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リアクション
ラブが向かった先にはぽっかりと大きな扉があった。
となりの部屋へ通じるような壁はなく、ただ丸い柱と扉があるだけだ。
そしてなぜか部屋じゅうの物が青一色なのに対して、その柱と扉だけが乳白で、キラキラ七色の光を放つトパーズでできていた。
扉の近くには、すでに鈿女に案内されたチルチルとミチル兄妹が立っている。
「――ここが開いて、その日生まれる赤ちゃんたちを迎えに<時>のおじいさんがやってくるのよ。
これで説明は終わり。あなたたちにはまだその資格はないから、早くここを出て行きなさい。あまり迷っていると、家に帰れなくなるわよ」
「つまり……ここにいる赤ちゃんは、生まれる前に、もうすでにいろいろなモノを持ってやが……いるのですね」
ミチルに扮したジーナが問う。
「ええ、そうよ」
「だれ1人、例外なしに」
「ええ」
この子は何を言いたいのだろう? 答えながらも、鈿女は小首を傾げる。
「おい、ジナ」
どうもジーナの気持ちがマイナスの方向に傾いているみたいだと気付いた衛がひじのあたりを引っ張る。
ジーナは逡巡したあと、うつむいたままぽつっとつぶやいた。
「ワタシ、いまだによく分からないんです…。何かの目的があって、ワタシは作られていると思うんです。でも、ワタシを作った人は……何でこんな不思議な状態に、ワタシを、しやがったんでしょうか…」
「……そんなの、分っかんねーよ!」
衛が断言した。
「ジナ、おまえさ、自分以外のみんながそれ知ってると思ってんのか? 自分がどーして作られたか、何を目的に生きてるのかって、明確に知ってると?
そんなん誰にも分かんねぇよ――っつか、分かってたらスゲーっての!
いいか? ジナ。よく聞けよ? みんな、そんな確証なんか持たずに生きてんだ。持たないから探すし、その行程を楽しめるんだ。見つけたら、やったー! って喜べるんだ。最初から知ってたらそんなの、ひとっつも味わえないんだぞ?」
「バカマモ…」
「どうしても見つけたいっていうなら、俺も手伝ってやるから! 1人で暗くなって、くよくよすんな! なっ!」
前髪をくしゃくしゃっとする。
それに対してジーナが何と答えるかは、分からずじまいだった。
空間が震えるような、フオオオーーーーンという低音の音が起きる。
フオオオーーーーン…………フオオオーーーーン…………フオオオーーーーン…………
うなり木のようなその音は、扉からしていた。
扉が振動し、徐々に光が強くなっていく。
「来たわ。<時>のおじいさんよ」
鈿女は光から手で目をかばいつつ、告げた。
「よっこらしょ、と」
蝶番をきしませつつ開いた扉をくぐり、薔薇色をした夜明けの光を背負って現れたのは<時>のおじいさん――役の林田 樹(はやしだ・いつき)だった。
樹は左手に砂時計、右手に自分の背丈ほどもある鎌を持ち、白と金のローブで全身をおおっている。
「えっ? いっちー?」
全然知らなかった衛とジーナはぱちぱち目をしぱたかせる。
「い、いっちー、いっちー」
つんつんとローブを後ろから引っ張った。直後「殺してやろうかきさま」という目で見下ろされた。
「いっち――いや、あの、<時>のおじいさん」
「うむ。なんだね?」
「俺たち、青い鳥探してるんだけど、あんた――じゃなくて、あなた、知りませんか?」
つっかえつっかえ言うチルチルになりきれない衛に、樹は内心駄目出しをしつつも向き直った。
「青い鳥か。
ふむ。知らぬでもない。だがその前に、おまえたちに少々質問をするぞ」
「えっ? なに? そんなの聞いてないよ」
「質問をするぞ!」
「はっ、はいっ!!」
「思い出は美しいか? 良いことばかりおまえに伝える死んだ者たちは、美しいと思うのか?」
(えっ? ちょ、いっちー。オレ、ほかのページ知らね――)
「あそこにいたおじいちゃんやおねえちゃんが美しいかなんて、俺は分からない」
答えたのはチルチルだった。
「でも、いいなと思ったよ。すっごく楽しそうだった。みんな笑ってた。それって、いいことだよね」
「ふむ。では死は怖いか? 夜のごてんで、突然訪れる死はおそろしい物と思ったのか?」
