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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

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【神劇の旋律】タシガンの笛の音

リアクション

「なんだ……!?」
 スポットライトをも凌駕する光が、レモに降り注ぐ。何事かと驚く人々と同じように、レモもまた、びくんと肩を揺らし、その動きを止めた。笛の音が、一瞬、やむ。
 その瞬間を、息を潜め、ステージの袖に隠れていた佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は見逃さなかった。
『いくよ』
『ああ』
 対角線上に、同じように隠れていた佐々木 八雲(ささき・やくも)とタイミングをあわせ、一気に動く。
 弥十郎の手から、光る箒が投げつけられる。それをレモは、かろうじてよけた。そして、弥十郎を見据えた。
 ……しかし、その瞳の力は、すでに弱い。
 そして、レモが再び、震える手でフルートを口にあてようとする。それを、交わされた光の箒を反対側で受け止めた八雲が、逆にそれに乗り、滑るような早さでレモに近づくと、その手からフルートをはじき飛ばした。
「フルートが!」
 リア・レオニス(りあ・れおにす)が、フルートへと一目散に駆け寄る。細いそれを手にすると、抱え込むようにしてステージへと転がった。
「リア!」
 リアが魔力に捕らわれるのではないかと、レムテネル・オービス(れむてねる・おーびす)は彼を落ち着かせようとするが、必死になっているリアはそれどころではない。元凶を押さえつけようと、そのまま己の身体に下敷きにする。
 一方。
 ついにフルートの呪縛から逃れたレモは、糸がきれた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「レモ!」
 白銀 昶(しろがね・あきら)が、間一髪でその背中で受け止めると、そのまま長い尻尾をくるりと巻き付けてやる。
 ――よほど力を使わされたのだろう。顔色は青白く、息もひどく弱々しかった。少しでも体温を取り戻させようと、冷たい頬を幾度も昶は舐めた。
「レモ先輩〜〜っ!」
 ぼろぼろと泣きながら、南天 葛(なんてん・かずら)がレモにすがりつく。ぽたぽたと、熱い雫がレモの白い手に降りかかった。
「…………」
 うっすらと、レモのまぶたが開く。青い澄んだ瞳。そのことに、昶はほっとする。
「レモ。……おかえり」
 カールハインツが、レモの顔をのぞき込み、そう言った。
「あ……」
 レモの表情が、歪む。操られていた間も、記憶はおそらくあるのだろう。だがそんなレモの頭を撫で、カールハインツは『大丈夫だ』と態度で示して見せた。
「……みんな、ありがとう。……ごめんね……」
 レモは掠れた声でかろうじてそう告げると、そのまま、今度こそ、気を失ってしまった。

「なかなかの名演奏だったんじゃないかな?」
 ふぅ、と額の汗をぬぐいながら、フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)がそう自画自賛する。
「協力、感謝するよ」
「いや……嬉しかったよ。俺の歌と演奏が、誰かの心に響くといいって、そう思っていたから」
 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)の心からの謝辞に、五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)がはにかんだ笑みを見せた。
「さすがである、我がマスター! 我をもふらせてやるには、まだ早いがな!」
 そう言いつつも、ンガイ・ウッド(んがい・うっど)がふわふわな銀色の毛を、東雲の腕のあたりにこすりつけて甘える。
「なにやってんだよ」
 すぐさま、リキュカリア・ルノ(りきゅかりあ・るの)がその首根っこを掴んで、ぽいと後方に放り投げた。
「動物愛護団体が怒るのだよ!?」
「うるさい。東雲、すっごく素敵だったよー!」
 ンガイには冷たく返し、リキュカリアはそう東雲に笑いかけた。

