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星降る夜のクリスマス

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星降る夜のクリスマス
星降る夜のクリスマス 星降る夜のクリスマス

リアクション


●Starlight serenade

 今宵は、パラミタに来てから初めてのクリスマスイブ。
 当然、聖夜をパートナーや、他の仲間たちと過ごすのも初めてというわけだ。
「……どう過ごすべきか迷う、というのは正直な気持ちだな」
 手製のベレー帽をコートと共に、クロークに預けてアルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は言った。
「常識外れなことをしなければ、好きに過ごせばいいんじゃない?」
 一方で彼の同伴者、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)は気楽である。アップにしたアクアブルーの髪を揺らして、気楽に会場を歩いている。
「そういうものか……」
「そういうものでしょ? アルクラントは難しく考え過ぎなのよ」
 そうかもしれない、アルクラントは彼女の言うことも一理あると考えて、少し気を緩めた。
「それにしてもあの二人、急用と言っていたが」
 ここで挙がった『あの二人』とは、シルフィア以外のパートナーたちのことだ。来れば良かったのに、と手近な盆から料理を受け取って彼は言う。
「あー、どうかしらね?」
 ――アル君、本当に気づいてないの? それともそういう演技?
 ほんの一秒、シルフィアはアルクラントを見て考えたが、すぐに前者だと結論づけた。
 洞察力や直観力にかけては人並み外れた彼だが、こと、『こういうこと』にかけては鈍感なのだ。それはこれまでの、短くはないつきあいでシルフィアにはよく判っている。
「これでどうしろっていうのかしら、あの二人……」
 思わず呟いてしまった。
 彼らは彼らなりに何か気をつかっているのだろう。
 わざわざ、彼女とアルクラントを二人きりにしてくれたのだろう。
 彼らの期待(?)通り、ロマンティックな夜になったりするのだろうか……望みは薄そうだが。
「何か言ったか?」
 アルクラントが独言に気づいたようなので、
「何でもないわ」
 と言ってシルフィアはマティーニのグラスを手にし、ぐっとこれを干した。
「おい大丈夫かシルフィア。それ、酒だろ。君はまだ酒が飲める年齢になったばかりだ。そんな強いものをいきなり選んで……」
「強い? これワインでしょ。ワインって飲んだことないし、どんな味かしらと思って」
「カクテルだ。ワインは使っているがただのワインではなくフレーバードワイン(ドライベルモット)だし、そもそもベースはジンだぞ」
「ふぅん。でも美味しいわ。あ、お兄さん、さっきのやつもう一杯」
 シルフィアはけろりとしている。だがそれが逆に怖い。
 アルクラントは思い出す。以前、離れでお泊り会を催したとき、シルフィアはあっという間に酔っ払い、その後大変なことになっていたような記憶があるのだ。
 飲ませたらまずいような、かといって止めるのも野暮なような……悩ましいところだ。
 だが悩む時間はそれほど長くなかった。
「ウォッカ・コリンズおかわり!」
 と声を上げた途端、シルフィアはずだーん、と音を立て、転んで尻餅をついたのである。
「ある意味予想通りか……」
 ジンライムを飲み干して、アルクラントは彼女に手を貸した。
「立てるか? ずいぶんと酔っ払ってしまったようだな。少し外に行って夜風にでも当たるかい?」
「全然酔ってないわ。あなた誰? ははあ、カスパー……」
「よりによって誰と間違えているんだ、誰と」
 アルクラントは腰を落とし、彼女に肩を貸して会場から連れだした。
「まったく……私が下衆な男だったとしたら、この場面でどこに連れ込まれるか判ったものじゃないぞ」
「ほえ? だったら下衆になればいいじゃない!」
「言っている意味が分かっていないようだな……」
 しばし後、
「うにゃ? 何か記憶が飛んだわ」
 などと言って目を覚ましたシルフィアは、目の前に大きな木を見つけた。
「あ、クリスマスツリー! キレイねー」
「ほら、ミネラルウォーターだ。これでも飲め」
 アルクラントは呆れたように言い、夜風に当たらせようと連れてきたのだと告げた。
 そう、屋外のクリスマスツリーの前なのである。
「クリスマスだというのに、プレゼントも何もなしというのも寂しい」
 やや唐突にそう言って、彼は小さな袋を彼女の手に握らせた。
「と、言うわけでこれをプレゼントだ」
「え、プレゼント? ……わあ、とってもステキ。ありがとう!」
 童女のように喜ぶ彼女の手には、以前に入手したお守りがあった。
「この身だけでなく、心まで助けてくれたお守りのお礼ってわけじゃないけどね。こいつが君の素敵な日々の助けになってくれたら嬉しいな」
 キザかな、と苦笑気味に彼は告げた。
「……じゃあ、私からもクリスマスプレゼント」
「お、君からもプレゼントか。なんだろうな」
「ちょっとそこに座って、目を閉じててね」
「なんだ突然?」などと言いつつも、命じられるままにアルクラントは従う。
「ん……」
 彼女が与えたのは、ほんのわずかな、触れるか触れないかの……キスだった。
 あまりに微かだったので、アルクラントはなにか唇に接触した感覚しかなかった。
「何かしたか?」
「え、えへへ。何をしたかって? それは、ナイショ」
「内緒って……? おい、なんだか顔が赤いようだぞ」
「う……うん、顔熱い!」
「なんだ、また酔いがまわってきたのか?」
 するとシルフィアは我慢できず、ウサギのように飛び跳ねて逃げていったのである。
「うにゃあああああ!」
「走ったら余計回るぞ!」
 違ーう、と叫びたい彼女だったけれど、もうアルクラントの顔なんてまともに見られないのである。恥ずかしくて……とっても!