「死んだおにいさんが言ってた。友達を助けられたからしあわせだって。おねえさんも言ってたよ、死ぬ前に何か満足できることができてたら、死ってひとつの終わりにすぎないんだって。それってつまり、何かできてなかったら怖いってことだよね。死ぬから怖いんじゃないよね」
「ふむ。ではしあわせは良いものか? 何も知らず、空腹も分からず、与えられるまま受け取る幸福は良いと思ったか?」
「…………」
「どうした? 答えられぬか」
「空腹はつらいよ。おなかが痛くなって、キリキリして、気持ち悪くなる。そういうのがずーっと続くんだ。それがなくなるのはうれしい。みんなそうだろ? 当たり前のことだと思う。そうじゃなかったらいいよね。
でもなんか、おじいさんの言い方だと、そう思うのはいけないことだって言ってるふうに聞こえるなあ」
「ふむ。ではこれが最後だ。『死』が必然であるならば、『生』は必然か否か? 肉体が滅びたあとにも『生』は生ずるか否か?」
チルチルにはまだ難しすぎた。答えたのは衛だった。
「それは、オレみたいに死んだあとまるっと作り替えられるやつだっているんだからさ。きっと『生』とか『死』とかは、そんなたいしたことじゃぁねぇんだよ。
これでいいか?」
「……及第点すれすれといったところだな。おまえたちに青い鳥をやるのはまだ控えよう」
「えー!? いっちー、そりゃないぜ!」
「どうしても欲しければ自分で見つけろ。ひとから与えてもらおうなんて考えずにな」
それでもぶちぶち言っている衛の姿を目深にかぶったフードの下から覗き見て、声を出さずに笑う。そしておもむろに開いたドアの中央に立つと、こう言った。
「さあ、今日生れ落ちる子どもたちよ、準備はいいか? 心定まり、迷いなき者から前に進み出よ。1人ずつだ! 不正は許さぬ! きちんとおとなしく我が眼前に並んで順番を待て!」
<時>のおじいさんの厳しい号令が下って、赤ちゃんたちがばたばたと集まり始める。
そのなかには、ラブに導かれてきた佳奈子とエレノアが扮する赤ちゃんとメルキアデスもいた。
「<時>のおじいさん、ちょっと待ってー!」
「ふむ?」
飛んできたラブから説明を聞いた<時>のおじいさんは、緊張の面持ちで返答を待つ3人を順に見る。
<時>のおじいさんはこう答えた。
「それは、そこの者の言い分が正しい。たとえいやがろうとも、おまえたちは生まれなければならない」
「でも私、生まれたくない! どうしてこんなの持って生まれなくちゃならないの! 心臓病なんて…。苦しい思いをするために生まれなくちゃいけないなんて! 生まれたくないって思っても当然でしょ!?」
「そうと決まっているのだからしかたない。だれもが同じ、だれもが何事もなく、向こうで生きることはできない。何も持たずに向こうへ行くことができないように、おまえはそれを持たずに行くことも、ここにとどまることも許されないのだ」
まるで鉄の壁に打ちつけているようだった。
<時>のおじいさんはわずかも揺らがず、1ミリも譲歩は見せない。
彼こそが永久不変の理(ことわり)。
「佳奈子…」
エレノアのいたわりの手が佳奈子の手を包む。
「いや……エレノアと離れたくない。私、エレノアと違う国に生まれるんだもん。きっともう会えない…!」
「大丈夫」
エレノアにしがみつく佳奈子の耳に、そんな言葉が届く。
やわらかな、慈愛に満ちた声。
そちらを向くと、1組の男女が立っていた。
「そんなことない。あなたたちは絶対出会えるよ」
赤ちゃんの1人、蓮見 朱里(はすみ・しゅり)が、確信を持ってさらに言葉を強める。
「だって……私、エレノアのこと忘れちゃう」
「ああ、あなたは初めて生まれるのね。私も前はそうだった。ここで彼と出会って、絶対離れたくないって思ったの」
朱里はとなりに立つ少年アイン・ブラウ(あいん・ぶらう)を見上げた。
「お互いがどれだけ離れた場所で生まれるかも、いつ会えるかも分からない。いつ会えるかどころか、あの広い「現世」のなかで、生きている間に見つけてもらえるかどうかすらも分からない。それくらいならここにとどまって、ずっとずっと2人一緒にいましょう、って誓ったりもしたわ。
