になって座る。その際に大地はさりげなくロレッタの隣の位置を確保しておいた。
 それぞれの手札を配ると、大地は山札を1枚めくった。
 赤の2からのスタートだ。
 前の人が何のカードを出すか。相手が場に出すカードに一喜一憂しながらゲームは進む。
 青い鳥は手持ちのカードを穴が空くほど眺めた後、山札から1枚引いた。
「良かった、あったー」
 ミレイユがほっとした様子でカードを出せば、大地は余裕でカードを置く。
 続いてロレッタがカードを出そうとするのを大地がすっと手を出して押しとどめた。
「スキップですよ」
「あ……」
「じゃあ私ね」
 青い鳥は今度はカードを出し、ミレイユは出せずに1枚引き、大地はまたスキップのカードを出す。
「う〜、また飛ばされたんだぞ」
 ロレッタを飛ばしてまた一巡りし、大地が出したカードはまたもやスキップ。
 3度目にはすっかり涙目になってしまったロレッタに、青い鳥の心は揺らぐ。
(か、可愛い……)
 連続で飛ばされて悔しくて、ロレッタは唇を噛んでぶるぶる震えている。でもルールだからと我慢して、けれどお菓子が気になってちらちらとクーラーボックスの方に目をやって。
 リバースで反対回しにしようとしていた手をそっと、青い鳥は隣のカードに移した。
 ロレッタには可哀想だけれど、いぢめられている様子が可愛くて可愛くて。もうしばらく見ていたいと思ってしまう。
 その後は大地のスキップも尽き、ゲームは普通に続けられていった。
 ロレッタは手持ちのカードを見て、これなら大地に勝てるかも知れないとこっそり微笑んだ。
「Draw Twoなんだぞ」
「ええっ……」
 青い鳥は驚いて見せた後、してやったりという笑顔になってカードを置いた。
「私もDraw Two」
「わ、4枚も引くのはやだよーってことで、ワタシもDraw Two」
 自然と皆の視線が大地に集まる。ここで大地がカードが出せれば、大量のカードはロレッタに。出せなければ大地が引くことになる。
「参りましたね」
 大地はカードは出さずに大量ドローする。
「どうだ、大地。少しはロレッタのことを見直したか?」
「ええ。今回は完敗ですね」
 その直前、さりげなさを装って大地はロレッタに手札の中身をさらした。
 そこにWild Draw Fourカードを見つけ、ロレッタは敷物の上の足をじたばたと動かした。
「うーうーうー。大地のやつ〜、カードがあるのに出さないだなんて、またロレッタをバカにしてぇ〜っ」
「ロレッタ、きっと大地さんは気を遣ってくれたんだよ」
 ミレイユが宥めるが、ロレッタはすっかりふくれっ面ですねてしまう。
「うー、千雨も何とか言ってほしいんだぞ。……千雨?」
 黙りこくっている青い鳥にロレッタが首を傾げた、その時。
「あああ、もう我慢できないわっ」
 青い鳥は持っていたカードを放り出してロレッタを抱きしめ、ほおずりする。
「ち、千雨? そんなにぎゅうぎゅうしたら苦しいんだぞ」
 そんな様子を目を細めて眺めると、大地は魔法のクーラーボックスからお菓子を取り出した。
「甘いものを食べて仕切り直しといきましょうか。今度は手加減無しの真剣勝負でいきますからね」
 ひんやりデザートを前にすると、ロレッタのふくれっ面が途端に笑顔になる。その変化がたまらなく大地のいぢめ心をくすぐっていることにも気づかずに、ロレッタは大きな口をあーんと開けてスイーツを美味しそうに食べるのだった。
 
 
 
