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それを弱さと名付けた(第3回/全3回)

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それを弱さと名付けた(第3回/全3回)

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chapter.8 講演会 


 講堂では、生徒たちの歓声がピークを迎えていた。壇上には、全員の視線を一手に浴びたタガザ・ネヴェスタがいる。彼女の着ている黒のドレスワンピースは銀色の髪と抜群の相性を見せ、指につけたアクセサリーは遠くからでも分かるほどきらびやかに輝いている。
 謎も魅力も溢れている彼女を前にして、会場はある種異様な雰囲気に包まれていた。確かに、壇上へと上がるその一歩一歩すらも、まるで虹を歩いているかのような幻想的な光景に見えるほど彼女は美しかった。司会が歓声を抑えようとするが、当然聞く耳を持つ者はほとんどいない。しかし、彼女がその艶かしい唇をマイクに近づけると、波が途端に引いていった。その声を、聞き逃したくなかったからだ。
「はじめまして、可愛い学生さんたち」
 マイクを通して聞こえたその声は、喉の渇きを潤す水のように、するりと体内へと入り込んでくる。
「今日はこの場所でお話することが出来て、光栄よ」
 タガザが一言口にする度、オーディエンスの意識がそこに集中していくのが分かる。彼女は、それを気持ち良さそうな表情でうっとりと眺め、演説を開始しようとした。ほぼ同時に、会場に設置された電光掲示板が演題を表示する。
「美と幸福について」
 そう書かれた文字をタガザが読むと、観衆は一語一句、聞き漏らさぬよう耳を傾けた。
「生まれてきたからには、幸せになりたい。それはきっと、誰もが思うことでしょう?」
 彼女の演説は、その質問から始まった。沈黙を答えとし、タガザは続ける。
「もちろん、幸せには色々な形がある。何を幸せと思うかは、その人次第。そして私は女として、美しくあることに幸せを感じたいと思ったの」
 そう言ったタガザは、美しくあることの意味を語り出した。
「たとえば目の前に、綺麗な盛りつけの料理と汚い盛りつけの料理があったとしましょう。普通に考えれば、どっちを食べたいと思うかは明白よね? 何も食べ物に限ったことじゃない。お店、住む家、異性、品物……何だって、見栄えの良い方を人は望むものよ」
 もちろん、中身が伴っていれば言うことはないけれど、と付け加え、タガザは話す。
「特に女の人はそう。みんな、自分で知ってはいるのよ。美を求めることが、幸福にも繋がるって。ただ、それは誰でも簡単に手に入るものじゃない。だからみんな、悟ったり諦めたりする振りをして濁しながら生きるの。でも、私はそれをしなかった。どうあっても、美しくなろうと思った。大切なのは、動くことよ。何でも良い、今まであまり見なかったファッション雑誌を見てみて。今まで避けていた服を試着してみて。今まで接してこなかった異性と話してみて」
 そこまでを言うと、タガザはマイクから口を一旦離した。同時に、会場中から拍手が聞こえる。彼女の声が、言葉が一体感すら生んでいた。

 その後、タガザはさらに講演を続け、それは数十分ほど続いた。一段落したところで、司会がスケジュールを進行させる。
「さて、ここで質問タイムに移りたいと思います。あのタガザさんに直接質問出来るまたとないチャンスです!」
 当然、我先にと大勢の生徒が手を挙げる。
「はい、じゃあそこの緑色の髪の女の子!」
 司会が、ひとりの女子生徒を指差した。驚きながらも慌てて立ち上がったのは、講演を聞きに来ていた久世 沙幸(くぜ・さゆき)だった。
「え、えっと、蒼空学園、久世沙幸です! タガザさんにも、駆け出し時代の苦労話とかあるんですか? もし良かったら、ちょこっとでいいから聞かせてくださいっ!」
 先日、グラビアアイドルを志望し映像配信会社に自分を売り込みに行った彼女は、そこでうっかり失言をしてしまっていた。
「モデルが駄目でも、グラビアアイドルくらいなら」
 その、グラビアアイドルを軽視しているともとれる発言に怒った担当者は、沙幸に説教をした。グラビアアイドルも、大変な仕事なのだと。沙幸はそれ以降、ずっと反省をしていた。どうにかして、グラビアアイドルになりたい気持ちが本物だということを認めてほしい。しかし、その方法が分からない。
「苦労話ね。もちろん話してあげる」
 タガザが言うと、沙幸は喜んだ顔を見せた。そう、人気モデルである彼女にその答えを聞くことで、沙幸は何かヒントが得られるだろうと思ったのだ。タガザは沙幸を見て、返答をした。
「昔は私も、お世辞にも綺麗とは言えなかったのよ。モデルとして活動する前は、ブスなんて罵られたこともあった。人は、醜いものに対しては遠慮なく醜くなれるの。でもね、私はそんな状態が嫌で、とにかく人の良いところをたくさん見て、たくさん盗もうと思ったの。そうしていくうちに、誰も私を醜いとは言わなくなったのよ」
 答えた後、これで良いかな? と言いタガザはマイクを置いた。沙幸は頷きつつ、彼女の言葉を一生懸命咀嚼しようとしていた。そして沙幸は、こう結論づけた。
 つまり、グラビアアイドルになるには、もっといっぱい、いやらしい写真とかも見なきゃ! と。
 そういったところから、様々なものを吸収し、立派なグラビアアイドルになろうと彼女は決意した。その固い意志を止める者は、誰もいないだろう。
 実は彼女、沙幸はネット以外のメディアで見かけないタガザに対し、動画に何か仕掛けがあるのでは、と疑いの気持ちも持っていたのだが、意外にも本人にとって実りある言葉が聞けたことで、すっかり満足したようだ。

