波羅蜜多実業高等学校へ

葦原明倫館

校長室

空京大学へ

2月14日。

リアクション公開中!

2月14日。
2月14日。 2月14日。 2月14日。 2月14日。 2月14日。

リアクション


1


 窓の外が明るいことに久途 侘助(くず・わびすけ)は気付いた。朝になってしまったらしい。
 形が作れず、どろどろに溶けたトリュフで手を汚した状態のまま、キッチンを見回した。
 湯煎の最中、お湯が入って駄目になってしまったチョコ。
 表面は焦げ、中は生の残念なガトーショコラ。
 そして固まってくれないトリュフ。
 作り始めたのは夜である。
 気付いたら徹夜。しかも、完成品は一つもない。
「……どうしよう」
 恋人に美味しいチョコを渡したいのに。その一心で、夜から作っていたのに。
 涙目でそれらを見つめていると、足音が聞こえた。香住 火藍(かすみ・からん)が起きてきたらしい。
「おはようございます……ってあんた、何してんですか?」
「火藍……」
「チョコレートの匂いがすごいですよ。状況は何となく把握できますが……」
「……火藍ーっ!」
「うわっ、なんなんですか!」
 両手がチョコまみれなこともお構いなしに、侘助は火藍に飛びついた。いきなりのことに驚きながらも火藍は侘助を抱き止め、「はいはい」とあやすように背中をぽんぽん、叩いた。
「チョコが……」
「恋人にチョコレートですね。作ってたんですよね」
 そう、だけど、上手く行かない。
 こくこく、首を縦に振りながら。
「どうしよう……」
 消えそうな声で、言った。
「あんた、洋菓子作りが本当に苦手なんですね……どうしてチョコレート作りで指を切るんです。ほら、手、見せてください。手当てしますよ。ああその前にチョコを落とさなくちゃいけませんね」
 お湯でチョコを流してから侘助の指に絆創膏を貼り。
 侘助が見ていたチョコレートの本を火藍が手に取った。
「あんた、テンパリングって知ってますか?」
「てんぱ……?」
「知らないんですね」
「とりあえずテンパってるぞ!」
「余計駄目です。俺が言う通りに作ってみてください。まずはチョコを刻む」
「う、うん」
 ばき、ばきっ、と小気味良い音を立ててチョコを刻んで行く。さっきはこれに気を取られすぎて指先を切った。同じ轍は踏まないと、そちらにも気を付けて刻み。
「次は湯煎で溶かします。お湯を入れないように気を付けてくださいね」
「う、わかってる」
 それもさっきやった。そして気を付けると言いつつ、お湯が入ってしまった。……どうやらこの工程は苦手らしい。
「……俺がやりましょうか? 溶かすところだけ」
「だ、だめ。全部俺が作る!」
 もう一度刻むところからやり直して、細心の注意を払って溶かして……、
「できた!」
「できた、じゃないです。温度が大切なんですよ」
「温度?」
「32度に保ってください。温度計入れますよ」
「保つってどうすればいいの」
「湯煎だと余熱の見極めがしにくいらしいから、ドライヤーが最適だそうですよ」
「へえ……」
 温度を保ち、テンパリングできているかどうかを確かめるため包丁の先に少し取ってじっと待つ。
 しっかり固まれば見事成功しているらしいが。
「……固まった!」
「じゃあ、型に入れて」
 用意しておいたハートの型に流し入れて、冷蔵庫へ。
「……できた?」
「どうでしょうね。とりあえず、風呂でも行ってきたらどうです? 顔にもチョコ付いてますよ」
「うん、そうする」
 固まるまでに支度して。
 ラッピングの準備も万端。
 台所は火藍が片付けてくれてあって。
 冷蔵庫からチョコを出して、緊張しながら型から外す。
 ぱか、と外れたそれは、綺麗なハート型。
「……できたー!」
 感極まって火藍に飛び付いたら、「おめでとうございます」柔らかい声で言われた。
「ありがとう! 火藍のおかげだ!」
「それより約束の時間に遅れてしまいますよ。さっさといってらっしゃい」
「わ!? そんな時間!?」
 ささっとラッピングして、壊れないようにそっと鞄の中に入れて。
「いってきます! 火藍、本当にありがとな!」
 いってらっしゃい、と手を振る火藍にそう言って、駆ける。


