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 第33章 妹との決別

 太陽が沈んで久しい、イルミンスールの森の中。陽の暖かさは名残一つなく消え失せ、自然の冷たさが足元の土から伝わってくる。
 風の音と葉が揺れる音、時折、耳障りな獣の叫び声が聞こえてくる。昼間の森は暖かく穏やかなのに、夜になるだけで何故こうも変わってしまうのだろう。
 それとも、見る者によって聞く者によって、森はその様相を変えるのだろうか。
 例えば――そう、もっと心穏やかな者がこの地を訪れたならば、その誰かには、瑞々しさ溢れる木々が、寄り添って眠る小鳥達が見えるのだろうか。
 であれば、今、あの子の目にこの森は“どう”映っているのだろう。
 レイカ・スオウ(れいか・すおう)は、木々の間から現れた実妹、エルディス・サイクスの姿を見ながらそんな事を考えていた。
(あの子から……エルディスの方から会いに来るなんて)
 エルディスは、その身体に余る程の武器を所持していた。刃物から火器まで、種類に節操が無い。彼女は、実家のコネで取り寄せられるだけの武器を取り寄せ、持てるだけ持ってきたのだ。
 話をしようと思っていた。話が可能かどうかはわからなかったが、それでも、と。
 だが、彼女の装備を見た今……現時点では、それは不可能だ。
 ――エルディスは、私を本気で殺しにくる。
「待ってた……やっと合法的に、お姉ちゃんを殺せる……」
 暗い目をレイカに向け、手に持っていた機関銃の引き金を引く。
 ―――あああぁぁッ!
 銃声と、憎しみにまみれた叫びが交じり合う。
「お前は今日、ここで死ぬんだ!」

 レイカの家は、巨大多国籍企業のトップである。彼女は3人兄弟だったが、愛されていたのは跡継ぎである兄だけだった。溺愛の反動だろうか。両親は、レイカとエルディスには虐待同然の教育を行っていた。
 ――8歳の頃だった。
 両親に嗾けられた兄に、レイカは襲われた。そして、抵抗の際に彼女は彼を殺してしまう。故意ではなかった。だが、気が付いたら兄は息をしていなかった。
 この出来事で、エルディスはレイカを心の底から憎むようになった。1つ下の妹は、兄に恋慕の情を抱いていたのだ。
 兄を殺した事実は隠蔽され、レイカは家の跡継ぎになるように仕向けられた。
 そこから逃亡したのが10歳の時。その後、19歳で契約者となりパラミタへ渡った。
 13年前の事実と向き合い、今、全てに決着をつける。
 エルディスが自分を殺そうと決意して来たように、彼女もまた、決意する。

 傷つけても傷つけても、レイカが倒れることはない。死ぬことはない。時と共に、どんな傷も塞がっていく。苦痛に顔を歪ませることもない。
「どれだけやっても殺せない……? どうしてッ……!?」
 エルディスの顔に焦燥が広がっていく。
 痛みが無いわけではない。だが、痛みを知らぬ我が躯で痛覚は鈍くなっている。絶えられない程の痛みではなかった。リジェネレーションもかけている。
 ただ、服だけが血に染まっていく。
「……大切な人が、私を待っているから。エルディスにとって大切な人を奪っておいて、身勝手な物言いに聞こえるでしょう。……けれど、私は死ぬつもりも、あの家に戻るつもりも、ない」
 表向き、自分は今どう見えているのだろう。普通の人間であればとうに――恐らく、最初の一撃で絶命していたであろうに、まだ膝をつかず、平然と言葉を紡ぐ様はまるで――
 叢の中から、牙を剥いた獣が飛び出してくる。長く伸びた爪も、鋭すぎる牙も、纏われた禍々しい空気も、明らかに、ただの獣ではなかった。
 ――魔物、か……
 血の匂いを嗅ぎ、エルディスの叫びを聞いたのだろう。魔物は、涎に塗れた口腔を大きく開けていた。妹を噛み砕かんとするその寸前――
「…………っ!!」
 レイカは体当りして、悲鳴を上げる暇さえ無かった妹と魔物を、引き剥がした。

「大丈夫? エルディス」
 沈黙させるのに時間は掛からなかった。レイカは両手で構えたシャホル・セラフをゆっくりと降ろす。
「……どれだけ武器を集めても、契約者との実力は埋めようが無い。あなたには、私を殺せない」
 エルディスは、信じられないという目でレイカを見ていた。少し、震えている。
「だから……これでお終い。エルディス、あなたと会うのも、最後」
「なんで……? なんで、お姉ちゃんを殺そうとしたわたしを、助けるの……? なんで、そんな悲しい目をするの……? 理解、できないよっ!」
 叩きつけるように言ったエルディスの手から、持っていた武器が落ちる。空いた手を強く握り締めて、彼女は俯いた。
「ずっとずっと、殺すことだけ考えてきた……。それを遂げられないで、わたしに何が残るの!? わたし、は……」
 しゃくりあげ、溢れてくる涙を手で拭う。一度堰を切ったら、もう止まらなかった。
「私はあなたの憎しみを全て受け止めて、その上であなたを……あの家を拒絶する。私はこれからも、このパラミタで生きていく。だから――『さようなら』」
 泣き続ける妹に、レイカはヒプノシスをかける。力を失って倒れる身体を支え、抱き上げるとイルミンスールの森を出た。彼女を空京に送り届ければもう、会う事もないだろう。
 白みはじめた空の下、小さく寝息を立てる妹は、どこか幼い顔をしていた。