葦原明倫館

リアクション

【一　終わりの始まり】

　少しだけ、時間を遡る。
　日付にして、およそ四日前のこと――。

　ツァンダの街の、やや南の外れ。
　ここに点在する石造りの建物のひとつに、マーヴェラス・デベロップメント社の出張オフィスが入居している。
　その日、黒崎　天音（くろさき・あまね）とブルーズ・アッシュワース（ぶるーず・あっしゅわーす）の両名は、今や対オブジェクティブ戦に於けるキーマンのひとりとなったエージェント、ジェイク・ギブソンをこの出張オフィスに訪ねていた。
　受付嬢の案内で応接間に通されてから程無くして、長身の黒服姿が、天音とブルーズの前に現れた。
「これはこれは、わざわざご足労頂きまして、恐れ入ります……それにしても、ここ最近はコントラクターの皆様がよくおいでになられる。全くもって、光栄の極みです」
「それは皮肉と、受け取っておくよ」
　握手を交わしながら、天音は僅かに苦笑を浮かべる。
　傍らのブルーズは、一瞬だけ妙な反応を見せたが、すぐに表情を消し去り、天音と並ぶような格好でソファーに腰を下ろした。
「それで、本日は一体どのようなご用向きで？」
「……そうだね、単刀直入にお訊きするとしようか」
　応じながら天音は、ＨＣのＬＣＤをエージェント・ギブソンに示し、そこに映し出されている情報の羅列に視線を落としながら、はっきりとした口調で尋ねた。
「オブジェクティブはもともと、御社が開発した技術から誕生したらしいね」
「はい。正確にはオブジェクティブ・エクステンションといいましてね。最初は介護や医療目的で開発が進められていましたが、軍事にも応用出来るということで方針転換が為されようとしました。しかしこれがなかなかの曲者でして、一向に実用化の目処が立たずに手間取っていたところに、連中に根幹技術を盗まれてしまった、というのが正直なところです」
　意外な程あっさりと、エージェント・ギブソンが簡単に白状してしまった為、天音は若干、肩透かしを食った気分になった。
「しかし、オブジェクティブ・エクステンションはあくまでも、奴らの実体化の手段であって、それそのものが奴らの存在意義ではない……この点は、間違いないか？」
　ブルーズの問いかけに、エージェント・ギブソンは鷹揚な仕草で頷いた。隠すまでも無い、ということか。
「奴らは、もともとは学習型コンピュータウィルス。それも、脳波を解析してコントラクターの能力を身につけるというような、規格外の化け物でした」
「そのウィルスの作成者は……伊ノ木美津子」
　天音が確認するように問いかけを重ねると、エージェント・ギブソンは珍しく、渋面を浮かべた。
「……と、私も聞いております。ご本人から直接聞いた訳ではありませんので、確証はありませんが」
　エージェント・ギブソンも、伊ノ木　美津子（いのき　みつこ）とは面識が無い、とのことであった。
　あくまでも情報として知っているだけであり、人物像や現在の居場所などについては、皆目分からないのだという。
「ただ、私も最近はようやく、色々と教えて頂けるようになりましてね。どうやらこの伊ノ木美津子という女性は強化人間で、あの御仁の現パートナーでいらっしゃる、とのことです」
　天音とブルーズは、一瞬だけ、息を呑むような仕草を見せた。
　あの御仁というフレーズに、何ともいえぬ重たい雰囲気を感じ取ったのである。
「それは、つまり……」
「馬場　正子（ばんば・しょうこ）様、です」
　何となく、予測はしていたものの、いざこうして実際にその名を耳にすると、矢張り変な緊張が全身を硬くしてしまう。
　しかしエージェント・ギブソンは、ふたりのそんな緊張など知ってか知らずか、更に淡々と言葉を続ける。
「この事実を知ったからといって、特に何かが変わるという訳でもありませんが……ただ、馬場様はこのように仰っておられました」
　曰く、オブジェクティブ共を始末し切らないうちは、美津子を探すに探せない、と。
　それがどのような意味を孕んでいるのか、この時点では、天音もブルーズも、よく分かっていなかった。

