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第三章 移ろいゆくとき 2

美術館


 天苗 結奈(あまなえ・ゆいな)は現代アート展をやっているという話を聞いて、美術館にやってきた。
 隣にはパートナーのアイギール・ヘンドリクス(あいぎーる・へんどりくす)パンドラ・コリンズ(ぱんどら・こりんず)次原 京華(つぐはら・きょうか)たちがいる。一見すると何を描いているのかわからない抽象的な絵画やアートを見て、結奈はうわぁと感嘆の吐息をだした。
「すごいねぇ、きょーちゃん。アムトーシスの人たちはみんな、芸術家肌の人ばかりなんだねぇ」
「そりゃ、それがこの街の特徴だしな。おい、ガキども。あんまり騒ぐんじゃねーぞ!」
 結奈に返答するついでに、京華は周りを駆け回る子どもたちに注意する。その中に混じっている知り合いの姿を見つけて、京華はむんずとそいつの首根っこを掴んだ。
「てめぇはなにやってんだよ! 一緒になって!」
「あだぁっ! い、痛いのじゃ、京華! 思い切りぶつなんてひどいのじゃ!」
 拳骨で脳天を叩かれたパンドラが泣き顔で言う。
「うるせぇ! いいから大人しくしとけ!」
 京華にかかっては、何千年もの時を生きた魔導書のパンドラも子ども同然だった。「むぅ……」とパンドラはふくれっ面になるが、無視だ、無視。京華は結奈たちを誘って、美術館の一階にある売店コーナーに行くことを提案した。
 売店には今回の現代アート展にちなんだ技巧をこらした商品がたくさん並べられていた。
 使い道のよくわからない首の飛びでる人形や、かちゃかちゃと分解させることのできるギミックのついたブロックなど。京華はシンプルだけど翼みたいな模様が描かれた灰皿を手にとって、買おうかどうか迷っていた。すると、なにやら背後から急に大声が聞こえてきた。
「ゆ、結奈さん、それはダメですうううぅぅ!」
「なんだなんだなんだ!?」
 アイギールの声だ。京華は急いで声がしたほうに走った。
 すると、ぎょっとなる。結奈が馬鹿でかい絵画を手にとってレジに向かおうとしているのを、アイギールが必死に止めていた。ゆうに三メートルはあるだろうか。値段も6桁というケタ違いのものだった。
「えぇ? ダメぇ?」
「ダメに決まってます! そ、それよりもっ、ほら、こういう手に持っていけるものとか、飾れるもののほうが良いんじゃないですか?」
 不満げな顔の結奈に、アイギールは必死でレジ横の商品をすすめた。子どものおこづかいで買えるようなストラップだ。ピンク色の石が並んでくっついているもので、模様が彫られている。お土産にはちょうど良いぐらいの感じだった。結奈もどうやら気に入ったようだ。「うん、これにする!」と喜んでレジのお姉さんに渡した。
 アイギールはほっと一息ついて、先ほど結奈が抱えていた絵画を元の場所に戻した。それにしたって、なんちゅー馬鹿でかい。しかも、ぐちゃぐちゃに塗りたくられているという感じで、何が描かれているのかよくわからない絵だった。色鮮やかなのは綺麗だが……。目利きな芸術家は、こういうのもセンスがあると感じるのだろうか。……いずれにしたって、結奈たちが持つには身の丈に余る品だった。
「みんなー、楽しかったねー!」
 レジで会計を終えると、こっちが冷や汗を掻いたことも知らず、結奈がのほほんと言う。
 パンドラは「うむうむ、目の保養になったわ」と大人ぶったが、京華とアイギールだけは顔を見あわせて苦笑していた。


