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ところで、時は戻り10年後――2034年、夏


 世間が夏休みに入ったある日、百合園女学院の学生食堂の入り口は珍しく閉じられていた。
 カツカツとヒールの音が鳴り、白い右手が力強くノブに伸びる。さっと掛けられた札には「同窓会につき本日貸切」の文字。
「これで良し」
 崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)は今度こそノブを掴んで扉の中に入る。
 昔とちっとも変らないテーブルの配置にピンクのテーブルクロス。友人たちの顔に一瞬学生時代に戻った錯覚を覚えるが、彼女たちもまた亜璃珠と同じように齢を重ねていた。
 まだまだいける、と心の中で呟いて、懐かしい面々の顔を順に見やる。
 そしてよく似た新顔が数人。このうち幾らかは百合園に通っているが、あとどれくらい百合園女学院の後輩になるのだろうか。
 左手に提げた参加者名簿と中の面々を付きあわせる。
「欠席なし、遅刻なし――全員揃ってるわね」
 にっと唇を挙げる仕草も色っぽい。
「――お疲れ様、亜璃珠さん」
 亜璃珠が名簿を仕舞っていると、百合園女学院校長・桜井 静香(さくらい・しずか)が声をかけてきた。
 恐ろしいことに、彼女の外見は約十年経った今でも全く変わっていない、美少女(に見える美少年)のままだった。
 昔から静香を見てきた亜璃珠たちからすれば驚異的な事実であり……驚きを通り越して納得してしまう程でもあった。在学生の間で実は地球人ではない、という噂が発生していてもどこもおかしくない。
 なんだかそっち系のオネエサマから嫉妬と羨望の眼差しを受けているとかいう噂も聞いている。
「今日はとても素敵なお茶会の企画とご招待ありがとう」
 亜璃珠はいつもの苦笑めいた笑みを浮かべる。
「だって……こういうの企画するの大体いつも私だったりしません?」
「うん、そうだったね」
 静香は昔を懐かしむように頷く。
 彼女たちが仲間内で何かやろうという時に、口火を切ったり、計画を立てるのは大抵亜璃珠だった。
「今日は昔に戻って遊ぶんだから、校長もね? みんな集まったわね、じゃあ始めるわよー! 最初はお菓子作りからね!」
 亜璃珠がさっとエプロンを付けて両手を叩くと、友人たちはお喋りをやめて振り向いた。
「お菓子作り? 料理はいつもパッフェルの手伝ってるから腕上がったよ」
 円・シャウラ(まどか・しゃうら)が伴侶パッフェル・シャウラ(ぱっふぇる・しゃうら)と組んでいた腕をそのままに空いた方の手を上げる。
 二人は結婚して長いが、未だにラブラブだ。
「あら本当?」
「ほんと! ほんとだよ!」
「じゃあちょっと難しいのお願いね」
 亜璃珠に振られ、円はパッフェルを見上げて訊ねた。
「ちょっと難しいのかぁ。ねぇパッフェル、何がいいかな?」
「シュークリーム、中に、辛口のチーズ、入れたの」
「うんうん、軽いお酒にも合いそうだね!」
 二人は頷き合って厨房に入り、早速シュー生地とクリームを手分けして作り始める。
「私はもう焼いてきました」
 ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)が手の中の焼き菓子を持ち上げてみせると、静香が微笑みかける。
「折角だから一緒に作ろうよロザリンドさん。暑いからジェラートなんてどうかな? みんなに上手になったところを見てもらおう」
「え? ええ……」
 戸惑いながらもロザリンドは包丁を取り、果物を剥き始める。円はその手元を見て声をあげた。
「あっ、ロザリンも料理うまくなってる!?」
「……料理、できるようになりました」
 ロザリンドは照れたように微笑んだ。
 今までずっと練習してきて、失敗クッキーを何度も円に食べさせてきたのだ。少しずつ克服していることは円も知っていたけれど、今のロザリンドの手つきは危なげない。
「そっかもう主婦歴長いもんねー」
 料理が苦手……といえば、泉 美緒(いずみ・みお)の方もこの十年で成長したようだった。
 混ぜたり、冷蔵庫に入れたり……ということしかできなかった美緒も持ち前の努力で一通りの家事は何とかゆっくりでも出来るようになっていた。
「さ、小夜子。火の加減はこれくらいでいいでしょうか?」
「ええ、上手ですよ」
 グレープフルーツを絞って、皮とお砂糖と一緒に火にかけて。鍋の下を何度も覗き込み、心配げな伴侶の顔に泉 小夜子(いずみ・さよこ)は優しく微笑む。