*...***...*


 ツァンダにある雑貨屋で、瀬島 壮太(せじま・そうた)はアルバイトに勤しんでいた。
 バレンタインであることが影響して、手作りチョコ用キットやラッピング用品、バレンタイン限定ギフトセットが朝からよく売れている。
「ありがとうございましたー」
 レジを打って、これからデートであろう恋人たちを見送り。
「ざいましたー。
 ……リア充爆発しろー」
 壮太の声に反応して、品出しをしていた紡界 紺侍(つむがい・こんじ)も声を出した。後半でぼそりと言った言葉に「アホ」とツッコんでおく。
「だって羨ましいじゃないっスか! いいなーデートいいなァー」
「チラチラこっち見んな」
 と、雑貨屋のドアが開いた。
 いらっしゃいませと言いかけたが、ドアの前に立った彼女が、
「夜魅」
 蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)だということに気付いて名前を呼んだ。
「えへへ。そーた、迎えに来たよ!」
「おう。あともう少しだから待ってろ」
「うん。お店見てるね」
 昼過ぎまでバイトが入っていることは事前に伝えてあった。あともう少しである。レジの点検をして時間を潰し、12時になると同時にタイムカードを押しに行った。制服は私服の上からエプロンを羽織っただけなので、着替えも手早く済ませて。
 店内に戻ったら、
「今日はそーたと一緒にお出かけなの」
「いいなー羨ましいっス。楽しんできて下さいね。爆発できるくらいに」
「爆発はしたくないけど、そーたならぜったい楽しいところに連れて行ってくれるはずだよ。だからそこは心配ないわ」
「っスねー。あ、ほら彼氏さん来ましたよ。いってらっしゃい」
 夜魅と紺侍が話していた。
「お待たせ、夜魅」
 駆けて来た夜魅の頭を撫でて微笑みかける。夜魅がくすぐったそうに笑った。
「いってらっしゃい色男」
「茶化してねーでおまえは仕事しろ」
「したらデートしてくれます?」
「あーはいはいじゃあ今度なー。全部おまえの奢りで」
「フラれたァー! 夜魅さん、オレの分も楽しんできて下さいね……!」
「もちろん! ね、そーた。楽しませてくれるんでしょ?」
 夜魅が今度は悪戯っぽく笑う。挑発的とも言える笑みだ。将来が楽しみなような、怖いような。
「オレと居て楽しくなかったことあるか?」
「ないわ」
「だったら今日もそういうこった。行くぞ」
 手を繋いで、寒くないよう指を絡めて店を出た。


 2月。
 外はまだ寒く、夜から雪が降るという予報も出ていた。
 小ぢんまりとしたカフェを見付けて入り、奥の席に座った。寒いので窓からは離れる。
「何飲む?」
「あたし、ココア。そーたは?」
「コーヒー」
 オーダーしてからジャケットを脱ぐ。夜魅もコートを脱いだ。いつもの水色のワンピースではなく、赤やピンクを基調としたカットソーとスカートで、非常に女の子らしい。
「デートだからおしゃれしてきたの」
 壮太の視線に気付いたらしく、夜魅が笑う。間もなくして、ココアとコーヒーが運ばれてきた。「ごゆっくりどうぞ」の言葉が少し照れくさい。
「ね。あたし、可愛い?」
「ああ。可愛い」
「えへへ♪ 嬉しいなー」
 素直に笑う夜魅を見て、微笑ましいなと目を閉じた。ブラックのままコーヒーを飲む。次に目を開いた時、
「……どうした?」
 夜魅の表情が、心なしか沈んでいるように見えて。
 優しく問い掛けると、今度は泣きそうな顔になった。
「そーたがおにいちゃんみたいだから、おねえちゃんのに重なっちゃって……」
 扶桑に取り込まれている白花のことだと思い至る。が、詳しい事情はわからず、聞き役に徹するしかできない。
「あたし、真っ暗なところに閉じ込めていたおねえちゃんのことは大嫌いだった」
 ぽつり、ぽつり、ココアで手を温めながら夜魅が言う。
「だけど、それはあたしのため……あたしを助けるためだったんだよね?
 それがわかって、やっとおねえちゃんのことがすきになってきたのに……。
 なのに、あんなことになっちゃって……あたし、おねえちゃんのために何もできてない。けど、あたしはこうしていま、しあわせ。
 ねえ、いいのかな。あたしばっかり、いいのかな?」
「……お前は悪くねえよ。だから自分を責めんなよ」
 泣きそうな夜魅に、そんなありきたりな言葉しかかけられない。
 デートだから、笑顔で居て欲しい。楽しんで欲しい。幸せな気持ちの彼女を、家まで送り届けたい。
「……そーたはあたしがピンチの時は助けに来てくれる?」
「ああ。呼べよ、オレの名前。駆けつけてやる」
 約束、と小指を絡めた。
 それで夜魅が笑ってくれたから、及第点としておこう。


