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リアクション
第一章 HOLY WATER(聖水)
◇◇◇◇◇
<雪汐月(すすぎ・しづく)>
私がしている男物の腕時計は組織に与えられたもの。
物心もつかないほど幼い頃に 両親を亡くした私は、ある組織に拾われて、そこの一員として育てられた。
パートナーのカレヴィ・キウル(かれぶぃ・きうる)が連れ出してくれなければ、いまもあそこにいたと思う。
気がついたら呼ばれていた雪汐月という名前も、本当に自分のものなのかはわからない。
私がいなくなったいまは、組織には別の雪汐月がいるのかしら。
意識ある人生の大半をそこですごしたからか、なにか考えるとつい組織のことを思ってしまっている。
イヤだ。
忘れてしまいたい。
けれど忘れてしまったら、組織に依存して生きてきた私の人生は消えてなくなって、この、平和な現在しかなくなってしまう。
それでもいい気もするけど、なんだかこわいような。
転入して生徒の一員になったというのに、人前で蒼空学園の制服を着る気になれないのも、なんとなくそれがこわいからだ。
「時計ばかり眺めているな。時間を気にしているのか。
今日は、別に予定はないはずだが。
そろそろドックレースが始まるぞ。
生で観るとなかなか迫力があるらしい。出走が楽しみだ」
私をマジェスティックへ観光に連れてきてくれたカレヴィは、私の父親のような存在。
本人には言えないけど、きっと、私のこの気持ちは彼に伝わっている。
私たちは、マジェスティック内のイベントの一つ、ドックレースを観戦しに競技場にきていた。
数百人を収容できる競技場の客席は、八割がたは埋まっていて、観光客以外にもマジェスティックの住民らしき人たちの姿も多く、レースの人気の高さがわかる。
「……ここの雰囲気はキライじゃない。…競技場まで歩いてみて、マジェのお散歩MAPを眺めてて私、思ったんだけど……ストーンガーデンって時計みたいだなって」
「時計?」
首を傾げるカレヴィに私は、自分の腕時計をみせた。
「カレヴィは時計は好き?」
「いや特別、興味はないな。
汐月のこの時計は、どこか普通のものと違うのか」
「これは……四針の、GMT機能のある時計よ。
普通の時計は分を示す長針と、時を示す短針、それに秒針を加えた、三本の針、三針タイプのものが多いでしょ」
「うん。僕のもそうだ」
「私のには、さらにもう一本、長針よりも長い針がついてる。
この……赤いやつね。これも含めて四針。
四本目のこの針は、GMT針……と呼ばれているの」
「時分秒がわかれば十分な気がするが、GMT針はなにを計るんだ。
汐月は時計にくわしいんだな」
私の知識に素直に感心してくれるカレヴィは、子供みたいでかわいらしい。
私がこれを知ってるのは、組織での活動にGMT時計が必要だったから。
「GMTは、Greenwich Mean Time(世界標準時間)の略。
簡単に説明すると……この針は長短の二針が示している時間とは、別の地域の時刻を示しているの」
「つまり、これは、二つの地域の時間を示す時計なんだな。
なるほど、こいつならパラミタと地球のどこかの国の時間を同時に知ることができるわけだ」
「ええ……一般には、日付変更線を日常的にこえる職業の人たち、国際線のパイロットや地球規模で動き回るビジネスマンが愛用する機能よ……ストーンガーデンの場合、上空から見下ろすと、四つの棟の影が四針になると思う。
建物の大きさと陽のあたる角度から、背の高いIDEALPALCEが長針、最小で配置的にもちょうどいい位置にくるFUNHOUSEが短針、繊細かつ緻密なつくりのCATHEDRALは秒針、そして……建物同様、影も存在感がある最大の棟のCHARNELがGMT針ね」
「ユニークな仮説ですねえ。
そういたしますと、遥か上空にいる誰かのための時計であるストーンガーデンは、どこの国とどこの国の時刻を刻んでいるのですか。
そして、その動力源は。
戦乱がパラミタの大地を揺らすたびに自動巻きのネジが巻かれてゆくのかな」
いまの会話の途中で、私の隣の席、カレヴィとは反対側の、にきたその人は、私の話を聞いていたらしく、あいさつもなしに声をかけてきた。
一見、きれいでていねいだけど、奥底に残酷なものが横たわっている、組織にいる頃に何度か耳にした、普通の人はけっしてしない、できない、どこか壊れたしゃべり方。
質問に答える前に、私は相手の顔をみようと目をむけた。
「…あなたは…」
「こんにちは。こんなところでも推理を語っているとは、貴女は殺人事件の調査にきた探偵さんですか」
血まみれの月を連想させる赤い目と、透明なまでに青白い肌、ゴシックロリータ調のドレス。
美しいと言うには、完成されすぎ、人工的すぎる。
私は、この人物を知っている。
「……ノーマン・ゲイン…様」
「日中、まだ陽の光がさしている時間に、公衆の面前で様付けと、フル・ネームで呼ぶのはやめてもらえないか。
その敬意は謹んで唾棄させていただくよ」
彼は極めて上品に足元に唾を吐くとハンカチで口元をぬぐう。
私がいた組織は、彼と敵対したことも、彼の組織と手を組んだこともあった。
彼は、地球、パラミタの背徳の象徴。
悪魔も握手を拒む、汚濁した血族、尋常ならざるゲイン家の現当主ノーマン・ゲイン。
性別年齢不明の彼の人生はいつも血と策謀で彩られている。
私の過去は、彼の住む世界に属する物語だ。
「汐月。どうした。
こ、こいつは」
呆然としている私の肩をカレヴィが揺らす。
「私を様付けで呼ぶ汐月嬢。
汐月と呼ばれ、本当の名前を持たない貴女は、あの組織にいた少女だね。
組織を離れても、哀れにもまだ自分の名前はないようだ。心配しなくても、組織では、すでに別の汐月嬢が働いてる。
きみは、任を解かれたのさ。もう、好きな名前を名乗っていいのだよ。
元汐月嬢」
心のスキをつき、言葉巧みに人の感情を操るのは、彼の特技。
それは、わかっているけど。
私は、なにも言い返せずに。
「ノーマン。ここは貴様の居場所じゃない」
日頃は温和すぎるカレヴィがめずらしく怒声をあげ、ノーマンに殴りかかった。
カレヴィはめったにそんな話はしないけど、パラミタの裏社会についてはかなりの知識を持っている。
過去にいろいろあったらしいの。
ノーマンは、カレヴィの拳を避わし、座席の横に立ち、涼しげに笑った。
「暴力反対だ。
私はどこに行っても、嫌われる。
誰もが私をノーマンと呼ぶけれど、本当の名前はあるのやら、ないのやら。
私は、きみと同じで居場所も名前もないかわいそうな存在なのだよ」
それは、違う。
私は雪汐月。
私の居場所はここだ。カレヴィの隣だ。
蒼空学園だ。
「あなたは、消えてください!」
懐のダガーの柄を握って、私はノーマンに襲いかかった。
◇◇◇◇◇
<カリギュラ・ネベンテス(かりぎゅら・ねぺんてす)>
「おばぁちゃんの名前、なんやったかな」
そういえば、ボクはこのおばぁちゃんの名前をすっかり忘れとった。
店におった頃は、相手はお得意さんやし、当然、名前で呼んどったんやけどな。ど忘れや。
「あら。カリギィ。せっかく遊びにきてくれて喜んでいたのに、わたしの名前もおぼえててくれないの。
さみしいわね」
「ほんま、ごめん。なんでやろ。
思い出せへんのや。えっと」
「いいわ。わたしのことは、そうね、ミスMと呼んでちょうだい」
「Mってなんや。頭文字か。
007の上司がそんなやったな」
「ええ。あれをマネしてM。
でね、包帯ぐるぐるの女探偵さんもどこかへ行ってしまったし、わたしたちもそろそろ捜査を開始した方がいいと思うのよね」
「ミスMもボクと一緒に探偵するんか」
「ええ。お邪魔かしら」
「そないことはないけど。
そやな、今日は本物のサスペンス&ミステリをボクが味あわせてあげるわ」
「そうこなくっちゃ。わたしはそれを楽しむために、治安の悪いマジェスティックに住んでるんですからね。
それで、次はどこへ行くの」
「あんな。インクルージョンが働いとったちゅうドックレース場に行ってみたら、どうかと思うんや」
「それも悪くはないけど、わたしに考えがあるの。
これからしばらく、カリギィは私の甥っ子ってことにしてちょうだい。
あなたは、わたしに会いに地球のロンドンから観光にきた敬虔なクリスチャン」
「わかった。そんで、どこ行くんや」
ニセの聖杯作りに精をだしとったいう怪しげな男インクルージョンの下宿にきたボクとMは、今度はMの考えで、ストーンガーデンの要人の一人、オパールに会いに行ったんや。
Mは長年、マジェに住んどるだけあって、ガーデン内にぎょうさん知り合いがおって、どこに行っても顔パスやった。
オパールともアポなしなのに、ほとんど待たされずに御対面や。
オパールは、体格のいい兄ちゃんで、Mをみるとめっちゃかわいい笑顔になりよった。
「ジェーン。
急に俺に会いたいんだなんて、どうしたんだ。
一緒にいるその人は」
「この子は、わたしの甥のカリギィよ。妹のところの末っ子なの。
大きななりをしているけど、小さい頃から甘えん坊でね。今日も、突然、地球からわたしのところに遊びにきて、どこかおもしろいところへ連れていけってうるさくって。
でも、マジェ自体つい先日あんな事件があったばかりだし、ガーデンもいまは大変な時でしょう。
だから、わたしも困ってしまって。それでね」
Mはいたずらっぽく声をひそめた。
「この子に聖杯の間をみせてあげてくれないかしら」
「おいおい。いくらMの頼みでもそれはムリだ。
普段ならともかく、いまのこの状況でまったく関係のない一般人をあの部屋へ通すなんて」
オパールは難儀そうや。かわいそうやな。
「この子は熱心なクリスチャンなの。
ぜひ、あの、伝説の聖杯を一目拝みたいって。
わたしも噂には、聞いていますけどね。
あの部屋には一度も入ったことがないし、歳が歳だし、このままだと死ぬまで入れないかもしれませんからね。
あそこには、年中無休の交代制で常駐の番人さんもいるはずよね。
わたしたちはもちろんご迷惑をかけたりするようなことはしませんよ」
「俺個人としても、ギルドとしても、あんたにはたしかにこれまで何度か知恵を借りて世話になってる。
が、うーん」
深い深いため息をついて、二分以上黙り込んだ後、結局、オパールは、ボクらに聖杯の間を見学する許可をだしてくれたんや。
おおきにな。
ボクらはIDEALPALCEに案内され、入り口で目隠しされた。
手を引かれるままに歩きまわって目隠しを解かれた時、目の前にはあったんは、長い廊下や。
「ここからはお二人で行ってください。
我々は、戻ってこられるのをここでお待ちしています。
まっすぐ行けば、部屋につきます」
案内係の兄ちゃん二人に礼をして、ボクらは廊下を歩きだす。
「あんな、M。ボクら聖杯の間に行ってなにするんの。
まさか、そこにインクルージョンはおらんやろ」
「彼は、いないでしょうね。でも、部屋には四六時中、聖杯を見張っている番人さんがいるんです。
彼らならインクルージョンについてなにか知っているかもしれないでしょ。
聖杯を研究していたインクルージョンは、なんらかの形で彼らに接触して、聖杯の情報を得ようとしたのではないかしらね」
Mの頭の回転の早さにボクはびっくりや。
いままで話好きの気のいいおばぁちゃんやと思っとったけど、どうやらそれだけじゃなさそうやな。
そして、聖杯の間に着いたボクらを待っとったんは、死体と美女やった。
なんか今回の事件では、ボク、バリバリにミステリしてへんか。
な。してるやろ。なんでやろな。
聖杯の間は部屋の壁すべてに食器棚があって、棚一杯に大小、様々な食器が並んどった。
壮観やで。
「これがみんな聖杯なんかい」
部屋におったんは、何度か事件の調査で御一緒させてもろうたこともあるモデル級のブロンド美女、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)や。
「本物は一つだけよ。それ以外はまがいもの」
「きみ、こんなとこでなにしとんの」
「この人にナンパされて、おもしろそうだからついてきてみたんだけど、彼、私に度胸を示そうとして、ニセの聖杯をあおって死んじゃったみたい」
あっけらかんと言うリカインの足元には、大口開けて、白目、大の字でのびとる兄ちゃんが。
番人さん。ナンパしていいとこみせようとして、このザマかい。
あかんがな。
「ばぁちゃん。こいつ、どないすんねん」
つい、ボクはMに聞いてしまったわ。
◇◇◇◇◇
<戦部小次郎(いくさべ・こじろう)>
フィクションの中にしか登場しないと思われてきた竜や怪物、太古の技術を利用した巨大ロボット等と日夜、戦っている兵隊さんの私が言うのもなんですが、戦場にいると常識ではありえない経験をすることが多々あります。
