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第2章 星耳男爵、マーケットを歩く


 森の中の館、その中庭。回廊に沿ってほぼ出店は揃っている。まだ商品の搬入に手間取っている店もあったが、客もちらほらと入り始めていた。
 市の始まりの、わくわくするような空気。それを楽しむように、「一つ目の星耳男爵」はのんびりとした足取りで歩いている。
 黒いタキシードを着用した男爵は、見たところは30前後の、ごく普通の男性のように見える。左目の眼帯以外は、特別な身体的特徴はない。顔つきや物腰はどことなく品が良い。男爵などという通り名は、こんなところからものにしたのだろう。
「男爵、今回の『お眠り』は長かったねぇ。待ちくたびれてたよ」
 魔導師崩れといった感じの、長いマントを羽織った男が、きろきろと爬虫類的な笑いを浮かべて男爵に話しかける。男爵は笑って「待たせて悪かったね」と応えを返す。この男は毎回のようにマーケットに出店しているやり手の古書商人で、コンロンの亡霊商人とも取引があるというだけあって、いつもなかなかの珍品を並べている。男爵とはもうすっかり気安く打ち解けた仲である。
 今日も男爵は、笑顔でその品揃えを覗いていく。客で混み出す前にこのようにゆったりと見て回れる、主催者の特権が嬉しくて溜まらないという顔だ。
「お〜……古王国時代の流れものかい? これは。こんなものをよく百年やそこらで手に入れてくるもんだねぇ」
「それはレプリカさ。それでも3千年は経ているんだからね。実は前回の開催の頃から狙ってたやつでね。いやぁ、大枚はたいたよ」
「それはそれは。で、訊きたいんだがね。あんた、『万象の諱』について何か知ってるかね」
「…今回はそれが何かあるのかねぇ。やたらそいつを聞きたがる奴らがいるよ」
 商人は、運び入れた荷物の奥から荷解きした古びた冊子の類を、並べ棚にどん、と置くと、男爵を見上げた。
「世の中に稀覯本ってやつぁいっぱいあるけど、男爵ぅ、この本に関しちゃぁ、あんた以上に知ってる商人はいないとわしは思うね」
 男爵は何も言わなかった。
「この本がどんな運命辿ったか、あんた知ってんだろ? それが正解だよ」
「――そうか、ありがとう」
 それでも男爵は、別の馴染みが出す出店に立ち寄っては尋ねてみる。『万象の諱』のことを知らないかと。
 返ってくる答えはどれも、ほぼ同じだった。


――「あの、すみません」
 出店の間を歩いていた男爵に、後ろから声をかけてきた者があった。
「はい?」
 男爵の喋り方は、誰に対してであってもどこか気が抜けていてふわっとしている。声の主、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)は、その掴みどころのない希薄な雰囲気にちょっと戸惑ったが、
「こんにちは、初めまして。……星耳男爵、ですよね?」
「はい、そうですよ」
「あの……貴方はどんな本でも捜せるって、本当ですか?」
 その言葉に、男爵は目を上げてアキラを見た。
「……『捜し本』のお客様ですね?」
 男爵は、中庭の中央の芝生を指し示した。ぐるりと回廊に囲まれた真ん中、という格好で、休憩用のベンチが幾つか並んでいる。
「立ったままお話を伺うのもなんですから、あちらに参りましょうか」

 いろいろと珍しい古書の集まる市と聞いて、パートナーのルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)とともに館にやって来たアキラは、
「見たい本はいろいろ違うだろうから、待ち合わせの場所と時間を決めて個人行動にしよう」
 と提案した。
「本当に沢山の古書があるのう……漫画はあるのかの?」
 時間と場所が決まると、ルシェイメアはひとりで好奇心のおもむくまま、立ち並ぶ出店の陳列へと吸い寄せられていった。魔女ではあっても、特に禁書や危険な香りのする本が読みたいわけではない。それでも、滅多に目にすることのなさそうな類の書物の山は彼女の興味をそそる。
「ふむ、これは魔術書じゃな? しかし絵ばかりじゃな……奇妙な」
「魔術のあるべき道を、言葉の分からないものにも教えようとした一種の教育書だよ」
 帽子を目深にかぶった顔を見せない、如何にも怪しげな店主が、だみ声で親切に教えてくれた。
「言葉がなくても、伝えようとするものがあれば本は出来る、というんだから、面白いもんさね」
「なるほどのう。しかし、絵も至極丁寧で、思いの外見応えもありそうじゃ。教育書とはいえ、侮れんな」
 こんな風な会話を交わしながら、好みの本を物色することに没頭していった。 

