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冬のとある日

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冬のとある日

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【3】


 それは何時もの朝だった。
フハハハ! 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクターハデス!
 うむ、やはり朝は高笑いをしないと調子が出ないな!」
 実に、高天原家らしい朝だった。

 冬の風を纏う白衣を翻しながら腰に両手を当てて、ふんぞり返る姿勢のドクター・ハデス(どくたー・はです)に、高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)は最早呆れた顔すらせず何時もの事だと黙って窓を締める。
「こんなに寒いのに、風邪ひきますよ。兄さん」
 言葉を掛けたのは彼女のせめてもの優しさと愛だ。そんな機微には気付かないハデスだったし、勿論咲耶の髪が何時もより丁寧にブローされていることも気付かないのだが、妹が家の中でコートを羽織っている不自然さだけは気付いたらしい。
「ん? 出掛けるのか」
「ミリツァさんと一緒に、買い物に行くんですよ」
 答えながら鞄の中身を確認している咲耶に「ふむ」と頷いて、ハデスは壁掛けの時計に視線を送った。それだけで意図が掴めた咲耶は、予めメールで打ち合せていた帰宅の予定時間を伝え、放っておけば研究に熱中して食事も忘れてしまうハデスに用意してあるものを食べるように念を押した。
「わかった、ゆっくり遊んでくるがいい」
 たったそれだけの言葉だが、妹にとって何より嬉しい言葉を無意識に掛けて、ハデスは『アジト』の研究室へ足を向ける。
 咲耶も居ない。用事もない。
 とくれば、もうやる事は決まっている――発明だ。今日はどんなものを作ろうか。確かそろそろクリスマスだ。それにかけてみたらどうだろう。
「咲耶のやつに、何かプレゼントでも作ってやるとするか」
 こうしてハデスの研究室は、今日も工作というにはやや派手な音を響かせる。


* * * * *



 空京。
 待ち合わせスポットして有名な銅像の前は、今日も老若男女多くの人々で賑わっている。
 騒がしいその中で、ミリツァ・ミロシェヴィッチは鞄から出した端末のメール受信画面をスクロールさせていた。

ミリツァさんっ!
 もうすぐクリスマスですね!
 クリスマスと言えば、天使である妹が、愛する兄さんにプレゼントを贈る日!
 一緒に空京にプレゼントの買い物に行きませんかっ!

 咲耶


 こういったメールも、待ち合わせも、この三ヶ月程で初めて経験したものだ。だから新鮮でくすぐったくて思わず頬を綻ばせていると、約束の時間の数分前にあって「ミリツァさん!」と声がする。咲耶がやってきたのだ。
「久しぶりね咲耶」
 出迎えたミリツァの真白い肌が少し赤らんでいるのに、咲耶は彼女が自分よりもかなり前から此処へきていたのではと推測出来て少々慌てた。
 そんな訳で挨拶を終えた彼女たちは、一旦暖をとるべくファーストフード店へ足を運んだのである。

「咲耶、メールの内容だけれど――」
 暖をとるために入った店内で、何故かフロートを注文したミリツァが、ソフトクリームをスプーンですくいながら切り出したのは文面の珍奇さについてではない。『天使である妹』とか『愛する兄さん』という部分は、咲耶の同志たるミリツァは全く疑問に思わなかったのだ。 
 ただ彼女が引っかかったのは、意外にもクリスマスにプレゼントという部分だった。
「私の生まれた国では、あなたの国のクリスマスと違うのよ。
 お祭りというよりも、祈りの日なの」
 ――ミリツァの話によると、まず彼女の出身国は暦法が違う為クリスマスは1月に祝うものらしい。その日は国民にとって敬虔な祈りの日である為、他国のそれとは大分勝手が違っているのだ。勿論時代の流れも有り12月のクリスマスをイベントとして過ごす人々も居るが、古い家であるミロシェヴィッチはそうではなかったようだ。
 他国の友人を持ち、祖父とその日に海外に出掛けていた事もあるアレクから話しを聞いた事はある。咲耶のメールを貰ってから同居している米国人のトゥリンに聞いた知識もあるが、クリスマスツリーどころかサンタクロースすら存在しない国に生まれたミリツァには、どれもイマイチぱっとこなかったのだ。
「クリスマスプレゼントというのはどんなものでもいいのかしら」
「そうですね。子供の頃はサンタさんの手紙とか、単純にお願いをしたりとか有りましたけど……
 大人になると駆け引き――、相手の欲しい物をそれとなく探るのが重要です」
「――欲しいもの」
 咲耶の言葉をおうむ返しするミリツァに、咲耶は小さく唸った。
「私達の場合、欲しいものというか『必要なもの』ですよね」
 互いに研究や仕事以外に無頓着な兄を持っているから、咲耶はこう言ったのだ。アクセサリーやブランドもののバッグ等の誰もが喜ぶプレゼントを好まない女性達が一部で居る様に、彼等もまた一般的なプレゼントが向いていない人種だということは妹たちが一番理解している。
「んーと、新しい白衣は贈る予定だし、
 あとはセットで新しいメガネでも贈りましょうか。
 兄さん、吹っ飛ばされてはすぐにメガネを割ってますからね」
「名案ね」