いわゆる第六感や虫の知らせのおかげで、危機を逃れただとか、夢に家族や亡くなった仲間たちがあらわれて助言を与えてくれたとか、実例を列挙してゆくとキリがないんですがね。
私はこれらの事象を偶然や思い込みと決めつける気もなく、まあ、そんなこともあるだろうと、あまり深くとらわれずに流しております。
場数を踏んだ軍人は、みな、ある意味、繊細ではありますが、反面、非常に図太いですからね。
そうでなければやってられないという現実の要請もあってそうなるわけですが。
けれども、こんなふうに私が考えているのも、いま、目の前で起きている事象には、いささか動揺しているからこそ、気持ちを落ち着かせるために、あれこれと思いをめぐらせ、自分の経験や知識の幅の中に、この現実を落とし込もうと、無意識に努力している結果だと認識しています。
私、理屈っぽい面倒くさい男ですかね、すいません。
何も考えずに、ドンパチするのも好きなんですけれどもね。
結論を述べますと、私とクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)中尉がダウンタウンで発見したインクルージョン殿は、救助から数時間後には、スコットランドヤードの医務室で普通に会話ができるくらいまでに回復されました。
常に現場、現実主義たらんとする軍人が口にしてはならない言葉ですが、まったく、ありえないです。
切り落とされた手首、足首が生えてきて、眼球は復元しました。私がその過程を逐一、見ていなかったのは幸運なんでしょうか。
彼の回復は、安宿からヤードへ運ばれるまでの救急車の車中ですでにはじまっており、車がヤードに着いた頃には、もう普通に話せる状態になっていました。
「インクルージョン殿は、これでも、まだ、人間なんでしょうかね」
「そのカテゴライズは、我々の役目ではないだろう。
猟奇殺人事件も魔法がからむと御伽噺のような感じになるな。
本当のところ、惨殺と復活、どちらの事象が気味が悪いのかはわからんが」
クレア中尉はいささかあきれ気味につぶやくと、私より先にインクルージョン殿に尋問し、さっさとガーデンに戻ってしまわれました。
やはり、彼女はいついかなる時もしっかりしておられるなあ、と感心することしきりですね。
さて、私も不死身の怪人とお話するとしましょうか。
「インクルージョン殿。私は、ストーンガーデンのなんでも屋戦部小次郎です。
奇跡の回復を果たしたばかりのところ、申しわけありませんが、貴殿がこれまで撒いてきた種があちこちで悪い結果を生んでいるようです。
貴殿は、この責任をどう取られるおつもりですか」
いきなりでなんですが、彼があまりに普通に、シャツを着、ズボンをはき、メガネをかけてのほほんと座っていたので、つい本音がでてしまいました。
彼は学者、研究者っぽい雰囲気の痩せた青年です。
「ああ、あなたは、僕の恩人ですね。もっとも、あなたがいなくても、僕はかなりの確率で助かったと思うのですがね。
いやいや仮定の話はやめておきましょう。
僕はあなたに感謝しますよ。バスタブからだしてくださって、ありがとう。
しかし、どうです。僕の魔術の力は。
そりゃ、まだまだ師匠の域には及ばないのは自覚してはいますが、にしても、あの状態から短時間でここまで回復するとは、我ながら驚嘆せざるおえません。
僕を水につけておくことで血液の凝固をとめようとしていたあいつらのたくらみなど、なんの効果もありませんでしたね。
あの程度のやり方で、僕を殺そうなんて」
「切り裂かれた喉が完全に復調したのは了解しましたので、少し黙っていただけますか。
それとも、今度は、私の教導団仕込みの技術が、あなたのご自慢の肉体にどれだけダメージを与えられるかを実験して欲しいのですかね」
「ハハハハハ。ご冗談を。
僕は被害者ですよ。あなたも僕がひどいめにあったのを見たはずだ。同情されこそすれ」
「身からでた錆」
「僕の体から金属が検出されましたか、それはおかしいな。
これまでにない症例だ。
興味深い」
「日本のことわざですよ。貴殿があんな目にあった原因は、貴殿にある、という意味です。
賢い貴殿は、人の話を聞くが苦手なようですので、簡潔にすませましょう。
私は、正直、貴殿を葬る必要があると認識しました。
貴殿の発明も、貴殿自身も、この世界に存在していてはいけないようだ」
言葉ではなく空気から、インクルージョン殿は私の本気を感じとったらしく、ようやく口を閉じてくださいました。
脅し半分なんですがね。
「いくらなんでも自覚しておられるでしょう。普通の人間社会に貴殿の居場所はもはやありません。
貴殿は、はみだしすぎてしまった。
処罰がくだされるのは、自然の理です」
「つまり、この世界の摂理が僕を消滅させられる、と」
まだ、どこか余裕のありげのインクルージョン殿に、毎秒650発の実弾を撃ち込むか、パワードスーツで脳天から叩き潰すか、選択を悩んだのは、私の未熟さだと思います。
「摂理に消される前に、私の質問に答えていただきたい。問いは、二つです。
一。貴殿を先ほどの状態にした人物は誰か。
二。貴殿が聖杯とやらを作製した目的は」
「黙れと言ったり、話せと頼んできたり、なんなんですかねぇ。
あなたは一応、命の恩人であるわけですから、それに免じて話してあげますが」
そんな前置きをしなくても、貴殿が話したがり屋なのは、承知している。
「一。僕を襲ったのは、マジェスティックの裏社会の連中ですよ。
僕自身はどうとも思っていないんだが、聖杯もどきの失敗作をいくつか世に流したら、夢中になるバカがでてきましてね。
そいつらの行動があまりに見境がないもんだから、普段、くだらないクスリやなんかを扱ってる連中に、僕が自分たちの市場を荒らしてると逆恨みされて、まったく、とばっちりですよ。
生命の大いなる実験に参加している自覚のないやつに、例えできそこないでも聖杯もどきなんて売るんじゃなかった」
貴殿自身は実験の成果を娼婦との三日三晩ぶっ通しのマラソン交渉で確認するような、高潔な御仁ですからね。
「戦部さん。あなたはどうですか。僕のような力を手に入れたくはないですか。
あなたになら、僕はとっておきの出来のよいやつをお譲りしてもいいんだけどな」
「結構です。
それでは、問い二にも答えていただこう」
「ふふふ。あなたはカタいなあ、そんな窮屈な生き方、僕にはとても真似できませんよ。
僕ら魔術師は世界のルールさえも自分で書き換えて自由に生きるんです」
それを自由と感じる時点で、既存のルールにとらわれすぎているのではないですか。
「いまさら隠すのも意味がありませんから言いますが、僕の師匠のメロン・ブラック、つまり、アレイスタ・クロウリのためですよ。
師匠は、僕が聖杯を持っていくのを待っているんです。
この間のイコンの集中攻撃でさすがの師匠も弱ってましてね、完全に復活するためには、聖杯の力が必要なんです」
「師匠思いの貴殿は、すでに聖杯を完成させ、後はお師匠様のところへ持ってゆくばかりという段階なのですか」
「まあ、そんなところなんですが」
思わせぶりにインクルージョン殿は、言葉を切ります。
「いまや僕が聖杯なんですよ。僕は体の中にその力を取り込むことに成功したんです」
ゾクリと悪寒を感じました。
この男は、とてもバカげたことをしている、私の直感がそう告げたのです。
「貴殿は、どんな方法でそれを実現したのですか」
「あなたが僕を解剖したなら、きっと驚くでしょうねぇ。僕にはもう心臓はないんです。
僕はガーデンで、お師匠さえ召喚したことのない太古の神々、悪魔たちを呼びだし、契約を交わしたんですよ。
彼らに良心と心臓をさしだし、その代償に聖杯を授かった。
あれは、杯の形をしてはいるが、僕の心臓なんです。
離れた場所にあろうとも、僕はあれとつながっている。いまや僕が聖杯なんです。
クロウリ様だって、僕を無碍にはしないはずだ」
普通、バカにもほどがあるのですがね。
常識の通用しない貴殿には、それもわからないようです。
貴殿は破滅への片道切符を二重三重で予約されているのに、気づきませんか。
貴殿が何者であろうと、もはや、驚くのはやめにしましょう。
私は、私の仕事を果たすことに集中するとします。
「ほほーう。インクルージョン殿。貴殿は知恵と勇気にあふれた、まったく大した人物ですね。
私は、貴殿の半身ともいうべき聖杯をぜひ拝見したのですが、それはどこにあるのです」
「ようやく僕の偉大さがわかりましたか。いいでしょう。戦部さん。
あなたは、なんでも屋さんでしたね、僕の心臓探しをあなたに依頼しますよ。
たいして手間はかからない仕事だと思います。
僕と心臓は、離れていても互いにひかれあうのです。
僕には、効果を測定するためにバカどもに貸してやったあれがいまどこにあるのか、だいたいはわかっているんですよ。
あなたには少し手伝ってもらうだけですむと思います」
「そのご依頼、喜んで引き受けさせていただきます」
◇◇◇◇◇
<リカイン・フェルマータ>
石庭で 出会った彼は 見張り番 約束の水は口うつしで 頼んだ私は殺人犯 (リカイン)
私が殺人犯人リカイン・フェルマータです。
ナンパされてIDEALPALCEの聖杯の間に連れてこられたの。
彼は代々ガーデンに住んで、聖杯の見張り番をしている自分の一族に誇りを持ってた。
彼と一緒にガーデンでずっと暮らしてくれるお嫁さんを募集中で、偶然、知り合った私に一目ぼれしちゃって。
この件で責任を追及されても困るんですけどね、私からさそったわけじゃないし。
外見であっさり異性に引っかかっちゃう人ってなんなんだろ。ギャンブラーすぎる。
会って3600秒で、人生くれと言われても、ホレられた方がビビります。
永遠の命をあんたにやる。俺の職場にきてくれ。って何度も言うから、ついていってあげた私にも問題があるんでしょうが、にしてもね。
部屋に山ほどある食器の中から一個だけ本物があるから、それを選んでくれ。なんて、私は食器の鑑定士じゃないんだから、ムリですってば。
あきれて帰ればそれでよかったんだけど、からかうつもりで、
「私だけ永遠に生きてもしかたないでしょ。
あなたが杯を選んで口うつしで、私にちょうだい。
これから、私の旦那様になるんなら、それくらいの度胸をみせて。
ずっと聖杯を守ってきた一族なら、どれが本物なのか、わかるでしょ」
彼、どれが本物なのかは俺も知らないんだ、なんてぼやいてたけど、最後は覚悟を決めて、一つの杯に手をのばしたの。
私、まさか、ニセモノの杯が、軽く口に含んだだけで、死んじゃうほどヤバイ代物だとは思ってなかったから。
「殺すつもりはなかったんだけどね。運が悪い人」
「そんでしまいかい。こいつ、どうするんや。
それにきみも、こいつと口うつしで聖杯飲むとかな。こんなとこで、男心をもてあそんで。ほんまにもう」
「そんなの、ほんとに口うつしする気なんてなかったら、顔を近づけてきたらパンチしようと思ってたのに」
「それはそれで問題やろが」
「でも、こうなったからには、私、逃げも隠れもしないから。
さあ、殺人犯人としてヤードへ引っ張っていってちょうだい」
「待てや。きみ、いろいろ勝手すぎるで」
ふう。
カリギュラ・ネベンテスとおばぁちゃんが部屋に入ってきた時は、少しは頼りになる気がしたんだけど、この人たち役に立たないかも。
「ねえ。わたし、お二人にききたいんだけど、カリギィも、リカインさんも、本物の聖杯がどれかはわからないの」
「なんやM。どういう意味や」
「彼のお話の通りなら、本物を飲めば門番さんは生き返るんですよね。
それに、いま、わたしは脈や呼吸をたしかめましたけど、彼は本当に亡くなってしまっていますから、ニセの杯を口にしても、これ以上ひどいことにはなりそうもないでしょ。
彼の口で、片っぱしから杯を試してみたらどう。
いま、人を呼んでも、この部屋が閉鎖になって、リカインさんが捕まってそれで終りですよ。
だったら、少しの間、ここで聖杯探しをするのも悪いアイディアではないと思います」
なに、このおばぁちゃん。
そう言いながら、適当に杯を選んで、私の手に渡してきたわ。
「飲ませる、って。どうやるの」
「寝かせたままの彼の頭を傾けて、杯から水をこぼして、唇を濡らしてあげれば、それでいいんじゃないのかしらね」
なんだか、彼女、ウキウキしてる感じがするんですけど。
「おもしろいわね」
私は、彼女の提案にのることにした。
「Mもリカインも、この最悪の状況を楽しんどるようにみえるんやけど。
推理研のメンバーといい、きみら、たくましすぎるわ。
女の子ちゅうんは、こういう時は、キャーとか言って気絶したり、半狂乱になるのが定番やないんか」
「カリギィ。犯罪現場であからさまにそんな反応をする女の子にあったら、その子は要注意人物ですよ。
騙されないように気をつけなさい」
「そうね。私もその意見に賛成」
私とMがてきぱき、カリギュラがしぶしぶと、三人でかわるがわるに彼の唇を濡らし続けていたら、私、思いついた。