 一方のアリスは、個人行動を許可されたものの、結局いつもの通りアキラにくっついて行動していた。どのみち28センチの体では、面白そうな本を見つけられても読むのに一苦労する。普段の通り、アキラの肩の上に乗って、マーケットの様子を見回していた。
 アキラはといえば、山のように並ぶ古書の品揃えにも心浮き立っていたが、たまたま耳にした星耳男爵の話に興味津々だった。
 どんな書物の在り処も探し当てるという異能の持ち主だという。
(その人に聞けば、あの本が今、どこにあるのか分かるかもしれない!)
 近くにあった出店の店主と話して聞いてみたら、眼帯をしてタキシードを着ている男性がその人だと教えてくれた。
(いた!)
 その人の姿を出店の間に見つけた時、アキラは、悲願を果たす時へと近付く緊張で息を飲んだ。
 その後、何故かこっそり辺りを見回し、近くにルシェイメアの姿がないことを確認した。


「秘蔵の……?」
 ベンチに並んで座り、アキラの話を聞いた男爵は、目をぱちくりさせた。
「……それはつまり、いわゆる“成人向け”の書誌ということですね」
 まじまじと問われるとさすがに気恥ずかしく、アキラは頬の辺りに変な熱を感じながら頷いた。
 ――かつて、自室があまりにも汚いのでルシェイメアたちに掃除された際に、秘蔵のコレクション――要するに「エロ本」――も、大量に処分されてしまったという、涙の過去がアキラにはあった。
 それを、諦めきれないのだ。 
 秘蔵にしておいたほどのエロ本である。簡単に代替が手に入るわけがなかったが、何とかしてもう一度手に入れたい。もし本当に探し出せるのなら、そのエロ本の行方を探ってもらえないか――それが、男爵の眼力にどうしても頼んでみたかった、アキラの悲願であった。
「なるほど……入手困難な本というわけですね」
 大真面目に頷いている男爵を、アキラの肩から見ながら、アリスは呆れたような溜息を押し殺した。
(一体何やってるンでしょうネー、全く)
 大真面目にこんな依頼を他人に持っていくアキラには「またか」という視線を送りながらも、しかしアリスは、このような話題には男でも女でも多かれ少なかれ感じるだろう羞恥心のような照れを、男爵は全く見せていないように感じた。
 そういう方向の欲求を、まるで理解していないかのような。
「分かりました、捜してみましょう」
 そう言って、男爵は、左目の眼帯に左手をそっと添えるように当てると、しばし体を固くした。どんな術を使っているのかは分からないが、何か集中しているのが、横に座ったアキラに伝わってくる。
 ……やがて、空気がホッと弛緩した。
 男爵は一度大きく息を吐き、アキラの方を見やった。
「大体わかりました。恐らく、リサイクル業者というものの手に渡ってしまったのでしょう。そこからばらばらに転売されて……コレクションはだいぶあちこちに散っていますね」
「そ、そうなんですか……」
「えぇ、中でも一番遠くに渡ったのは、『●△※◇★』という書名のものですね。……あの、表紙で若い女性が▼○♪#――」
「あ、はいはいはい! 分かります、えぇ、それです!!」
 全く何の照れも躊躇もなく男爵が客観的に本の特徴を挙げるので、アキラの方が慌てて手を振って言葉を空中でかき消そうとする――消えるわけがないのだが。

 その大きな声が、遠くで本を漁っているルシェイメアにばっちり聞こえていることにも気付いていない。
(また何かろくでもないことをしているようじゃな)
 そう思いつつも、生温い心で見て見ぬふりをすることにした。

「この本は今、恐らくカナンやシボラのようなシャンバラより東の……未開の地の非文明的な土着の部族の元にあります」
「何でそんなとこへ!?」
「経緯は分かりませんが、この部族の作った土の祭壇に供えられています」
「何でそんなことに!!?」
「この部族には、春画などを見るような習慣がそもそもないようです。そこに渡ったこの本は、衝撃を持って迎えられ、なんだかんだの末に神として祀られることになったのでしょう」
「なんだかんだって何!!??」
「丁重に祀られ、多くの花や供物が捧げられていますよ。成人の儀式の際に一役買っているようです」
「どんな一役だよ!!!???」
 予想だにしなかった答えに驚き慌てるアキラに、男爵は全く動揺も見せず、さらに続けた。
「これだけ人々の畏敬の念を集め、プリミティブに真っ直ぐに崇め奉られているということは……
 あるいはこの本、いつか魔道書化するという可能性が無きにしも非ず、ではないですかねぇ」
「マジか!!!!!」
 もはやアキラは驚愕のあまり叫んでいた。その声量に、肩の上でアリスが顔をしかめて耳を塞ぐ。
「可能性の話ですけどね。もしそうなったら、貴方を思い出して魔道書が、自ら会いに来てくれる日が来るかもしれませんよ。
 苦労してでもこんな僻地に取り返しに行く、その価値のある本かも知れませんが……少し考えてみてはどうでしょう」
「うぅ……」
 真剣な顔でアキラは眉間に皺を寄せて腕組みする。アリスがその横で「本気かこの連中」と言わんばかりのジト目をしている。

