|
|
リアクション
3
「それがしオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)、リンスきゅんの御危機を聞き、タシガン島より 泳 い で 参 っ た !!!」
「え、鯉って海水無理でしょ?」
「………………」
「淡水魚だから」
オットーの発言からリンスの返しまで、ああ、一言一句違わず、なんというデジャヴ。
およそ二年前のことを思い出し、南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)はあの時のように「へーへー、ほー?」とからかいを含んだ相槌を打った。相変わらずの空回りっぷりである。
さて、本日タシガンからヴァイシャリーまでえっちらほっちらやってきた理由は、なんともメルヘンでファンタジックに『御神託』。
受けたのはオットーで、巫女としての修行の成果が実ってのことらしいが、傍観者である光一郎からすれば「ただ単に会いに来る口実が欲しかっただけじゃねぇの」である。しかし事実こうして、
「やだーリンスきゅんったら女の子じゃないすかぁー。かぁわいいー」
可憐な少女の姿なわけで。からかって頬をつついてみると、ものすごく嫌そうな顔をされた。満足して離れる。
本当に御神託を受けたのだろうか。という考えが一瞬過ぎったが、オットーを見てそれはないな、と思った。リンスに対して息を荒くし顔を赤らめ、もじもじした末に開き直ったかのように開眼、両手を握って「結婚式であろう!」と息巻く鯉に神のお告げが降りるなら、このパラミタの地には神の子で溢れ返るに決まってる。オットーのアレは、欲望と偶然の一致。あるいは嗅覚だ。
――ほら、よく海から戻るとき川の匂いをかぎ分けるとか言うじゃない?
ねえ、と内心納得していると、
「これこそ男女のあるべき姿! さあリンスきゅん、今すぐ結婚式を――」
オットーのテンションがゲージを振り切っていた。これ以上許すと非常に犯罪臭い。いや別に、構わないといえば構わないのだが。
「まあまあ鯉くん落ち着け」
「何をする光一郎! それがしはリンスきゅんと結婚式を挙げるのだ!
結婚式――今でこそかの儀式はこのような字を宛てているが、かつては血痕屍鬼と呼ばれており、タシガンの吸血鬼の間に古くから伝わる」
瞬間的にこの口上が途轍もなく長くなるものだと(そして語ることに熱中するであろうことを)察した光一郎は、オットーの腕を掴んでちょいとずらし、リンスの対面を我が物にする。
「千尋の崖の下に落とされた適齢期の男女百人が死闘を繰り広げ、残った一名だけ優秀な子孫を残せるとして伴侶を得られ――」
予想通り喋り続けるオットーを無視して、光一郎はにっこりと笑う。
リンスが一歩後ろに引いた。よからぬ気配を察知したらしい。しかし逃げることくらい光一郎にだって予測できているのだ。手を握って離さない。
「あの。えー……セクハラ」
困った末に出たらしい発言を笑い飛ばし、
「じゃじゃん。これな〜んだ」
懐から小瓶を取り出した。
中身は、透明な水。リンスがはてと首を傾げる。知らないようだ。
小瓶の中身は、《桃幻水》。
「これをひとたび飲み干すと、」
どうなるかは、今からお見せいたしましょう。
ごくり、一息に飲み干すと。
「あら不思議。リンスきゅんがよく知った南臣お兄さんは南臣お姉さんに大・変・身☆」
性転換可能、といったシロモノなのだ。原理はよくわからない。
リンスはというと、先ほど頬をつついた時よりも数段嫌そうな顔をしていた。数秒後、深く長いため息を吐く。
「……えー、いや、……えー。……もうそういう展開やめようよ何これ……」
「あらやだーリンスきゅんお悩み? お疲れなのね〜じゃあ今日はこの南臣お姉さんに全て委ねてごらんなさいよ、ウフフウフフ〜」
「うわあ気持ち悪い……」
「ちょっとツッコミのキレ悪いっすよ。もっとしっかりしゃっきりしてよねぇ〜」