　　　　　＊　＊　＊

　それから、二日が経過した日のこと。

　対フレームリオーダー戦に特化したイコン部隊、ＵＢＦ（ＵｎｉｔｆｏｒＢｕｓｔｉｎｇＦｒａｍｅｒｅｏｒｄｅｒ）のベースポイントである蒼空学園敷地内の大型飛行船用離陸場。
　金属の巨影がずらりと立ち並ぶイコンドック内にて、高崎　朋美（たかさき・ともみ）はウルスラーディ・シマック（うるすらーでぃ・しまっく）とふたり、イコンの整備に汗を流していた。
　勿論、自身の愛機ウィンダムの整備にも余念がない。
　フレームリオーダーとの戦いに臨むに際して、万全の準備を敷いておかねば悔いが残る――少しでも今回の戦いに於いて成功率を高めようとするのであれば、例え僅かな不安材料も見逃してはならないというのが、朋美の考えであった。
　ウルスラーディはその性格上、機体整備はあまり得意とはいえないかも知れなかったが、相手が恐るべき魔獣の群れである以上、己が駆るイコンは己自身の手で確実に整備を終えておきたいという気分が、彼をしてウィンダムの整備へと駆り立てていたのである。
「精が出るな。しかし、出撃前に精根尽き果てられても困る。少しは休め」
　聞き覚えのある野太い声が、朋美とウルスラーディの背中を叩いた。
　振り向くと、ＵＢＦの指揮官たる正子がクーラーボックスを小脇に抱えて、イコンドック内に足を踏み入れてきていた。
　そのクーラーボックスの蓋をドック内の床上で押し開くと、中からよく冷えたスポーツドリンクの類が何本も出てきた。
「わぁっ、どうもありがとう。丁度、ボク達が持ってきてた分が全部なくなって、新しいのを買いに行こうかなって思ってたところなんだ！」
「こいつは助かる。遠慮なく頂こう」
　朋美とウルスラーディは、揃ってイコンから身を離し、正子が抱えてきたクーラーボックス付近に位置を移した。
　すると、同じくライネックスの整備をあらかた終えようとしていた村主　蛇々（すぐり・じゃじゃ）とアール・エンディミオン（あーる・えんでぃみおん）も、正子に手招きされるがままに歩み寄ってきて、好みの味の飲料を手に取り、渇いた喉を潤し始める。
「ライネックスは、そろそろ終わりそうか？」
「うん。後は、新しいミドルウェアを導入して、ドライバとの整合を取るだけだよ」
　正子の問いかけに、蛇々は幾分、得意げな表情で小柄な体躯を大きく仰け反らせる仕草を見せた。
　しかしいくら蛇々が胸を張ろうとも、正子の巨躯の前では棒切れのように見えてしまい、その妙な光景が、ついついアールの苦笑を誘ってしまっていた。
「……何が可笑しいのよ」
「あぁ、いや……すまん、何でも無い」
　尚も笑いが止まらぬ様子のアールに、蛇々はあからさまに不機嫌そうな視線を向けていたが、一方で正子は、他のイコンと比較しても遥かに整備度合の高いウィンダムとライネックスをのっそりと見上げて、感心したような吐息を吐き出していた。
「さすがに、天学生の腕は違うな。油の差し込みひとつを見ても、技量は余所と雲泥の差だ」
「あれ？　ＵＢＦには、天学生も参加してるんじゃなかったっけ？」
　まるで、日頃は天学生があまり活動に参加していないかのような口ぶりであった為、朋美が思わず、正子の強面を見上げるようにしながら、小首を傾げた。
　蛇々も同様の疑問を持っていたが、正子は意外にも、否、と小さくかぶりを振った。
「実は、普段は天学生の参加率は、あまり良くなくてな。実質、蒼学と教導団の混成部隊のような格好になっておる。それ故、今回のような失敗が許されぬミッションには、何が何でも天学生の協力が必要なのだ」
　朋美と蛇々は意外そうな面持ちで、へぇ、と小さな声を漏らして顔を見合わせた。
　その傍らで、アールはドリンク片手に、シート式のフレキシブルモニタを手にして、そこに映し出されている画像をじっと凝視している。
　何事かと横から覗き込んできたウルスラーディが、思わずぎょっと顔を強張らせた。
　そこには、天を滑空する巨大なワイヴァーン姿の魔獣――即ち、メギドヴァーンの姿が映し出されていたのである。
「流石に親玉ってところだな。サイズといい、雰囲気といい、まさに魔獣って呼び方がぴったりくる」
「イコン乗りとしては、一度は戦ってみたい……などと考えぬ方が良いぞ」
　なるべくなら一生出会わない方が良い、とまで正子がいい切るその威容に、ウルスラーディは我知らず、表情を引き締めていた。
「そんなに、厄介な相手なのか？」
「何せ、イコンの破壊そのものを生きる目的としているような奴らだからな」
　しかし、その言葉には更に別の意味が含まれている。
　イコンとて、誰も操縦しなければ、ただの金属の塊に過ぎない。そんなものを、フレームリオーダー達が目の敵にする必要もないだろう。
　であれば、彼らが望む破壊の対象は、イコンのみにあらず――即ち、イコンとコントラクター、その双方の殲滅を目的にしている、と見るのが、より自然であった。
「俺達と奴らは、互いに天敵同士って訳か」
　アールの低い声音に、朋美と蛇々は渋い表情を浮かべた。
　本気の本気で殺し合う敵というものが、如何に恐ろしい存在であるのか。
　その事実を感覚として、ようやく理解し始めようとしていたのである。

