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 ツァンダはその日もぽかぽかとした、いい陽気に包まれていた。
 暦の上ではもう秋だが、まだ道行く人々のほとんどは半そでか七分そでを着ている。だが吹く風は、ときおり肌寒い冷気をはらんでいる――そんな、とある1日。

 シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)は街へ買い物に出かけていた。
「ええと……これで買いもらしはなかったかしら?」
 念のため、書いてきてあったメモに目を落とす。
「まだ買う物があるのかい?」
 荷物持ち要員アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は、ため息まじりにこぼした。それも仕方のないことだろう。すでに買い物袋(大)を抱えている。
「衣替えの時期だもの。この前タンスをあさってみたら、いろいろ買い替えなくちゃいけない物が出てきて…。
 ついでに冬物も買っておくべきかしら?」
 ショーウィンドーに並んだマネキンの着たセーターをチラ見して、一考してみる。が、すぐに答えは出た。
 まだ冬物は走りで、正規の値段で買うにはお財布へのダメージが大きすぎる。

 少し残念な気持ちで目を引きはがし、ふと流した視界に、レンタル衣装の店が入った。なにやら店内が騒がしい。
「あのお店、すごくにぎわってるみたい。今日、何かイベントでもあるのかな? ねえアルくん?」
 振り返ると、いつの間にかアルクラントの姿が見えなくなっていた。
「アルくん?」
 急いで見渡すが、どこにもそれらしい姿はない。


 視界をふさぐような物もなく、あるのはせいぜいが街灯の下になぜかぽつんと1つ置かれているダンボール箱(大)だけだ。


「どうしよう…」
 まさかあの歳で迷子になるなんて……いやでもアルくんならあり得るかも。妙なとこでドジっ子さんなんだから。
 とか思っていたら。
 レンタル衣装の店の自動ドアが開いて、アルクラントが出てきた。

「アルくん! いきなり消えるからビックリしたじゃない! ……って、アルくん? その服、どうしたの?」

 アルクラントの黒ずくめの格好を見て、目を丸くする。
 いつものコートが黒くなっていると思えば、まああまり変わらないのかもしれないが、なんというか、ひどくシックというか……古風だ。

 目をぱちぱちさせるシルフィアに、アルクラントは笑顔で答えた。


「ちょっと魔王退治に行ってくる」



*            *            *



 何の前触れもなく、それは起きた。


「うっきゃーーーーーーーあああぁぁぁあっっ!!!」


 まさに布裂く男の悲鳴とはこのことか。
 こう言ってはなんだが、ツァンダの住人は、もうこういった突発事件にはかなり慣れている。今さら男の悲鳴がつんざいても動じる者は少ない。
 振り返り、声の出所を探るぐらいはしても助けに走ろうとする者はまず皆無な大通り。そこを、月谷 要(つきたに・かなめ)は全速力で突っ走っていた。
 彼を追っているのは霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)。その手には二刀で一対の刀、梟雄双刀ヒジラユリが握られている。

 ちなみにこの2人の関係は生涯の敵でもライバルでもなく、夫婦である。いわゆる事実婚の間柄だ。

 夫婦だったら、まあ時には刃物持って追いかけっこもありといえばアリかな〜? と思わないでもないのだが、それは傍から見た意見であって、追いかけられている要の方はそうもいかない。

 イッタイ、ナニガドウシテコウナッタ?

 2人で街を歩いていたら、悠美香が路地から出てきた者に声をかけられた。だぼだぼのフードマントをずっぽり頭からかぶっていて、体形も年齢もよく分からない、見るからにうさんくさいやつだったが、悠美香より小さいのは見てとれた。自分も傍にいるし、まさか昼日中に街のど真ん中で何が起きるわけでもないだろう、多分道でも訊かれているのだとばかり思っていたのだが。

 まさかの昼日中、街のど真ん中での刃傷沙汰。

 もうあれから大分経つ。かなりの距離を走った。
 もしやとの期待を込めて背後をちら見してみたが、悠美香は変わらず無表情で殺意のみを押し出し、要を追っている。
 まさにきみをロックオン!(ちょっと違うか)

