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第一章 花のお江戸と関ヶ原 一

「……で、これだけの量になったというわけか」
 げんなりした表情で、源頼家は目の前に積まれた資料の山を見つめた。
「そう言われてみると……思った以上の量になりましたわね」
 風羽 斐(かざはね・あやる)の指示で図書館や書店などを回り、その資料の山の一角を形作った朱桜 雨泉(すおう・めい)にとっても、さすがにこれは想像以上であった。
「しかし、この資料……よく見るとなかなか珍しいものも混ざっているな。誰がどこから集めてきたんだ?」
 雨泉が集めてきた意外の資料に目を通していた斐が怪訝そうに言うと、猿飛 佐助(さるとび・さすけ)が楽しげな様子で手を上げた。
「あ、それは私だよ。でも出所は秘密ねー」
「秘密と言うなら聞かないが、これだけのものを集めるには苦労しただろう」
「ん? まあね」
 斐と佐助がそんなやり取りをしていると、頼家が一度ため息をついた。
「それで、これ全部に目を通せというのか?」
 その言葉に、改めて資料の山に目をやる一同。
 確かに、これは心を折るのに十分な量である。
「さすがにそれは無理でしょう。まずは大まかなところのみ目を通して、後は必要になった時に随時確認していただければ」
「後は……そうですね。どなたか江戸時代からの英霊の方でもいらっしゃれば……」
 斐と雨泉がそう口にした時、突然部屋のドアが開かれた。

「おお! そなたがあの頼朝公のご子息か!」
 噂をすれば何とやら、現れたのは徳川 家康(とくがわ・いえやす)
 江戸時代からの英霊どころか、江戸時代を創った男の英霊が自ら現れてしまった。
 ちなみに、先ほど佐助がどこからかかき集めてきた資料というのも、実はこの家康が収拾していたものをこっそりコピーしてきたものだったりする。
「資料に学ぶのもよいがな、江戸時代のことならこのわしに任せい!
 なんといっても、このわしこそが徳川家康なのじゃからな!」
 家康はあくまで江戸幕府を開いた人物であり、「江戸時代」を生きた時間は短い。
 なので理屈としてよく考えると微妙におかしいのだが、この一言にはなぜだか謎の説得力がある。
 そんな家康を不安そうに見つめるのは、彼に同行してきた柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)
 今回の企画そのものに対してももともと不安いっぱいだったのだが、そこに自分推し大好きな性格の家康が絡んでいくとますます事態が妙な方向に転がりかねない。
 幸い自分も周囲に同時代からの英霊が多く、それなり以上に江戸時代、特に江戸初期に関する知識はあるため、ブレーキ役も兼ねて協力しようとやってきたのである。

「どうしましょう、お父様?」
 雨泉の言葉に、斐は楽しそうに答えた。
「ほとんどの資料はいつでも見られる。それより、英霊からその時代の話を聞けるいい機会だ……しかも鎌倉と江戸の将軍が同席している図なんて、滅多に見られるものじゃないぞ」
 かくして、「江戸時代のお勉強」は、家康自らが講師を務めるというある意味豪華極まりない展開になっていったのである。

「江戸幕府というのは、確か日本で三つ目の幕府らしいな」
 最初に「とりあえず」と渡された歴史の教科書で、最低限の範囲だけは調べてあった頼家。
 その言葉に、家康は満足そうに頷く。
「いかにもその通りじゃ。三つ目にして最後の武家政権、故に前の二つの幕府を参考に、それをさらに発展させた武家政権の集大成とも言えるものじゃな」
 集大成と呼べるかどうかはさておき、江戸幕府が以前の二つの幕府の制度や歴史を参考に開かれたものであることは疑いようはない。
「そもそもの始まりは応仁の乱。室町幕府後期の将軍後継者争いに端を発したこの大乱はじゃな……」
 以後、主に家康及び松平家(徳川家)の立場から見た、やや、あるいはかなり自分推し強めの戦国時代の歴史が、江戸幕府成立後の大坂夏の陣あたりまで延々と語られるのであるが……まあ、その辺りはカットである。お察しいただきたい。

 ともあれ、歴史のお勉強は今回の本題ではない。
 一通りの歴史の講釈が終わると、いよいよ今回のメインである江戸時代の文化についての話に移っていった。
「では次に、江戸時代の文化や生活に関してじゃがな。
 応仁の乱以降、ほとんど贅沢も許されなかった日本において、あれだけの文化が発展したのは何と言ってもわしら将軍家、及びそれに連なる者たちの采配あってのことじゃ」
 これは何も戦国時代と江戸時代に限った話ではないが、天下が乱れているときというのは、得てして民衆の生活も苦しいものである。
 大量のヒトやモノやカネが、「戦」というそれ単体で見るならば極めて非生産的な活動に費やされてしまうことを考えれば、それも無理からぬことであろう。
 とはいえ、特に関西を中心とした都市部における華やかな文化の発展は江戸時代より前の安土桃山時代からすでに始まっていたものであり、それもこれもひっくるめて自分たちの手柄、というのはさすがに少々乱暴だ。
 もちろん斐や氷藍はそのことに気づいているが、あえて口は出さない。
 せっかく家康が機嫌良く語っているのをわざわざ邪魔する斐ではないし、氷藍は氷藍で半ばこうなることを予期していたので今さら驚くには値しないのである。