 美術館の三階で、シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)は一枚の絵画を見あげていた。
 他を寄せつけぬ、異様な雰囲気のある絵だった。あらゆるものを拒絶する鉄格子。外から降り注ぐ雪。骨と皮だけの囚人。――牢獄という存在の冷たさが、こちらにまで伝わってくるような絵だ。その異質な雰囲気が放つ威光のせいか、絵の周りには手記と、そしてその契約者のラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)以外の姿は見当たらなかった。
「良い……良いのぉ。嗚呼っ。年甲斐もなく興奮するわ、くくくっ」
 手記がたまらずに身悶えながら言葉をこぼす。ラムズはそっと彼女を見やった。
「何処が良いんです?」
「全てじゃよ。この錠前、この牢獄、この囚人……全てが素晴らしい」
「そうですか。私には……そうとは思えないんですが」
 それ以上、言葉は続かなかった。ラムズと手記はしばらく黙ったままだった。が、やがて、どちらともなくお互いを見合った。
「ラムズ、魂を込めた作品には生命が宿るというのは知っておるか?」
「ええ、そういった逸話ならば聞いた事があります。貴方だってそうでしょう?」
「然り。筆者の感情が込められたからこそ、我等は魔道書として存在するんじゃ。つまるところ――」
 手記は言葉を切り、右手を伸ばした。フードの中からにゅるっと現れたおぞましい触手は、絵画の男を――正確には、その手元を示した。
「――此れは我じゃ。この者が書くは我であり、そしてこの者は他ならぬ筆者である。懐かしいとは思わぬか? 『ラムズ・シュリュズベリィ』」
「…………」
 ラムズは答えなかった。
 もはや不快感しか存在し得なかった。手記の語るものは何一つとて理解できる気がしない。やはり化物というのは、感性が人間のそれと違っているのだろうか。色が良い、表現が良い、構成が良い。人間が感じとれる賞賛の要素は、そこには見当たらない気がする。
「還るか。郷愁に浸るのは一時の幻で良い」
 手記はそう言い残して、その場を去った。ラムズはその背中を見つめていたが、やがて自分も後を追った。
 途中、ラムズは絵画をふり返った。『無題』と名が冠されたその絵は、呪詛か遺言か、いずれにしてもそんな狂気じみたものをこちらに伝えてきている気がした。


 美術品が盗まれた!
 トマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)のもとに届いたそんな報せ。トマスはすぐに行動を起こした。
 魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)テノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)ミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)。三人のパートナーを連れて、美術品を盗んだ相手を追った。
 やはりだ。思った通りだった。たとえどれだけ平和になっても、犯罪を起こす者は少なからず存在する。観光局が設立されて盛り上がっているいまなら、特にだった。賑やかな街中に紛れ込んで、隙を突いてくるやつが必ずいるはずだ。トマスはそう考えていた。
 まず先行して動いたのはテノーリオとミカエラだった。街中の巡回や警備をしていた二人が、盗人の魔族を追った。その後、子敬とトマスが街の地図を片手に相手のルートを模索した。
「相手は大きな絵画を荷物として抱えておりますからね。そう早くはないでしょう。それに、目立ちたくもないはずです。となれば……街の住人しか知らないような裏道を通っていくでしょうか」
「そうだね。よし、先回りして挟みうちにしよう」
 子敬の進言にうなずいて、トマスは地図を畳むと先回りに動いた。
 最中、テノーリオとミカエラに盗人は追いかけられていた。路地裏に舌打ちが響く。
「ったく、平和になってもこういう輩はつきねえな」
 テノーリオが言う。ミカエラは軽くうなずいた。
「それだけ活気も戻ってきてるということかもしれないけどね。さ、とっとと捕まえるわよ」
「おう」
 盗人は路地裏を右往左往した。右に行ったり左に行ったり、まるで二人を迷宮に迷い込ませるかのようだ。どうやら向こうは勝手知ったる街ということだけあって、こちらを撒こうとしているらしい。だが、二人は必死に食いついた。
 やがて、一本道にさしかかったとき――
「ビンゴっ」
 盗人の眼前にトマスと子敬の二人が飛びだしてきた。
 先回りが成功したのだ。盗人は予期せぬことにあわてて逃げ道を探した。が、背後を見ても、そちらにはテノーリオとミカエラの二人が待ち構えている。トマスがライフルを見せて凄みをもって畳みかけ、お縄につくことになった。その後、遅れてきた街の警備隊に捕らえられて、盗人が連れていかれる。
 両手を縛られた盗人は「くそっ」と吐き捨てていた。
「平和になっても、人々の安全は守られるとは限らないね」
 トマスはすこしくたびれたように言う。子敬がそれに応じて、ふっと笑った。
「安全は、タダという訳にはいきませんからな。しかし、そのために我々がいます」
「……確かに」
 トマスはほほ笑んだ。これが自分の役目だ。そう、自分に課したのだ。なら、そのために全力を尽くすだけだ。
「よし、戻ろうか。またなにかあったらいけない。警備を怠らないようにね」
 トマスに呼びかけられて、テノーリオたちは一斉に返事をした。