 さて一方、本日バレンタインデーが結婚記念日であるコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)ルオシン・アルカナロード(るおしん・あるかなろーど)の二人は。
「壮太さんが一緒なら安心ですね♪」
 二人並んでソファに座り、夫婦水入らずのおうちデートをしていた。
 有名パティシエの作ったケーキと、ケーキに合いそうな紅茶がテーブルの上にある。
「壮太と夜魅がデートか……将来は、いや、……まさか、…………。……なんだ? この気持ちは……」
 しかしルオシンは複雑そうな表情である。
 それは娘を取られてしまった父親の気持ちなのだが、ルオシンが知る由もない。気付いたコトノハがくすくすと笑うばかり。
「む。なんだ?」
「ルオシンさんこそ。
 せっかくの結婚記念日なんだから……楽しんでくれなくちゃ、イヤです」
 コトノハが擦り寄ると、「……それもそうだな」と言ってから微笑んだ。
「いままでありがとう、コトノハ。これからも、よろしく」
「はい♪ こちらこそ、いつも助けてくれて……ありがとう」
 触れるだけの軽いキスをして、手を繋ぐ。愛おしそうに指を絡めて、静かに時が流れる音を聞いた。
「ルオシンさん、あのね」
 静寂を破ったのは、コトノハ。
「先日の定期検診で、お腹の子の性別がわかったの」
「なんだと?」
 ルオシンに内緒で、こっそり一人で病院に行ってきたのだ。
 夜魅にも内緒だったから、この話は誰も知らない。誰にも教えていない。
「それで、性別は?」
「……それは、」
「……それは?」
「まだ教えな〜い!」
 焦らしながら、笑う。
 ルオシンは真面目な顔で、もうだいぶ大きくなったコトノハのお腹に手を当てたり耳を当てたり声をかけたり、なんとかして性別を自力で確認しようとしていた。わかりっこないので、五分ほどして諦めた。
「……しかし、不思議なものだな」
 お腹に手を当てたままで、ルオシンが言う。
「我は武器として作られたモノだ。でも、我の子供は確かに此処に居る……」
 感慨深く、愛おしそうに、親の顔で。
 そんな顔を見ていると、コトノハまでそういう気持ちになってくる。
 優しい優しい、親の気持ち。
「こんなにルオシンさんに愛されて、妬けちゃいます」
「一番はコトノハだぞ?」
「じゃなかったら許しませんー。だって私はルオシンさんを世界で一番愛していますし」
 愛の言葉を囁き合って、相も変わらず手と手を握って。
 顔を見合わせて微笑んだら、玄関のドアが開く音。
「あ。夜魅、帰ってきたみたいですね」
「もうそんな時間か?」
 時計は17時を指していた。


「おかえり、夜魅」
 母親であるコトノハに出迎えられて、夜魅はコトノハに抱きついた。
「デート、楽しかった?」
「うん! そーたと約束しちゃった」
「約束?」
「ひみつ! ね、そーた?」
「夜魅が秘密って言うなら言わねえよ」
 壮太の言葉にルオシンが反応する。が、夜魅が秘密と言った手前、根掘り葉掘り聞いてこようとはしない。いいパパだ。
「あら? リボン、新しいのにしたのね。可愛いなぁ♪」
「そーたが買ってくれた!」
「……ほう」
 さすがに今度はルオシンも声を出した。
「……中々良いセンスだ」
「そりゃどうも」
 何やら不穏な笑みで壮太を見ていた。疑問符を浮かべていると、「夜魅を取られないようにルオシンさんは心配なのよ〜♪」とコトノハが笑う。謎である。夜魅はルオシンの娘のようなものなのだから、取られるも何もないのに。
 それよりも、だ。
 ――去年渡せなかった、モノ。
 くいくい、夜魅はコトノハの服を引く。
「冷蔵庫の、中」
 言いたいことを察知したらしくコトノハがそう言った。冷蔵庫に、走る。
 かぱ、と扉を開けた先、綺麗にラッピングされた箱。
 それは昨日、コトノハと一緒に作った手作りのチョコレート。
 大切に大切に胸に抱えて玄関に逆走。壮太の前に立ってにっこりと笑い、
「そーた、はい!」
 チョコレートを手渡した。
「ママと一緒につくったの。きっとあまくておいしいよ!」
「ルオシンさんにも、私から。……今年は、私を渡せないのが残念ですけど」
 隣でコトノハもルオシンに渡して、二人ともにこにこ笑顔で幸せそうで。
 ――そーたも、幸せになってほしいな。
 このチョコがそのきっかけになれたらな、と。