「リア。レモは大丈夫のようです。そのフルートを調べましょう」
 ようやく落ち着いてきたリアに、レムテネルがそう声をかける。
「あ、ああ……」
 自らが操られなかったことに、今更に安堵しつつ、リアは身体を起こした。フルートは、ひどく熱い。己の道具を奪われたことに、怒りを覚えているかのようだ。
 これで、一安心なのだろうか……。
 そう、微かに安堵したことが、仇だったかもしれない。
「えーいっ!」
「!!」
 突然、リアとレムテネルの視界が、光に覆われる。次の瞬間、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の鋭い手刀が、リアの手首にしたたかにヒットした。
 こぼれたフルートを、すかさずパフューム・ディオニウス(ぱふゅーむ・でぃおにうす)が拾い上げる。
「これは危険だからねっ。預かっていくよ〜!」
 美羽とパフュームは、そう言い残すと、トレーネ・ディオニウス(とれーね・でぃおにうす)から借りた空飛ぶ箒で一気にホールのバルコニーへと飛び上がった。
 客席にサイドから張り出したバルコニー席に、トレーネとシェリエ・ディオニウス(しぇりえ・でぃおにうす)、そしてコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)の姿がある。
「パフューム、やったね★」
「うん★」
 パフュームと未羽は、ハイタッチして成功を無邪気に喜んでいるが、見守っている方はそうもいかない。
「そのフルートは危険なものなんだ!」
 その警告に、「だからこそ、ですわ」と答えたのはトレーネだった。
「はい、トレーネ姉!」
 無事帰還したパフュームが、ストラトス・フルートをトレーネに手渡す。
 ぶるぶるとフルートが震え、黒い炎が吹き上がるように、邪悪な魔力がひときわ大きくなったかのように見えた。
「――静まりなさい」
 トレーネの目が細められる。その声は、日頃のおっとりしたものとは違い、強い畏怖をも抱かせるほどの力に満ちていた。
「トレーネ姉……」
 シェリエとパフュームが、そんな姉の姿を、じっと見つめる。ゆっくりと、トレーネはフルートを唇に寄せた。
「…………よせ!」
 思わずカールハインツが叫ぶ。他の生徒たちも、一様に警戒態勢をとった。しかし。
 静かに流れ出したのは、美しい、優しい音色だった。
 動きを鈍くしていた幽鬼たちの姿が完全に消える。外にうろついていたアンデットたちも、また。
 この場からはわからないが、研究所の周辺をうろついていた者たちも、すべて。
 トレーネの奏でる音色に浄化され、封じられていく。

 やがて、静かに。
 トレーネはフルートを吹き終えた。

 そしてそのときには、もう。
 オペラハウスの中には、彼女たちの姿はなかったのである。




「あの、トレーネ。お願いがあるんだ」
 オペラハウスから脱出し、三姉妹と美羽、コハクは、屋上にでた。あのどんちゃん騒ぎはすでにおさまって久しく、後にはさすがになにも残っていない。
 外はもう、薄闇に没している。タシガンにつきものの霧もまた、彼女らの姿を隠していた。
 ここからは、美羽はコハクが抱えて跳び、三姉妹は箒を利用して脱出する予定だった。だが、その前にと、コハクはトレーネにむかって口を開いた。
「そのフルートを、調べさせてほしいんだ。一体、どんな魔力があるのか、とか、もとの送り主のことだとか……」
「……いけませんわ」
 トレーネはしかし、コハクの申し出を断る。
「えー。少しくらいいんじゃない?」
 パフュームがそうコハクの肩をもってやるが、しかし、トレーネは毅然として首を横に振った。シェリエもまた、パフュームにむかって、やめなさいと首を横に振る。
「なにかわかれば、報告するよ。それでも、……だめ?」
 くいさがるコハクの横で、美羽もじっとトレーネを見上げた。横から奪おうだとか、そんなつもりは毛頭ない。ただ、三人の役に立てればという、それだけなのだ。
 二人の真心を強く感じ、トレーネは申し訳なさそうに微笑む。
「それでもですわ……。あなたがたが触れるには、このフルートはまだ、危険すぎるのですわ」
 ……トレーネもまた、秘密主義や、利己目的ではなく、二人のためなのだと正直に告白する。
「申し訳ございません」
「……わかった。それなら、しょうがないよねっ!」
 目を伏せたトレーネに、美羽は明るい声で言うと、「ねっ?」とコハクの肩を軽く叩いた。
「じゃあ、早くここを離れよう」
 シェリエがそう一同に声をかけた時だった。