「お二人さん。気づいてしまったんですけど、簡単に、聖杯をみつける方法があるわ。私が歌えばいいのよ」
Mが好奇心に、カリギュラが猜疑心に満ちた目を私にむけたわ。
「私、歌姫なの。
ここで、咆哮で強化した幸せの歌を歌って、それでも崩れ去らずに残った杯が本物よ。
災いをもたらす杯は、私の歌で消え去るはず。
二人とも、杯を置いて。
いいわね。
歌うわよ」
私は、呼吸を整える。
もし、私の歌でこの部屋の杯がすべて消えてしまったら、それはそれで事故だと思うのよね。
◇◇◇◇◇
<茅野瀬衿栖(ちのせ・えりす)>
私、茅野瀬衿栖は、シェリル・マジェスティック(しぇりる・まじぇすてぃっく)、水橋エリス(みずばし・えりす)さん、リッシュ・アーク(りっしゅ・あーく)さんの三人と一緒に、乗合馬車でイースト・エンドへむかいました。
数ヶ月前の切り裂き魔事件の舞台になった、マジェスティックのダウンタウンです。
シェリルの占いだとそこのホワイトチャペル地区にニセの聖杯、死の杯があるらしいの。
ホワイトチャペル。
白い礼拝堂という名前とは裏腹に、地球の十九世紀のロンドンではあらゆる犯罪と悪徳のはびこる貧民街だった場所。
マジェのホワイト・チャペルはさすがにそんなことはないらしいけど、それでも、マジェ一の風俗街でかなり治安が悪いって話は聞いているわ。
マジェに来園する成人男性客の半数以上が、夜のホワイトチャペルを訪れるんだそうです。
困ったものですね。
そんな需要にこたえてか、ホワイトチャペルには性風俗のお店ばかりやたらとあるんですって。
捜査とはいえ、そんなお店をめぐり歩くのは、気が重いなあ。
「衿栖。あなたの予想は外れるわよ。
状況は刻々移りかわっているの。
イーストエンドで私たちを待ち受けるのは、理不尽な暴力。
それは、来訪者によってもたらされるわ」
シェリルがタロットカードを眺めながら、つぶやきます。
彼女の占いは、へたな天気予報よりも、的中率が高いのですが、私、今朝からずっとシェリルといて気づいたんですけど、雑誌やネットの星座占いとか、街の辻にいる占い師さんたちって、あまりはっきりとものを言わないというか、最後の判断は聞き手に任せて、どうとでもとれるあまいな言葉を並べる人が多いでしょ。
よくとるも悪くとるも聞き手の考え方しだい、占いの結果って普通、そういう感じですよね。
シェリルのはそうじゃないんです。
この子は、あなたはいまから五分後に骨折するわ、とかみもフタもないこと言っちゃって、それが当たるんですよ。
占いをしてもらう多くの人が望んでるのは、そのものズバリのキラーパスではなくて、もっと抽象的なアドバイスなんじゃないのかな。
これだと、かえって怖くって占ってもらうのに勇気がいります。
悪い結果がでて彼女に文句を言っても、私が決めたわけじゃないわ。カードが告げたあなたの運命よ。イヤなら運命と闘って勝つのね、ってしれっと答えますから。
正しいからこそ、かわいくないんです。
だからけっして商売上手ではないと思うんですが、それでも人気があるのは、占い師としての実力ですかね。
二人でマジェを歩いていても、彼女に占いを頼む人が次から次へとよってきます。
今日の運勢とかをシェリルも立ち止まってすぐに占ってあげて、料金もほんの気持ち程度しかとりません。
毎日くる人もいるらしいの。
ほんと生活に蜜着している占い師さんです。
「あなたの占いがすごいのは、よくわかりましたけど、隣にいて、あんまり正確に考えを見抜かれたりすると、気分がいいもんじゃないわ」
「それはごく普通の反応ね。喜ぶようになったら、病気よ」
「もうちょっと言い方を優しく遠まわしにするとか、できないわけ」
「そうすると、占いの結果が正しくに伝わらなくなる。
衿栖は、自分に都合のよいでたらめを聞きたいの」
「ああ言えば、こう言うし、シェリルって、方向音痴のとこ以外は、全然、かわいいくないっ」
彼女の方向音痴っぷりはとんでもなくて、自分の家の中でも迷って、トイレにも行けないんじゃないかってレベルなんです。
「そうね。負けずぎらいの衿栖としては、他人の特技を間近でみせられるのは、ストレスもたまるし、愚痴も言いたくなるでしょうね」
「シェリル。ちょっと、カード貸して」
私は半ば強引にシェリルの手からタロットを奪い取りました。
シェリルにとっては、占いに使うタロットカードは自分の体の一部みたいなものらしくて、気がつくと誰かに占いを頼まれていなくても一人でカードをシャッフルしてるし、だしたり消したり、すごく器用に、華麗に扱います。
でも、人形師の私としては、手先の器用さなら彼女に負けない自信がありまして。
私は、限界ギリギリの速さでカードをシャッフルすると、束にして宙に放り投げました。
馬車内の他の乗客のみなさんが私に注目します。
広範囲にばらばらに宙にひろがったカード。
私は、私の分身たる四体の操り人形、リーズ、ブリストル、クローリー、エディンバラを鞄からだし、四体にカードを追わせます。
極細ワイヤーで私が操る四体が空中でそれぞれカードをまとめ、集めて、四体ほぼ同時に私の膝の上に着地しました。
馬車内に拍手と驚嘆の声がひろがります。
「ショーの最中に悪いが、衿栖、シェリル。俺も行くぜ。ウチのマスターが降りちまったんでな」
私の隣にいたリッシュさんが席を立ち、走っている馬車から飛び降りました。
みると、彼のパートナーの水橋エリスさんがすでに先に降りていて、入り組んだ街中をどこかへむかう彼女の小さな背中は、すでに私の視界から消えかけています。
「シェリル。私たちも」
と、私が聞く前に、シェリルは人形たちの手からカードを抜き取り、さっさと馬車から降りてしまいました。
「待って。一人で動くと迷子になるよ」
私も両腕で人形たちを抱きしめて、馬車から石畳の道路へダイブです。
◇◇◇◇◇
<水橋エリス>
馬車の窓から外を眺めていたら、路地にいる彼と目が合った気がしたのです。
暗くて狭い路地に直接、腰をおろし、壁に背をもたれ、うなだれたような姿勢でいる彼が、偶然、視線をむけた先に私の乗った馬車が通った、というのが真相なのでしょうが、私は、彼が私を認識し、なにかを訴えているように思いました。
彼とは以前にどこかで会ったことがあるような感じさえしたのです。
気がつくと私は馬車を飛び降り、彼に駆けよっていました。
「あんた、来てくれたのか」
建物と建物の間の、ただの隙間でしかないような湿った路地で、やはり彼は私を待っていました。
「あなたは、あの時の。
どうしたのですか。前にリッシュに痛めつけられたように、またどこかの乱暴者にやられてしまったのですか?
失礼ですが、あまり強くはないのですから、悪ぶるにしても、相手を選ばないと。
後で痛い目に会うのは、あなた自身なのですよ。
あなた、今日もボロボロですね。
まずは、病院へ行かないと、ほら、肩を貸してあげます。立てますか」
「頼む。助けてくれ」
「ええ。ですから、私と病院へ行きましょう」
「お願いだ。あんたコントラクターで探偵だったよな!?
探偵なら助けてくれ!
コントラクターなら救ってくれ!!」
「落ち着いてください。私は、あなたが気になって馬車をおりてここまできたのです。
助けにきたのですよ。そんなに泣いてしまうほど、ひどいめにあったのですか。
かわいそうに」
「マスター。お人好しもたいがいにしてくれ。
行動的なお人好しってのは、なんとかに刃物だな。
以前に自分を色街に沈めようとしたチンピラ相手に、どうしたらそんなに親切にできるんだよ。
まるで、お姉さんかお母さんだ」
いつの間にか私の後をついてきたらしいパートナーのリッシュが、彼を介抱する私を眺め、深いため息をつきました。
「お、おまえは。ひいいいい」
リッシュを見た彼はおびえ、さらに強く私に抱きつきます。
彼は、リッシュには、重傷を負わされたことがありますから、当然の反応かもしれません。
「てめぇ。いい加減にしねぇと今度は、逆さ吊りにして、生きたまま股間を引き裂くぜ」
「リッシュ。脅してはダメです。
いまのこの人には、もう虚勢をはる気力もありません」
にしても、服は破れ、薄汚れ、髪とヒゲは伸び放題、痩せ衰え、やつれきってはいますが、よくみると前回、リッシュにやられたあちこちの骨折、裂傷がすっかり治っているのは、すごいですね。
驚くべき回復力です。
「あのな、マスター。俺は気づいちまったんだけど」
「たぶん、私もいま、あなたと同じ点に気づいたと思います」
「こいつ、あれ、だよな」
「ええ」
「おまえ、あの水に手ぇだしたろ」
リッシュが尋ねると、彼は途端に泣きやみ、おそるおそる顔をあげ、ゆっくりと頷きました。
「あんたたちにやられちまったのがケチのつきはじめで、あれから俺は、ロクなことがなかったんだ」
「別にそれは、俺らのせいだけじゃないだろ」
「しっ。彼の話を聞いてあげましょう」
不服そうに鼻を鳴らし、リッシュは彼をにらみつけます。
その視線が怖いらしく、彼はまた、私の肩に顔をうずめ、そのまま、小声で語りだしました。
「あんたらと兵隊野郎が俺のいた組織をブッ壊しちまった。
俺は居場所をなくして、仲間たちにも疫病神呼ばわりされて、あんたらを、仲間たちを見返したかったんだ」
「御迷惑をかけてごめんなさいね」
「なに謝ってんだ。マスター。そんなの、こいつの身勝手な泣き言だぜ」
リッシュに文句を言われながら、私は彼の乱れきった髪をなでるようにして、整えてあげました。
彼がいまの状態になった責任の一端は私たちにありますし、現在の彼は、どうみても弱者なのですから、親切にしてあげてもよいと思います。
「俺は、這い上がるきっかけを探していた。
そうしたら、あいつがそんな俺にこれを」
彼は、ポケットから布に包んだ小さななにかを取りだし、私の手にそれを押しつけました。
「最後の一個だ。一番できのいいやつ。
俺は、それだけは手放せなかった。
けど、それを持っていたら、この先、俺は。
あんたにくれてやるから、どうとでもしてくれ。
杯自体や、杯で汲んだ水をさばいて、俺はやり直すつもりだった。
はじめは、うまくいくかと思ったんだ。
でも、ダメだった。そいつはヤバすぎる。人を化け物にしちまうんだぜ」
「あなたも、これで汲んだ水を飲んでしまったんですね」
「あんたらにやられたりした傷やケガが痛かったんだよ。
ただの水だし、まさか、これなしじゃ、やっていけなくなるなんて、思ってなかった」
「てめぇ、黙ってきいてりゃ、グダグダと言い訳ばっかり並べやがって。
自分が選んだ生き方だろ。結果がどうあれ、人のせいにせず全部、自分で受け止めるのが、男じゃねぇのか」
リッシュに怒鳴られたのが合図のように、彼はわんわんと泣きだし、そして、軽やかな足音が二組、私たちのところに近づいてきて、
「水橋さん。あなたが手にしてるのは」
「それは、死の杯ね」
人形師の茅野瀬衿栖さんと占い師のシェリル・マジェスティックさんが、路地にやってきました。
私は布ごと杯をシェリルさんに渡します。
「あなたの占い通り私は、杯を見つけたようです。私はこの人を助けてあげなくてはなりませんから、この杯はあなたにお任せしたいのですが、よろしいですか。
あなたには、この杯がどんな運命をたどるのかも、わかるのでしょう」
「この杯は災いしか生まない」
杯を布に包んで懐にしまうと、シェリルさんは澄んだ青い瞳を大通りにむけました。
「ここから先は、エリスとリッシュはその人と。手先の器用な人形使いは私ときて」
行き先も告げずに彼女は駆けだします。
「だから、あなた、一人だと迷うって言ってるでしょ」
私とリッシュに会釈をし、衿栖さんは彼女を追いました。
「俺たちはどうすんだよ」
「まずは、この人を病院へ。そして、今後、彼が次の人生を歩めるように、できる範囲でのお手伝いをさせていただくとしましょう。
彼が診察されている間、ヤードへ相談にゆくのもよいですね。
そうだ。ルドルフ神父さんは、こういう方には優しいのではないのでしょうか」
「ったく、この人だきゃぁ…。
俺のマスターは、聖母様かよ。
しょうがねぇな。こいつ、いつまでも、マスターにしっかと抱きつきやがて。病院までは俺が担ぐぜ。
おい。背中に乗れって」
リッシュの背中の彼をのせて、私たちも大通りへでます。
◇◇◇◇◇
<耶麻古かたり(やまこ・かたり)>
「かたりは、レースの日傘をさした赤目のお姉ちゃんに、こっちにかたりに会いたがってるお兄ちゃん、お姉ちゃんがたくさんいるってきいたの。
それで、こっちにきてみたんだ。
このあたりは、ほんとに、大きいお兄ちゃんとお姉ちゃんが道にもお家にもいっぱいいて、うれしい。
かたりは、かたりより小さい子はキライ。
だから、小さい子はみんな死んじゃって欲しいの。
かたりより大きいお兄ちゃんとお姉ちゃんは大好きだから、好きすぎて殺しちゃうの。
みんな、みーんな! かたりは、マジェスティックのみんなが大好きだよ!
