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7.大切な人のお見舞い。4


 それは、佐伯 梓(さえき・あずさ)カリーチェ・サイフィード(かりーちぇ・さいふぃーど)が魔法の修行をしている最中のことだった。
 カリーチェが放った光術が梓に向かって飛んできた。防御系の術や、相殺するための術を展開する間を与えぬ速さで。
 当たる、と梓は覚悟して目を瞑った。けれど衝撃も痛みも何もない。
 目を開けたとき見たのは、オゼト・ザクイウェム(おぜと・ざくいうぇむ)が梓を庇って地面に倒れる姿だった。
 意識を失くしていたため、万が一のことがあってはと救急車を呼んで、聖アトラーテ病院に搬送されて。
「身体は頑丈のようですし、ヒールで治る程度ですよ」
 と医師に説明された。
 軽傷なことに安心しつつも、術が当たったのは頭だ。それにオゼトは高齢で、
「うーん、一応いろいろ診てやってくださいー」
「わかりました」
 そんな経緯があって、入院。
 お見舞いだー、とカリーチェを連れて一度ヴァイシャリーまで行き、バイト先である『Sweet Illusion』でいくつかケーキを買い、別の店で花束も買って。
「やっほーオゼト」
 梓は病室のドアを開けた。花瓶に花を飾り、サイドテーブルにケーキの箱を置いてパイプ椅子を引き、カリーチェと並んで座る。
「オゼト、怪我させてごめんね。でも庇ってくれてありがとー」
 梓の言葉に、オゼトが小さく頷いた。当然だ、と言っているようだ。
 でも。
「もう俺だって子供じゃないから、いつまでもオゼトに甘えてられないなー」
「……?」
 疑問符を浮かべるオゼトに、梓は苦笑する。
 ――どうしてオゼトは俺を守ろうとしてくれるんだろー。
 親身になってくれる理由もわからない。それがずっと疑問だった。
「俺のことはもういいんだよー?」
 もう大丈夫なんだ。
「守りたくて、守られたい人が。大事な人が、居るんだー」
 その人のことを脳裏に浮かべ、照れ笑いを浮かべて告げる。
 だから、もう大丈夫なんだと。
 少しの間を開けて。
「そうか」
 オゼトが短く答えた。
 同時、ぽん、と頭にオゼトの手が載せられて、そっと撫でられた。両手を伸ばして、カリーチェの頭も撫でる。
 いつも明るく元気なカリーチェが、落ち込んでいる様子だったからだろう。
「オゼト……痛いところとかない? ……ごめんね」
 言葉にオゼトが首を振った。気にするなと言うように。
 しばらく二人で撫でられたあと、
「あのね、俺はオゼトも大事なんだ」
 梓は言葉を伝える。
「だから今度、オゼトが危ないときは俺がオゼトを助けるよー」
 にこーと笑って。
「あたしも!」
 飛び上がらんばかりの勢いで、カリーチェが声を張り上げた。
「あたしもオゼトを守る!」
「…………」
 が、オゼトは物凄く渋い柿を齧ったような顔をした。
「えっ、えっ。い、いや? いやなの? はわわ……っ」
 おろおろするカリーチェを見て小さく笑ってから、耳に口を近づける。
「嬉しいんだよ」
「!」
 こっそり伝えた言葉に、再びカリーチェが「はわわ」と慌てた。
 きっとあの渋い顔は、にやけそうになる顔をこらえているに違いない。
 ――そういえば、オゼトが笑ったところ。見たことないなぁ。
 不意に至ったその考えに、ひとつ閃いた。
 絶対、オゼトの笑顔を見てやろう。
 カリーチェも同じ考えに至っていたらしい。じぃっとオゼトの顔を見ている。
「カリーチェ、頑張れー」
「……アズサはもしかして、あたしの心が読めるのかな?」
「まさかー。でも、なんとなくちょっとならわかるかも」
「はわ……侮りがたしね、アズサ。……うん、頑張る」
 小さく握りこぶしを作るカリーチェの背中を軽く叩いた。
 と、それまで黙って梓とカリーチェを見守っていたオゼトが、
「どうあろうと……俺は生涯、梓とカリーチェの騎士でいよう」
 手のひらに拳を突きつけ、目を伏せる。
 もしも目を伏せていなかったら。
 ――オゼトは、真っ赤になったカリーチェの顔を見てどう思ったんだろ?
 それはそれで気になったなあと、梓は思った。