 亜璃珠は生クリームをホイップしながら、崩城 ちび亜璃珠(くずしろ・ちびありす)にオーブンの温度を見てもらう。
「ちび、次はバター練っといて」
「もうちびって呼ぶのやめて欲しいんだけど」
 十年の間にちび亜璃珠はすっかり成長して、同じ人物が二人並んでいるように見えた。
 コンロと格闘していた美緒はちび亜璃珠の方を向いて、
「亜璃珠さん、こちらのヘラを使っても宜しいでしょうか?」
「違う違う、私じゃなくてこっちの老けてる方が亜璃珠よ。ほらコレ、角見えるでしょ」
 ちび亜璃珠は頭の上に生えている小さな角を指さした。
「昔のお姉様を思い出しますわ」
 小夜子が目を細める。ちび亜璃珠は、当時の亜璃珠とそう変わらないぴっちぴちな背格好になっていた。昔のように亜璃珠に着いて行って、ではなく、今も一生徒として百合園女学院に通っている。
「昔の亜璃珠よりぱつんぱつんよ」
「……はいはい」
 亜璃珠はちびを軽くいなすと皆を一瞥して、
「ほら歩も子供たちと遊んでないで一緒に作りましょう。旅の話なら私たちも聞きたいんだからね?」
 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)は椅子から立ち上がって返事を返す。
「あ、はーい!」
 食堂のテーブルについてにこにこ顔で歩の旅の話を聞いていた皆の子供たちにまた後でね、と告げて、歩は厨房に入った。
「んー、どうしようかな。あんまり考えてこなかったからなぁ」
 冷蔵庫には新鮮な食材が詰まっている。百合園だけあって、高級だったり珍しかったりするものも取り揃えられていた。
 歩が目を止めたのは、旅先で見た果物だった。シャンバラでは珍しい果物だが、立ち寄った先の村では素朴に焼いて皆でおやつに食べたものである。
 これにしよう、アレンジして――と果物を取り上げた時、後ろからブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)の声が聞こえてきた。
「それ違うわよアナスタシア。あんたどうせ使用人に料理任せっきりなんでしょ」
 振り返ると、アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)の手元をブリジットが覗き込んでアドバイスしているのだった。
 アナスタシアは自覚があるのか渋面で反抗しようとしているが、口調は弱々しい。
「……そ、そんなことはありませんわ」
「旦那が言ってたわよ」
「……うう、懸念が当たってしまいましたわ……」
「何よ結婚に賛成してたくせに」
「まあまあブリジット。せっかく久しぶりにお会いしたんですから」
 橘 舞(たちばな・まい)がクッキーを型抜きしながら穏やかに制するがあまり効果がない。これもいつものことだった。
「ところでブリジットさんはお料理されないんですの?」
「……あ、いや、私は製菓会社のCEOであってパティシエじゃないから……」
 ――やがて甘い匂いがオーブンから漂ってきて、お菓子が次々に出来上がっていく。
「さ、次はテーブルセッティングよ」
 亜璃珠の指揮で、中庭にテーブルと椅子が運び込まれる。
 皺ひとつないテーブルクロスが掛けられ、花瓶に百合が咲いていく。あっという間に飾り付けられて会場が出来上がると、お菓子とお茶が並べられていく。
 昔、皆でさんざん何度もやって来たお客様へのおもてなしを、今日は自分たちだけの為に。
「確かさ。最初の新入生歓迎会もここでやったよね」
 円が言えば、静香が頷く。
「……そうだったね。あの時から僕のみんなとの出会いが始まったんだ」
 校舎は改築されたけれど、あの時の印象は変わらない。中世の物語に出てくるお城を思わせる、白亜の校舎。
 かつて新百合ヶ丘の百合園女学院の前で、通いたがっていた静香にとっては、こうして校長として過ごせる今は夢物語のようだと思っていた。
 でももっと、嬉しいことが、夢みたいなことがある。
「過ぎ去った日々は夢みたいで……夢みたいにキラキラしてるよ。でも、夢じゃないんだよね。
 それでね。校長としてみんなに出会って、こうして今もみんなで集まれることが……本当に嬉しいよ」
 静香が感傷に浸っていると、後から着いてきた子供たちがわっと歓声をあげてお茶会に入ってきた。
「待ちきれなかったんですね。――もう、走っては駄目ですよ」
「みんなー、気をつけてねー」
 ロザリンドと歩が子供たちを止めに行く。
 そんな一同を見渡しながら、亜璃珠が宣言した。
「――さ、楽しい同窓会を始めましょう?」