「中途半端なオネエ口調がなんかもうね」
「じゃあリンスきゅん、ハンパな私を女にしてよ」
「やめてその誤解を招きそうな発言」
「ウフフフフ。さあこれから何をしましょうか。女子会でもいっちゃう? やっちゃう? 最近よく見るけど普段は頼みづらいんすよねぇ、この際だからやっちゃいましょうそうしましょう」
嫌がらせ目的の変身だったが、いざやってみると思った以上に楽しい。あと変身してみてわかったのだが、
「巨乳って肩凝るって本当だったんすね。重いわー」
「知らないよ」
「あっ、ちっぱい? リンスきゅんちっぱいなの? ぷぷー」
「本当に小さい人に怒られるんじゃ」
「大丈夫、俺様大きいのも小さいのもイケる口っすから。リンスきゅんも例外でなくてよ」
「心底どうでもいい」
「そんなのはとにかく、女子会っすよ」
「しません。やりたかったら一人でやって」
それじゃ『会』じゃないじゃないか。ぶーたれたが、リンスの返答も態度も一向に変わらなかった。本当につれない男(いや、女?)である。
「可愛いんだからもうちょっと愛想よくすればいいのにぃ」
やーね、と肩をすくめる光一郎の後ろで、オットーが『血痕屍鬼』について、未だに語っていた。
*...***...*
『マジか!』
電話が鳴って、受話器を上げると何の前振りもなくウルス・アヴァローン(うるす・あばろーん)が言った。
「何が」
静かにリンスは問い返す。
『リンスが女の子になったとか』
「否定したいんだけどね」
答えに、電話の向こうから『ぶっ』と吹き出す息の音。声は途切れる。さては笑いを堪えているな?
少しむっとしていると、その雰囲気をすぐに読んだらしく、『違う違う』と否定された。
『笑いをこらえてたワケじゃないんだぜ?』
「じゃ、何」
『……実はよ。俺も魔女の魔法で同じ目に遭ってんだ』
そんなまさか、と言いかけて。最近ウルスがリィナをよく連れ歩いているらしいという話を思い出す。
――ああ、まあ、からかわれても仕方がないか。
内心で、ご愁傷様、と呟いた。理由をわかっているのかいないのか、ウルスは『俺が何をしたってんだよ』と愚痴っぽく声に出す。
「ただの気まぐれでしょ」
『かなぁ。ま、こんな機会そうねーし。折角だからマナから道具借りてメイクでもしてみっかなーとか。道具、持ってったらやる?』
「やらないよ」
『リンスも、これを機に女の気持ちってのを理解しないとな!』
「人の話聞いて?」
『……いや、ホントになぁ』
不意に、声の感じが遠くなった。彼が誰を思っているのか。理解したいと願うのか。察するのはいとも容易い。
「…………」
返す言葉が見当たらず、ふ、と黙ると。
『おっと。お前が考えるべきなのは、お前の周りにいる女の子たちのことであって、リィナのことじゃないぞ?』
「知ってるよ。姉さんにはアヴァローンがついてる」
『……おお!? 義弟からのお墨付き!?』
「それはまだ早い」
まったく、油断も隙もない。電話の向こうから聞こえる『だよなー』という明るい笑い声を聞きながら、思った。
『……そういえば、未だにリィナのことを男同士で話したことなかったよな』
「俺がアヴァローンの気持ちを知ったのが、そもそも最近だよ」
あの日、姉と再び合い見える瞬間まで、隠し通していたのは誰だったか。
ウルスもリィナも、自分と違って隠し事が上手いらしい。
『まぁ、いつか話すわ。……しかしこれ、ホントに元に戻れるのかよ……』
後半の調子は、彼にしては珍しく悲観的な声だった。不安、なのだろうか? 問う前に、答えが返ってきた。
『戻れなかったら今晩のデートに行けないぜ? 頼むよ魔女さん……』
なるほど、合点がいった。
そして、だからこそ今日、彼女は事に及んだのだと。
「もしかして、俺の方こそとばっちりだったんじゃないかな……」
ぼそっと低く呟いた声は届かなかったらしく、電話の向こうからは『え?』という間の抜けた声が聞こえてきた。