リアクション
● 男は魔風の吹き荒れる血塗られた大地にいた。 なぜそこにいるかは分からないが、そこに理解を求めようという気持ちすら男の心には湧いていなかった。ただそこにいることが必然のような気がしていた。 ふいに、男の周りの影がざわめきだした。人影である。無数の人影が男の周りに現れていた。首のない者。身体を切り刻まれた者。四肢を無くしてなおも動く者。共通しているのは血だらけであること。ああ、なるほど――血塗られた大地は彼らの血によるものか。 死者たちはゆっくりと男に近づき、男の身体に手を伸ばした。男は逃げようとするが、それは許されず、死者たちは男を囲んでしまっていた。 死者は男を引っ張り込んだ。その血だらけの死骸の山に埋め尽くされながら、男は死者らに一様に責め立てられた。 曰く――なぜ我らが殺されなければならなかったのだ、と。 男は叫んだ。 「うるさいっ!」 男にとってそれは、背負うべき十字架に違いなかったが、そのことに苦しみ続けるつもりはなかった。 この姿になる前の自分と今の自分は別人である。 許せとは言わない。しかし、死者らに引きずられるまま言いようにされるつもりも毛頭ない。この身体の――金属の一片さえもが錆び尽きるその時まで、その咎はすべて背負って生きていこう。 しかし、こいつが、この身を纏う者が死ぬまでは、待ってはくれないだろうか。 男が死者をはねのけてそう叫んだ。 ふいに、男の伸ばした手を掴むように、光が堕天の空から差し込んできた。 ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)は慎重に事を運ぶつもりでいた。 ガウルらと別れ、単独で黄金都市の調査に打って出たのだが、自分自身が幻に苛まれて終わるなんて情けないやられ方はごめんだった。大体の場合に、こういうときは敵を倒したら幻でした、なんてオチがほとんどなのだ。そんなものには引っかからないぞ、という気合いがハイコドにはあった。 「それにしてもほんとに金ぴかだらけだなぁ」 感心したように言う。 「なあ、信?」 魔鎧に呼びかけるが、返事はなかった。 藍華 信(あいか・しん)は終始無言のままで、ハイコドは怪訝そうに鎧を見下ろして眉をひそめた。そのとき、はたと、ハイコドは財宝部屋のような建物を見つけて、足を止めた。調査目的ということもあるので、その中に足を踏み入れる。 すると足下で、ジャラ……という音がした。 「――金貨?」 自分が踏んでいるものが散乱した無数の金貨だと知って、ハイコドは怪訝そうにつぶやく。にわかに、金貨に描かれている偉人っぽい男性の目がぎょろっと動いたのはその時だった。 「こいつっ、金貨虫かっ……!」 無数の脚を生やした金貨の虫が一斉に動き出し、ハイコドの足を這い上がってきた。 「ぎゃあああああぁぁ! 気持ちわるいいぃぃ!」 女の子のような情けない悲鳴をあげて、ハイコドはぶんぶんと自分の足を振って金貨虫を振り落とした。一瞬の隙をついて脱するが、金貨虫はカサカサと接近してくる。 ハイコドは身の毛がよだち、 「信っ! おい、早く起きろっての!」 呼ぶや、ふいに魔鎧がどくんと鼓動を発した気がした。 途端――魔鎧は光を発し、次の瞬間には元の人間の姿に戻っている。ハイコドの前に現れた信は、瞬時に弓矢を構えて、金貨虫の群れに矢を放った。 魔力を帯びた矢は巨大な衝撃波となって金貨虫どもを一斉にいなす。それを数度繰り返したところで、金貨虫らは全て息絶え、ぴくりとも動かなくなった。 「はぁ…………いったい、いままでどうしてたんだよ。全然返事もなかったし」 安堵の息をつきながら、ハイコドは信に訊いた。 「――夢を見てたんだよ」 信はそれだけ答えて、もう一度、魔鎧に戻った。 なぜか必要以上に多くを語ろうとしない、我が身に戻った魔鎧を見下ろしながら、ハイコドは諦めるような息をついた。 とにかく無事で良かった。これからは部屋に入るときは信の意識があることを確認してから入ろうと、心に決めた。 ● 黄金都市にいたはずなのに。 いつの間にか、少女は深い森の奥にいた。風が吹き、木々がざわめく森の奥である。深緑が与える陽気だろうか。森は涼しげな空気に満ちていて、少女はそこにいるだけで安らぎを覚えるようだった。 ここは、村の近くの森だった。そうだ。このまま真っ直ぐ行けば、かつての村に辿り着くはずだ。少女はそう思い出した。胸の中を追憶が去来したと思うや、村人たちの姿がふいに現れる。 アルミナ。おいでよ。こっちだよ。 仲間達の声がする。村人たちの声だ。少女はふらつくような足取りでそれに誘われるまま歩き出し、村の友達に手を取られた。こっちだよ。みんな待ってるよ。そんなことを言う友達に、少女は村へと引っ張られていく。 そのとき、ふいに聞こえたのは―― 「アルミナ、無事かぇ?」 目を覚ましたアルミナ・シンフォーニル(あるみな・しんふぉーにる)の目の前にいたのは、自分よりもさらに幼い少女だった。少女は老獪した口調でアルミナに声をかけつつ、心配そうにその顔をのぞき込んでいた。 「せっちゃん……」 「意識は戻ったかの?」 辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)が優しく声を投げかける。 ふいにアルミナの心に寂しさと哀しみが襲いかかってきた。あれは幻に過ぎなかったのだ。そう実感すると、途端に瞳が揺れて、涙が溢れ出てきた。 「せっちゃん――っ」 アルミナは刹那の身体を抱きしめて、胸に顔を埋めるようにして泣き崩れた。 刹那は訳が分からず戸惑うしかない。その揺れる瞳は、傍らで二人を見守っていたファンドラ・ヴァンデス(ふぁんどら・う゛ぁんです)に注がれた。 ファンドラはしかし、無言で首を振った。どのような夢を見たかは知らぬが、それはきっとアルミナにとってどうしようもないぐらいに哀しいことだったのだろう。いまはせめて泣かしてやるべきだとファンドラの瞳は語っていた。 今はこうして冷静にアルミナを見守っているが、ファンドラもつい先刻までは幻に捕られていた一人だった。 シャンバラを滅ぼすための数々の道具が眠っている不思議な部屋で、恍惚に浸っていたのである。思い返しても情けない話だ。そんな幻に心を捕らわれるとは。 ただ、〈黄金の都〉の恐ろしさは身をもって知った。それだけはファンドラは好都合だと考えていた。 ひとしきり泣いて、アルミナはようやく涙をぬぐった。 「落ち着いたかの?」 「うん……ごめん、取り乱して」 「構わぬよ。それより、はやく目的を果たそう」 刹那は言って、ファンドラを見た。目的はファンドラのそれにある。シャンバラを滅ぼすための何か道具や手段が隠されているのではないかという、可能性を探りに来たのだ。 「行きましょうか」 ファンドラの呼びかけにうなずいて、刹那とアルミナは立ち上がった。 ● |
||