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年の初めの『……』(カギカッコ)

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年の初めの『……』(カギカッコ)
年の初めの『……』(カギカッコ) 年の初めの『……』(カギカッコ)

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●KAKIZOME!

 ことん、と鹿威しが音を立てた。
 こちらは葦原明倫館明倫館。畳敷きの教室。
 主に華道、茶道などに用いられる雅な一室だが、本日はこの場所にて書道、すなわち書き初めが行われていた。
 真剣な表情でセルマ・アリス(せるま・ありす)は硯に筆をつけた。
 この、少し寒々しい部屋には彼とパートナーたち、合計四名が詰めている。
 どういう経緯で書き初めが行われることになったのか、それは、
(「俺には今書初めしたい目標が一つあるから」)
 というセルマの思いが理由としてあった。
 心を込めセルマは筆を走らせる。
 ……走らせている。
 が、滑った。
「えっと、あ、字間違えた……。この半紙はもう駄目だなー別のに換えてまた書こう」
 気を取り直して彼は、また墨を擦っている。
「無様ですね。セル」
 ふっ、とリンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)が唇を歪め、嗤った。
「心に迷いがあるから、そんな無様を晒すのです」
「まあ、迷いがあるのは事実だから否定しないけど……そういうリンはどうなの?」
「新年の目標、ということですね? 強いて言うなら、今年こそセルへの恨みに決着を着けたいように思っています」
「……」
 兄たるセルマはただただ、複雑な表情をしていた。
 そちらを一瞥だにせず、フェルトの下敷きに乗せた半紙に向かって、
「書にて表現するとこうなります!」
 と一声、リンの筆が縦横無尽の動きを見せた。かなりの達筆で、
『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…………』
 隙間なくびっしりと、その言葉だけ写経のように書く。書きまくる。半紙がたちまち黒々と埋め尽くされた。
「何というかデスヨネーって言いたくなる内容……」
 呟くセルマだが、リンに、
「ご感想は?」
 と、なにやら屈託のない素敵な笑顔で問われたので、
「ヨ、ヨロシクオネガイシマスー」
 ロボットのようにぺこりとお辞儀した。ああ苦笑い。痛い痛い苦笑い。
 牧場の精 メリシェル(ぼくじょうのせい・めりしぇる)が、めーめーと鳴いている。
「めーめー。(書初めって言うの? ボクもやるー!)」
 と、いつの間にか和室に上がったのだ。なお、メリシェルのセリフ内『()』は鳴き声に込められた意の日本語訳である。
「めー……(筆ってにほんがけって言う持ち方なんだっけ? 持ちづらいな〜)」
 メリシェルは筆を握ろうと悪戦苦闘していたが、ややあって、
「めー!(もういいやっ)」
 筆を投げ捨ててしまった。諦めたのかと思いきや、
「めーめー!(筆で文字書くの難しいから、ボクの毛でお絵かきしちゃおう!)」
 そんな決定を下したらしい。
「めーめー♪」
 ごろりと墨汁を床下に倒して、その上に転がるや楽しそうにしながら全身の毛を墨につけていった。
「めーめー♪」
 そして今度は、墨を塗りたくった全身で大きめに繋げた半紙の上を転げ回る。この繋げた半紙を誰が用意したのかは永遠の謎である。
 そうして、
「め〜め〜!(ボクの絵完成だよ!)」
 と身長40センチの地祇が、ころころ転がって作った前衛芸術を作り上げ、セルマに見ろ見ろと迫った。
「ああ、メリー、大惨事だよ……」
 半紙の上だけに墨が走っているのならいいのだが……もちろんそんなはずはないのである。どろべちゃ真っ黒である。借り物の部屋だけに、きちんと掃除しないと大目玉だろう。セルマはげんなりした。あと、帰ったらメリーをお風呂に入れなければ。
 しかしまあ、メリーが大変満足そうなのでよしとする。前衛芸術として理解しづらい完成度だが、それも良し!
「そういえば、ヴィーは?」
 ヴィランビット・ロア(う゛ぃらんびっと・ろあ)の姿が見えない。
 それもそのはずヴィーはいつの間にやら、畳に突っ伏して眠っていたのだ。
「ちょっと、ヴィー、起きなって」
 セルマはにじりよって起こそうとしたが、はっとして手を止めた。
 ヴィーの半紙にはダイイングメッセージのように、
『永眠したい』
 と書かれてあったからだ。それもご丁寧に赤文字で!
「まさかヴィー!? 睡眠薬を大量に飲んだとか!? な、何があったのーーーー! どうして早まったことをする前に相談してくれなかったのーーーー!」
 ぶわああ、と涙がこぼれそうになったセルマだが、
「とは言ったものの、どうせいつもの調子だよね……」
 なにか気づいたらしく、ヴィランビットを揺さぶって起こそうと努めた。
「ううーん……大丈夫……掃除が終わったら起こしてねー」
 ああ、やっぱり。
 ヴィーを、セルマは無理に目覚めさせた。
「え? 『永眠したい』って違う意味に見える? 僕はただずっと眠って過ごせたらなーって思っただけだよ。赤い墨汁? なにも考えず手元にあったのを使っただけ」
 ようよう起きたヴィーは大欠伸して述べたのである。
「ふああー…第一今も眠いし、本当は寝正月にしたかったんだけどね……」
 ぱたりとまたヴィーは突っ伏してしまった。半紙の上にべたっと乗る。顔が墨で汚れるのもてんで構わないらしい。
 やれやれ、セルマは溜息した。
 みな、思い思いにやっている。まるで自由な風のように。
 だったら自分も、自由に書きたいことを書けばいいのではないか――そんな思いが彼の心をかすめた。確かにそうかもしれない。
 なのでセルマは肩の力を抜き、思いついたままに筆を振るった。
『空京大学への進学』
 今年の目標を書き上げたのだ。
 さっと書いたのだが字はなかなかしっかりしている。骨太なのもいい。笑みがこぼれた。
 セルマは昨年、龍神族の谷で初めて龍と会った。
 話をした。どきどきした。
 あれだけの興奮と出会いたいと熱望した。もっとこの世界の知らないことと出会いたくなったのだ。
(「そのためには勉強だけじゃ全然足りない」)
 この決意が、大学進学の夢として結実したのだった。
 無論、大学に入ることが最終目標でないのは確かだ。大学進学は、未知の世界と出会うための一歩でしかないのだから。
「なにはともあれ、これからの一年、頑張っていこう」
 セルマが告げると。
「殺す」とリンは不穏な笑みで、
「めー(頑張るよ!)」とメリは回転で、
「すー……」とヴィーは寝息で応じた。
「なんだこの顔ぶれ!」
 アリスは天を仰いだ。
 なんだよこの書き初め。
 ……とっても自分たちらしいとは思うのだけれど。