あ、でもちょっと大嫌いかも」
「先ほどカラ、路上で物言わぬ人に懸命に語りかけておられるお嬢サマ。
貴殿ハ、その方が氷像と化しているのに気づいてオラレマスカ」
かたりが一生懸命、お話してるのに、横から口をはさんでくる人がいるんだ。失礼だよね。
「お姉ちゃんは誰よ。かたりはお話中だよ。順番は守らないといけないんだ。
かたりは、自分より年上のお姉ちゃんは大好きだから、あなたも殺しちゃうかもしれないけど、それまではおとなしくしてて」
「それは無理難題デスネ」
なに、この人。言葉がおかしい。
「さらに言わせていただキマスト、ワタクシのことはお姉ちゃんではなく伯爵と御呼び下さいまセ。サン・ジェルマン(さん・じぇるまん)伯爵デス。
今日は、誰も彼もがワタクシを姉と呼びたがる奇妙な日でゴザイマス」
お姉ちゃん。あんまりうるさいとすぐに殺すから。
「ワタクシは仕事半分、遊び半分でこの街を訪れた卑しきモノ。
されども貴殿の所業は、たとえ背徳にまみれていようとも人と人との肌と心のふれあいの上に成りたっているこの街に、ふさわしくありマセンネ。
見過ごすにはあまりに、アマリニ」
ここはね、マジェスティックのイースト・エンド、ホワイトチャペルっていうとこなんだ。
ここにいるのは、かたりに殺されても文句を言えないイケナイことをしてるお兄ちゃん、お姉ちゃんばっかりだって、赤い目のお姉ちゃんは教えてくれた。
かたり一人でみんなを殺すのは大変だから、フラワシのパルヴァライザーに手伝ってもらって、かたりが好きな人は、セルケトで氷像。嫌いな人は、セクメトで消炭にしてる。
かたりはなんにも悪いことしてない。
パートナーの伊吹藤乃(いぶき・ふじの)もいつもかたりを叱ったりしないもん。
「お話させていたダイテ、気づいたのですが、貴殿は、キョウカ人間デスネ。狂化とは、まさに言えてミョウ
。力づくで貴殿と貴殿のフラワシを打ち倒すのは、ヒルダ殿ならともかく、ワタクシ一人では力不足。ナラバ」
「お姉ちゃんは、おしゃべりがヘタだから、かたりはなに言ってるのかさっぱりわからない」
「意味がわからぬならそれも結構。しゃべりは不要というコトデ、ヤードがくるまでの時間つぶしニ、ワタクシの魔術でもごらんクダサイマセ。
貴殿の大好きなお兄様をワタクシのハンカチデ、消してごらんにイレマショウ。
デハ、マジックをしますヨ。
一、二、三」
マジックは手品のことだよ。
お姉ちゃんは、かたりの目の前にハンカチをだして、さっきまでかたりがおしゃべりしていた、氷になったお兄ちゃんを隠したの。
意地悪しないで。
このお姉ちゃん、うるさいし、邪魔だから、パルヴァライザーを使わずに、かたりが自分で殺っちゃうよ。
さあ、殺そうって決めたら、ちょうど、お姉ちゃんはハンカチをどけた。
「ごらんアレ。氷像のお兄様は、影も形もゴザイマセン」
おやや。ハンカチがなくなったら、お兄ちゃんも消えちゃったよ。
「実はワタクシは魔術師デス。
本日は、ここに魔術の実験に参りマシタ。お兄様と同じように、貴殿も消してさしあげまショウカ」
「ウソつき。魔術師だなんて、最初は言ってなかったじゃない」
「ウソこそ真でこざいマスル。
ワタクシにとっては、ウソこそが口にすべき真実の言葉。この世にウソがなくなれば、ワタクシの人生は価値ナシ、意味ナシデス」
「わけわかんないから、しゃべんないで!」
「それは失礼いたしマシタ」
お姉ちゃんが、わけわかんないことばっかり言うから、頭が混乱しちゃう。
くぅ。
今度は、急にかたりの腕が切れて、血が流れだしたの。
「ヤードが到着したようデス。通りで派手にやらかしていたワリにはハ、来るのが遅かったデスネ。
フラワシが傷ついたので貴殿もダメージを受けたのデショウ。
ワタクシとシテハ、逮捕される前ニ、ここから立ち去るプランをおすすめイタシマスガ。いかがされマス」
ヤードなんて人、かたりは知らない。
パルヴァライザーが誰かに攻撃されたらしいのは、かたりもわかった。
あの子は素早いから、簡単にやられたりしないわ。きっと、うまく逃げ切るはずよ。
「お姉ちゃんをブチ殺すか氷像にするかは、今度、会うまでに決めといてあげる。さようなら」
◇◇◇◇◇
「ヤレヤレ。武力ではとても太刀打ちできない相手ト、口先一つで渡り合うノハ、やはリ、楽しいデスネ。
お二人トモ、もうでてきてくださってカマイマセンヨ。
ワタクシの目の合図に合わせテ、氷像を物陰に隠してくださって感謝いたシマス」
「えーと、疑問なんですが。あなたは、私とシェリルがあの手品に協力しなかったら、どうするつもりだったんですか」
「衿栖は知らないけど、私は、カードが示す自分の役割に逆らったりはしないわ」
「そういう意味じゃなくて。
だって、なんの打ち合わせもなしに、ただ側で見ていただけの私たちが手伝うかどうかなんて、わからないでしょ」
「イイエ。ワタクシとの会話に意識を奪われていたかたり殿ニハ、貴殿らの姿はまるで見えていなかったヨウデスガ、ワタクシハ、貴殿らのワタクシに好意的な好奇心を持った視線を感じておりマシタ。
危機的状況にナッテ、目配せをスレバ、貴殿らがきっと助けてくださると確信シテオリマシタ」
「へえ。視線だけで、そんなにわかるんですね」
「簡単に信用しないの。きっと、これもでまかせよ。
私はシェリル・マジェスティック。彼女は、茅野瀬衿栖。
私の占いでは、シルクハットに片眼鏡の詐欺師のあなたは、聖杯について私たちに語るべき知識を持っているはずだわ。それを教えて欲しいの」
「用件はそれデスカ。
でしタラ、ワタクシが伝えられるノハ、ここで待テ、デゴザイマス。
この言葉ハ、信じてくださいマスカ」
◇◇◇◇◇
<ウォーデン・オーディルーロキ(うぉーでん・おーでぃるーろき)>
呼ばれてなくても飛びだす、ジャジャジャジャーン。の、同時性二重人格者ウォーデン・オーディルーロキのロキの方だよ、よろしくねぇ〜♪
さっきまで被告人のゲドー・ジャドウ(げどー・じゃどう)、ジェンド・レイノート(じぇんど・れいのーと)、シメオン・カタストロフ(しめおん・かたすとろふ)の三悪人と一緒にいたからさ、あの人たちのスーパーハイテンションが移っちゃったよ。
ゲドジャドなんて、俺様はハメられたって言い張って、怒り狂い、吠えまくりで、暴走0・五秒前っていうか、法廷でこれから殺人しちゃいそうな勢いなんだ。
「復讐だ。それしかない。俺様をこんなめに会わせたやつ、疑うやつ、おもしろ半分でこの法廷にきてる連中も、ついでにアンベールちゃんも全員、リンボ(辺獄)に落してやる。
地獄よりもマイナーな死の世界で悶え苦しむがいいさ。
だ〜ひゃっはっは! 俺様以外、みんな不幸になぁ〜れ!」
……。
ジェンドはジェンドで、あいつ見た目はいたいけない子供だからさ。
傍聴席にいる婦人、老人なんかを狙って、涙ながらに悲惨な身の上話をしてまわってるし、シメオンは地声なのにまるでマイクを通したみたいな大声で、救世主たる自分の使命について、問答無用でずっと一人で演説してるんだよ。
三人とも、自分の世界にどっぷり浸って、できあがっちゃってまーす。
あれじゃ、当然、陪審員の印象は最悪だよね。
弁護人であるボクは、自滅しかけているゲドジャドを救うために、パラケルスス・ボムバストゥス(ぱらけるすす・ぼむばすとぅす)に頼んで、飲み物にクスリを混ぜて、ゲドジャド、ジェンド、シメオンの三人におとなしく眠ってもらったんだ。
それで、死体が発見されて休廷になって、どうしようかなぁと思ってたら、ガーデン内に放ってたボクの使い魔たちから怪しい部屋を発見したって報告があって。
「先にきてるのは知ってたから、通路の出入り口で見張ってる人に、カリギュラの仲間です。百合園推理研のメンバーですって、携帯に保存しといた推理研の集合写真をみせたりして、どうにか通してもらったんだよ」
「ロキの使い魔のコウモリ&フクロウたちからの情報だと、聖杯見つけたらしいじゃねぇか。
ちょいと、俺にみせてもらえっかな。
医者としては、民間療法どころか、伝説、昔話に登場する秘宝とやらの、こんなうさんくせーもんには、なんの興味もないんだけどな。
行きがかり上、これのニセもんにはまったバカ男の首、斬り落したばっかだし。
俺の大事な(女性)患者も巻き込まれちまってっからさぁ〜。こいつの正体、俺が見極めてやんよ」
「ロキもパラケルスス先生もええとこにきてくれたわ。こっちのおばぁちゃんがミスMで、この美人さんはご存知リカインや。
リカインが歌姫のスキルを使って、聖杯の選別をしてくれてな。
どうやら、これが本物らしいんや」
推理研仲間のカリギュラは、聖杯の部屋にボクとパラケルススがきたのを歓迎してくれた。
けど、床に倒れてる男の人の紹介がないんだけど、いいのかな。
さすが、医者だけあってパラケルススは自分から、男の横にしゃがんで容態を診察してる。
パラケルススは自らの主義・信条で、女性の患者以外は、触診をしないんだ。
だから、相手が死んでそうな今回の場合も、男の体はただ見るだけでさわらない。
これでも名医って呼ばれてるんだから、しごくたまに尊敬してやりたくなるよね。
「こいつ、死んでるぞ。
聖杯も大事だろうけどよ。死体放置は、探偵としてどうなのよ。カの字の兄ちゃん」
「この杯でくんだ水を飲ませれば、きっと、彼は生き返るわ。
私たち、彼のためにも聖杯を探してたの」
古びいた木の杯を手に、リカインは自信まんまんだよ。
パラケルススは、内心、全然、納得してないクセに、美人の言葉だから、おとなしく聞いてる。
と、思ったら。
「あー、リカイン様の意見にケチをつけるつもりはねぇんだけどな。
俺は、その聖杯のニセもんで水を飲んで、化け物になったやつを今日、看取ったばっかりなんだ。
不死とか、死者が生き返る水とか、医者として真剣に考えるのは、かんべんさせて欲しい代物なんだが、まぁ、ここは、パラミタだ。
そんなものもあるかもしれませんけどねぇ、って感じで。
しっかし、死んだ男に使うにしても、さすがの俺も目の前でノーチェック、スルーを決め込むわけにはいかねぇな。
面倒だとは思うが、それ、ちょっと俺に調べさせてくれ」
「ボクもパラケルススに賛成。
ガーデンには、いま、それのニセものがいろいろ出回ってるんだよ。本物の正体を把握しといた方がニセものにも対処しやすいでしょ」
ボクらの意見に、三人は頷いてくれた。
パラケルススはいつも持ち歩いてる、診察道具の入ったカバンから、試験管、ビーカー、薬品の小瓶なんかをだし、ビニール手袋とマスクをつけ、まずは、この部屋の水道の水をビーカーに入れ、薬品を混ぜたり、測定器を浸したりし、検査をする。
「硬度300以上、ミネラルたっぷりの硬水だ。コンビニで売ってるエ○ビアンなんかと同じ普通の水だな。
これを一度、聖杯に入れ、ビーカーに戻して変化をみてみよう」
水を聖杯に入れ、三分待ってから、ビーカーに戻した。
ボクも含め、部屋にいるみんなは、検査を静かに見守っている。
「んんんん! これは、これは。これはつまり、こいつが聖水なんだとしたら。聖杯の効能は」
急に一人で盛り上がったかと思ったら、パラケルススは水の入った試験管を眺め、黙りこんじゃった。
「どうしたの。これの正体はなんなの」
「先生。ここでダンマリはないんちゃいまっか」
「わたしもパラケルススさんには、結果を話す義務があると思いますね。わかった範囲でよいので教えてくださいな」
ボク、カリギュラ、Mが問いかけても返事はなくって、
「はーい。時間切れ。もう待ちきれません。とにかく、彼にこの水をためすわよ。
お医者さんの説明は、私は、あってもなくても別にいいもの」
聖水の入ったビーカーを取ると、リカインは仰向けに寝かせた男の口にそれをあて、中身をすべて注ぎ込んだ。
あっははははは。強引すぎるよ。
「パラケルスス。とめなくていいの」
「ああ。地球のはじまりと同じだ」
「意味わかんないよ。聖水調べて、天啓受けて、宗教はじめるとかやめてよね」
「水だ。水。聖水は水だよ」
それはわかってるって。
「俺も実物をみたことはねぇが、もしこれに効果があるとしたら、これは原始スープだ」
ボクだけでなく、死体の彼以外のここにいる人間は、全員、首を傾げた。
「うおおおおおお」
え。
突然の叫びと同時に、死んでいるはずの彼が、涙、鼻血、鼻水、耳だれ、よだれ、汗、ズボンの前後部のしみ、全身から体液をしたたらせながら、起き上がってきたよ!