 取り留めもない雑談が続く中、舞に淹れてもらった紅茶を一口飲んで、ロザリンドが口を開いた。
「皆さんは今どうですか? こちらは宮中のお仕事をしたり百合園から来た後輩の世話とかやっています」
 卒業後シャンバラ宮殿の女官として就職したロザリンドは、静香との遠距離恋愛の末に仕事が落ち着いた頃に互いの両親に挨拶を済ませ、結婚式を挙げた。静香のウェディングドレス姿は今でも時々話題に上がった。
 ロザリンドは休みの日や時間が取れる限りはヴァイシャリーに帰り、家事をしていた十年になる。
 そしてその間に、二人の子供もできた。
 ロザリンドは少し離れたところで庭で花を見て遊んでいる、小学生くらいの男の子と女の子を見やる。
 先程挨拶をさせてから、二人で仲良く遊んでいた。男の子は口数少なく、優しく花弁を揺らしていたが、女の子が触ろうとしてぷちっと花弁を摘み取ってしまう。男の子がそれを窘めると、女の子は謝ったかと思うと駆けだして、転がっていた枝を拾い、ハイパーランサーごっこを始めた。
「一体誰に似たんですかね」
 そう言うロザリンドはとても幸せそうに微笑んだ。
「小学校を卒業したら百合園女学院を受験させようか、共学に入れようか、どうしようか悩んでいる所なのですよね、あなた」
「うん」
 静香も顔を見合わせて微笑む。
 そして彼女が仕事に家庭にと奮闘している間、彼女のパートナーたちも自分の道をそれぞれ見つけて歩んでいた。
 神子でもあったテレサ・エーメンスは、イケメン探しの旅に出発していた。この前も「ロザリンへ、この前イケメンやと思って手合せしたら弱うて……話にならへんのや」なんて電話を貰ったからまだまだ旅は続きそうだ。
 メリッサ・マルシアーノ(めりっさ・まるしあーの)は、獣人の村の実家に戻って、手伝っている。近況報告の手紙には、犬の方が便利なことと、人間の方が便利なこと、なんて話がつらつら書いてあった。
 シャロン・ヘルムズ(しゃろん・へるむず)はどこかの会社でバリバリとお仕事中。魔鎧としての生から地上に出れたためにキャリアアップへの意欲も人一倍なのか、余暇にも資格試験を受けたりしているらしい。

