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リアクション
序章: 野菜戦国武将伝
腹が減った……とても減っていた……。
全てはそれだけのことだったのだ――。
○
堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍するが堪忍。 ――徳川家康
普通に我慢が出来るような事柄を我慢するのは誰にでもできる。我慢できないようなことまで我慢するのが本当の我慢なのだ。と、かの徳川家康は詠みました。
戦国の世を忍耐に忍耐を重ね、最後に天下を取った彼らしい句でありましょう。
そんな家康にちなんで野菜に名をつけていた、シャンバラ教導団の瀬名 千鶴(せな・ちづる)は、ジョージ農園にやってくるなり、暴れる野菜たちを前にがっくりと膝をつきうなだれてしまいました。
普段冷静な彼女も、今回ばかりは我慢できぬとばかりに大落胆です。
「ああああああ……! 私が手塩にかけて育てた岡崎大根衆が……」
松平元康の正室の英霊を名乗る彼女は、ジョージ農園の一角を間借りし、大根を植えそれはそれは大切に育てていたのでした。
一本一本に名前を付け、まるで息子のように愛情を注いでいたのです。
それが、収穫の日にやってきたらご覧のあり様です。
どういうわけか野菜がモンスターと化し暴れています。
あたり一面、戦場です。野菜同士がぶつかり合いつぶしあう戦国時代なのでした。
もはや野菜ではありません。早急に処分しないと大変なことになってしまうでしょう。
でも、そんな無情なことが千鶴にできるわけがありませんでした。
「すまん、千鶴殿。わしがもう少ししっかりしておれば……」
ジョージ爺さんは、涙ながらに謝ることしか出来ません。
どうにも手の打ちようがなく、おろおろするばかりです。
あまりのことに憔悴しきってさらに何年も老けたように見えます。空を眺めれば、死兆星まで見えることでしょう。
「借金はなんとしてでも返済するゆえ、ご勘弁くだされ」
「あなただけが悪いわけじゃないわ。わかってる、運がわるかったのよ。それよりも、私の育てた松大根信康は無事なの!?」
せめてもの無事を確認しようと千鶴は、戦場の中、岡崎大根衆を探します。
「うおりゃああああっっ! 皆の者続け! 突撃じゃあああっっ!」
見つけました。
少し離れたところで、勇猛な雄たけびを上げながらキュウリ軍団に突撃しているのは、まぎれもなく信康でした。無事でした。そして岡崎大根衆も。
ぼぎぎぎぎぎ……! まりまりまり……っ!
信康たちの猛烈な攻撃にニンジン軍団第十七部隊は、断末魔の悲鳴を上げて壊滅してしまいました。
強い! 圧勝です。さすが信康です。顔つきも凛々しく立派な若武者です。
たくましく育った息子たちに、千鶴は喜んでいいやら悲しんでいいやら。
元気でいてくれれば、これはこれでいいような気もしないでもありません。
が、そんな思いもつかの間。
サクリ、サクリ。
何が起こったかわからないうちに、岡崎大根衆が次々に切り刻まれていきます。
「うわあああああんっっ! 何すんのよ、私の可愛い息子たちに!」
気配を感じて顔を上げると、そこには千鶴の相棒のテレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)がチェインスマイトで大根を切り刻んでいるではありませんか。
「名残惜しいのはわかります。でも、愛情が深いからこそ、ひと思いに処分してやるべきなのではありませんか?」
テレジアは、敢えていつもより冷たい口調で告げながらも、彼方に視線をやりました。
その先には、今回の野菜騒動を聞きつけた野菜狩り御一行様がやってくるのが見えます。
果物狩りのツアーよりも気合入ってます。きっとたくさん刈っておいしく召し上がることでしょう。
千鶴の育てた信康もターゲットなのです。ならば、せめてこの手で……。
「……」
サクサク、サクリ。
あっという間の出来事でした。千鶴が決意を下すより先にテレジアが信康を切り刻んでいました。
「あ、あああああっっ!」
松大根信康、死す……。享年0歳。岡崎大根衆共々、天下を統一することなくジョージ農園の土へと還ったのです。
「土には還りませんけどね。志半ばで散って逝った彼らの為にも、立派な鰤大根を作って供養しましょう」
テレジアは失意の千鶴にそっと手を貸しました。
「……」
千鶴は気丈に顔を上げました。信康の死を無駄にしないためにはこんなところで落ち込んでいる暇はありません。
「さあ、ジョージさんも立ち上がりましょう。きっと花咲く明日がきます」
単なる慰めではなく、力のこもった口調でテレジアは言いました。
「……そうじゃな。ありがとうさんよ。わしも頑張るとするよ」
「では、とりあえず出来ることから片付けていきましょうか」
テレジアらは、料理をするためにテントへと向かっていきます。
上手くすればこの大根の売り上げで、ジョージの借金返済のたしになるでしょう。
ならぬ堪忍するが堪忍。
家康がそうであったように、千鶴もそしてテレジアも忍耐の果てに何か大きなものを手に入れるのかもしれません。
かくして、このお話はこんな風に始まるのでありました。
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