髪の毛は逆立って、眼球はバリバリに充血してる。
再生よりなにより、きちゃないです。
「見ろ。原始スープの力だぜ」
パラケルススの説明は、わけわかんないよ。
「これ、スープなんだ。元気になるなら、私も飲んでみようかしら」
「ちょい待ちぃや。リカイン。口にしたらあかん。きみも彼みたいにあんなグチャグチャになってまうでぇ」
「毛穴完全開で健康によさそう。ワイルドでいいじゃない」
「リカインさん。聖水を飲むのは、パラケルススさんの説明を聞いてからでも遅くないと思いますよ」
試験管に手をのばそうとして、カリギュラとMにとめられたリカインは、不満そうに頬をふくらませ、パラケルススの襟首をつかんだんだ。
リカインは、金髪、長身の美少女なんだけど、ここにいる誰よりも強そうなんだよね。
実際、彼女の武勇伝はボクも噂でいくつも聞いてるよ。
「センセ。早くはっきりさせてくださらない」
「おう。わかった。わかった。説明するから、手を離せ。
先に言っとくと、健康な人間はこれは飲まねぇほうがいい。これは、生命のリセットだ」
「お、俺は、どうしたんだ」
リカインに開放されたパラケルススは、床に座り込んできょとんとしている元死体の彼に聞かれ、少し迷ってから返事をした。
「喜べ。青年
。生物としておまえは進化した。
たぶん、人間超えたかもな」
これで喜べる人は、いない気がするけど。
かえって不安になるよね。
◇◇◇◇◇
<レギーナ・エアハルト(れぎーな・えあはると)>
ニセものかもしれないが噂の聖杯を入手した。譲り渡したいので、欲しい人がいたら会いにきてくれ。
インクルージョンが作製した聖杯の行方を追っていた私は、そんな情報を得て、仲介者(ブックメーカーを表看板にしている怪しげな情報屋でした)を通じてアポイントを取り、準備を整えて約束の場所、イースト・エンドのホワイトチャペルへむかったのです。
果たして、そこで私を待っていたのは、二人の少女とシルクハット、燕尾服、モノクルといった上流紳士の定番の服装をした、女性でした。
「私立探偵のレギーナ・エアハルトです。聖杯をお持ちの紳士とは、あなたですか」
「紳士とはワタクシは言っていないのデスガ、話が人づてに伝わる間ニ、そうなってしまったようデスネ。
ワタクシは、サン・ジェルマンと申しマス。伯爵とお呼びくださいマセ。
ところで、レギーナ殿、貴殿のその仮面ハ」
「お気づかいありがとうございます。これは包帯です。
顔を隠しているのは、私の探偵としての流儀です。失礼」
「私はシェリル・マジェスティック。
伯爵は、私たちと合わせるために、聖杯の知識を持つあなたをここへ呼んだのよ」
「こんにちは。茅野瀬衿栖です。
あなたは探偵さん、なんですね。よろしくです」
この三人の関係などは、私にはまったくわかりませんが、聖杯の件と関係なければ知る必要もないでしょう。
とりあえず、一刻も早く聖杯を。
「伯爵は、私たちと出会わなければ、モノがないままレギーナと取り引きをして、お金を巻き上げようとしていたのね」
「さあ、どうでショウネ。貴殿らとお会いする前ニ、レギーナ殿との約束を取り付けていたノハ、たしかですガネ」
シェリルに鋭い指摘をされても、伯爵はまるで悪びれず平静を装っています。
「あなた方の事情はどうあれ、聖杯はいまここにあるのですね」
「これは聖杯ではなく、死の杯」
シェリルは、布にくるんだそれを私に手渡してくれました。
布を開けると、中には木の杯が一つ。
「代金はいらないわ。運命が導くあなたの役割を果たしてくれればそれでいいの。
それが、私の望みよ」
「シェリル。いきなりそれじゃ、レギーナさんには、意味がわかんないよ」
「いいの。すぐにわかるから」
シェリルと衿栖のやりとりに注意をそらされていたせいか、私はこめかみに銃口をあてられるまで、隣に彼がきたのに気がつきませんでした。
「レギーナ殿。すいませんが、それは私に渡してもらいましょう。
奪うというより、本来の持ち主に返してあげて欲しいのですよ」
私と同じシャンバラ教導団の戦部小次郎。
私は、彼が必要とあれば、相手が誰であろうと引き金を引くのをためらわない男なのを知っています。
伯爵もシェリルも衿栖も、私と小次郎、そして小次郎の隣にいる、紺のローブのメガネのにやけた男を見つめている。
「悪いね。それは僕の心臓なんだ。みんなたっぷり楽しんだようだね。そろそろ返してもらうよ」
男は私の手から杯を奪い、愛しそうに胸に抱きました。
続けざまに、数発の銃声が。
一度、止んでもすぐに弾倉を交換し、さらに数発が男の顔、体に撃ちこまれました。
撃っているのは、小次郎です。
男の味方ではなかったようですね。
男は聖杯を抱いたまま道路に倒れ、至近距離からの銃撃で絶命した様子です、が。
「インクルージョン殿も、その杯も、まとめて消えてなくなれっ。です。しかし」
小次郎が一〜二分間は撃ち続け、蜂の巣にしたのに、それなのに、銃撃がやんだ途端、血まみれ、穴だらけ、頭部をほとんど失った男は立ち上がり、下腹部から臓物を垂らしたまま、すごい速度で走りだしました。
「まさしく悪魔の力ですね」
それでも小次郎は、男の背中をなおも狙撃しようとしました。
「あれは普通の武器では殺せないわ。
いま、最初に撃たれた傷は、もう再生がはじまってる。レギーナが、あれを壊す道具を持っているはずよ」
シェリルに促され、私はパートナーの三船敬一が、ストーンガーデンの要人、オパールから借り受けた、槍の入ったケースを背中からおろします。
かってIDEALPALCEの管理人の足を傷つけたというロンギヌスの槍。
敬一によれば、いまガーデンにある武器の中で聖杯を壊せる可能性があるのは、これだけとのことでした。
「小次郎。あなたは槍の扱いは、慣れていますか」
「狙撃手だったこともありますんで、銃ならこれぐらい距離は問題なしなんですがね。
まぁ、いま、ここいるメンツだと私が投げるしかなさそうですね。マジェスティックでは、いつもこんな役回りです」
肩と首を軽く回し、準備運動をすると、穂先の赤い、白く長細い木の槍を片手に持ち、小次郎は競技選手のごとく、頭上に構えます。
「行きますよ」
一同が見守る中、そのまま、数歩前に進み、
ハッ。
気合いとともに全身を使い、槍を投げます。
槍は斜め上空に上がった後、一端、宙で静止したかのように見えました。
それから、走り続けている彼に穂先をむけると、うなりをあげ、一直線に下降し、背中から胸まで抱えた杯もまとめて彼を貫き、道路に串刺しにしました。
その速さといい、大気を切り裂く轟音といい、まるで稲妻です。
槍に貫かれ、動きをとめた彼は、一瞬後には塵となり、風に吹かれ、跡形もなく消え去りました。
「一撃必殺。お見事デス。
あの槍をお売りになる気はゴザイマセンカ」
「これで死の杯は、消えたわ」
「すごーい。でも、事件解決なの? 街で噂になってる黄金の剣の方は」
「小次郎。あなたは、本当に優れた狙撃手ですね」
私たちの賞賛にも、小次郎は浮かない表情です。
「ごらんの通り、私の実力ではなく、天罰ですよ。
今回の私のもともとの依頼人殿に、これでは、インクルージョンが亡くなった証拠がおみせできないのですが、どうしましょうかね」
小次郎の協力に感謝して、私がその依頼人に説明にいってあげてもよいのですが、包帯で顔を隠し、ベレー帽、コート、手袋と黒づくめの格好の私が行っても、逆効果なのでやめておいた方がよさそうですよね。
◇◇◇◇◇
<ユリ・アンジートレイニー(ゆり・あんじーとれいにー)>
SW(スノーウォーカー)探偵事務所の秘書ユリ・アンジートレイニーです。こんにちは。
こうして事件の記録を画像や音声で残しておく方が多いのは、単に自分の日記代わりではなくて、需要があるからなんですね。
知りませんでした。
パートナーのリリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)さんに聞きましたけど、パラミタでの契約者のみなさんの冒険記録を、ウェブで楽しんでらっしゃる方がお一人、お二人でなくけっこうおられるらしくって(全世界で二、三十人くらいですかね)そういう方へのアピールもかねて、契約者の方は、記録をウェブにアップするんだそうです。
閑散期の多いSW探偵事務所といたしましては、この画像をみていらっしゃるあなたに、ぜひ、次の依頼人になっていただきたいのですよ。
ウェブをみてきました。と、おっしゃられた方には、日本茶の他に干菓子もおだしします。
依頼までいたらなくても、あなたの相談を無料査定させていただきますので、こわがらずに勇気を持って事務所のドアを開けてくださいね。
「リリが大事な交渉をしていた背後で、ユリが効果のなさそうな宣伝トークをえんえんとしていたのは、まったく理解不能なのだよ。
しかも継続中なのだ」
「え。すいません。
でも、リリさんのお話は難しいので、視聴者のみなさんは退屈かなぁと思って、ワタシがお話していたのです。
ワタシ一人ではなんなので、キノさんとのおしゃべりを録音しようか、と考えていたところなのですよ」
キノさんは、いつもワタシの肩にのっている体長二0センチのおばけキノコの子供さんです。
「キューキュー」としか鳴けないのですけど、かわいいのですよ。
「天然少女とおばけキノコの鳴き交わしトークとか、貴重な視聴者を必要以上に奇怪な世界へ導く奇妙な工夫は、やめておいた方が無難なのだ。
それよりも、カメラを聖杯に合わせるのだ。
これは、ユリとキノのトークよりも、めずらしいものなのだよ」
はぅぅ…リリさん所長。わかりましたです。
みなさん、見えましたか。
あれが聖杯だそうです。
ただの木のカップなのですよ。
すごく古そうなので、飲む時にトゲや破片が口に刺さらないか心配です。
そう言えば、ユリは日本茶が好きなのですけど、日本のバスタブには木でつくったものがあるのですね。
木の匂いを楽しみながら、お風呂に浸るなんて素敵な感じがするのです。
「ユリ。檜風呂の話もやめておくのだよ。
マイクはこれなのだな。リリが説明した方が早いのだ。
リリは、ストーンガーデンで大魔術師マーリンと出会い啓示を受けたのだ。彼はカードを通じてリリに聖杯を手に入れ、天空の島アヴァロンへ行けと」
「全力で走りながら、リリさんは、よく整然と話せますね。
実況とは、そんな感じでやるのですね、ワタシ、やってみます。
ワタシたちは、マーリンさんからの啓示と、リリさんの推理で隠し通路を使って、IDEALPALCEの聖杯の間に着いたのです。
そこには先客の契約者のみなさんがいらしたのですけど、リリさんはアヴァロンへ行くために聖杯を貸して欲しいとお願いしたのです。
けれど、断られてしまったので、一度はあきらめたフリをしてから、いきなりファイアストームを唱えたりして、大暴れして」
「つまり、崇高な目的のために、一時的に聖杯を借りて部屋をでたのだよ。
うーむ。窓があればそこから、光る箒カスタムで飛びだそうと考えのだが、いけどもいけども壁と分岐路ばかりで、IDEALPALCEは迷宮なのだ」
疲れても、足をとめて水筒のお茶を飲むわけにはいかない状況なのは、ユリもわかるのですよ。
「挟まれたか」
リリさんは足をとめたのです。
「ユリ。壁を背にして、リリと並ぶのだ。
絶対に離れてはいけないのだ。ここでの戦いは本意でないので、避けたいのだよ」
「はい」
たくさんの足音がこちらへ迫ってきたのです。
ワタシたちのいる場所につながる三つの通路それぞれから、誰かさんがワタシを追ってきているようなのですよ。
右からは女の子三人と男の人が一人の四人組です。
赤い髪の男の人は、こわそうですが、女の子たちは、話せば許してくれそうですね。
左からは、男の子の三人です。
うち二人は薔薇の学舎の制服を着ているハンサムさんたちなのです。きれいな顔をしているので乱暴はしない気がするのですが。
「それは偏見なのだ。顔がきれいでも、することが汚い輩は、山ほどいるのだよ」
だ、そうですよ。
あと、真正面からは、さっきの部屋にいた人のうちの四人さん。
なまりのある日本語の男の人ときらびやかでオーラでまくりの美人の女の子と、スープの説明をしていた髪を逆立てた白衣の男の人(調理士さんですか?)と左右の瞳の色の違う小さな女の子です。
おばぁちゃんと、おもらしして床にしゃがんでいた男の人は、なぜだかいないのですよ。
「敵だけでなく、味方もいることを祈るのだ」
三つのグループのみなさんが、ワタシたちの前で足をとめ、一定の距離を保ってむきあったのです。
リリさんはまず、女子三人、男子一人の第一グループに話しかけました。
「参考までに聞いておく。シェリル・マジェステック。おまえのカードでは、リリはこの後、どうなることになっているのだ」
リリさんに、シェリルと呼ばれた女の子は、どこからともなくタロット・カードを取りだし、眺めています。
「いま、あなたの手の中に聖杯があるのなら、なんの問題もないわ。
この世界の私たちのここでの役割は、確認だけ。私はあなたの邪魔はしない」
「おい。わざわざここまできて、それでいいのかよ。マスター。これでもまた、シェリルのカードを信じるのか」
「最初に死の杯を探しに行く計画を変更して、ここにきたのも、シェリルの占いの結果通りなのですから、目的が果たせてよかったです。
さあ、これから、どうするのですか」
「っく。人が好すぎるのも、時にはどうかと思うぜ」
赤い髪の人は、一本三つ編みの優しそうな女の子にさからえないようですね。
「聖杯はOKとして、次は、死の杯と黄金に輝く剣。
シェリル。どっちにするの」
人形を抱きしめた女の子に促され、シェリルさんは、両手でカードを素早くシャッフルしだしました。
なんでも占いで決めるみたいなのですよ。
リリさんは彼女たちから視線を外し、第二グループの男の子三人組をみました。
「薔薇の学舎のクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)とクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)だな。それと」
「マジェスティック中央教会のセリーヌだよ。教会にはただ住んでるだけだけど」
びっくりです。男の子三人にみえたのは、男の子二人と男装した女の子一人だったのですよ。
「なんの目的でリリのところにきたのだ」
「私は、クドが公然猥褻でヤードに逮捕されてシスタが保護者としてついてって、レン・オズワルド(れん・おずわるど)がどっかに行っちゃったんで、モーガンズと一緒にきただけなんだ」
「ギルドの男の子と個人的に仲良くなったら、ここのことを教えてくれたんだよ。
俺もリリさんと同じで聖杯に興味があってさ。入手できたみたいだね。
ガーデンにきているらしいフランス人の鼻を挫く計画なら、手伝わせてもらえないか」
「ボクも聖杯には興味があるんだ。
メロン・ブラックには切り裂き魔の一件で、ひどいめにあったからね。聖杯の力を使って、彼と渡り合う気なら手を貸すよ」
このグループは、好意的かつ友好的なのです。感謝なのです。
リリさんは最後に、さっき聖杯の間で、交渉が決裂した第三グループのみなさんに、ていねいに頭を下げました。
「乱暴なやり方をして、すまなかったと思っているのだ。
魔術を追求してきた者の一人として、リリは、メロン・ブラックを打ち破りたいと思っているのだよ。
そのためには、聖杯が必要なのだ。頼む。リリにこれを貸して欲しいのだ」
「俺からも頼むよ。悪用はしないからさ」
「ボクは薔薇の学舎のクリスティー・モーガン。イエニチェリの名誉にかけて、用がすんだら聖杯はこのIDEALPALCEへ戻すのを約束するよ。
メロン・ブラックことアレイスタ・クロウリのたくらみを砕くために、これを使わせてください」
「ねぇ。アレイスタ・クロウリって誰」
セリーヌさんだけわかってない感じですが、他の人は真剣です。
そうそう、リリさんのパートナーのワタシもお願いしないとです。
「一生懸命やります。よろしくお願いしますです」
「そこまで言うんなら、ほな、ボクはええわ。