 そんな二人を見て、親としてもとてもいい所ですよ、と小夜子が請け合う。
 小夜子と美緒。二人の椅子の間には彼女たちの、七、八歳くらいだろうか、子供二人が座っていた。
 四人で色とりどりのドレスでお洒落した姿はお人形が並んでいるようだった。
「改めてご挨拶いたしますわね。娘の美花(みか)小奈(さな)です」
「美花です。こんにちは、ごきげんよう」
「小奈です。本日はお招きありがとうございます」
 ちょこんと頭を下げる姿は可愛らしい。そして二人を育てた美緒と同じく礼儀正しい。
「なんか、白い肌とか目元が二人によく似てるね。小さい二人みたい」
 歩が指摘したように、ふっくらとした色っぽい顎のラインなど、美緒と小夜子を幼くしたような感じだ。魔法によって、小夜子と美緒がそれぞれ身籠もった子だった。
「この子達も百合園に通ってるんです。
 私は短大を出た後、学生時代に貯めたお金を元に護身術の教室を開いていますわ。あとは色々投資とか……。それなりにやってますわ」
 ヴァイシャリー在住のため、皆の近況はそれなりに耳に入るし、ヴァイシャリー在住の他の面々とは、時折顔も合わせていた。
「小夜子さんには今度護衛術の指導で宮中にも顔を出してもらえたらいいんですけれど」
 ロザリンドの誘いに小夜子は快く頷いた。
「ええ、私としてもお仕事が増えるのは嬉しいですわ」
「わたくしは専業主婦ですわ」
 美緒はとても嬉しそうに話す。
 小夜子も結婚後知ったことなのだが……美緒は旧家の生まれの為か、子供の頃は親の愛情を受けていなかったのだそうだ。だから、子供の手がかからなくなるまでは専業主婦を続けて子育てに専念したいというのが彼女の希望だった。
「良かったらみんなと遊んでいらっしゃい」
 小夜子に促され、二人の子供は失礼いたしますわ、ともう一度優雅にお辞儀をして、それからロザリンドの子供たちと一緒に遊び始めた。
「あまり遠くに行かないのよ」

「小夜子ちゃんの子供可愛いなぁ」
 円がにこにこして言えば、ブリジットが得意気に、横の小さな男の子を示した。
 ブリジットによく似た顔立ちの彼は先ほどから背筋を伸ばし、きっちりと足を揃えて座っていた。
「そうそう、この利発そうな子は私の息子のウィリアム。七歳になるんだけど、本人の希望もあって旦那の実家からエリシュオンの学校に通って魔法学んでるのよ」
「ウィリアムです、初めまして」
 お辞儀をする仕草もきびきびとしていて、ブリジットが利発と言うのも、単に親馬鹿だからというわけではなさそうだ。
「凄くお利口さんだね。顔はお母さん似だね。旦那さんの実家からエリュシオン、ということはエリュシオンの人なの?」
 歩が意外そうに尋ねる。長い間旅に出ていたからそこまでは知らなかった。
 ヴァイシャリー出身で、進出する地球人のことも良く思っていなかったこともあるブリジットだ。ましてエリュシオンは一度、東シャンバラの首都となったヴァイシャリーを抑えていたことがある。
 ブリジットは少し照れを誤魔化すように頬に手を当てると、
「旦那は、まぁ、アナスタシアの使用人にして腐らせるには勿体無い人材がいたから……まぁ、スカウトみたいなものかしら。
 彼女が推理小説書くって言い出した時に助言もしたし、使用人の一人ぐらい貰ってもバチ当たらないわよね。」
「ブリジットさんとは、卒業後に偶然お隣さんになりましたの。……引き抜きにあってこちらは一時期不便しましたけど」
 そんなブリジットにアナスタシアは子供っぽく反抗してみる。
「でも、お幸せそうで何よりですわ」
 舞はやりとりを楽しそうに見ながら、空いたカップに紅茶を一通り注ぎ直してからやっと口を開いた。
「私達の近状を言うと、卒業と同時にブリジットと設立した製菓会社P&Tの経営も右肩上がりの成長を続け、忙しいけども充実した日を送っています。
 私は地球エリアの統括責任者という立場もあって年の大半は家族のいる地球ぐらし、先日経済誌の取材を受けて表紙を飾らせてもらったので見た方もいるかもしれませんね」
「ええ、舞さんが載ると伺って、私も取り寄せましたわ」
「会社頑張ってくださいね。カエルパイも本当に銘菓になりましたね」
「えっ? さすがにカエルパイだけ売ってるわけじゃないからね」
 ロザリンドに驚いてブリジットが言うと、舞はふふと笑って、
「私生活面では、失恋して消えたくなったり、ブリジットがいきなりアナスタシアさんの家の使用人の方を婿養子にしたりとかで驚かされたりとか、色々有りましたけど、今では私も彼女も一児の母になりました」
「お会いしたかったですわ。舞さんのお子さんですから、きっとお母さんに似て優しい天使のような子なのでしょうね」
「瑠璃はね、うん、舞にすごく似てる。いつ転んでも助けくれる相手が側にいるところとかも含めて」
 皆の子供が遊んでいるのを見て、そしてアナスタシアとブリジットの会話に、舞は連れてくればよかったと少し後悔した。まだ小さいからと遠慮したが、会わせたかったし、ブリジットや皆の子供と遊ばせてあげたかった。
「娘の瑠璃は三歳になります。地球の幼稚園に通っていて……写真や動画だけでも、お見せしますね」
 舞はタブレットを取り出すと、写真と動画を呼び出した。
 あらかじめ皆に見せようと思って持って来たものだが、仕事で遠方を飛び回る時には移動中に姿を見て元気を貰うのだ。
 呼び出された写真に写る瑠璃はまだ小さくてぷくぷくとしていて、もう少し年上の子を持つ親たちは、あぁこの子にもこんな時があったなと思わず声に出る。
「夫は、顔もそうだけど、よく転ぶところとか舞さんによく似ていると言うのですよ、本当に失礼ですよね」
 舞が言えば、動画の中の瑠璃も転んでべちっと地面にうつ伏せになった。手が出ていたから顔は怪我してないだろう。画面がぶれて地面だけを映す。
「でも、転んだらすぐ助けてくれる優しい人です……いえ、私がではなくてですね……」
 画面が元に戻った時には、大きな掌に掴まって、もう平気! と元気よく笑う、まるい瑠璃の顔が映っていた。ひとつひとつのパーツは父親似なのだろうか、けれど全体的な雰囲気は舞と同じく柔らかいものだった。
 話に聞くに資産家とお見合いで知り合ったと言うが、きっと優しい夫なのだろう。
 ブリジットは我が子を見るように画面の中の瑠璃を見ていたが、視線をついっと動かすと、
「……で、アナスタシアは結婚は? 小説家としても落ち着いてきたんでしょ?」
「え、ええっと……それは、ですわね」
 アナスタシアは突然自分に話を振られて口ごもっていたが、なんとか言葉を捻り出す。
「私は……そうなんですの。推理小説家兼・探偵兼・百合園とエリュシオンの女生徒の方々の世話人のようなことを続けていますわ。
 小説ではブリジットさんに批評を頂きながら、一応小説家としてやっていますわ。映画の脚本のお仕事も頂いて……ご覧になりましたかしら、日本伝統の食材と美意識を取り入れました『豆腐の角殺人事件』」
「……知ってる、わ。白くて、四角い、豆腐、ばかり、だった」
 アナスタシアはパッフェルに頷く。
「最近では、架空の女学校を舞台にした若い子向けのミステリ風の小説を出版しましたの」
 それはふわふわした小説で女学生が好みそうな内容だったが、その登場人物は皆、そこはかとなく百合園時代の影があった。
 新シリーズの一作目だったが、ページを捲って一番初めに目に入る場所――献辞として、ブリジットと舞の名前があった。
「だから結婚は?」
「……で、ですから。……お仕事でお知り合いになった方とお付き合いさせて頂いてまして……結婚も考えてますの。お父様は、説得してみせますわ」
 ブリジットに追及されて顔を赤らめて白状する。