 浜辺にやってきたヴィナは、沢山買ってきた花火の包みを広げた。
「これが『花火』?」
 花火を見たことのない貴志 真白(きし・ましろ)は珍しげに眺めた。
 細長い棒のようなもの、小さな箱のようなもの、紙をねじって作ったような弱々しい見かけのもの……様々な形のものがある。そのどれもが、ヴィナが日本から取り寄せた花火だ。
「私も花火を見るのは初めてですね。これは日本が発祥のものなのでしょうか?」
 ウィリアム・セシル(うぃりあむ・せしる)の質問に、ヴィナは違うよと首を振る。
「だけど、日本の花火が世界で一番綺麗なんじゃないかって俺は思うよ」
 そう言ってヴィナはエーギルに手持ち花火を持たせて火をつけた。
 燃え移った火は花火の先の薄紙を焦がし、中の火薬に到達すると火花を噴き出した。
 ぱちぱちと音を立てて弾ける光の花が美しい。
「いろんな色が弾けてるね。どういう仕組みなのかな」
 花火から目を離せずにいる真白に、ヴィナが説明する。
「詳しいことは俺も知らないけど、火薬の配合じゃないかな」
「へー、火薬の配合でこういう光とかが出るんだー。地球の人はよく考えてるねぇ」
「火薬など物騒な印象のものですが、それがこのような色鮮やかな光を生み出すのですか。何だかとても美しいですね」
 ウィリアムも実際に手にとって花火をやってみた。
 どの種類のものもそれぞれに、華やかだったり変化が面白かったりで目を奪われる。
「ああえーくん、花火は1本ずつ。たくさん持つと危ないからな。真白、花火は振り回すなよ」
 たくさん手に持って火を付けようとしているエーギルを止め、花火を回して闇に光の奇軌跡を描いて遊んでいる真白に注意し、とヴィナは自分でゆっくり楽しむ暇もなく、世話係に回っている。
「花火は皆で楽しむものだから、自分たちだけで楽しまないようにするんだよ。ああ、燃え殻はこっちにまとめておいてくれよ。間違っても海に投げ捨てたりしないようにね」
 あっちを回り、こっちに声をかけ、しているヴィナを呼び止め、真白は噴出花火の箱を見せる。
「ヴィナ、この花火はどうやってやればいいのかな?」
「ああ、これはこうやって……ああ、えーくんは危ないからもう少し離れてるんだよ」
 箱を地面に置いて導火線に火を付けると、花火が噴きあがる。
「俺、この花火気に入ったなー。華やかで綺麗だよね」
 勢いよく上がる火花の噴水に、真白は目を輝かせた。
「えーくんは、パチパチがたくさんでるはなびがすきだよぅ」
 エーギルはカラフルなススキのように火花を吹き出す手持ち花火がお気に入りだ。
「俺は線香花火が好きなんだけど……」
 ヴィナが言うと、エーギルが小首を傾げる。
「せんこーはなび? なんだかさびしーかんじがするから、えーくんはあんまりすきじゃないよぅ」
「悪くはないんだけど、僕ももうちょっと華やかな花火の方が好きだな。だって、線香花火って何だか弱々しいんだもん。もっとパーッとしたもののほうがいいな」
 真白にも言われ、子供はやはり派手な花火が好きなんだろうなと、ヴィナは線香花火を手に取った。
「私は線香花火が一番気に入りました。とても繊細で美しいと思います」
「ウィリアムもそう思うか? だったら一緒にやろう」
 燃えた火が玉になり、パチ、パチ、と繊細な火花を散らす。
「明日もまた塩作りだから、いい結果が出るように線香花火に願掛けでもしておこうかな」
 願掛けが終わるまで玉を落とさずにいられたら、塩作りは成功する。
 ヴィナは線香花火を揺らすまいと息を止めて見守った。
 
 
 