きみら、がんばりぃ。敵は強大やで。おっ。電話や」
なまりのある長髪の男の人は、携帯を耳にあて、通路の隅へ。
「法廷もあるし、ボクは天空の島へはついていけないけど、がんばってねぇ〜」
「お姉ちゃんたち、聖杯ははじまりの海とつながっている。
その杯の水は、自分でいたけりゃ飲むんじゃねぇぞ。飲んだら、尻尾や翼がはえるかもしれねぇぞ」
「天空もいいけど仲間が地下で暴れてるみたいだし、私は、そっちに行くわね」
第三グループのみなさんも納得してくれたようで、よかったです。
「ありがとう。感謝する、なのだよ。
それでは、ここをでて空へむかうのだ。ユリ。クリストファー。クリスティー。セリーヌ。行くぞ」
リリさんが勇ましく歩きだしました。
「なに、この展開は。私、戦わないといけないの」
「道は歩きながら、つくるのです」
「つくるんじゃなくて、歩いていくと道ができる、だった気が」
「案ずるよりも、出産なのですよ」
ぶつぶつとつぶやいているセリーヌさんを励まそうと、私は彼女に並んで、軽く肩を叩いてあげたのです。
◇◇◇◇◇
「警部か。
そっちはどうや。
ボクは春美たちとは連絡とれてないで。ピクシコや代表とも音信不通や。
そやな。ロキと先生も助けてくれて、聖杯の件は、とりあえず一段落した感じや。
あん。なんやて。ノーマン・ゲイン。あいつがほんまにそこにおるんか。
マイト、落ち着くんや。化け物相手に焦ったら絶対あかんでぇ。
ロウと蒼也、あゆみちゃんたちもおるんやな。
そうや。きみは、スコットランドヤードの刑事や。
軽はずみなマネはしたらあかん。ええな」
◇◇◇◇◇
<マイト・レストレイド(まいと・れすとれいど)>
「そのまま上からの警戒を怠らず、光る箒で競技場の上空を旋回していてくれ」
俺は、十数メートル上空にいる<七尾蒼也(ななお・そうや)>の姿を視界にとらえながら、携帯で指示を伝えた。
電波状況が悪く携帯がほとんど使い物にならないストーンガーデン内だが、目で見える場所にいる相手には、さすがに電話はつながるようだ。
先ほどはなぜか、IDEALPALCEにいるカリギュラに偶然、つながってしまったが。
「ノーマン・ゲインは、雪汐月を人質にとって備品倉庫にたてこもっている。
現在のところやつからの要求は、この件を公にせずに、すべてを通常通りに進行させろ、だけだ」
「観客もスタッフもまだ誰も気づいていないんだよな」
「雪汐月の周囲の席にいた客たちは、なにかトラブルがあったとは思っているだろうが、ノーマンと雪汐月は接触して間もなく、人気のない備品倉庫へ移動したので、大きな騒ぎにはなっていない」
「場内の警備員やヤードへの連絡もしていないんだな」
「俺は雪汐月の身の安全を第一に考えている。
俺自身は備品倉庫の扉の前で監視中だ。窓はなく、出入り口はここ一箇所しかない。
汐月のパートナーのカレヴィ・キウルさんも俺と一緒にいる」
「警部はどうやってこの事件を知ったんだ」
「客席を中心に競技場全体に注意を払って監視していたので、汐月とノーマンの乱闘にはすぐに気づいた。
それで現場に駆けつけたのだが、俺とカレヴィの前で二人は追跡劇を繰りひろげ、汐月がノーマンに捕らえられて倉庫へという流れだ。
ノーマンは扉を閉じる前に、俺に要求を伝えていった」
「本物なのかどうかもそうだし、やつの真意がみえないな。なにが狙いなんだ」
「すまんな。俺にもわからん。
中からは物音一つ聞こえてこない。
ずっとこのままでいるとは思えん。なんらかの動きがあるはずだ。それに備えるしかないだろう」
「了解。俺は空にいる。
なにかあったら、連絡をくれ」
空から蒼也。倉庫前に俺とカレヴィ。
競技場には選手としてロウ・ブラックハウンド(ろう・ぶらっくはうんど)がいる。
そして、銀河パトロール隊のピンク・レンズマン? 月美あゆみ(つきみ・あゆみ)と彼女のパートナーのミディア・ミル(みでぃあ・みる)とヒルデガルト・フォンビンゲン(ひるでがるど・ふぉんびんげん)が推理研の応援として、競技場内を見回ってくれている。
ここで俺、マイト・レストレイドがしなくてはならないことは。
探偵ではなく、刑事であることもトパーズに否定された俺にできるのは。
俺は。
「マイトくん、すまないな。汐月はパートナーの僕が助ける。
きみら百合園推理研の人たちは、汐月の件は僕に任せて、自分たちのすべきことをしてくれ」
「カレヴィさん。いまの刑事(おれ)の役割は、ここで行われているる犯罪の拡大阻止です。
刑事(おれ)の目の前でノーマン・ゲインの好きなようには、させません」
「頼もしいな。しかし、きみがここにいては貴賓席にいるガーデンの要人の警護が手薄になってしまうのではないのかね」
「ペリドットとターコイズの二人には、もともと護衛がついています。あなたもよくご存知のようですが、ノーマンは意味もなく騒ぎを起こす奴ではありません。
俺はそれが気にかかります」
「たしかに、あいつは、タチが悪すぎる」
カレヴィに頷いて、俺は錆びた扉に目線を戻した。
◇◇◇◇◇
<ロウ・ブラックハウンド>
私はロウ・ブラックハウンド。猟犬型機晶姫だ。地球ではスコットランドヤードの警察犬として各種任務に従事していた。
本日の私の任務は、ストーンガーデンで行われるドックレースに選手(犬)として出場することである。
私は他の選手(犬)たちと控え室で出走を待っているのだが、場違いな客人が入ってきてしまったようだ。
「わう。わうっ。わうううん。わう。(きみ、ここはレース前の選手たちの控え室だ。きみがここにいては危険だ。こここから早く出たまえ)」
「あれっ。機械の犬だ。
やたら吠えてきて、ひょっとして、ミディを叱ってる感じ。なっまいきー。
ミディはネコ獣人だけど、背中に翼もあるし、犬のペットも飼ってるんだぞ。
ミディの犬の名前は、モグ。
機械のわんこは、機械の体をもらえる星に行ったか、悪の組織に拉致されて改造手術を受けたのに、言葉はしゃべれないんだね。かわいそー」
職業柄、私は酔漢や事件&事故現場に集まる野次馬、子供たちの対応にはなれている。
このネコ獣人は、二足歩行をし、人語を話すとはいえ、外見は身長四0センチほどのネコそのものだ。
彼女は、自分が、興奮状態の大型犬たちのただなかにいるという状況の危険性を把握できていない。
私は優しく語りかけて、彼女の理解を求めることにした。
たしかに私は発声機能の故障で、人語は話せないが、聞いて理解することはできる。
彼女も犬を飼っているのだから、鳴き声でもある程度の気持ちは伝えられずはずだ。
「わう。くぅーん。くぅーん。くん。くん。(かわいいネコちゃん。きみがここにいたら、危ないぞ。ここは興奮した犬たちが集まってるんだ。わかるだろう)」
「機械のわんこー。急に優しくなって、なんかわざとらしいな。
ミディは騙されないぞ。あっかんべー」
私は、おしりぺんぺん、されてしまった。
憤慨するほど青くはないが、さすがにあきれてしまうな。
「あはははは。びっくりしたでしょ。機械わんこヘンな顔してるよー。
ああーすっきりした。ミディは重大な使命があるから行くね。
さらばにゃん♪」
なにはともあれ、彼女は去っていった。
ああいう対応をされると、生活安全課で子供たちの交通安全指導をしていた頃を思い出す。
「ぐるるるるるる(なんだ。さっきネコは)」
「バルバルバルウウウウ(ナメてると、頭、噛み千切るぞ)」
魔法の水の効果か、すでに出来上がっていた二人(匹)は、完全に戦闘状態になってしまった。
「わう。わうっ。わう。わうん(同感だな。兄弟。この怒りをレースにぶっけて、観客を驚かせてやろう)」
「ガウガウガガガガウ(ロウ。おめぇ、いいこと言うじゃねぇか。俺は今日のレースで、本当に客をブッ殺すつもりなんだぜ)」
思わぬところから興味深い話がでてきた。
「ばううううん。ばうばうばうばう(招待選手。おまえも俺たちと歴史に名前を残したくねぇか)」
「わうわうん。わうううわうん。(おもしろそうだな。どんな計画なんだ)」
彼らは血走った目を、私にむける。値踏みされている気分だ。
私は事態が急をようするようなら、内蔵火器のゴムスタンショットガンを使用する心の準備をした。
武闘派ではないつもりだが、緊急時には即時鎮圧も辞さない。
またドアが開いた。
先ほどトイレに行くと言ってでて行った選手(犬)の世話係(トレーナー)が戻ってきたのかと思ったが、入ってきたのはピンクの髪のツインテールの少女と、フードつきの法衣をはおった修道女のような女性、それにさっきのネコ獣人、ミディだった。
三人いや二人と一匹は、控え室内を見回し、私のところに歩みよってくる。
「え。刑事ってこいつなのー。うわっ最悪、さっきの機械わんこだ…」
周囲に選手(犬)たちの険しい視線を感じたらしく、ツインテールの少女は、相変らずマイペースのミディを抱きあげた。
ミディの、刑事発言のために、犬たちの注目が私に集まっている。
もはや隠すのは難しそうだな。
「あなたがロウ・ブラックハウンドさんね。
はるみんの紹介で、あなたたちのお手伝いをさせてもらうことになった銀河パトロール隊の独立レンズマン、月美あゆみよ。
レストレイド警部からあなたがここにいるって聞いて、様子をみにきたの。
事件解決のために協力して、がんばりましょう。クリア・エーテル☆」
「わううわんわん(こちらこそ、よろしく頼む)」
銀河パトロール隊と合同捜査を行うのは、私のキャリアの中でもはじめてだ。
しかしレンズマンとは何者なのだろう。彼女のかけているメガネと関係があるのか。
「はじめまして、ロウ・ブラックハウンドさん。
私は、あゆみさんのパートナーのヒルデガルト・フォンビンゲンです。
あゆみさんは、事件に関係のありそうなものをサイコメトリしたいそうです。ここになにかそれに適したものはございますか」
同じ人物のパートナーだろうに、気品、礼儀正しさともにミディとは雲泥の差だ。
「ロウさんは、メールはできるんだよね。あゆみの携帯に情報を打ち込んでもらえるかな」
あゆみは自分の携帯を文章作成モードにして、私に差しだした。
携帯を持ってもらったまま、私は片手(前足)で入力をする。
「ここで働いていたインクルージョンという男が怪しい。
彼はここで選手(犬)たちの世話をしていたらしい。
この部屋の壁や備品には、彼の思念が残っていると思う。
選手(犬)たちの水分補給用のドリンクの準備中に彼がなにか細工をしていないか、注意してみてくれ」
「へぇ。ロウってメール打つのはやー」
ミディが感心してくれている。光栄だ。
「なるほど、QX(OKの意)。インクルージョン氏ね。
さっそく、そこのシンクでやってみるわ。ヒルデ、フォローして。ミディーは、おとなしくして待っててね」
「アイ愛サー!!」
あゆみとヒルデガルトは、控え室の隅にある流し台にいき、あゆみは流しに片手を置き、まぶたを閉じた。
ヒルデガルトが隣に立ち、あゆみの空いた方の手を握る。
ミディは、私の横で二人の様子を見守るつもりらしい。
「ヒルデは未来や真実を視ることのできる幻視者なの。
ヒルデが、ここであゆみがピンチになるってヴィジョンをみたんで、応援にきたんだ。
ところでロウのご飯は、普通の犬とおんなじやつでいいの。それとも、ガソリンを飲むの」
「わうううわんわんん。わうわうわううん。(食事については贅沢は言わない主義だ。しかし私は自動車ではない)」
「ねえねえ。ここにいる他のわんこがみんな、ミディとロウをにらんでいるには、ロウが嫌われてるからかな」
「わうんわうわう。わうわうううううわん。(大正解だ。ミディは名探偵だな)」
「やっぱりぃー。でも、みんなすごく殺気立ってる。ダメだよ。ロウ。嫌われすぎー」
ミディには、私の皮肉はまるで通じなかった。
それよりも、控え室内の十数人(匹)の選手(犬)たちが私たちを包囲しているこの状況が問題だ。
牙をむき、唸りをあげている選手(犬)たちは、襲いかかるきっかけを待っている。
警察=マジェスティックのヤードに対し、彼らは潜在的な敵意を持っているのだろうか。
サイコメトリ中のあゆみとヒルデガルトでなく、私を標的にしてくれているのは不幸中の幸いだ。
もし、襲われても、ミディは私が守り抜く。
どちらが先に動くか、私と選手(犬)らは、互いに呼吸と気配を読み合っている。
そして、控え室に新たな来訪者がきた。
「ロウ。大丈夫か。戻ってきて正解だったな」
少し前にここに聞き込みにきたシャンバラ教導団の三船敬一だ。
「インクルージョンについて調べたんだが、ここの犬たちは、想像以上にやつの実験台にされていたらしい。
ニセの聖杯でくんだ水をエサに混ぜたりして、日々、与え、中毒状態にしていたようだ。
やつが側にいなくても、やつの意思通りに動くようにするためにな」
話しながら、三船は脇に抱えていたケースを開け、赤い穂先のついた細長い白い槍をだした。
「しかし、やつ一人では、犬たちをそこまで調教するのはムリだ」
私を包囲していた選手(犬)たちを三船は、槍を振り回し、追い払う。
「水を飲んだ犬でも、この槍は苦手だろ。
ロウ。流し台のところで泣いている女の子はどうしたんだ」
三船に言われてそちらをむくと、サイコメトリが終わったらしいレンズマンのあゆみが涙を流しながら、ヒルデガルトに抱きしめられている。
「あゆみー。こわいものでもみたの。ミディが慰めてあげるよ」
ミディは私から離れ、あゆみに駆けよった。
「インクなんとかさんって、メガネをかけたニヤけてる人だよね。
あの人は嫌がるワンちゃんたちにむりやり水を飲ませたり、ここで、自分の言うことをきかないワンちゃんを縛りつけて、そのうえ、あんな、ひどい。
あの気味の悪いカップが彼がつくった聖杯なの? 一見、古びた木の杯だけど、成長して、大きくなって、まるで生きてるみたい。
彼がここであんなに好き放題にできたのは」
今度はドアは開かず、蹴り破られた。
「せっかくおっ払ったのに、また、戻ってきやがったのか。女まで連れてよう。
人間のメスのにおいで俺の犬コロどもがさかっちまうだろ」
ヒゲ面のトレーナーは三船を見据え、手にした木の杯を仰いだ。
「水のおかげで精力がありあまってるこいつらに輪姦されたら、この女どもは確実に犬コロの子をはらむぜ。へっへへへ」
「それが、インクルージョンがつくった聖杯か」
三船がトレーナーの持った杯を指さす。
「はっはは。ああ。さっき、あんたにゃ、言わなかったが、俺もこれなしじゃ、やってけねぇんでな。
ここの犬コロどももみんなそうだぜ。普段、おとなしくしてるやつも水が切れたら、見境がなくなって、人だろうがなんだろうが噛み殺しちまう。
俺が協力してやったから、インクはここで研究や実験ができたんだ。
インクからの感謝のしるしとして、俺はこいつをいただく権利がある。
あの野郎も案外マヌケだからな。てめぇの心臓がいまは俺の手の中にあるとは、気づいてねぇんじゃねぇか。
もうこうなっちまったら、兵隊野郎も、女どもも、みんな、この水を飲んで俺の仲間になろうぜ。
体にいいんだぜ。
これさえ飲んでりゃ、病気知らずで、いつも元気だ。
メロン・ブラック博士万歳。クロウリ様万々歳だな」
「件の者どもは道徳において蠍。所行において蛇です。必ず神罰をうけましょう」
あゆみを抱いたまま、ヒルデガルトが冷やかに宣告した。
職務は別として、私個人としても彼女の意見を支持する。
「姉ちゃん。わけのわかんねぇこと言ってんなよ。
おいおい。この唸り声がきこえるだろ。犬コロどもは我慢の限界みてぇだな。
姉ちゃんたちは、まずはこいつらにやられてくれ。途中で死んでも、俺が水で治してやるからよ」
「グガルルルウウ(俺が一番だ)」
あゆみとヒルデガルトに飛びかかった選手(犬)に、私は標準を合わせて、ゴムスタンショットガンを発射した。
選手の体が軽く宙に浮き、失神して地面に落ちる。
こうなれば、数で劣るこちらは先制攻撃して相手の出鼻をくじくしかない。
選手たちは互いの距離を縮め、集団であゆみとヒルデガルトを襲う構えだ。
「ロウ。ナイスだ。俺はトレーナーをやる。聖杯もだ。
これ以上、やつの好きにはさせない。これで決める!!
