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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3

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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3
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第5章 結び直された絆

「ここがテセランの町か」
 上空、ペガサスヴァンドールの背にまたがって、ララはつぶやいた。
 馬車で丸1日の距離も、ペガサスを用いて飛べばほんの数時間で着く。まずはじめに郊外にあるアーンセトの屋敷を訪ねた彼女はそこにいたアナトから言葉巧みにエシムが屋敷を抜け出してテセランの町へ出ていることを聞き出していた。
「軟禁中に外出たのバレたら死罪だって知ってるはずなのに、大胆だよねー」
 後ろでユノが、どこか感心したような声で言う。
「ところでエシムがどんな姿なのか知ってる?」
「ううむ…」
 今さらなのだがこの2人、一度もエシムに会ったことがないことに遅ればせ気付いた。
「ま、まあ、多分、分かるよ。騎士らしい立居ふるまいをしているだろうし。そういう男が3人いれば、目につくはずだ」
 かなり楽観的というか希望的観測だったが、日ごろの行いが良かったのか、2人はそう時間をかけずにそれらしい3人組を見つけることができた。もちろん、テセランの町が小さかったということもある。
 はたしてエシム・アーンセトは、それなりに混雑した市の立つ商路の裏路地で、表通りには背を向ける格好で、背中を丸めて立っていた。両肘が前後に動き、ガシガシと何かを力強くこする音がしている。横に積み上げられているのは木製の樽箱で、彼の足元には水たまりができていた。
 ばさりと頭上で何か巨大なものがはばたく音を聞いて、エシムは振り仰ぐ。彼が見たのは、ペガサスに乗った凛々しい女騎士とその従者らしき少女だった。
「おまえがエシム・アーンセトか?」
 彼女が言葉を発すると同時に、エシムを路地の影から見守っていた2人の準騎士――監視員――が剣を抜いて駆け寄り、彼をかばい立つ。
「警戒しなくてもいい。私はララ・サーズデイ。アガデから来た。シャンバラのコントラクターで領主バァルの友人だ」
 バァルの名に、監視員たちはわずかに警戒を緩ませる。だがそのかわりに彼らに芽生えたのは、軟禁者の監視というきまりを破ってエシムが外に出るのを許してしまっていることだった。エシムの身の上に同情し、アナトのためにも生活費を稼ぎたいのだという彼の説得に負けた結果だが、そんなことが理由になるわけもない。
 彼らが何を心配しているか、ひと目で悟ったララは気にするな、と声をかけた。だれにも話すつもりはない、と。
「俺はエシムだ」
 彼に、ララはミフラグの事情を手早く説明した。
「そうか。だがそれと俺に何の関係がある?」
「ミフラグの代わりにカインと戦ってほしい。いわゆる代理決闘というやつだ」
 戦闘能力のない女性に代わり、騎士が戦うというのは全く前例がないわけではなかった。決闘など、かなり昔の記録になるが、それでも前例は前例だ。
「カインと戦う? 俺が?」
 ララからの提案を、エシムは一笑に伏した。シャンバラ人であるララやユノに到底分かるはずもなかったが、それは騎士内の事情からすれば本当にばかげた思いつきだったのだ。代理決闘というのは相手の騎士と力が拮抗してこそ。12騎士最強のオズトゥルクであればともかく、エシムでは力の差は歴然。
「第一、俺はもう12騎士じゃない。アーンセトの騎士役は従兄弟が正式に継いだ」
「称号とともにノブレス・オブリージュもあっさり捨て去ったというのか!」
 ララの一喝は、背を向けたエシムの胸に突き刺さった。
「……義務と誇り、か…。だが不可能だ。俺は軟禁刑を受けている。本来なら館を出ていることを知られただけで死罪だ。アガデへ行けばその場で捕縛され、処刑されるだろう。
 ミフラグ姫のためにそこまでする義理はない」
 彼にはアナトがいた。今となってはだれより大切にしなくてはならない、ただ1つ残された最愛の姉が。
「――帰りましょ。彼は無理よ」
 ユノがララを急かした。
 ペガサスのはばたきがして、馬型の影が小さくなっていく。
「エシムさま…」
 エシムは無言で落としていたタワシを拾い上げると、樽箱を掃除する仕事へと戻った。