「お姉様は? 先程もお料理の腕が上がったようですけれど」
 お菓子を取りに戻ってきた娘の頭を撫でながら小夜子が亜璃珠に訊ねると、羨ましそうな、しんみりとした表情になっていた。
(……呼んだのは確かに私なんだけど、この夫婦率……。いざ目の前にして、見せ付けられるとねー……小夜子まで。私も作るべきなのかしら)
「ああ、卒業後は自炊に挑戦してたりね」
 その他、特に特にここ最近の事情もあって、生活力はレベルアップしている。
 しかし。
「それはいいことですわね」
 と、納得して素直に頷いているのは美緒だけだった。皆の興味津々な視線に見つめられ、彼女は小さく呻くとこほんと咳払いして。
「まあ、その、ボロが出る前に言っときましょうか。……えーと、結婚予定が、あります」
「おめでとうございます、お姉様。お相手はあの方ですか?」
「亜璃珠さんが結婚……」
 ロザリンドは少し驚いたように目を見開いたが、納得したように頷く。
「あの人も忙しいからとりあえず籍だけ入れて、式を挙げる頃に発表すればいいかなって」
 自分の事になるとどうも照れてしまう。
 手で視線を防ぎつつ亜璃珠は言うが、浮かれているばかりでなくて、将来のことについては色々と考えているところだった。
(引継ぎも粗方済んだしそろそろ今の仕事も退職して、反対されなければまた学生時代みたいにフリー兼主婦でやろうかしら。ミネルバに仕事紹介して貰うのも……ああでも子供生む場合はまた違うなあ……)
 それもなんだか悩ましくも楽しかった。
「うわ、何よ亜璃珠、にこにこして気持ち悪い」
 ――にこにこしていたのだろうか。
 ちび亜璃珠に言われて亜璃珠は我に返る。
 ちび亜璃珠はといえば、幸せそうな皆を見つつ、夏らしいグレープフルーツのムースを口に運びつつむくれていた。
 以前からの面々では一人だけ百合園に通っているので、懐かしい感じではなくて。
「小夜子と美緒は相変わらずノロケで変態っぽいし、校長は学院で会ってるし、舞とブリの関係も、アナ……(あんまり思い出がない)ええと、みんな代わり映えしないなあ……」
「へ、変態ですか?」
 美緒が目を丸くすると、
「だって子供産み合いっこってすごい特殊……そう思う方がおかしいって? う、うっさい!」
 ぷん、と横を向くちび亜璃珠が可愛くて、皆の笑い声が起こる。
 実際、パラミタでは珍しくない女性同士の結婚でも魔法で子孫を残すというのは、ごく一般的な方法……というわけではない。それにちび亜璃珠は亜璃珠の夢から生まれたアリスなのだから。