うおりぃあああああ」
三船はトレーナーに突撃した。
「わうわうううわんわううううん。(あゆみ。ミディ。ヒルデガルト。私が選手(犬)たちの注意をひきつける。その隙にここをでるんだ)」
あゆみとミディはきょとんとしていたが、ヒルデガルトが頷いたのを確認して、私はゴムスタンショットガンを連射しながら、加速ブースターを点火して、選手(犬)たちの群れに猛スピードで突っ込んだ。
「機械わんこー。がんばれぇ。負けるなー」
ミディの応援が私の背中を押してくれる。ご声援、感謝だ。
◇◇◇◇◇
<七尾蒼也>
パートナーのペルディータ・マイナ(ぺるでぃーた・まいな)が所属する百合園女学院推理研究会のメンバーとたちと、ガーデンに殺人事件の捜査にきた俺は、捜査中に特技の情報通信で、ネットに上に流出している奇妙なメモをみつけた。
俺自身は、会っていないが、今回の調査に参加しているらしいヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)が作成したという創作メモだ。
そこには、未来のヴァーナーの視点でみた、今回の事件の要点がまとめられていた。
俺は半信半疑でそれを読んだのだが、メモによると推理研グループの一員の猟犬型機晶姫ロウ・ブラックハウンドがドックレース場の怪しい水の調査をしているようだ。
殺人事件の解決も大事だが、水の問題は深刻すぎる。
ガーデン内の水が汚染されれば、被害者は増大するだろう。
とりあえず、俺はロウの捜査を手伝うために、光る箒でレース場にむかったんだが、ロウに会う前に、ロウのパートナーのマイト・レストレイドの姿をみつけ、マイトの捜査に協力することにした。
マイトはいま、犯罪王ノーマン・ゲインがたてこもった倉庫の前で張り込みをしている。
俺は、その上空で待機中だ。
そして。
小さいが、たしかに、いま、数発の銃声が聞こえた。
「マイト。いまの、銃声だよな。
犬舎の方からしたぞ。ロウになにかあったんじゃ」
俺は携帯で、マイトに連絡した。
理由はよくわからないが、ガーデンでは携帯やテレパシーといった通信手段がほとんど使えない。つながらないんだ。
しかも、だんだんとひどくなってきている気がする。
いまの俺とマイトくらいの、お互いを目視できるような距離にいれば、さすがに携帯は使えるんだけどな。
「たしかに銃声だな。こちらでも聞こえた。ロウから連絡はない。したくてもできないのかもしれないが。
しかし、俺は、ここを離れるわけには行かない」
たまに思うんだけど、警官の家の子で、将来、自分も警官を目指しているマイトは、固すぎるところがあるよな。
「ここは俺に任せろ。
もし、ロウが発砲したしたのだとしたら、むこうで緊急事態が起きてる可能性が高い。
ペリドットとターコイズの安全も気になる。
ここにおまえを足止めにするのは、ノーマンの陽動作戦かもしれないだろ」
「うっ。その線はありうる、が、ノーマンは、人質をとっている。
目の前の被害者を救うことができなければ、俺は、警官として」
マイトはまだ学生だけど、気持ちはいつでも刑事だ。でも。今回のケースでは。
銃声は断続的に続いている。銃撃戦でもしているのか。
「俺たちは仲間だろ。俺を信用しろ。
カレヴィさんもいるし、俺たち二人で汐月は救出する。
早く行け。俺よりもおまえの方がこの競技場を把握してるはずだ。いま、ここで起きている全体の状況を把握してるのは、おまえだけだ。
レストレイド警部」
「…了解した。ここは任せた」
トレンチコートを翻し、マイトが駆けだす。マイトが倉庫から数メートル離れた、その時、
うわっ。
下からの突風、熱気、轟音で俺は危うく箒から落ちかけた。
黒煙と炎から逃れながら、俺は突如、爆発、炎上した倉庫をみおろす。
「汐月!」
カレヴィさんの叫びが俺のところまで届いた。マイトがこちらへ戻ってくるのが、視界の隅にみえる。
「マイト。くるな。ここは俺がなんとかする。これはノーマンの罠だ。客席へ急げ」
黒煙を突っ切って、地上へむかいながら、俺は怒鳴った。
箒にまたがったまま、地面すれすれを飛び、燃え崩れている倉庫内へむかう。
ノーマンよりも、汐月だ。
彼女は必ず助けだす。
◇◇◇◇◇
<マイト・レストレイド>
爆発した倉庫へ戻りかけた俺は、蒼也の指示を聞き、再び倉庫に背をむけた。
墨死館以来、ずっと一緒に戦ってきた蒼也の判断を俺は信じる。
俺が着いた時、すり鉢状のスタジアム形式の観客席は、混乱状態におちいっていた。
銃声と倉庫の爆発音が、観客たちの不安をあおった結果だろう。
出口へむかう人波に逆らって、場内へ入り、貴賓席からの脱出ルートへむかった。
有事に彼らが使うだろうルートは、事前に競技場内を歩きまわった俺は、想定、把握している。
ここの建物の構造上、内部には有事の際に使用するパニックルーム的空間があるはずだ。
ペリドットとターコイズは、雑踏に巻き込まれるのをおそれ、ひとまずそこに逃れていると思う。
関係者以外立ち入り禁止の柵を乗り越え、俺は予測したパニックルームのある場所へ。
「とまれ。ここから先は通行禁止だ。ここに来る前にフェンスがあったろ。おまえ、あれを無視したのか」
大柄な警備員が俺の肩をつかんだ。
貴賓席の警護をしていた彼がここにいるということは、この先にはやはり。
俺は、彼に、特別注文で製作した警察手帳をみせた。
「スコットランドヤードのレストレイドだ。ペリドットとターコイズの護衛にきた。
凶悪犯罪者が彼らを狙っている。二人はここにいるんだな」
「ヤードか。ガーデンは、ヤードの介入を拒否している。帰ってくれ。俺たちはヤードは嫌いなんだよ」
「そんなことを言っている場合か。状況を考えろ。俺は、彼らを守るためにここにきた。それだけだ」
「ノーサンキューだ。奥の部屋に二人はいる。ガーデンの生え抜きのガードマンと一緒にな。
あの部屋のドアは、内側から開ける以外、俺の持っているこの鍵でしか開かない。俺は、この鍵をおまえに貸す気はない。
かすかでもおまえに希望を持たせるのがイヤなんで、鍵はこうさせてもらう」
警備員は上にむき、口をあけ、鍵を落とし、飲み込んだ。
◇◇◇◇◇
<七尾蒼也>
炎の居城と化した倉庫に入ろうとした俺の前に、彼女はあらわれた。
そして、倒れた。
箒から降りて、俺は彼女を抱えあげる。
煤で汚れているが、外傷はないらしい。煙を吸い込んで意識を失ったのか。
俺の後から、カレヴィさんがやってきた。
「汐月。無事だったのか。蒼也くん。ありがとう。僕に抱かせてくれ」
カレヴィさん、申しわけないですが、
「待ってください。俺はこんな場面にこれまでも何度かでくわしてるんです。
これは、やつがからんだ事件では、必ずと言っていいほどある場面なんですよ」
「きみはなにを言ってるんだ。ここを離れなければ危険だぞ。
さあ。汐月を僕に抱かせてくれ」
「まだここを去るのは、早いと思います。
やつはあなたたちにちょっかいをだして、騒ぎを起こしたあげく、この倉庫を爆破した。
おそらくその真の目的は、混乱に乗じてのガーデンの要人のペリドットとターコイズの暗殺。
暗殺の実行を手下に任せ、自らが囮になるところがやつらしい気がします。
俺が抱きあげているこの人物は、汐月ではなく、犯罪王ノーマン・ゲインです」
俺はひさしぶりに、自分の推理とカンを信じて、強気にでた。
100%の自信はないが、ここで汐月に変装して脱出をはかろうとするのは、やつのセオリー的なやり方だと思う。
ここでやつを逃し、倉庫内にいる本物の汐月を見殺しにするようなことがあれば、俺はいくら後悔してもしきれない。
「そんなバカな。きみはどうかしているよ。考えすぎだ。急いで汐月を治療したいんだ。いいから、僕の方へ」
「渡せません。せめてここでノーマンを発見できれば、この彼女を本物の汐月と認めますが、この状況では」
崩壊しかけている倉庫の前で、俺とカレヴィさんはにらみあった。
カレヴィさんの真剣な表情に、俺は自分がバカなことをしているかも、という疑念にかられる。
「ノーマン・ゲインは、これくらいの細工は普通にするやつなんですよ」
俺の言葉は、半ば、自分に言いきかせるためのものだった。
「それが汐月でも、ノーマンでもどちらでもいい。僕は、汐月の姿をしたものが傷ついたままでいるのを見捨ててはおけないよ」
俺がカレヴィさんの立場で、ジーナやベルディータがいまの汐月のような状態だったら、俺は、たぶん、彼と同じように。
「蒼也くん。いいんだ。さあ、僕に汐月を」
迷いながらも、俺は、カレヴィさんに彼女の体を預けようとしていた。
理屈では、これがやつの罠だとほぼ確信しているのに。
「……カレディ。それは…じゃない」
倉庫内から声がした。
黒煙の中からあらわれたのは、元来はレース場内の飾りつけ用とおぼしき旗を、洋服がわりに体に巻きつけた汐月だ。
カレヴィさんがのばしていた腕を引っこめ、俺は抱えていたやつを地面におろす。
汐月が歩いてきて、カレヴィさんの横に並ぶ。
トミーガン、リターニングダガー、転経杖。
俺たち三人の武器を喉元に突きつけられた状態で、大地に横たわったやつは、まぶたを開け、微笑んだ。
◇◇◇◇◇
<マイト・レストレイド>
例え緊急避難用につくられたパニックルームに逃げ込んでいても、建物ごと爆破されてしまえば意味がないし、どこにいるのか把握できてさえいれば、ガスや魔法などではかえって攻略しやすいのではないかと俺は思う。
それにこれまでやつと少なからずかかわってきた俺としては、標的を密閉状態の場所、つまり密室に誘い込むのは、非常にやつ好みの展開だと感じている。
おそらく、やつの描いた筋書通りにことは運んでいるのではないか。
ペリドット、ターコイズと共に部屋にいる護衛は、やつの手下の可能性がある。
この危機的状況をどんなに説明しても、ドアの前の警備員は理解してくれそうにないので、俺は独自のルートで室内に行くことにした。
天井裏を使って、避難部屋の真上までいき、そこでまず様子をうかがう作戦だ。
いったん、あきらめた素振りをみせて、俺はその場を離れ、人気のない場所、トイレの個室でフタを閉じた便座の上に立って、天井の合板を拳で叩き壊した。
怪力の籠手の効果もあって、合板にはあっさりと大穴があき、俺は天井裏へ。
ときたまある格子状の部分から入ってくる光を頼りに、四つんばで避難室の方へとむかう。
俺がそこについた時、まさに、凶行は行われんとしていた。
薬でも嗅がされたのか、意識を失った様子で椅子に座ったまま、ぐったりとしているペリドットとターコイズ。
二人いるはずの衛兵の一人は、うつぶせに床に倒れ、背中にはナイフの柄がはえている。
室内でただ一人意識を持ち、立っている衛兵は、腰の鞘から剣を抜き、それを頭上に構えた。
「せいっ」
俺は自分の足元に拳を打ちこんで、天井をブチ破る。
そのまま、室内の剣を持った衛兵の上に飛びおりた。両足で相手の頭を踏み抜く。俺と衛兵は二人とも、床に倒れた。俺はすぐに起きあって、独自に作製した戦闘用手錠を相手にはめる。
ガシャリと音をたて、二つの鉄輪の中に衛兵の両手首はおさまった。
「殺人未遂の現行犯で逮捕する。
倒れている衛兵もおまえがやったんだな。余罪は他にもありそうだ」
「逮捕とは? きみはどんな権限を持ってそれを行う気だ」
両腕の自由を失った彼が、おもしろがるように尋ねてきた。
通常、マジェでの犯罪捜査や容疑者の逮捕を行っているのは、マジェのスコットランドヤードなんだろうが、ガーデンではヤードの権威がずいぶん失墜しているようだ。
空京では、日本の法律が生きているので、緊急時の現行犯の逮捕は、民間人でも許可されている。
しかし、そうではなくて、俺は、ここでは。
ガーデンの管理人の一人、トパーズに刑事であることを否定された俺は。
俺の捜査、逮捕の、権限の根拠は。
「俺は、マイト・レストレイド。俺は、俺は、ジャスティシ」
違う。俺が捜査しているのは、ジャスティシアだからじゃない。
俺は。
「スコットランドヤードのレストレイドだ!