*       *       *


 同時刻。
 アーンセト家令嬢アナト=ユテ・アーンセトは、屋敷の庭で洗濯物を干していた。
「大分上手になったわよね」
 日光の下、ばたばたと風になびく白いシーツの群れを見て、額の汗をぬぐう。
 はじめてこの屋敷へ来たとき、家事はさんざんだった。領主の婚約者として英才教育は受けていたが、料理以外の家事については何も教わっていない。その料理とて、日々の食事というよりはもっぱらティーパーティーででも出すような菓子のたぐいだ。全く実用性に欠ける。
 毎日が挑戦だった。ナハル叔父の館で暮らしていたころ、なんとなく視界に入れていた召使いたちの動きを思い出しつつ、真似て作業する。もちろんそれだけでは到底無理なので、思いつく限りの試行錯誤を繰り返した。なにしろ、訊ける相手もここにはいない。アーンセトに仕えてきた召使いたちには全員暇を出した。代々仕えてくれた者たちの中には残りたがっていた者たちも数多くいたが、給金を出す余裕がないのだから仕方がない。最後には彼らも理解して、辞めてくれた。
「さあ次は畑ね!」
 くるっと振り返り、庭の一角に作った畑にする予定の場所を眺める。まだざっと土の上に区分けの線を引いただけだが、今日じゅうにそれらしい形にしてしまうつもりだった。
 そでをまくり、監視の騎士2人にお願いして町で買ってきてもらった鍬を握る。いざ振り上げんと勢い込んだとき、玄関の方で呼び鈴が鳴った。
「まあ…!」
 玄関へ出た彼女を待っていたのは、積み上げられた大量の箱と大きな花束だった。
「アナトさん、ですか?」
 箱の向こうからもぐもぐとくぐもった男の声がする。箱の脇からひょこっと右半面だけ覗かせたのは、配達員だった。
「お届け物です」
「どなたから?」
「伝票見るためにも、受け取ってもらえないでしょうか」
「ああ、そうね。ごめんなさい」
 アナトが脇にどくと、よっこらしょ、という感じで男は玄関脇にあったミニテーブルの上に箱の山を乗せた。
「ええと……トライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)さんからとなっていますね」
「トライブから!?」
 驚きに目を瞠りながらアナトは花束を受け取ると、彼の指し示すまま受け取りのサインをした。「では」と帽子のつばに指を添え、浮かせる動作をして配達員は帰って行く。「ご苦労さま」と言葉を返しつつも、アナトの気の大半は箱の山にあった。
 一番上の箱にメッセージカードが挟まっているのを見て、大急ぎ箱を全部床に下ろし、前に両ひざをついて持ち上げる。そこにはひと言『がんばれ』とあった。横に下ろして見ると、その下の箱にもカードがついている。こちらには『大丈夫!』、そしてその下の箱には『1人じゃない』、その下には『いつだって会える』、『駆けつける』、『呼んでくれさえすればいい』……。
「……ふふっ」
 懐かしい、初めてできた異国の友達。陽気で、お調子者で、でもまっすぐな彼のことを思い出して、アナトはぎゅうっと箱を抱き締めた。しんと静まり返った屋敷の中、たった1人の孤独感が襲ってきて、いつになく胸が痛い。もう慣れたと思っていたのに…。
「会いたいわ、トライブ」
 でも無理ね。ここはテセラン。あなたはシャンバラだもの。
 涙がぽつりと箱の上に落ちる。こしこしぬぐっていると、不意に何かが視界をかすめた。ウエストに回された何かによって、後ろに引き寄せられる。
「泣くなよ、姐さん」
 耳元近くでささやかれる言葉は、抱き寄せた腕に込められた力とは裏腹に、どこかとまどっているようにも聞こえる。
「そりゃ、呼べって書いたの俺だけど、泣かしたかったわけじゃないんだ。俺はただ、驚かそうと思って…」
 密着した肩にも、背中にも。伝わってくる熱からも、トライブが本当にそこにいるのだと感じて、アナトは両手で顔をおおった。