 気を取り直すように、円が口を挟むとロザリンドが訊ねる。
「舞ちゃんは人に歴史ありって感じ。アリスは、あの人かなー? ほほえまー」
「円さんのお店はどうなっていますか?もし違法なのあれば取り締まりますよ」
「違法のなんてないよー! 大体、そんなことしたら取引先の百合園から契約切られちゃうよ。
 ボクたちは今もヴァイシャリーでパッフェルと一緒に、シャウラ・サバゲショップ!
 戦闘訓練用のエアガンを貴族にも卸せてるし、サバゲ用のゴス服とかも順調。百合園の子がバイトで入ってくれて、真面目だから助かってる。その子達の企画で喫茶店とかも出せたりして面白いし」
 円がパッフェルを見ると、彼女もこくりと頷いた。
「私も、ロイヤルガードは殆ど、お休み。円とお店、楽しい」
 それから円はパートナーたち――オリヴィア・レベンクロンミネルバ・ヴァーリイの近況に移る。
「オリヴィアは、資格取って遊んでるっぽい。前は弁護士やってたけど、いまは、喫茶店でコーヒー入れてる。ミネルバはトレジャーハンター。レアアイテムとか稀に掘り出し物取ってきて、家で売れってさ」
 サバゲと可愛い物売ってるのにね、と円は笑う。

「でも歩がまだいい人見つけてないのは意外。旅ってまさか王子様探しじゃ……」
「歩ちゃんは、旅かー、どんな所にいったの?」
 ちび亜璃珠と円に訊かれ、今度は歩に視線が集まった。
「歩さんは今も世界を旅しているのですか? 色々教えてください」
 ロザリンドに促され、歩は口を開いた。
 彼女の視線は、度々子供たちの方を向いていた。
「あたしは……あんまり変わってないですね」
 ここに来る前、歩はあれこれ想定していた。皆もう子供いるんだったかしらとか、それじゃ、もうわからないくらい大人になってるかな。とか。
 それとも話してみたら、全然変わってなかったりして……なんて。
 結局、皆変わって大人になった。子供が出来てその子たちが成長して。
 けれど、親になったからって、話してみれば根っこの部分は変わらない。
「子供は結構敏感な時ありますもんね。だから、結構使う言葉には慎重になったかも」
「子供……いるの?」
「歩、いつの間に結婚してたの?」
 本気ではないのだろうが、皆に不思議そうに言われて、歩は大事そうに一枚の写真を取り出した。
 写真には歩を中心にたくさんの子供たちが写っている。
「皆可愛いでしょう? 全員あたしの子供です。……あたしのことをどう呼ぶかは皆に任せてますけどね」
 ――それは、旅をしながら出会った子供たち。
「優しくて正しいことを正しいって言える子に育ってほしい、とは思うんですが、パラミタじゃそれだけだとやっていけないって気もするんです。
 だから、良いことは良いことと教えた上で、ただそれでも自分の考えと誰かの考えがぶつかる時があるということと、その時に自分を貫くのか誰かに合わせるのか、それは良く考えようねって伝えたいです」
「そう、それが歩の子供たちなのね」
 亜璃珠は優しく微笑む。
 皆もまた。