ガーデンもふくめ、マジェの治安を守るのは、俺たちヤードの仕事だ」
「ほう。
あのスコットランドヤードのレストレイド一族か。なるほど、どこかでみた顔だと思ったよ。
ご主人様の晩餐会にも、出席していたな。
歴史と伝統のあるヤードになら、逮捕されてやってもいいだろう」
不敵にそう言うと、彼は二の腕で数度、乱暴に顔をこすり、激しく頭を振った。
帽子と髪、いや、かつらが床に落ち、艶やかな黒髪が肩にこぼれる。メイクの落ちたかけた、青白い顔、ルビーを思わせる赤い目は。
「わざわざ私が名乗る必要はないな。警部」
こうして俺は、ノーマン・ゲインを逮捕した。
◇◇◇◇◇
<如月正悟(きさらぎ・しょうご)>
ノーマン・ゲインが逮捕され、ヤードへ連行される。
復讐のための手がかりをつかもうと、マジェで聞きこみをしていた俺は、その情報を得て、最初の標的を決めた。
やつにふさわしい綴りはこれだ。No^man・Gein.“ゲイン家の人でなし”
先天的犯罪常習者の家系と言われるゲイン家の一族。やつらには、まともな倫理観、道徳観念が完全に欠落しており、対社会への犯罪行為はもちろん、一族内でも謀殺、近親相姦、財産の略奪、はてはカニバリズムまでと、罪を行うことへの後悔や恐怖心はまるでないらしい。
現当主のノーマン・ゲイン三世は、歴代のゲイン家の者の中でも、際立った異常性をほこっており、犯罪的知能の高さ、反社会性においては、右にでるものがいないそうだ。
俺はこれからやつの首を斬り落とす。
ノーマン。
ルパン。
メロン・ブラック。
マジェの闇を跋扈する三人の怪人を全員、葬りさる。
それが俺を操った連中の代償だ。
俺は、ドックレース場からスコットランド・ヤードまで、やつを護送する馬車を襲撃する計画を立てた。
ガーゴイルの背に乗って、移動中の馬車へ空から接近する。
苦労してやつとやつの影武者の一人を逮捕した百合園推理研の連中には悪いが、俺は殺らせてもらう。
連なって走る三台の二台め、真ん中の屋根へ飛び降りた。
俺をおろしたガーゴイルは、列の先頭に行き、馬を一頭、石化させる。
ヒヒーン。
いななきと同時に馬車列は急停車し、二台めは横倒しに、三台めは道を逸れ、建物の壁面に激突した。
馬車が倒れる前に、道路へジャンプした俺は専用の改造剣アプソリュート・アキシオンを構えて、標的が外へでてくるのを待つ。
ドアが開いた。
やつ以外は殺さないつもりだが、他の者にも多少のケガは勘弁してもらう。
誰かでてきた。
行くぞ。
「せいっ」
「おっとととと。どんな事情があるか知らねぇが、危ねぇだろ」
「イヤホンが耳に詰まって取れなくなったら、どうしてくれんだよ」
奇襲の一撃をかわし、即座にバトルアックスと光の弾丸で俺を反撃してきたこの二人は。
「如月正悟か。おまえは、ノーマン・ゲインを奪還にきたわけじゃなさそうだな。
と、なると殺しにきたのか」
銃を片手に、携帯音楽プレイヤーのイヤホンを外しながら、語りかけてきたのは、たしか、PMRの比賀 一(ひが・はじめ)だ。
隣の片翼が折れた中年男性の守護天使は、ハーヴェイン・アウグスト(はーべいん・あうぐすと)だったか。
「PMRは、ノーマンを守るための組織ではなかったはずだ。俺の邪魔をするなら、貴様らも斬る」
俺は瞬時に二人の力量を見切り、比賀に襲いかかると見せかけて、トランスヒューマンの卓越した身体能力で跳躍して、ハーヴェイン・アウグストの死角にまわった。
片手にアプソリュート・アキシオン、片手に栄光の刀、二本の剣で翼と腕をいただく。
急に視界から消えた俺が、自分の背後にいるとは、ハーヴェインはまだわかっていない。
俺の戦術に気づいた比賀が銃口をこちらにむけたが、ハーヴェインの体が盾になり、俺を撃つことはできずにいる。
振りかぶった二本の剣が、翼の付け根と肩口へ。
剣は空を切り、俺は本能的にその場から飛びずさった。
建物の陰に身を隠して、あたりの様子をうかがう。
なにかが、おかしい。
なんで俺は、ハーヴェインを斬れなかったんだ。
まるで、刃がふれる瞬間に、誰かが俺の時間をとめて、ハーヴェインを避難させてまたリスタートしたようなこの状況は。
「如月正悟。きみが感じているであろう違和感の正体について、説明できるであろうベスティエ・メソニクスだよ」
また、時間が飛んだ気がする。
俺の前には、いままでいなかったはずの長身の獣人が立っていた。
時間を止めて出現したとしか思えない。
「僕の話を聞くぐらいの気持ちの余裕は、まだあると思うな。
きみにはガーデンの複雑機構の動作を体験してもらったんだ。
僕もはじめてやってみたからね。その効果にはいささか驚いたよ。でも、ハーヴェインの腕と翼を守りたくてね」
人を小馬鹿にしたような口のききかたをする。
「いやいやいや。僕を斬っても、なにもはじまらないよ。ここできみがノーマンを襲っても悪い意味しかないのと同じさ。
それに、同じPMRのメンバーとしても、一とハーヴェインに危害を加えるのは、やめてもらいたいところだね」
「あの二人は、ノーマンを護送していたのか」
「護送ではないね。ノーマンと artifical rudyの一人は、レストレイドたちに守られ、マジェ名物の地下通路を通って法廷へむかっている。
一たちは、きみのような人間がでてくるのを予想し、ヤードと組んで囮になっただけさ」
「囮だと」
「うらみつらみ、復讐、保身、痴情、金銭。動機は人それぞれだろうが、ノーマン・ゲインを葬りたい人間は地球にも、パラミタ全土にも、当然、ここ、マジェステックにも山ほどいる。それはまぎれもない事実だ。
しかし、ノーマンしか知らない情報、彼のみがその隠し場所を知っている財産があるのも、また事実。
客観的に眺めてみると、彼の生命よりもそちらの方が重たいんだよ。
特に今回はね。
artifical rudyたちもあんな人物に似せてつくられて、クロウリの魔術はたいしたものだとは思うけれども、趣味の悪さも折り紙つきだ」
わかったようなわからないような話だ。
こいつ自身が自分の話の内容を完全に理解、消化できていないような気もする。
どこまで信用すればいいのか、知れたものではない。
ガーデンの裏の事情にもくわしいようだし、怪しいやつだ。
つまり、信用できないという点では、こいつも、ノーマンもクロウリもルパンも同じということだ。
ならば、斬る。
「お。待て。待つんだ。如月正悟。
僕を殺しても、得をするものも、損をするものも、誰もいない気がするが、しかし、でも、ここで僕を斬るのは正しくはないぞ。
おおおおお。危ない。危ないと言っているだろ。
うおおおおおおおお!」」
◇◇◇◇◇
<比賀 一>
(PMR会報用下書き)
奇怪奇天烈極まる珍妙な事件に我々は遭遇した。
めくるめく犯罪絵巻の開幕だ。
忌まわしき石庭、ストーンガーデンで起きた連続殺人と張り巡らされた陰謀の数々、人々を狂気に誘う現実と異世界の境界線に立つ建造物群。
そこに住まう因習にとらわれし、被害者であり、罪人となり、はたまた加害者でもある住人達。
ここでは、なにからなにまでもが既成の常識、良識の介入を拒み、血なまぐさいにおいをだよわせている。
我々PMRも、運命に導かれて、現場に急行。
調査を開始したが、しょっぱなから離れ離れ、おまけに連絡もつかない。
新たな魔手と、かって敵たちが復讐の牙を研ぎ我々に襲いかる。
迷走するPMRに甘美な罠が。
しかし我々は立ち止まるわけにはいかない、この世にミステリがある限り、PMRは不滅なのである!
諸君、括目してこの後のページをめくるしか、真実を知る方法はないんだよ!
…な、なんだってぇ!
執筆 比賀 一
(大ゲサすぎるので没)
(PMR会報用下書きのためのメモ)
好奇心は原動力である。
PMR事件簿32
ストーンガーデン連続殺人事件について考えをまとめてみよう。
まずは思いついたことを書き連ねてみる。
<1>
パール殺人事件の容疑者の名前はニトロ・グルジエフ。
ニトロ→ニトログリセリン。
ニトログリセリン→ダイナマイトの主剤。
ダイナマイト→ストーンガーデン爆破!
ニトロはガーデンを爆破するかもしれない危険人物だったんだよ!
そもそも ↓
ニトロをコンサートに 要注意人物を招待する危険性を無視
招いたのはガーデンのギルド。 ↓
↓
ストーンガーデン側の陰謀? → もともと計画していた爆破もしくは殺人の犯人に仕立て上げた?
<2>
ニトロの利用者=ダイナマイトの開発者→ノーベル→ノーマ 下衆野郎!!!
<3>
ゴスロリ軍団
artificial ruby
→人工ルビー→代用品=偽物→誰の?
the Blue Carbuncle
→蒼炎石→現実には青いルビーは、ルビーではなくサファイアになってしまう。
青いルビーは、シャーロック・ホームズの冒険に登場する伝説の宝石=名探偵の冒険に登場する伝説(幻)の犯罪王
…以上辞書や蔵書などから得た知識をもとに、事件の裏側にある絵を描いてみた。
浮かび上がってくる人物は、やはり。
<4>
PMRメンバー、ミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)が書いたと思われる張り紙→本人がやった可能性は低い。
↓
ミレイユではない誰かの犯行。 →PMRに恨みをもつもの?
↑とり敢えずぶん殴る。
なるほど、さっぱりわからん。
(PMR会報用記事のためのボイスレコーダー)
あー。
メモよりこっちの方が楽なんで、捜査の状況を録音しとくぜ。
あとで聞くのは、捜査メンバーの誰かだろうから、細かい説明はパスな。
「んなことより、ビールだ。ビール。
マジェはパラミタの英国だろ。イギリスったら、トラクエアハウスエールだぜ。賞味期限10年の最高級ビールだ。
何度もマジェにきてんのに、あのクソ野郎のおかげでビールを楽しむ間もねぇじゃねぇか。
事件はもうどうでもいい。この際、銘柄もかまわねぇ、ビターエールを1バイント(570ml)くれ。
観光地なんだし、それくらいいだろーがぁ!」
パートナーのヒゲがうるせーけど、無視するぜ。OKな。
さて、ノーマン・ゲイン護送のための囮になった俺たちなんだけど、もくろみ通り無事? 襲撃も受けて、ヒゲがやられかけて、仕組みはよくわかんねぇけど、助かって
「俺様の日頃の心がけのおかげだよ。
土壇場になって、相手が俺を斬るのを躊躇して逃げたってことさ。俺様のオーラに気圧されてな」
ヒゲのたわ言は放っとくぜ。
あん時、時間がとまってベスティエの声を聞いた気がするんだけど、ベスティエ自体、わけのわかんねぇやつだからな、深く考えるのはやめとく。
とにかく、俺たちはピンチを切り抜けて、ヤードへむかったんだ。
そして、ヤードであるものを手に入れた俺たちは、いま、ガーデンの住民法廷にむかっている。
目の前の、このぶ厚いドアを開けば法廷さ。
「行くぞ」
「行かねーよ。シラフじゃムリだ。俺に、アルコールをくれ」
「やることやったら脳に直接、注入してやる。それまでは、黙ってろ」
ヒゲがうるせーんで、さっさとドアを開けるぜ。
「PMRの比賀 一だ。
前置きなしで、結論を言うぞ。
ヤードの科学捜査班の鑑定結果がでた。
以前、空大でフライシャー教授に変装していた人物と、マイト・レストレイドが逮捕したいま、そこにいるノーマン・ゲインとおぼしき人物は、同一人物だ。
二人の血液は同じものだ」
「…な、なんだってェー」
満員の法廷内で、ミレイユとシェイドだけが小声で驚いてくれた。
PMRの絆に感謝するぜ。
他のやつらも衝撃を受けてはいるんだろうが、驚きのあまり声もだせないらしいな。
ドックレース場でノーマンが逮捕されたというニュースが流れるとすぐに、薔薇の学舎のイェニチェリ、黒崎天音(くろさき・あまね)からヤードに連絡があった。
メッセージの内容は、空大の事件の時に採取したノーマンらしき人物の血液のデーターをヤードに送るので、今回、逮捕された人物のものと照合して欲しい。
カフェで artificial rubyたちと出会って、いろいろ考えた結果、ガーデンの事件にノーマンがからんでいると確信した俺は、やつのこれまでのマジェでの動きを洗い直しにヤードへ行っていた。
そこへ逮捕のニュースと、黒崎から連絡がきたんだ。
囮作戦には、ノーマンたちを安全に法廷へ移動させるのと同時に、今回の現場で採取したやつの血液をヤードに運ぶ目的があった。
採血はレース場の医務室で行われ、俺はそれを受け取ってヤードへ運んだわけだ。
法廷内が静まりかえっている。
みんな、俺の次の言葉を待っているらしい。
いや、あの、もう、言うことはないんだけどな。
「まあ、そういうわけなんで、そいつは、ここ最近、墨死館、かわい家、空大、マジェを荒らしまわってきたノーマン・ゲインとかなりの可能性で同一人物だ。
つまり、おそらく、本物のノーマン・ゲインってことさ。
となると、七尾蒼也が捕まえたやつは、影武者だな」
おおおおおおっ。
息をのむ音とどよめき。
あちこちでささやき交わされる言葉たち。
俺は、こちらにむけられた二人の人物の視線に気づいた。
一人は、見えないはずの目を俺のほうにむけ、なにか言いたげな表情をしているニコ・オールドワンド(にこ・おーるどわんど)。
それと、両手に手錠をかけられ、不似合いな衛兵の制服を着、嘲ような笑みを浮かべた白面、赤い瞳の人物だ。
やつは、俺の方をむいたまま口を開き、よく通る甘い声で語りだす。
「証拠は揃ったようだな。
ご紹介、御苦労。
あらためて、名乗らせていただこう。私がノーマン・ゲイン三世だ。
諸君。さあ、そろそろ開廷してくれたまえ。
このままでは、待ちくたびれて眠ってしまいそうだよ。
横になりたくても、ここには、ベットはないのだろ。
共に寝るペットもいないしね」
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