「フハハハ!ディオニウス三姉妹よ! 今までは貴様らに煮え湯を飲まされてきたが、今回こそは、我ら秘密結社オリュンポスがストラトスシリーズをいただくっ!」


 唐突に現れた、一人の科学者風の出で立ちの青年。
「はぁ!? なんだよこんなとこでー!」
 パフュームが憤慨する横で、「そーだよ!」と美羽も頬を膨らませる。
「私より目立つなんて許さないんだからね!」
「そっちなの!?」
 思わずシェリエが突っ込んだ。だが、現れた青年は、そんなやりとりをさらっと流して、仁王立ちで見得を切る。
「フハハハ!我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクター・ハデス(どくたー・はです)! オリュンポスの世界征服のため、ストラトス・フルートは我らがいただく!」
「悪の【秘密】結社なのに、名乗っちゃうんだ」
「……! な、名前は忘れておけ!! いや、いい。どのみち世界はオリュンポスの前に跪く……」
 くくくっと肩を揺らし、ハデスはくいっとメガネを指先でなおす。
「さあ行け、我が秘密結社の部下たちよ!」
「戦いを望んでは無いけど……売られた喧嘩なら買うわよ!」
 トレーネはそう答え、杖をふりあげる。
「パフュームさん、シェリエさん、トレーネさん、すみません! 我が主ハデス様の命に従い、フルートは我々がいただきますっ!」
 ハデスの後ろに付き従っていたアルテミス・カリスト(あるてみす・かりすと)が、大剣を構えて一歩を踏み出す。それと同時に、ハデスの左手の甲が、一瞬妖しく光った。
「【召還】! 現れよ、我がしもべよ!」
 …………ぼて。
「ぼて?」
「きゃあっ!」
 三姉妹のもとに突撃をしようとしたアルテミスの前に、突如、ごろんとパジャマ姿の美少女が転がった。
「んー……あと五分〜……」
 デメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)は、寝ぼけ眼で呟くと、ふたたびすやすやと寝息をたてはじめる。
「デメテールさん! 起きてください〜!」
 またいで行くわけにもいかず、アルテミスは慌てて膝をつくと、デメテールの肩をゆさぶった。
「わかったー。あと10分で起きる〜」
 なんにもわかってない返答である。
「え……これ、どうしよ」
 パフュームがトレーネを見上げて言うと、トレーネは微苦笑を浮かべて首をかしげた。
「さては……デメテールを眠らせたなっ!? 卑怯な!」
 ハデスはそう言うと、びしぃっとシェリエを指さす。……もともとのデメテールの性格だとはわかっているが、こうでも言わないとカッコウがつかないからだ。
「卑怯だなんて、失礼よっ」
 シェリエがそう言い返した時だった。
「ここは私にまかせなさいっ! ハデス、私が……切札(ジョーカー)です!」
 ひらりと現れたのは、鳥か、飛行機か、いや、三姉妹のための正義のヒーロー『インベンシオン』。またの名を白星 切札(しらほし・きりふだ)という。
「あなたは……!」
 シェリエが、はっと目を見開き、その頼もしい姿を見上げる。
「貴様……」
「フルートは渡しません。そして、彼女たちに指一本、触れさせません!」
「く……っ、人を痴漢のように呼びおって……! アルテミス、いけ!」
「はい、我が主。オリュンポスの騎士アルテミス、参ります!」
 あいかわらずぐーぐー惰眠をむさぼっているデメテールを踏まないように気をつけて、アルテミスが切札と相対する。
「あなた方は、早くここを脱出してください」
 そう言う切札に、「はーい!」と美札とパフュームが元気に答える。だが、シェリエは。
「あの、せめてお名前を……」
「……名乗るほどの者ではありません。さぁ、早く!」
 切札にせかされ、シェリエは名残惜しげにその場を離れた。
 アルテミスの動きを牽制しつつ、切札は彼女たちの待避を見送ると、あらためて両手の拳銃をかまえた。ひとつはアルテミス……ひとつは、ハデスを狙って。
「さぁ。ご観念なさい」
「……ふ、貴様程度で、俺に勝てると思うのか?」
 不敵に唇をゆがめたハデスは、絶対的不敗の作戦を口にした。
「アルテミス、デメテール! 戦略的撤退だ!!!
「…………」
 切札は絶句する。その隙に、ハデスは何の躊躇いもなく……逃げ出した。
「どうだ。戦いにならなければ、勝利もないが、敗退もない!」
 アルテミスがデメテールを抱え、一生懸命にハデスの後を追う。
「しかし、覚えておれよっ! 次こそは、我ら秘密結社オリュンポスがストラトスシリーズをいただくからなっ〜〜〜〜!」
 徐々に小さくなる声を、もはや追いかける気にもならず、切札は銃を下ろした。
 ひとまずは、彼女たちの無事は守られた。それだけで、彼には十分だった。