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リアクション
■1――三日目――12:00
ブナ林の中で出会った『鷹村真一郎』という男に死人にされた。
それを、瓜生 コウ(うりゅう・こう)は理性を取り戻した頭で思い出し、そして、静かに息を零した。
それから密やかに集められるだけの情報を集め、彼女は、結論していた。
(……果たして、そう都合良くいくのか)
林の中を歩みながら自問する。
(山葉涼司の身体を乗っ取り、自らにヤマを顕現し――)
望みを叶えるには、使える手は何でも使うべきだと彼女は考えていた。
例えば、山場弥美の持つ、『他の死人を操る力』。
それが、もし、死人としての力を鍛えることで手に入れられるのだとしたら、弥美の支配を逃れ、単独で山葉を確保することも妄言では無くなる。
だが……彼女は先刻、失望を味わっていた。
まず、組みしやすそうな動物や虫を死人化できるかというところから試してみたが、生気すら上手く奪えなかった。
理由は判然としなかったが、ヨーガで言うところのチャクラは人と動物で違うという者もいるから、生気を奪う対象には、ある一定の生気の波形のようなものが必要なのかもしれない
それから、コウは村人の生者から生気を奪い、死人化し、それを操れるか試してみたが、やはり上手くは行かなかった。
明確な意識を持って生気を奪ってみて感じたことだが……
おそらく、死人の精神を支配する力は、山場弥美特有の――いや、弥美の中に巣食う者が持つ特別な力なのだろう。
ともあれ。
弥美の精神支配を逃れ、他の死人を操るという彼女が考えていた『手』は使えないということは分かった。
(残された手は一つ……)
ブナ林を抜け、彼女が辿り着いたのは閻羅穴の淵だった。
山肌を抉り、半ば洞窟のようになった穴を覗き込んでも、完全に闇に閉ざされ、底は見えない。
この穴に投げ込まれた死人は二度と這い上がってこれないのだという。
暫し、その穴の淵に立ち、コウは穴を覗き込んでいた。
そして、彼女は、タッと軽い音を立てて穴の暗闇へ身を投じたのだった。
その手にあったのは、空飛ぶ箒。
村主 蛇々(すぐり・じゃじゃ)とアール・エンディミオン(あーる・えんでぃみおん)への懺悔を。
椎名 真(しいな・まこと)は何度も繰り返していた。
幾ら木陰を選んでいるとはいえ、日中の移動は堪える。
真はバス停の前にある簡易な小屋の中で、ぐったりと腰を降ろしていた。
(すまない……)
小屋に差し込む日を避けるようにベンチの端、小屋の隅に身を寄せ、薄く蹲りながら真は、もう何度目か蛇々たちに懺悔した。
彼女たちは自身がニコ・オールドワンド(にこ・おーるどわんど)を信じて、分校に招き入れてしまったが故に、死人となった。
真自身も、死人となった。
自分たちが死人となったのは、自身の甘さのせいだったのか。
人を信じる事の答えがそれだったのか。
(……分からない)
己の肩を抱くように身を縮こませながら、真は目を細めた。
死人は生者から生気を奪わなければいけない。
人を騙し、油断させ、食らわなければいけない。
だから、ニコは正しき死人だったのかもしれなかった。
彼は正しかったのかもしれない。
それでも。
(許せないんだ……)
蛇々とアールへの懺悔を繰り返す度に、ニコへ向けたドス黒い感情が膨らみ続けていく。
と、人の気配を感じ、真は視線を上げた。
そこには、一人の少女が立っていた
彼女は日差しの中から、彼に問いかけてきた。
「あなたは……」
「死人だよ」
真は淀み無く言って、力なく笑んだ。
少女はわずかに怪訝な表情を浮かべて、顔に影を作ってから言った。
「……隠さないのね」
「嫌いなんだ。誰かを騙すのは」
「死人なのに?」
「なったばかりだからかな」
「私、君みたいな死人を一人知ってるわ。
とても優しくて繊細で……憐れなの。人から生気を奪って死人にしてしまったことを嘆いて泣いてた。
いつの間にか何処かに消えちゃったけど」
「俺は優しくないよ」
真は小屋の隅に蹲ったまま、渇いた笑みを浮かべて続けた。
「生者から生気を奪ってでも、やり遂げなきゃいけないことがあるから」
「やり遂げなきゃいけないこと?」
「俺を騙して、俺たちを“殺した”死人から生気を奪い返す」
「そんな事して、どうなるの?」
「……分からない。でも、俺はそうしたいんだ。
そうしないと、いつまで経っても頭から離れないんだ。俺の目の前で死人にされた二人の顔が」
それは妄執だと、真は自ら分かっていた。
だが、その妄執は抗いがたい力を持ち、真を支配し、離さないのだ。
ふいに少女が言う。
「どんな死人を探してるの?」
「銀髪で緑色の目をした……10代半ばの少年だ。病気みたいに白い肌をしてて」
「それなら」
と少女は遠くの山の方を見やりながら目を細め、言った。
「閻羅穴へ向かっているのを見たって。
やたら長いロープを引きずっていたらしいわ」