 そこここで花火をしている光が目に映る。
 日中塩作りの手伝いをしていてさすがに疲れた様子だった蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)は、花火をすると聞いてすっかり元気復活。どの花火にしようかと、うきうきと花火を選んだ。
「これにするー」
 花火に火を付けようとする夜魅が危なくないように、ティアン・メイ(てぃあん・めい)は火を調整してやった。
 お茶会の時には慣れない赤ちゃんに翻弄されたり、とんでもないことを知られたりでおかしなところばかりを夜魅たちに見せてしまったティアンだけれど、パートナーの高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)といる時にはしっかりした雰囲気だ。弟のように思っている玄秀の前では、姉代わりとして無様な姿など見せたくはない。
「やっぱり夏は花火よね」
 昼間、クラゲ退治をしている時はつまらなそうな顔をしていたポーレットだが、花火をしている時は嬉しそうだ。
 夜魅と花火の綺麗さを競っているポーレットを見て、花火に誘って良かったとコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)は微笑した。
「昼間は遊んでいる時間はありませんでしたものね」
 海で遊びたかったのではないかと聞いたコトノハに、ポーレットはあたり前よと答えた。
「折角海に来たからには遊びたいわよ。海には入れたけど、クラゲ退治じゃつまんないわ」
 今日は来られなかったフウリに、自分の代わりにと頼まれて、ポーレットはしぶしぶこの塩作りに参加している。断るとフウリがうるさいからという理由での参加だから、一応ちゃんと手伝いはしているけれど、気乗りしない様子なのがありありと分かる。
「ポーレットはイルミンスールの生徒なのに賢者の石には興味がないのかしら?」
「ないわ」
 ポーレットの返事はにべもない。
「どうしてなのでしょう? もしかして賢者の石は創って良いものではないから、という理由とか……?」
「賢者の石に興味がないっていうより、あたしは錬金術が嫌いなの。ああいう、きちんと重さを量ったり時間を計ったり、細かい作業をするのって、イライラしてくるからだいっきらい」
「ではアゾートさんはどうして賢者の石を創ろうとしているのでしょう?」
 その辺りのことをポーレットが知っていないかと期待してコトノハは聞いてみたけれど、ポーレットの答えはあっさりしていた。
「そういうちまちましたことが好きなんじゃないの? フウリも錬金術は好きだって言ってたし、ほんと、物好きな人っているものね」
「ちょっと心配なんだけど……もし賢者の石が完成した場合はそれを奪うための戦争が起きないかしら?」
「知ーらない。あたしには戦争を起こしたがる人の気持ちなんて、錬金術をしたがる人の気持ち以上に分かんないわ」
 不安そうなコトノハをよそ目に、ポーレットは花火に夢中。1つ終わるとまた次と、花火に火をともしては夜魅と一緒に目を輝かせた。
 
「ママ、これやりたい!」
 最後に夜魅が手に取ったのは打ち上げ花火だった。
 導火線に火をつける際には怖そうにしていたけれど、次々に花火が空へ打ち上げられるとそのたび歓声を挙げて夜魅は見とれる。
 勢いよく打ち上げられる花火とともに、夜魅の辛い気持ちも吹き飛んでくれるようにとコトノハは祈った。
 打ち上げ花火が終わると、ティアンは慌てたように周囲を見回した。
「ティアンお姉ちゃん、どうしたの? ……あれ? 玄さんがいない」
 夜魅も玄秀を探してきょろきょろしたが、どこにも姿が見えない。さっきまで、確かにティアンのすぐ横にいて花火を眺めていたのに。
「どこに行っちゃったのかしら……」
「ここは私たちで片づけておきますから、ティアンさんは玄さんを探して下さいな。さすがに迷子なんてことはないでしょうが、何かに巻き込まれていると大変ですから」
 コトノハの言葉にすみませんと頭を下げると、ティアンは玄秀の姿を捜しながら砂浜を歩いていった。
 残ったコトノハと夜魅、ポーレットは花火の燃えかすを集めて帰り支度に取りかかる。
 と、夜魅が海を指さした。
「ねえママ、海が蒼く光っているよ! ……なんだろう?」
 夜魅が指さす海には、青紫の光のかたまりがあった。
「あれは海ほたるですね。夜魅は見るのは初めてだったかしら?」
「うん。きれいな光だねー」
 まるで海に開く静かな花火みたい、と夜魅は片づけをする手を止めてしばし海ほたるの光に見とれた。
 
 
 
 花火に興じる人の声が陸風に乗って聞こえてくる。
 けれどそちらに視線を向けることなく、三笠 のぞみ(みかさ・のぞみ)は空を見上げた。
 大きな浮き輪に身を預けているから、ぼんやりしていても沈むことはない。
 気づかぬうちに日中の作業で日焼けしていたのか、ひりつく肌には冷たすぎる海水が丁度良い。
「きれいなお月様……」
 こうして見上げていれば月は月。けれどこの月は地球から見るような天体ではない。
 そしてこの地もまた、地球に似たところも多いけれど地球では無い。
 地球にある実家からは……正確に言えば父親からは、相変わらず帰ってこいと言われているけれど。
(むしろ、悪魔と契約したことがバレたら勘当されたりして……)
 父親の知らないうちに、のぞみは悪魔と契約を結んでバートナーとなった。そのことばかりでなく、パラミタでの出来事には父親には話せないものもある。娘が知らない世界でどうしているのかと思われてしまうのも無理はないかも知れない。
「でも……」
 のぞみにはここでやりたいことがある。
 まだ帰るわけにはいかない。
「皆ともっと仲良くなって、力を合わせてがんばらなきゃね」
 ちゃぷ、と水を掻いて、のぞみは月を眺め続けた。
 