 ……やがて、談笑と共に時は過ぎる。


 円はクッキーを食べながら、遠巻きに側で遊んでいる皆の子供を見ていた。パッフェルも隣で同じようにしている。
(パッフェルも、欲しいのかな?)
 パッフェルの視線は読めなかった。少し暖かいのは、皆の子供だからかな。
(子供が出来たとして、ボクはきちんと育てることが出来るのかな? この10年で、大人になれたんだろうか?)
 変わったようでもあり、変わらないようでもあり。
 今思い返せば赤面してしまうようなことも、少なくなってきて。
 失敗はしなくなったし、お店も順調。30歳になった。だけど大人になったという実感はない。
(でも、ボクが間違えても、パッフェルと一緒なら、すぐに気づく事が出来る)
 そう、彼女と一緒なら。
 思い切って、聞いてみる。
「パッフェル、子供欲しい?」
 円は思い切って聞いてみた。
「……」
 パッフェルはとても優しい微笑で応えてくれる。
「……円、欲しいの?」
「……うん」
「……サバゲーのチームが作れ、るくらい……欲しい、わね」
「え……。えええっ!?」
 円は驚くが、パッフェルは本気の顔だ。
「う、……うん」
 円は赤くなって俯いて、パッフェルと視線を合わせてまた幸せそうに二人微笑むのだった。


 歩は思う。
 自分の手の届く範囲は変わらないけれど、見える範囲を変えようとしていたあの頃。
 色々な人と出会って、キレイなことだけを信じてられる時代は過ぎて。
 ただ、それでも変えたくない根っこの部分はあったり。
 ……それで、そんな自分を友人たちは受け入れてくれる。
 これからどうしようかと自信をなくすこともあったけれど、何をしようかと悩むこともあったけれど。
 きっとどんな道でも進んでいける――今はそんな気がしていた。


 小夜子と美緒は仲良く手を繋いで、遊んでいる娘達を暖かく見守っている。
「私たちが小さかったら、あんな感じに遊んでいたでしょうか」
「ええ。……わたくし、とても幸せですわ」
 改めて話す美緒は少し切なそうな顔をしていた。
「……どうしたの、美緒」
「わたくし、温かい家庭を作りたかったのですもの、わたくしの子供時代にも小夜子がいてくれたら嬉しいのは勿論ですけれど……。
 ……わたくしと愛する小夜子の娘が、こうして幸せに遊んでいることが、とても幸せなんですの」
 娘たちは無邪気に庭を駆けまわり、摘んでいいよと言われた花で花冠を作って被り。
 摘んだ花を心配して泣きそうになる美花の頭を、小奈は優しく撫でていた。


 舞の入れた紅茶を飲みながら、ブリジットはアナスタシアと話している。辛うじて談笑と言えるくらいなのが二人らしいが、それも仲が良い証拠だと舞は思っていた。
「ところで、あの新作読んだ? いい出来だったわよ」
「今話題の推理小説ですわね。トリックが素晴らしいとか、ミステリー界の新星ですとか。今度購入する予定ですわ」
「ちゃんと読んでおきなさいよ、まぁないと思うけど、ネタ被ったらまずいでしょ」
 遠まわしな親切に舞がくすりと笑うと、ブリジットは何がおかしいのよと言い。アナスタシアは思いついたようにカップを置いた。
「そうですわ。題材探しに日本旅行に行ってみましょう。瑠璃ちゃんにもお会いしたいですもの」
「ええ、楽しみにしてますね」
「ちょっと何二人で勝手に決めてるのよ、もう」
 お隣さん同士は多分こんな風に、ずっと仲良く言い合いをしているのだろう。