「まぁ他にも、それほど遠くないシャンバラ内の古書店に渡ったものなども、幾つかあるようですけどね。
 私に“見えた”ものがすべてかどうか、は、何分にも量が多いので自信はありませんが……
 一応、分かったものだけはリストにしてお渡ししましょうか?」
 男爵の申し出にも、秘蔵エロ本が魔道書化するという可能性に驚きいろいろもやもやしていたアキラは「あ、はい」と生返事をするばかりだった。
 男爵はベンチを立つと、近くの出店に行き、「何かメモ用紙のようなものを」と店主に所望した。
 一枚の紙を受け取ると、男爵はそれを右手に持ち、左目の眼帯の上から軽く押し当てた。
「――どうぞ」
 それをアキラに差し出す。紙には細かい字がびっしりと、印字されたように綺麗に並んでいた。




「古本市っていうから、もっとなんか静かで活気のない感じの売り場を想像してたけど……結構騒々しいんだな」
 遠くから聞こえてくるいやに元気な叫び声を聞きながら、千返 かつみ(ちがえ・かつみ)は意外そうに呟いた。
「活気おおいに結構、じゃないか。あちらも商売なのだからな」
 ノーン・ノート(のーん・のーと)は楽しげに言う。今日のノーンは、滅多に見ない人間型になっている。いつもの本型だと、売り物の本だと間違えられるかもしれないからだ。
「しかし、何か胡散臭そうな店が多いな」
 どういうわけか、香のような、薬草のようなものまで一緒に商っていると思われる出店も何軒かある。そのためにどこか異国的な匂いが強くなるエリアもあった。
 雰囲気が強すぎてそれっぽく見せたいだけなのでは、と邪推してしまいそうになるかつみと違って、ノーンは見るからに楽しそうだ。知識を追求するノーンには、変わった本が山のように売られているというこの市の只中にいるのが、嬉しくてしょうがないのであった。
(色々あさりまくるぞ)
「嬉しそうだな、ノーン」
 その一方で、かつみは大して興味なさげな目をして、辺りをきょろきょろと見回している。
「それはそうだ、これだけの本だからな。何が見つかるか楽しみだよ」
 このような類の本などは、かつみには大して面白いものでもないだろうと、ノーンにも分かっていた。
 なのにわざわざ自分についてきて、面白くはなさそうだが真剣な目で、周りを見回しているのが不思議だった。
(! ……あー)
 急に、ふとノーンは思い出した。
(もしかして、禁書処刑人の噂か)
 それは、生徒たちの遭遇談によって、広く知れ渡っていた。
 実際、かつみがこの市の古書にさして興味もないのにノーンと一緒にやって来た理由は、ノーンのガードのつもりであった。禁書処刑人のターゲットの本ははっきりしているという噂もあるが、それでも万が一ノーンが何かあって巻き込まれでもしてからでは遅い。
 挙動不審な、怪しげな人物はいないか。――そうやって注意深く見ていると、いつの間にかノーンが妙に「にや」という顔つきでかつみを見ている。
 嫌〜な予感がした。
「……どうした?」
「いや、私は恵まれているなと思ってな」
「そんなに本を思う存分見られるのが楽しいんだ」
「もちろんそれもだけど、心配して一緒に来てくれる者がいるというのがな」
「なっなんのことだよ」
 嫌〜な予感が的中した。禁書処刑人の噂で心配したから同行した、なんてことを口にすれば絶対からかわれると思ったので黙っていたのに。口に出して力いっぱい否定しても、もうばれてしまっているのだから何の意味もない。というか逆効果だ。
「もう何でもいいから、早く本見に行ってこい」
「はいはい」
 ひらひらと手を振って、ノーンは出店の一つへと飛んでいく。
(別に隠す必要もないのに……まったく素直じゃない奴だ)
 そう考えて口元に笑いを残したまま。
「……ったく」
 ぼやいて、かつみははぁっと溜息をついた。
 そして、照れくささを振り払うように、周囲を警戒することに意識を戻した。