でもね、無理だった。どんなにお願いしても<時>のおじいさんは許してくれなくて、引き離され、強引に私たちは船に乗せられて、別の時、別の場所へ生まれることになったの。ひどい話でしょ? あのときはそう思った。<時>のおじいさんを恨んだりもした。でもね、すぐ分かったの。出会える奇跡、一緒にいる喜び、しあわせを何度も知るために、私はあの有限の世界へ行くんだって」
「朱里」
握り合った手に、そっとアインが口づける。
「行きましょう、アイン。ともに生きるために」
朱里とアインはそろって<時>のおじいさんの前へと進み出た。
そして扉をくぐり、船へと向かう。
「ねえ、アイン。あのね、私、今度は「この世で一番の不幸になる運命」を持っていくことになるの」
「えっ?」
思わず足を止めたアインの驚きの表情に、朱里はふふっと笑う。
「だから、それを目印に私を見つけて。あなたに出会えるまで、どんなにつらくても絶望なんかしない。自ら死を選んだりもしない。
あなたがいれば私、きっと、どんな不幸でも乗り越えられるから」
約束と、ほおに唇で触れる。
離れていく彼女を捕まえ、抱き締めて、アインは優しく口づけた。
「朱里。きみを絶対に見つけ出す。どれだけ時間がかかっても、どれだけの試練を乗り越えてでも。たったひとりで寂しい思いなんかさせたりはしない。
どんな不幸の渦中にあろうとも、絶対に救い出し、護って見せる。約束だ」
朱里のほおをひとすじ、涙が伝った。
涙がほおからこぼれ落ちる前に、朱里はしあわせそうにほほ笑む。
「絶対、絶対に約束よ。信じてるから…」
あなただけを。
「私たちも行きましょう」
「うん」
もう一度巡り会い、ともに生きるために。
佳奈子とエレノアは手をつなぎ、扉をくぐって船に乗った。
彼らに続いて、赤ちゃんや子どもたちが列になっておとなしく船へと向かう。なかには不正をしようとして、<時>のおじいさんに捕まって追い返されたり、行きたくないと隠れているのを世話係の妖精たちに見つかって引っ張り出されたりした者もいたが、おおむね順調に乗船は行われているようだった。
「――これ、もしかしてこのままなのか?」
旅立っていく彼らを見守りつつ、ぼそっとつぶやいたのは、交代してチルチル役になった黄 健勇(ほぁん・じぇんよん)である。
「このままって、何が?」
脇についていた鈿女が聞きつけて問う。
「こう、次々と現れる有象無象の悪い魔物をバッタバッタとなぎ倒す冒険活劇、主人公な俺大活躍とか……そんなシーンねえの?」
「……4ページぐらい前だったら、そういうのもできたかもしれなかったわね」
「え? 過ぎてる?」
マジ?
「あなた、待機空間で何してたの。流れを把握するためにチェックして当然でしょ」
「うっ」
「残念ね。あきらめなさい」
「くっそー。俺の活躍がっ。……このあとねーのかなぁ」
とかなんとか。あきらめきれずにぶつぶつ言っていると、突然ぴょんっと見送る側の列から2歳ぐらいの子どもが飛び出した。
どこかへ逃げて隠れるのかと思いきや、交代してチルチル役になった黄 健勇(ほぁん・じぇんよん)の元まで駆けてくる。そしてその勢いのまま、チルチルの胸に飛びついた。
「お兄ちゃんっ!」
「はあっ!?」
「お兄ちゃん、それにお姉ちゃんも! まさかこんなとこで会えるなんて! 会えてうれしいよ!」
「あの……あなた、だれ?」
やはりミチル役になったピュリア・アルブム(ぴゅりあ・あるぶむ)が、突然の出来事に驚きながらも訊く。
くりん、と首を回してピュリアの方を向くと、少年は元気よく答えた。
「ぼく、お兄ちゃんとお姉ちゃんの弟だよ。もうじき生まれるの」
「「えーーーーっ!?」」
――あらまあびっくり。
「あれ? 知らなかった? んーと、復活祭だから……あと4カ月ぐらい先かな。お母さんから聞いてない?」
チルチルもミチルも声が出ず、ひたすら首をぶるんぶるん振るった。
「そっかー。でも、良かった。ここで会えて」
少年はにっこり笑い、赤ちゃんのようにべったりとチルチルにくっついた。
「ど、どうして…?」