*...***...*


 ただの風邪だから、と我慢した結果、こじらせて肺炎一歩手前。
 これ以上悪くすると命に関わると入院を余儀なくされたセルマ・アリス(せるま・ありす)は、個室病室のベッドの中で唸っていた。
「う゛ー……。肺炎になるとかあほかー……」
 声は掠れてひどいものである。そのことにまた眉をひそめつつ、胸の苦しさにまた喘ぐ。
「つーらーいー……」
 声に出さなければ耐えられない程度には、辛い。
 ――こんなんなったことないからな……。
 ――俺、どうなるのかな……。
 医師の言った、命に関わるという言葉が頭の中で響いた。
 命に関わる。
 死。
 その一文字が、今までは遠かった単語が、急に近付いてきた気がした。ぶるりと身震いする。
 ――死ぬのかな……。
 ――死ぬのは嫌だな……。
 布団に包まり、セルマは布団を握り締める。
 怖かった。
 死を意識することが。意識せざるを得ない現状が。
 ――誰か、来てくれないかな。
 一人だと、このままどこまでも落ちていきそうだ。
 そんなの嫌だ。
 ――……寂しい。
 不意に零れかけた涙を拭って、洟をすする。
 丁度そのタイミングで、病室のドアが開く音が聴こえた。布団から顔を出す。
「うおーい、セルマーお見舞いに来たわよー」
 明るく、とても聞き覚えのある声。それは、中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)――通称シャオのものだった。
「シャオー……お見舞いありがとう〜……ううううう〜」
 彼女の姿を見るや否や、すがりつきたくなってしまった。
 けれどシャオはドSである。弱っている姿を見られたら、余計にいじられるのではないかと不安のようなものが過ぎった。再び布団に潜り込む。
「どうしたどうした。ネガティブモード?」
「…………」
 近寄られて声をかけられたが、黙る。
 無視という形になってしまったことに申し訳なく思いつつそうしていると。
 ――……あれ?
 足音が、ドアに向かっていく。離れていく。
「――――」
「――――」
 誰かとなにかを話す声。
 ――看護師さんに、何か訊いてる……?
 布団にもぐったままじゃ、会話の内容までは聴こえない。
「シャオ……?」
 少し顔を出すと、シャオがパイプ椅子に座る瞬間を見た。
「……何するの?」
 問いに答えはなく、代わりに発された音はニ胡の音。
 懐かしい音だと思った。
 ――何か、安心する……。
 それまで感じていた不安が、音に溶けたように。
 消えて、なくなって、誰かが寄り添ってくれているような温もりまで感じた。ベッドに一人なのは変わりないのに。
 ――不思議だな。
 どうしてこんな音がするのだろう。
 考えてもわからないから、ただ音を感じて。
 そうしている間に眠くなって、セルマは深い眠りに落ちていた。


 セルマがすやすやと寝息を立て始めたのを聞いて、シャオは演奏を止めた。
 奏でていたのは子守唄。
 優しくて、心地よくて、静かな夜の湖を思い出すような音色。
 シャオの意図したとおりに眠ってくれた。それも、にこにこと笑顔で。
「ちゃんと治療してれば死なないってのに、不安がっちゃって」
 さらさらの黒髪を手櫛で梳いた。かすかに引っかかりがあり、髪を傷めないように丁寧に解く。
 解いてから、シャオは立ち上がった。セルマも安心して眠っているし、これ以上長居する必要はない。
「あ、そうだ」
 見舞いの品を持ってきたことを忘れていた。そっと、枕元に置く。置いたのはバロ君のぬいぐるみだ。
 ほれ、と頬をぬいぐるみでくすぐると、セルマの手が伸びてきてぬいぐるみを抱きしめた。
「無意識か」
 ぷ、と笑う。無意識に抱き寄せるなんて。
 ――相当、弱っていたのかしら。
 今までになく不安定な様子だった。ぬいぐるみを抱く顔は、先ほどまでの笑顔ではなく、どこか苦しそうにも見えて。
 ぴん、と額を指で弾く。
「まだたった十七年しか生きてないんだ。そう悲観しなさんな」
 聞く相手のいない言葉を置き去りに、シャオは病室を後にした。