「逃がさない…」
 つぶやくなり、悠美香の速度がさらにぐんと増した。
 とても振り切れそうにない。

「……時間が経てば正気に返るかも、と思ったんだけどねえ…」
 こうなったら少々あらっぽくなるかもだけど、接近戦でどうにかして剣を手放させ、拘束、気絶させるしかないか。
 ちょうど場所も公園で、周囲が開けていることだし。


「悠美香ちゃん、けがさせちゃったらごめん!」
 悠美香を待ち受けるつもりで振り返った要の横すれすれを、そのときヒュッと抜き身の刃が通っていった。
 降り下ろされた刀は花壇の固いコンクリート壁を切り砕く。

「………………」

 避けようとして避けたわけではなかった。あくまで偶然で……しかしそうしなかったらアレが頭に落ちてたわけで。そして今ごろああなっていたのは自分の頭だったかもしれないわけで。抜けた魂姿で上空からそれを見下ろしていたかもしれないわけで…。


「絶対、今日こそあなたをぶちのめす…!」


 ぞっとして硬直していた要の前、半ば以上めり込んでいた刀がやすやすと引き抜かれた。
 悠美香はラヴェイジャー。怪力の籠手をも装着した全身を、発動したアナイアレーションの光が流動している。
 加えて、近接格闘術は要よりもはるかに長けていて、むしろ彼に教授した者となれば、もう。


「どうにかして、なんてムリ! 無理だからっっ!!!」
 戦ったらけがするのはこっちの方でした!!


 きゃーーーーっと再び要は逃走に入り、それを悠美香が追いかける。


 
 その光景を、公園の噴水のそばで七刀 切(しちとう・きり)は静かに見ていた。
 口元にかすかな微笑を浮かべて。

 ダンボール箱(大)と一緒に。



 
「一体何の騒ぎだ?」

 ちょうど公園の前を通りかかったアキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)は、要の悲鳴を聞きつけてそちらを向いた。
 すると、刃物を持った女が男を追いかけている後ろ姿が木々の隙間からちょうど目に入った。
 距離があって、人の判別はつかない。

「なんだぁ? ありゃずい分穏やかじゃねぇな。
 なあ、おいマンボウ」
 同意を求めて振り返ったものの、そこに相棒のウーマ・ンボー(うーま・んぼー)の姿はなかった。

 どこからどう見ても空飛ぶマンボウ。光の輪まで頭上に浮かせた彼(?)は、大分後方で立ち止まっており、そこでフードマントの者と話しこんでいた。
 フードマントの者は何か、糸のついた丸い物を掲げてウーマの前で振っている。

「おい、マンボウ。どうした」
 アキュートが駆けつけるのと比例して、フードマントの者はアキュートにも会釈しつつ路地へ消えて行った。
「べつに何かされたってわけでもなさそうだな」
 いつもどおりのウーマを見て、軽く肩をしゃくったとき。

「……アキュートよ…」

 ウーマが真剣な声で彼の名をつぶやいた。
 いつになく真面目な声。
 アキュートの方を向いた顔(?)も眼差し(?)も、なんだかかなり真剣そうだ。
「オっ…オウっ。どうした?」
「アキュートよ…。それがしは気付いてしまったのだ…」


「何だ? 何を言われた!? やっぱりさっきのうさんくさい野郎に何か言われたんだな! マンボウの分際で空飛んでるのはおかしいとか、見てるだけで生臭せーから近寄るなとか、頭の輪っかがばかみたいだとか!」


「アキュート。まさかおぬし、そのようなことを考えて――」
「いやっ! まさかっ!!」
 ……えーと。
「だから、何か言われたんだろ? ってことを言いたいんだよ、俺は!」
「――ふむ?」
 ウーマは少し首(?)を傾げるような動作をして――それはどう見ても全身を傾けているようにしか見えなかったが――アキュートを見た。まだ少し疑いが残っているようだ。