 なんだか俺、場違いだな――と守凪 那月(かみなぎ・なつき)は思った。
 特に理由はない。ただなんとなく、だ。
 クリスマスパーティの華やいだ会場と優雅な雰囲気、そのすべてがただなんとなく、自分とは合わない気がしたのだ。場違いというか……それ以上はうまく説明できないが。
 そもそも来たのも『なんとなく』だった。去るのも、同じ理由でおかしいはずがない。
「俺は出る。外のほうが性に合っている」
 短く告げて彼は、妹の守凪 夕緋(かみなぎ・ゆうひ)を置いて出ようとした。
「待って」
 だが彼の後を、妹はすぐに追いかけてきた。
「私も出ます」
「いいのか」
「兄さんがいないのなら、ここにいてもしかたがありません」
 お前は楽しんだほうがいい――よほどそう告げようかと思った。虚弱体質の夕緋は、クリスマスらしいクリスマスをこれまで経験したことがなかったはずだ。人並みな幸せや喜びより、ただ生命を保つだけで精一杯だった。
 それは彼女が強化手術を経てからも、さほど変わらない。
 今日は珍しく体調がよく、なので那月も妹をこの場所に連れてきたのだった。
 本当は夕緋だけでも楽しんでもらいたいと思っていた……しかし、本人が出たいというのであれば反対できる理由はない。
「わかった」
 那月はクロークからコートを受け取り、夕緋の肩にかけてやった。
 このまま帰るのではあまりに妹が不憫だ。
「クリスマスツリー……見ていかないか」
 せめてもの償いに、彼は足をその方向に向ける。
 巨大クリスマスツリーの元へ行き、少し離れた場所から雰囲気だけ楽しむことにしたのだ。
 どうやってここまで大きくしたのだろう。魔法的な力だろうか。
 樅の木は、天を突くほどの巨木だった。それが一面、飾り付けられ、電飾で静かに輝いている。
「わぁ……」
 夕緋の表情が明るくなった。あまり外出しないため透き通るほど白い肌に、赤みがさす。
 恋人同士だろうか、すこしふらついている女性に肩を貸すようにして、男性が木の下に彼女を連れて行っている。女性は相当酔っているようだが、男性が何か手渡すと飛び起きるように意識を取り戻していた。(※アルクラントとシルフィアだが、那月にはわからない)
 ――恋人同士、か。
 夕緋は思った。自分たちもそういう風に見えるだろうか。なにやら心が、ざわつく。
 那月は思った。夕緋にもいつか恋人ができるのだろうか。やはり心は、ざわついた。
 夕緋は黙って兄を見上げた。
 那月は自分のことを完璧に妹としか見ていないだろう。
 それは、わかる。
 だが、自分にとって兄は誰よりも身近に感じられる男性だ。
 いつまでもずっと一緒にいたいと思う気持ちは、兄妹としてのものなのか、それとも――。
 考えはじめると、深みにはまりそうだった。心の底は暖かいのだが、引き返せないところに行ってしまいそうな……。
 一方で那月の胸中も複雑だった。
 昔から体も心も弱い妹だから、いつも自分が守ってやらなければならないと思っている。それはかつても今も変わりはない。
 しかし、いつか夕緋を守ってくれる人が現れたら――。
 考えると、なんとも言い表せない心境だ。喜ぶべきだろう。しかし……。
 那月がふと視線を落とすと、自分を見上げている妹と目が合った。
 ――しかし、こんな所まで来て小難しいことを考えてるのもバカらしい。
 だから那月はあえて、彼にしては明るい声で告げた。
「メリークリスマス、というやつだな。まだ言ってなかった」
「はい。メリークリスマス、です」
 朱色の目に喜びを浮かべて彼女は応えた。
「そういえばクリスマスプレゼント、欲しいものはあるか?」
 幼い日々からこの動作は変わらない。彼の妹は、軽く首をかしげて「うーん……」と言った。
 結構真剣に考えたのだろう。しばらく経って、ようやく、
「そうだ、恋人らしいキスが欲しいです」
 と言った。
 ――愛おしい。
 ほんの刹那、胸を突かれるような感覚が那月に走ったが、気の迷いに過ぎまい、とすぐ打ち消す。
 さすがに冗談だろう。まったく……。
「真面目に考えろ」
 彼は、妹の額を軽く小突いた。
 夕緋は微笑んだ。
 そう、冗談。
 ――冗談と思ってくれるほういい。
 残念なような、ほっとしたような、そんな矛盾した感情が、小さな炎となって心に宿った。