 未婚女性が、少年とはいえ男性と2人きりで家の中にいるわけにはいかない。場を庭のベンチへと移した2人は、飲み物を手にぽかぽかと気持ちいい日光浴を楽しみながら談笑をしていた。
 「ねえ、あれから何かあった?」「今までどうしていたの?」「今何してる?」気心の知れた友達同士のたわいのない近況報告。らちもない会話。しかしトライブは、すぐに彼女がそれに飢えていることに気付いた。
 話を伺っていれば、それも無理のないことだと思う。はっきりそう口にしてはいないが、ここでは彼女が家長のようなものだった。こんな事態を引き起こしてしまった自己嫌悪に陥っていた弟を叱咤し、昼夜となく励まし続け、自暴自棄になりかけた縁から引き戻した。そして現状、アーンセト家に残された資財を整理し、不要と思われる物はすべて弁護士に代理競売にかけてもらい、売り払うのだという。
「あ、でも今お金に困ってるわけじゃないのよ? 1年くらいの生活費はあるの。わたしとエシムだけだし、節約すればもっともつと思うわ。ただ、考えてみたら父が亡くなってから、こういうことさぼっちゃってたと思って。いい機会だし、整理してしまおうってエシムと話し合ったの」
「お義母さんと継妹ちゃんがいるんじゃなかった?」
「2人は……別の町にある寡婦館へ移ったわ。あっちの方がアガデに近いし……大きな町の中にあるから、何かと便利だって…」
「そっか」
 言葉を選びつつ話す姿に、そこには何か、他人には話せない痛みのようなものが感じられたが、トライブは気付かないフリをした。
「それで姐さんは、今何してるの?」
「そう! 聞いて、トライブ!」
 アナトはぱん! と両手を打ち合わせた。目がキラキラ輝いている。
「わたしね、今この家の家事を全部自分でやってるのよ! しかも始めて2週間くらいなのに、もう掃除、洗濯、裁縫と、そこそこ形にはなってきてると思うの。すごいでしょ? 自分でもビックリよ。今まで全然やったことなかったのに! きっとわたし、こういうのに向いてたと思うの! 才能があったのね! まだちょっと時間がかかってるけど、来週にはもっと時間を短縮してみせるわ!」
 やる気に燃えた彼女の手が、庭の一角を指した。
「あれ、何か分かる?」
「えーと……花でも植えるの?」
 トライブの答えに、ぷぷっと笑う。
「違うわ、畑よ。っていうか、これから畑にする予定の場所。今までは家事をしてたら1日が終わってたんだけど、時間が作れるようになったの。それであそこに畑を作ろうと思って。これから耕そうとしてたとこ」
「ふーん。それで、何植えるの?」
「まだ決めてないわ。一応、町にいってるエシムに、何か適当な種をみつくろってきてってお願いしたけど。――あ、これ、ほかの人たちには内緒にしてね。特にアガデの人たちには。知られると大変だから」
 秘密、と口元に人差し指を立て、アナトは立ち上がって壁に立てかけてあった鍬をとった。
「見てなさい、トライブ! 今度あなたが来るまでに、きっとあそこに立派な菜園を作ってみせるから! そして採れたてのおいしい野菜を食べさせてあげる!」
 笑顔でベンチの彼を振り返る彼女の姿は、髪の先まで意欲に満ちて、輝いていて。そのまぶしさにトライブは目を細めた。
「……部屋で膝でも抱え込んでたら、どうしようかと思ってたんだけどなあ…」
 姐さんに限って、そんなはずないか。
 今となってはそんな心配をしていたことすら、ばかばかしい。これこそアナトだ。常に前向きでまっすぐ。
 ベンチから立ち上がり、アナトの鍬の端を握る。
「これ、予備ある?」
「どうして?」
「せっかくここにいるんだし、俺もちょっと手伝っていくよ。
 案外俺の作った畝でできた野菜が、姐さんのやつよりずっとおいしく育つかもしれないぜ?」
 抜き取った鍬を肩に担ぎ、トライブは少し意地悪な表情でニヤっと笑って見せた。