 そんなのぞみの様子を、ミカ・ヴォルテール(みか・う゛ぉるてーる)は浜辺で見守っていた。その隣ではロビン・ジジュ(ろびん・じじゅ)が手持ちぶさたに立っている。
 ミカは昼間のぞみと共に救護の仕事を手伝っていたのだけれど、その間ロビンは姿を見せなかった。今日の作業が終わってから、ふらりとどこからともなく戻ってきたが、どこでどうしていたのか話はしなかった。
 一体ロビンが何を考えているのか、ミカにはさっぱり分からない。分からないからこそ、何となく気に入らなかった。
 けれど、のぞみもロビンとの契約を認めたことだし、自分も彼に歩み寄るべきではないかとも思う。
 こうして2人でいる今はその良い機会かも知れないと、ミカは意を決して話を切り出した。
「あんたはどうしてのぞみと契約したんだ?」
「契約した理由? 仲良くなって魂が欲しかったからです」
 えっ、とミカはまじまじとロビンを眺めた。
「のぞみの魂をか?」
「はい。僕は悪魔ですから魂は欲しいですよ」
 ロビンはのぞみやミカのことを友人だと思っている。けれどそれはそれとして、魂は欲しい。
 それに、精霊のミカはさておき、地球人ののぞみなんてすぐに死んでしまうだろう。だから元気なうちに魂にしてそばに置いておきたい。
 返事を聞いたミカがあんまり驚いた顔をしているので、ロビンは面白くなってミカをからかった。こちらの言うことに反応して、からかわれたのぞみやミカが当惑したり驚いたりしてくれることが楽しい。
 少し感覚は違うかも知れないけれど、ロビンはロビンとしてのぞみとそのパートナーを気に入っているのだった。
 
 
 
 
 マナ・マクリルナーン(まな・まくりるなーん)に送られてテスラ・マグメル(てすら・まぐめる)が手伝いにやってきたのは、もう皆が花火を終えて戻ってくるころだった。
「すみません。歌の仕事があったものですから、日中のお手伝いが出来なくて」
 今日も明日も歌の現場がある為に、テスラは塩作りの手伝いは出来ない。
 何か手伝えることは、と見たテスラは戻ってくる皆のテンションが上がっている様子に気が付いた。
(塩作りは明日もあるのに、このままでは子供たちを寝かしつけることが出来ませんわね)
「ここは一つ、夏の定番、怪談でもいかがでしょうか」
 上気した身体を冷ますために、とテスラは怪談を話し始めた。
 たっぷりと情感をこめてテスラが語る怪談は、途中途中に織り込んだ恐れの歌の効果もあって、聞く者の背筋をぞっとさせた。
 最後にささやくような声で、
「そしてその扉を開けると……」
 と言った後、テスラはワンテンポおき、それから……。
 驚きの歌で悲鳴を響かせた。
 雰囲気は出たけれど、このままでは夜中にトイレに行けなくなる子が出てくるかも知れないから、最後には幸せの歌を歌っておく。
「というのは、勿論すべて作り話……かもね。さあ、少しは落ち着きましたか? でしたら寝る準備をしましょうね」
 聞いていた皆を部屋へと促すと、テスラはキタラで静かな曲を奏でた。
 皆が寝静まっただろうと思う頃に演奏をやめると、テスラは今度はキッチンに立って朝ご飯の下ごしらえを始めた。その手をマナが止める。
「それは私が引き継ぎます。お嬢様はその間に仮眠をとって下さい。こんなに無理をして……と今更くどくど言っても無駄なことは、勿論重々承知しておりますが」
「別に私自身、無理してるわけではありません。したいことをしているときって疲れないんですよ」
 忙しい仕事の合間に駆けつけて動き続けているとは思えないくらい、テスラの表情は明るい。
(まったく、こんな夜更かしをしているだなどと、大旦那様にはとても報告できませんね……)
 マナはテスラに代わって下ごしらえを終えると、さっさと帰り支度をした。
「では、ごきげんよう」
「それではみなさま、おやすみなさいませ」
 ステージでするような見事な礼をすると、テスラはマナに送られて明日の現場へと向かったのだった。