「いいからもったいぶんなよ。言いたいことあるならサッサと言いやがれ」
「うむ。しかしその前におぬしの誤解を正そう。あの占い師は善良な者であった。どころか、それがしの恩人と呼んでもさしつかえなかろう」
「恩人?」
「そうだ。長く長く忘れ去っていた記憶を、ほんのわずかの間によみがえらせてくれたのだ。どれほど感謝してもし足りぬ」
「……あー。まあ、おまえがそー言うんなら。
 って、記憶?」
「うむ。
 よいか。驚かず、心を平静に保ち、聞くのだぞ。
 それがし、実は…」
「実は…?」
 ごくり。唾を飲む。


「それがし、実は、サカナであったのだ」


「え? ………………………………え゛?


 マンボウ(manbou):動物界−脊椎動物亜門−条鰭綱−フグ目−マンボウ科−マンボウ属−マンボウ種。学名:Mola mola。漢字では「翻車魚」と書く。


 ――立派にサカナです。



「いや、そりゃ占い師でなくても見りゃ分かるが――って、マンボウ!?」

「そう、それがしはサカナ〜。
 宙ではなく、海を泳ぐサカナ〜。
 飛ぶのではなく、泳ぐ〜。
 羽ばたくのではなく、バタつく〜。
 広大な海を悠然と漂うサカナであったのだ〜」
 ウーマは歌うようにつぶやきながら、ふらふらと公園へ入って行った。
 そして目についた噴水にジャボンッ! と飛び込む。 

「いん ざ うぉーたー〜 ♪ 」


……え゛?(2度目)


「い、いや、あまりに突飛すぎて思わずぼーっとしちまった!」
 頭をぶるんぶるん振って正気に戻すと、アキュートは噴水へと駆け寄る。

「何やってんだ、テメエ!! 泳げもしないくせに!」
 だがウーマは溺れていなかった。管理の行き届いた公園の噴水程度の深さでは、溺れるのは無理がある。
 しかし同時に、体長130センチのマンボウが泳ぐのにも無理があった。


「水! 水が必要なのだ! 水がなければ窒息してしまう!!」


 横倒しになって少しでも水に沈もうとじたばたしているウーマのみっともない姿に、アキュートは手を顔にあててしまう。
「……今まで平気だったのがいきなり窒息するワケねーだろ」
 だがウーマは聞いちゃいない。


「アキュートよ、何をぼーっとしておる!? 水だ! 水をそれがしにかけるのだ! 早く! このままでは乾いて干物になってしまうぞ! マンボウの干物の出来上がりだ! それがしが死んでおいしく食べられてもよいのか!?」


 ああもうどこからツッコめばいいのか。
 人目のある昼間の公園で、これは恥ずかしすぎる。この際こぶしに訴えるべきかもしれないと、アキュートが手を握り締めたときだった。


「そこのマンボウ殿。私がもっと良い場所へお連れしてあげましょう」


 そう、声をかける者が現れた。
 頭からずっぽりフードマントをかぶっている姿は、さっき見た占い師に似ているようだが…?
 うさんくさがるアキュートの前、ウーマはキラキラと目を輝かせる。

「むむ! もっと良い場所とな!?」
「ええ。噴水はしょせん、ただの水です。サカナであるあなたには海水が必要でしょう。海というわけにはいきませんが、海水の入った巨大水槽をご用意します。そこでなら思う存分漂えるでしょう」

「聞いたか、アキュート! それがし、海水で漂えるのだ!!」
「いや、うさんくさすぎだろ、どう考えても」

 しかしまたもウーマは聞く耳持たず。
「……海水……漂える……」
 フードマントの者に導かれるまま、うっとりふよふよ宙をついて行く。


「ちょ!? おい待て、マンボウ! どこ行く気だ!? つーか、今宙を飛ばないって言ってなかったか、テメエ!」



 あわてて2人を追いかけるアキュート。彼らは最初から最後まで、気付いていなかった。
 噴水の横で、水しぶきをかぶってもひたすらにこにこ笑っているだけの七刀 切(しちとう・きり)の姿に。

 そしていつの間にかダンボール箱(大)は消えていた。