 ロザリンドと静香はゆっくりと紅茶を飲みながら、庭を眺めていたが、ふと視線が合う。
「百合園女学院にいた頃は色褪せませんね」
「うん」
「私は幸せです。あなたは幸せですか?」
 ロザリンドは柔らかな笑顔を浮かべている。
 彼女は静香にとって、大切な人だった。
 楽しいことだけじゃなく、苦しいことも。強さも、弱さも、情けないところも全部分かち合って来た人。彼に立ち上がる強さをくれる人。
 幸せをくれる人、幸せにしたいと思える人。
 ――だから答えた静香の笑顔は、とてもとても幸せそうだった。
「うん、幸せだよ」


 亜璃珠は皆を見ながら目を細めた。
 ――まあ、ね。やっぱこういうのいいわ。
 またやろうかな。
 そしたら私も旦那自慢できるし。


 そうして、ふと見上げた空。
 あの日も、今日も。
 いつでも、頭上には蒼空が広がっていた。


<了>

担当マスターより

▼担当マスター

有沢楓花

▼マスターコメント

 有沢です。
 『蒼空のフロンティア』個人名義では最後のシナリオ、そして合同含めまして最後のリアクションをお届けしました。
 こちらでは、皆さんの2024年秋から一年後以降の未来を書かせていただきました。
 とても感慨深く、そして皆さんからのアクションにそれぞれのキャラクターの人生を感じ、感動してしまいました。
 私信を書いていただいた方も本当にありがとうございます。今回は最後ということで、参加者の皆さん全員に個別コメントをお送りしています。

 思えば、『蒼空のフロンティア』で最初にリリースされたシナリオのうちの一本、百合園女学院のシナリオ『百合園女学院新入生歓迎会』。こちらも私が担当させていただいたのですが、内容はお茶会シナリオでした。
 ですので、最後も「お茶会」で終わらせよう、と思いました。同時にそれぞれの未来もあり、このようなガイドにさせていただきました。
 お茶会そのものにつきましては、……百合園女学院は設定的に「力」で押す学校ではありませんでしたので、会話・交渉・説得・相互理解を中心とにしたいというのがシナリオでの基本的な方針でもあり、お茶会はその象徴としても描いてきたつもりです。
 また百合園女学院の担当マスターの一人として、百合園やヴァイシャリーで遊んでいただくための設定や、進学や進路についての諸々、選挙(皆さんのキャラクターが生徒会長になることも想定していました)などを意識して行ってきましたが、遊ぶお役に立っていたのでしたら、嬉しいです。逆に窮屈になっていましたら、申し訳ありません。
 今となってみればもう少しやり方が……等々、思うところもあるのですが、こうしてなんとか続けてこられたのは皆さんのおかげです。

 さて、始めのガイドが公開されたのは、2009年の6月16日のことでした。こちらのガイドの公開は、2014年9月30日。
 リアクションの公開、その他活動を含めますと、約六年。
 この間、時々お休み時間を頂きつつも完走できましたことをとても嬉しく思っています。
 そしてプレイヤーの皆さんにも色々なことがあったのではないかなと思いますが、長期間最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
 途中から参加された方、途中でゲームから離れられた方もいらっしゃるかと思いますが、担当させていただいたことを嬉しく思っています。
 そしてリアクションの一文でも一単語でも、心に残るものがありましたら望外の喜びです。

 まだまだ語り尽きませんが、本シナリオを以て、有沢の『蒼空のフロンティア』のリアクション執筆は終了となります。
 今後は、マスターページで裏話の公開などさせていただくかもしれません。
 また、ゲーム現在公開中のアンドロイドアプリゲーム『空京の休日』の追加シナリオ、ウェブゲームのシナリオ等の執筆にて、もう少しの間『蒼空のフロンティア』には関わらせて頂きますので、興味がございましたら、ちらっと覗いていただければと思います。こちらもマスターページに追記予定です。

 最後になりましたが、今までご参加いただいた皆様に感謝しております。本当にありがとうございました。



 12月3日追記
 一部、リアクション修正を行いました。変更したシーンにご登場の方には、追加の個別コメントをお送りしております。