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横山ミツエの演義(第3回/全4回)

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横山ミツエの演義(第3回/全4回)

リアクション

 虹キリンの行く先にミツエがいるのを見たと同時に、ガツンとすねを蹴られて痛みに悶えた高崎 悠司(たかさき・ゆうじ)
「どうすんの、アレ!」
 と、頬をふくらませてプリプリ怒っているのはパートナーのレティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)だ。
 あーあ、とため息をついて悠司は頭をかいた。
「ミツエがここにいるなんて知らなかったんだ。仕方ないだろ」
 キリンがどうやってミツエの居場所を察知しているのかはわからなかったが、悠司が試しに「人身売買所にいる」と言ってみたら、あっさり頷いて走り出したのだ。
 その頃すでに本当にミツエが人身売買所にいたのか、それともキリンが悠司を信じたのか、聞いてみないとわからない。
 本当なら、青木とキリンだけがぶつかって両者ノックアウト……のはずだったのだが。
「世の中うまくいかないもんだねぇ」
「呑気に言ってる場合じゃないだろー!」
 再びレティシアに蹴飛ばされる。同じところだった。
 うっすら殺意がわきかけた悠司の視界の隅で、キリンに立ち向かおうと、あるいは逃げ出そうとしたパラ実生や文化祭参加者達が、次々と強烈な腐臭に倒れていった。悠司とレティシアも倒れそうだ。
 三人の英霊がミツエを守ろうとし、テントの陰からは朱黎明やヴェルチェ・クライウォルフがキリンを止めようと武器の狙いを定めた時、ミツエは自分をかばおうとする三人を押し退けてキリンが放つ瘴気を皇氣で弾き返した。
 まさか、とたたらを踏むキリン。
 この瞬間を、やはりキリンを追ってきていた葉月ショウも待っていた。待っていたというよりは、計画を変更せざるを得なかった。
 キリンの腐食能力は確かに恐ろしいが、ミツエの周りにいる者達やキリンと仲良くしようという者達が集まってしまっては、手懐けられてしまうだろう。ショウの個人的な理由により、それは避けたいことだった。
 ショウの起こした銃声と同時に、キリンの帽子が宙を舞った。
 どう見てもキリンを殺そうとしているようにしか見えない行為に、葉月アクアがショックに目を見開く。
 アクアはミツエと共にいたためにここにも駆けつけていたのだ。ショウとはまめに連絡は取り合い、共にキリンを迎えるために対策を練っていると信じていただけに、偶然にも見てしまったその姿に思考が止まった。
 けれど、体は動いていて一直線にショウのもとへ駆け寄っていた。
「キリンを……無事に捕まえるんじゃなかったのですか?」
「悪いな。ずっと黙っていたが俺は実は『のぞき部』なんだよ。だから、キリンは」
 ショウの言葉が不自然に途切れる。
 目の前に、大鎌を振り上げた羅刹のごときアクアがいたからだ。
 ショウは脱兎のごとく駆け出した。
 その間にキリンはまたしても騙されたことに悔し涙を流していた。
 みんなで和やかにトウモロコシを食べていて、勝手に興奮して飛び出したのは自分だが、ミツエ以外は信じてもいいかもしれないと思いかけていたのに。
「ゼンブ ゼンブ ミツエノセイダ!」
 自暴自棄になったキリンがミツエに吼える。
 ミツエは受けて立つと仁王立ちするが、英霊達と親衛隊に総がかりで止められ、少しでもキリンから離れようと後ろに引きずられていく。というよりか、彼ら自身がこの悪臭腐臭から一刻も早く遠ざかりたかった。これからの人生、すべての匂いが腐臭にしか感じられなくなりそうだったから。
 離せー! と暴れるミツエの前に、キリンの視界からかばうように大きな背が現れた。
「ミツエ殿は、ふんぞり返って待っておればよろしい」
 かすかに笑みを含んだ声で言う水洛 邪堂(すいらく・じゃどう)
 その時、邪堂にとっての追い風が吹いた。腐臭が押し戻されていき、爽やかな空気が運ばれてくる。
 それを逃さず邪堂は大きく大きく息を吸い込んだ。
 そのたびに上半身の筋肉がふくらんでいき、ついにはシャツのボタンが弾けとび、破けてしまった。
 我を忘れたキリンが威嚇するように大きく首を振って、立ちはだかる邪堂に突進する。
 存分に息を吸った邪堂はその息を吐き出すことなくピタリと止めると、ドラゴンアーツで強化した肉体による拳を、狙った順に打ち込んでいく。
 脚、頭、胴体、首。最初の脚には決まったが、頭はよけられ反撃を受けたのだから。
 すんなりいったわけではなかった。
 格闘戦を主とする邪堂は、キリンが相当な気功の使い手ということに気づいた。
 強い相手との出会いに邪堂の心は少年のように高鳴り、思わずそれが顔に出る。
 いきり立っているキリンには、それが馬鹿にした笑みに見えた。
 打ち合っては離れ、を繰り返す邪堂とキリンを周囲の者は息を詰めて見守っていた。
 しかし、戦いにおいてはより冷静な者のほうが有利である。
 怒りに支配されているキリンの動きは、慣れてしまえば単調であることに気づく。
 邪堂が優位に立つのに時間はかからなかった。
 数分後にはキリンの足はふらついていた。
 ──そろそろ終わりじゃ。
 邪堂が最後の一撃をキリンの首目掛けて繰り出した時。
「キリンは、オレのものだーッ!」
 反対側から吉永竜司も拳を突き出していた。
 恐るべき執念であった。
 挟まれるように首に攻撃を受けたキリンは痛みを感じる間もなく昏倒した。
 ドッと倒れると、腐臭がじょじょに引いていく。
「し、死んだのか……?」
 震える声で誰にともなく聞いたのは誰だったか。
 ざわざわと答えを求める声がさざ波のように広がっていく。
 親衛隊達の間から不安そうな顔を覗かせているミツエ。
 邪堂はキリンの傍に膝をつくと、口元に手を当てて呼吸の有無を確かめた。
「……生きておるな」
「良かったぁ。せっかく花びら占いで吉って出たのに、殺しちゃった凶に変わっちゃいそうだもんね」
 ミツエが胸を撫で下ろしている姿に、邪堂はわずかに目を細めて笑みを作る。そして意識のないキリンを肩に担ぐと手当てをするために本部へ運ぶことにした。
 キリンの件が収まると、ミツエはその直前までもめていた捕虜の件を思い出し、当事者達へ振り向いて今の時点の結論を告げた。
「国のあり方に関わることだから、建国宣言の時にみんなに伝えるわ。……青木がいないわね」
 どこを見ても青木も彼の手下も、影も形もなくなっていた。
「礼儀知らずじゃのう」
 ムスッとしてシルヴェスターが不満をもらした。
 その後は、一度畳んだ店を再び広げたり青木が残していった檻を片付けたりと、市はまた賑わいを取り戻していったのだった。