 といった話し合いを経て、咲耶とミリツァは二人、若者向けのファッションビルの中の眼鏡屋へと向かった。
 様々な色や形の眼鏡が所狭しとディスプレイされた店内をざっと舐めて、咲耶は店員に直接注文する。
「すみません、防弾眼鏡を一つくださいな。
 眼鏡が防弾でなければ危なかったみたいな」
「只今サンプルを持って参ります。こちらにお掛けになってお待ち下さい」
 地球ならば突っ込みが必要な場面かもしれないが、此処はパラミタだ。店員はにこやかな表情で店の奥へ消えてしまう。
 残された咲耶は、店員に促されるままにカウンターの前の椅子に座り、物珍しそうにきょろきょろしているミリツァへ向き直った。
「ちょっと時間かかるかもしれませんね。付き合わせてしまってすみません」
「いいのよ。私も良いものがあったら眼鏡もいいかしら、と思っていたところよ」
「アレクさんも眼鏡をおかけになるんですか?」
 何気ない質問に、ミリツァの眉がぴくりと反応する。アレクの片目の視力が極端に弱いのは、彼が傷を負った際に痛みを無視してミリツァを探しに行った結果らしい。その事実を知ってショックを隠せなかったミリツァに、アレクは何でも無いと答えた。あの状況で病院へ行ったところで正しく処置されたかも分からないし、気に病む必要は無いと言われてしまったが、どうしたって気にはするのだ。
「ミリツァさんも、お揃いの眼鏡にしますか?」
 ぼんやりしているようなミリツァの顔を覗き込む咲耶に、ミリツァは殆ど無意識に頷いて暫く、ハッとして吹き出す。
 それで咲耶の方も間違えに気付いたらしい。
「それじゃあお兄ちゃん達がお揃いになってしまうわ!」
「そうですね、それはちょっと拙いですよね」
 店内には暫く、二人の堪えきれない笑い声が響いていた。


 結局二人が選んだ防弾眼鏡だとか、度の強いレンズはパラミタの技術であっても速攻で出せる商品ではないらしく、指定された時間まで近くの店をウィンドウショッピングしたりしながら時間は過ぎて行く。
 夕方を過ぎていよいよ眼鏡店の付近では入る店が無くなってきた二人は、カフェへ向かった。少し早かったが、此処で夕食を食べ終わる頃には指定の時間になっているだろう。
 同じセットを注文した為丁度同時に食べ終わり、咲耶が一息ついていると、ミリツァが「あ」と口を開いた。
「――気付いてしまったのだけれど」
 神妙な表情に咲耶が首を傾げると、ミリツァはしくじったという事実を顔と動きで表現していた。
「眼鏡ってお兄ちゃんよりも、ジゼルが喜びそう」
「そうなんですか?」
「咲耶は『萌え』というものを知っていて?」
 質問に質問で返すミリツァに、咲耶はなんとなくと頷いた。
「ジゼルは軍服と眼鏡に萌えるのだそうよ。あの子――、普通に見えてなにか…………ただものじゃないわね」
 頭に過った「ミロシェヴィッチは嫁まで揃って変態だね、安心したよ」と笑った兄の幼馴染みの発言と、トーヴァの「全員上級者」という評価は捨て置いた。
「あ。因に私はどんな姿のお兄ちゃんでも萌えるのだわ」
 青色の吐息を吐き出すミリツァに、咲耶は心底同情する。兄にとって血縁の妹というのは揺るぎない立場ではあるが、その揺るぎない立場を唯一犯す可能性があるとすれば嫁だろう。そんな存在が近くに居て耐えられるか、咲耶には想像が出来ない。
「ミリツァさんも大変ですよね。
 妹のための貴重な兄さんの時間が、お嫁さんに取られてしまうなんて――」
「本当よ」
 ブラコン同志である咲耶のくれた同情に頷いて、しかしミリツァは付け足し笑った。
「でも私には友達が居るもの。
 その分の時間を、こうして愉しく過ごせてるわ」
 笑顔を交わし、どちらともなく時計に目をやりながら立ち上がる。そろそろ時間なのだ。

「仕上がり……っていってもさっきサンプルを見た通りなんでしょうけど――」
「そうですね。眼鏡は実際かけて貰わないと分かりませんから。渡すのが楽しみですね」
「ええ。お互い喜んでくれるといいわね」
 微笑み合って同じ想いを胸に、二人は揃って歩き出した。