「それでさ、姐さんバァルとはどうなったの?」
 固くしまった土を鍬で掘り返しながらトライブは何気なく訊いた。
 もちろん装っているだけだ。しっかり目は、しゃがんでザルで土をふるいにかけているアナトの方を向いている。
「どう、って……何もないわよ? 婚約は解消されたし。ロンウェルで別れてから、1度も会ってないわ」
「ふーん」
(あのバカ領主め、いたわりの言葉もかけに来ないのか! 婚約者じゃなくなったからって、ザナドゥまで救い出しに行った姐さんがどうしているか、様子見ぐらいしてもバチ当たんねーだろ!)
 ぶつぶつ胸の中のバァルにひととおり毒づいて、鍬を立てる。
「じゃあさ、ほかに求婚者は現れた?」
「ええ? まさか! そんなもの好きいるわけないじゃない。もっと若くて資産家の娘はそれこそいっぱいいるわ」
 ザルの中に残った岩を箱の中にざらっと入れる。特に自分をあわれんでいるふうにも聞こえず、ただの日常会話のような話しぶりだ。
「上級貴族の称号目当てなら、もしかしたらそのうち現れるかもしれないけど。まあ、ほとぼりが冷めるまでそれはないんじゃないかしら。どちらにしても、当分その手の話に応じる気はないわ」
「じゃあさ、姐さんは今何が望み?」
 かなえられることならかなえてあげたい。耕すことをやめ、鍬を杖に両手とあごを乗せてアナトを見る。アナトはそんなトライブに気付かず、土をすくってふるいにかける作業を続けていた。
「そうねぇ……エシムを騎士に戻してあげたいわ。いえ、あの子は今も騎士なの。ただ、職務がないのね。だから――」
 アナトはそこで言葉を止めた。身を起こし、柵の向こうへ視線を飛ばす。何か、こちらへ近付いてくる音がする。その機械音には聞き覚えがあった。
 もちろんその音にはトライブも気付いていた。ただアナトと違い、彼にはそれが何のたてる音かも判別できている。トライブは反射的、畑の脇に置いてあったブレード・オブ・リコに手を伸ばした。が、掴んだ次の瞬間、その手を緩ませる。アルバトロスに乗っていたのは、そしてバァルだった。
「やっと来たか、あのバカ領主。
 姐さん、俺が応対してるから、着替えてきた方がいいんじゃないか? 服も手も泥だらけだぜ?」
 トライブに指摘に、アナトはゆっくりと首を振った。目は吸いつけられたように近付くバァルからわずかもそれない。
「いいの。これが今のわたしだもの」
 柵についた木戸を開き、堂々と出迎えに立つ。トライブや切、陣、遙遠たちの見守る中、バァルは速足でまっすぐ彼女に歩み寄り、その前で足を止めた。
「姫」
「ようこそおいでくださいました、領主。あいにくと家人がおりませんので、中へお通しするわけにはまいりませんが…」
 領主に嘘をつくわけにもいかない。第一、もうすでにこのことはララにもトライブにも知られてしまっている。どんなおとがめを受けることになるか……表情を曇らせるアナトに、バァルはうなずいた。
「エシムのことは知っている。だから気にしなくていい」
 しようのないやつだ。そう言いたげな……どちらかというと楽しげな口調だった。叱責でないことに面を上げたアナトを、冬の空のようなバァルの青灰色の瞳がまっすぐに見つめる。
「ここへ来る途中、アガデでちょっとした事件が起きた。だからどちらにしても長居はできない。
 あわただしくて申し訳ないが、ここで返事を聞かせてもらえるだろうか」
「返事?」
「そうだ。東カナン領主の婚約者でいる覚悟はあるかどうか。考える時間は十分あったはずだ」
「か、覚悟」
 ……ああ、さっきからわたしは何を言っているのかしら? これじゃあ頭の足りない小娘みたいじゃないの、と心のどこかで思ったが、のども口のなかもカラカラで、言葉が出てこなかった。
 目の前にあるバァルの表情も視線もやさしいのに、まるで見えない縄で縛りつけられたように身動きがとれない。
「わたしは妻にするならあなただと決めている。リドの町で会ったあのときから、変わったことは一瞬たりとない。あとはあなたにその覚悟があるかだ。
 ロンウェルで言ったように、わたしの地位はあなたを必ずしも守るものではない。わたしの傍らにいる限り、これからもあのようなことは起きるだろう。それでもその席に身を置くことを選んでくれるのであれば、そのかわりに、わたしは全力であなたの願いをかなえようと思う」
「わたしの……願い」
「何を望まれるか」
「家族が、ほしいです…」
 何が起きているのか、まだよく分からないながらもしびれる舌を動かして、ようやく言葉をつむぐ。
 思いがけない言葉を聞いた驚きからか、バァルは軽く目を瞠ったように見えた。そして彼女を見つめていた視線が、さらにやさしく、あたたかなものになったような気がして、目を奪われる。
 考えるより先に、言葉がすべり出た。
「今は弟がいますが、あの子もじきに自分の居場所を求めて飛び立っていくでしょう。そうあるべきなんです。わたしも……わたしだけの、家族がほしい。もう、だれにも奪われたりしない……わたしを1人にしない…。それを、わたしにくださいますか?」
「約束する」
 力強い言葉。それは神聖な誓いだった。
 アナトの足元に膝をつき、両手の甲に口づける。
「今この時よりあなたは東カナン領主の婚約者だ。胸を張って堂々とアガデに帰還するといい」
 アガデが元の姿に戻ったとき、あらためて迎えを寄こすと言ってバァルは去った。彼女の胸元に、エリヤのペンダントを残して。