真は、わずかに目を見開き……少しの間を置いてから、おそらく、酷く凄惨な笑みを浮かべた。
こちらを見た少女がたじろぐほどの。
「ありがとう……とても助かったよ――」
「工藤……工藤頼香よ」
「頼香さん。これで、俺は……償うことが……」
ゆっくりと真が小屋から出ようとしたのを見て、頼香と名乗った少女は、すぐに何処ぞへと駆けていった。
「……俺は償う……償わせる……」
呪詛のように呟きながら、真は閻羅穴へ向かい、再び影を伝って歩み始めたのだった。
「もう、いいや」
ニコ・オールドワンド(にこ・おーるどわんど)は、引きずっていたロープを離した。
ドサッと重い音が地面に響く。
「やっぱり、僕には向かないね……こういうのは」
昔から運動は苦手だったが、今は必要以上に身体を動かすことに吐き気を催すほどの嫌悪感を覚えていた。
青年消防団の倉庫から漁り出してきた長いロープの束を見やる。
本当なら、これを閻羅穴に垂らすつもりだった。
穴に落とされた死人が昇って来れるように。
果たして、こんなもので引き上げられるかは分からなかったが、それ以外には穴の破壊程度しか良い案が浮かばない。
奈落の鉄鎖による限定的な重力制御は、穴の縁に引っかかった小岩を引き上げるくらいが限界だったし。
のろのろと石段の端に腰を掛け、ニコは、月明かりに照らし出された自身の真っ白い手のひらを見下ろした。
じんわりと蘇る、生者から生気を奪った時の甘い感覚。
「ああ……」
特に椎名 真(しいな・まこと)から奪った生気は、彼に強い幸福感を与えていた。
彼から得た生気は特別に暖かかった。
「僕を信頼してくれた……少しも疑うことなく。無防備に。諸手を上げて」
くふふ、と笑みを漏らし、己の手のひらにそっと頬ずりをする。
「嬉しかった」
同じ死人になった彼は、今、どうしているだろうか。
どんな気持ちでいるのだろうか。
想像して、無性に会いたくなる。
会って、もう一度、この手に触れた幸せを味わいたい。
目を閉じる。
「……気を引かなきゃ。死人を増やして……たくさん、僕の友達を増やして……穴に落っことされた死人を解放して……僕に気づいて」
会いに来て。
ニコは呟いて、目を開けた。
腰を上げ、だるい身体を揺らめかす。
そして、彼は長い長いロープを引きずりながら閻羅穴を目指した。
閻羅穴の底。
そこは大岩の瓦礫が幾つも散らばる、殺伐とした世界のようだった。
湿気が無く、空気が奇妙に乾いていた。
いや……湿気だけではなく、空気に含まれている筈の。あらゆるものが失われているような、そんな――
「……カラッポの空気、か」
そう表現して、瓜生 コウ(うりゅう・こう)は暗闇の中を手探りで探索していた。
明かりは無い。頼りは、自身に生えた黒猫の耳が感じる超感覚だけ。
音……何処かで、おそらく死人が蠢いている音が聞こえていた。
想像していたより少ないのは、共食いでもしたからだろうか。
しかし、探せば、手遅れではない死人も居るかもしれない。
(機晶爆弾を用いて穴から彼らを解放し……その見返りに、こちらの味方をさせる)
そんな事を考えてみたが、彼女は、一人首を振った。
(この穴は尋常じゃなく深い。崩して解放するのは不可能だろう。それに――)
と、彼女の足先が何かを蹴る。
「……なんだ?」
手探りで拾ったのは、何か小さな塊だった。
手触りから、それが木彫りの像か何かだと分かる。
複数の顔面と手足を持つ異形の像。
「ハナイカダには雄株と雌株があるんだよ」
「……ほうふふほほは?」
菊のこさえてきたハナイカダの菜飯のおにぎりをほうばりながら、涼司が問いかける。
菊は自身も、おにぎりを一齧りしながら続けた。
「物事には陰陽ってのがある。
光と影、水と火、死と生――」
「……雄株と雌株?」
おにぎりを飲み込んだ涼司が指についた米を舐め取りながら繋ぐ。
菊は頷き。
「気になってね、確かめた。
そうしたら、案の定、今回の秘祭の間、料理に使われていたのは雌株だけだった。
雌は陰陽の陰にあたるもの。
祭事に関わる人間が、常に陰の気だけを身体に取るってのは――
ヤマを地球に顕現させようって今回の祭りにおいちゃ不思議はないけど、今まで行われてきた本来の秘祭の意味からすれば奇妙だ」
「……だから、『本物』?」
「そう。
本来の秘祭に用いられていたのはハナイカダの雄株の方だけだった筈だよ。
雄株で陽の気を身体に取り込み、おそらく、陰気を封じるための何かを得る準備をしていたんだ」
「なるほど」
涼司が分かったような分からないような調子を隠すように、真剣な表情で頷く。
菊は、フ、と笑って涼司におにぎりをもう一つ投げた。
「既に陰気を取り入れている分をどこまで持ち返せるかは分からないけどな。
喰えるだけ喰っとけ――せめて、五分のトコまでは持ち直しておかなくちゃな」
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