「ん? だってぼく、生まれてすぐ死んじゃうんだもん。えーと、ぼくが持っていくのは、なんだったかな……しょうこう熱に、百日ぜきとはしか? たしかこの3つだったと思う。ほんとにすぐ死んじゃうから、お兄ちゃんやお姉ちゃんに会えないんじゃないかって心配だったんだぁ。だからここで会えて、すっごくうれしい」
「……なんだよそれ…」
がばっと少年を引きはがし、目と目をつきあわせる。
「おまえ、それでいーのかよ!?」
「だってそれがぼくの運命だもん。<時>のおじいさんが言ったでしょ? 良いも悪いもないんだよ。太陽が沈むのいやだからって止めておける? 月がきらいだからって昇らないようにできる? 理っていうのはね、そういうものとして、受け入れるものなんだよ」
チルチルの目から涙がこぼれた。
ぽろぽろぽろぽろこぼれるそれは、健勇の涙でもあった。
「俺、おまえのこと、ぜってー忘れねえから! そんで、向こうでも絶対会おう!」
「……うん。楽しみにしてるからね。待っててね、お兄ちゃん」
小さな子どもの手が、チルチルの目尻から涙を拭き取った。
「……ねえ、スウィップさん」
次々と文字が焼きついていくページから目を離し、身を起こして、マルティナはスウィップに話しかけた。
「なに?」
「この『未来の国』の赤ちゃんたちの抱えているテーマって……世界を1人の人間だと仮定し、赤ちゃんを選べる選択肢の可能性と仮定すると……人間の可能性の選択肢に見えてきませんか?」
「? どういうこと?」
スウィップは意味が分からないと首を傾げる。
マルティナはためらうような笑みを浮かべたあと、それでも言葉をつなげた。
「おせっかいかもしれませんが……スウィップさん、あなたはジーナさんを救うことを考えていますが、自身の先のことについての答えは出てらっしゃるのでしょうか?
お気を悪くされてしまうかもしれませんが……私は自分で自分の未来を選択できない人間は、他人に手を差し伸べても救えないと思うので」
「……うん。分かるよ。ありがと。マルティナさんの言うとおりだとあたしも思う。あたしも同じこと考えた。
でもね、ジーナを救うのはあたしじゃなくて、リストレイターのみんななんだよ。あたしはあなたの言うとおり、何もできない。彼女を助けたいと思うだけ。みんなに、助けてあげてほしいってお願いするだけ。
そのやり方を示して、こうしてみんなの想いを届けることはできても……あたしの思いは届けない。あたしも同じだなんて言わない。だってあたしは……あたしは、どこの者でもないから」
「スウィップ」
草の波を蹴るようにざくざくと歩いて、プリムラ・モデスタ(ぷりむら・もですた)が近付いてきた。
「あなた、なにばかなこと口にしてるの。自分を卑下するのもいいかげんにしないと、ひっぱたくわよ」
「プリムラ…。
でも……でも、そうなんだもん。あたし、どっちも選べない。意識世界へ行く踏ん切りも、ここに残る決意もできないんだ。みんなと話して、そうしようって思うたびに、本当にそれでいいの? って思っちゃう」
「スウィップ」
ぱちっと音がした。
プリムラの両手がスウィップのほおに当たり、そのまま包み込む。
「ばかね」
じわっとスウィップの目に涙がにじんだ。
「だって、意識世界へ行ったら、みんなのこと忘れちゃうんだよ? ここに残ったら忘れないけど……でも、あたし、ここの人間じゃない」
「だからどうなの。みんな、自分が最初にいた場所にいるわけじゃないわ。居場所っていうのは自分で探して見つけるものなのよ。
あなたがここがいいと思うなら、ここがあなたの居場所なの。もちろん向こうへ行って、新しく居場所を探すのも手よ」
こつん、と額を合わせる。
「どちらにしても『あなたらしさ』を失うわけじゃない。だからおびえる必要なんかないのよ」
「……うん。ありがと。ごめんね、プリムラ」
「スウィップさん。私にはどういう選択をスウィップさんがされるのかは分かりませんが……結果がどうあれ、後悔の残らない選択ができることを祈っておりますわ」
「ありがと、マルティナさん」
マルティナと目と目を合わせ、どちらともなくほほ笑み合う。
そしてスウィップは言った。
「あたし、決めた」
と。
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