 アガデへ戻る道中、バァルは言った。
 これまでも彼女には好感を持っていたが、あのとき、初めて彼女をいとおしいと思った、と――。


*       *       *


 西の地平に陽が沈むころ戻ってきたエシムを待っていたのは、だった。
「おまえは」
「よお、お坊っちゃん。元気にしてたか?」
 玄関の外階段に腰かけていた陣は、ぱっぱと尻の汚れを払って立ち上がる。そして、じろじろとエシムを見た。
「ふぅん…」
「な、なんだよ?」
 無遠慮な視線を避けるように身構えた、その腕や顔についたひっかき傷やみみず腫れ、汚れを見て、陣は素っ気なく肩をすくめた。
「べつに。なんでもねーよ。知りたかったことは分かったしな」
「はあっ?」
 全然意味が分からない。目を丸くしたエシムに、陣は例の封書を差し出した。
「バァルからだ」
「領主から!?」
 陣の手の中の、少し折れ曲がった跡のあるそれに、息を殺してじーっと見入る。まるで今にもヘビか何かに変化して、噛みついてきそうだと思っているようだ。
「オラ、さっさと取れよ。心配しなくてもおまえを死罪にするとか書いちゃいねーよ」
「あ、ああ…」
 促されるまま受け取ったものの、やはり白い表を見つめるだけだ。そんなエシムに、陣ははーっと息を吐いて髪を掻き上げた。
「いいからさっさと読めって」
「……おまえは? 知ってるのか?」
「ああ。読んじゃいねーけど、どんな内容かはバァルから聞いてる。これを受けるか受けないかは、おまえ次第だ」
 エシムは陣と視線を合わせ、おもむろに封を切った。
 三つ折りにされていたそれは、命令書だった。これから2カ月間、きちんと謹慎すれば、リヒト家の預かり騎士として登城復帰を許可するという。
「リヒトとセテカが連名でおまえの恩赦を求める嘆願書を出したそうだ」
「リヒトさんと……セテカが…」
「もしそれを受けるんなら、これからはあの2人がおまえの監督者となって、おまえの一挙手一投足に全責任を負うことになる」
 ぐい、と陣の手がふぬけたエシムの胸倉を掴み、引き寄せた。
「分かるか? この重さが。今後おまえが何かすれば、あの2人が処罰されるってことだ。それをよーく肝に命じとけ!」
「…………」
 無言で、エシムはもう一度手の中の書類に目を落とした。
 預かり騎士というのは、つまり準騎士だ。領地を持たず、給料をもらって主に仕える。
 一介の準騎士になって、かつて肩を並べていた12騎士の下につく――以前の彼であればそれを侮辱ととっただろう。しかし、今のエシムにはあのころにない謙虚さがあった。領主を銃撃したことから始まった一連の日々は、わずか数カ月で彼を鍛えたのだ。
(ま、少年が青年になった程度だろーけどよ)
 エシムの様子を見守りながら、陣は思う。
 エシムは受ける。そう確信して、後ろから肩を抱き込んだ。
「ところでものは相談なんだが、今晩おまえんとこ、泊めてくれね?」
「はあ!? なんでだよ!?」
 陣からの唐突な提案に心底ビックリして、エシムがすっとんきょうな声を上げる。
「俺ら、今夜泊まるとこないんだよ。大丈夫、明日からはちゃんと町に宿をとるから」
「「俺ら」って、おまえのほかにもいるのかっ!? 図々しいぞ、おまえ!」
「……ううむ、やはり陣のやつ、アガデに戻るつもりはないのか」
 2人のやりとりをエンシェントの中から見守っていた義仲が、苦虫を噛みつぶしたような表情でつぶやいた。ティエンが手放しで絶賛するのを聞いてバァルに興味を持った彼は、東カナンへ行くのであればぜひともひと試合手合わせをと考えていたのだが。
「この世もなかなかままならぬものよ。だが、まぁ、くだんの美姫とまみえることができるだけでよしとするか」
 そうこうしているうちに2人の間で話がついたのか、陣がこっちへ来いと手を振ってくる。義仲はふうと息をつき、ティエンと2人でそちらへ歩いて行ったのだった。