　　　　　＊　＊　＊

　そして、現在。

　ジャンバラ大荒野とヴァイシャリーの領境に位置する宿場と交易の街、デラスドーレ。
　本来であれば、街全体が活気の塊であるかの如き賑わいを日々見せている筈なのだが、この日は、まるで様相が異なる。
　複数のオブジェクティブの侵入を受け、ほとんど全ての住民が近隣の集落や小都市に避難してしまっており、今、この場に居合わせているのは対オブジェクティブ戦に臨むコントラクターのみ、という状態になっているのである。
　デラスドーレを統轄する行政長官フォーチャフ・ストーンウェル男爵が、対オブジェクティブ戦に際して、自らの邸宅を臨時の前線基地として提供してくれていた。
　腕に覚えのあるコントラクターといえども、無限のスタミナを誇るオブジェクティブを相手にまわして、一日中戦い続けることなど出来よう筈もない。
　そこでストーンウェル長官が糧食や水、そして医療品や休憩場所などを一切提供しようと申し出てくれたのだが、その長官自身はというと、三沢　美晴（みさわ　みはる）の強い要望により、デラスドーレの街の外へと退避していた。
　オブジェクティブとの戦いに、ストーンウェル長官が巻き込まれるのを防ぐ為の措置であった。
　既にデラスドーレ内では二戦程、オブジェクティブと交戦してみた美晴だったが、オブジェクティブ側も警戒しているのか、一気に大攻勢を仕掛けてくるという訳ではなく、街中に分散してゲリラ戦を展開するという、予想外の局面へと発展しつつあった。
「何っつぅーか……イラっとくる展開だねぇ」
　ストーンウェル邸二階の客室から、窓越しにゴーストタウンの如き静けさを見せる街並みを眺めながら、美晴が何ともいえぬ表情でやれやれと小さくかぶりを振った。
　すると、同じ室の別の窓から外の風景を眺めていたエース・ラグランツ（えーす・らぐらんつ）が、幾分疲れた表情をみせてはいたものの、美晴の前では優雅な笑みを湛えて小さく肩を竦めてみせた。
「今回ばかりは、向こうも慎重だね。矢張り数ではこちらが圧倒しているから、正面突破は出来ない、と踏んだんだろうね」
「しかし……連中がわざわざ、総力戦を仕掛けてくる理由が、よく分からないな」
　エースのすぐ隣で、メシエ・ヒューヴェリアル（めしえ・ひゅーう゛ぇりある）が眉間に皺を寄せて、小さく唸る。
　フレームリオーダーに協力して、というのは理由として分からなくもなかったが、どうもそれだけではなさそうな気がしてならなかった。
「その……オブジェクティブという存在、私はよく分からないのだけど……話を聞く限りじゃ、あまり人間的ではなさそうだっていうことだったけど、今回は随分、人間臭い警戒心を見せているのね」
　何故か肉まんを頬張っているリリア・オーランソート（りりあ・おーらんそーと）が、同じく肉まんをもぐもぐと味わっているエオリア・リュケイオン（えおりあ・りゅけいおん）に話の水を向けた。
　エオリアも、今回のオブジェクティブの動きには、いつもの機械的な『らしさ』が無い、と若干不思議には思っていた。
「ちょっとぐらいの障害なら、強引に突破する傾向がある彼らですけど、今回は気持ちが悪いぐらい、慎重ですよね」
「……何か、裏があるのかな」
　エースは静かに、腕を組んだ。
　美晴と室を一緒にするのであれば、薔薇の一輪ぐらいは用意しておきたかった彼だが、今はそのような呑気なことをいっていられる局面ではない。
　敵の出方を観察すると同時に、今までとは異なる戦略に対してどのように対処すべきか、知恵を絞らなければならないのである。
「ヴァダンチェラ突入口付近には、相当数の守備戦力を廻しているから、奴らといえども警戒するのは分からなくもないが……」
「ちょっと今回ばかりは、いつもと勝手が違うね」
　メシエの分析に、エースもやや困惑した調子で頷く。
　矢張り、何かがおかしい、というのが彼らの共通した認識であった。
「幸い、人数ではこちらが圧倒的に優っていますし……遊撃隊を、組織しますか？」
　エオリアの提案に、美晴は一瞬だけ考え込んだが、しかしすぐに腹を決めたらしく、小さく頷き返した。
「それもそうだね……ダブルオー資格者とバティスティーナ・エフェクト持ちでチームを組ませて、斥候に出てもらおう。エース、索敵が得意そうな奴を、何人か見繕ってくれねぇか」
　美晴の指示を受けて、エースは足早に客室を飛び出していった。
　いつにも増して気合が入っているエースの後ろ姿を、エオリアとリリアは相変わらず、肉まんを頬張りながら呑気に見送っている。