 それからも何人かがタガザに質問をし、彼女もひとつひとつ答えていった。それが5、6人くらい消化した頃だろうか。司会が、再び壇上にいる彼女の次の行動を伝えた。
「えー、それでは質疑応答はここまでと致しまして、講演会も終わり……なのですが、今回は特別! 最後にタガザさんが一曲歌っていただけるそうです!」
 それを聞いた途端、会場から割れんばかりの歓声が起こる。しばらく鳴り止まなかったそれをどうにか静めると、司会は「その前に」と付け足した。
「当初スケジュールにはありませんでしたが、強い要望、また大学とタガザさん双方の許可も得ましたので、前座として、空京大学生徒によるライブを行います!」
 司会がそう言うと、壇上に騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が現れた。タガザのライブを楽しみにしていた者もいる中、ボルテージの低下が懸念されたが、むしろ一種のお祭り騒ぎ状態となった会場はよりヒートアップし、大きな声援が詩穂を包んだ。
「みんな、ありがとう! アイドル騎沙良詩穂、歌いますっ!」
 タガザが袖へと戻り、ステージに、自分に視線が向いていることを確認すると詩穂はマイクを口に当て、歌を歌い始めた。元々の上手さか、それともリリカルソングを発動させた故か、その歌声は楽しいメロディと正しいリズム、聞く者の気持ちを高揚させる賑やかさを併せ持っていた。
「みんなも、一緒に!」
 詩穂が、生徒たちを煽るように手を振る。場は、程良い熱気を醸し出していた。

「セルフィーナ、無事詩穂が壇上に上がれたのう」
「ええ、精一杯アクリト様に頼み込んだかいがありました」
 詩穂が歌っている様子を、彼女のパートナー、清風 青白磁(せいふう・せいびゃくじ)セルフィーナ・クロスフィールド(せるふぃーな・くろすふぃーるど)は座席に座って見ていた。どうやら詩穂の前座は、このふたりが一生懸命掛け合ったお陰で叶ったようである。セルフィーナに至っては、詩穂から頼まれブロマイドの貼られた紙を講演前に配るほど影で詩穂を支えていた。さらに、アクリトに直接掛け合い頭を下げたのも彼女である。
「本当なら、対談といったことも出来れば良かったのですが」
 セルフィーナがぽつりと漏らす。叶わなかった願いを口にした彼女に合わせるかのように、青白磁も自分の願望を言う。
「わしは、シーン・ドディーとやらに会いたかったがのう。あの輩が、タガザに力を与えた悪魔だとわしは思ってるけん」
 契約者たちの攻撃を一斉に受けても無事であった、ということをどこかから聞いたのか、配信会社所属の担当者であるその人間の名前を彼は出した。どうやら彼はその担当者が人間の通信技術を得て、魂を集めようとしていると踏んだようであるが、残念ながらドディーさんはれっきとした人間であった。
「その方が悪魔かどうかは分かりませんが……詩穂様の予想が正しければ、危険を承知で今ステージに立っているはずです。わたくしたちは、見守りましょう」
「うむ、頑張れや、詩穂」
 今はその兆候すら見られない、危険というシチュエーション。しかしこの後、詩穂は自分の体をもってそれがまったくのでたらめではなかったことを証明することとなる。

 ふたりが会話をしている間に、詩穂のステージは終わっていた。
 そして、場内の空気はさらに熱さを増していく。メインステージである、タガザの歌がいよいよ始まるのだ。正悟や恭司、遙遠たちが一層警戒を強める中、タガザが再び壇上へと姿を現した。入れ替わりで袖へと戻る詩穂。タガザはすれ違いざま、彼女にそっと声をかけた。
「とても上手な歌よ。その声は、いつか役に立つかもね」
 そう言ってタガザは、口の端を僅かに上げた。そのまま彼女はステージへ行き、マイクを持つ。彼女が何を歌うのか、多くの生徒が注目する。
「今日歌うのは、『細胞』という曲よ。もし違う曲を楽しみにしていた人がいたらごめんね。でもこの曲も、ちゃんと私が作詞した良い曲だからじっくり聴いて」
 そう言って彼女は、ひとつ息を吸い込んだ。彼女の中で溜め込まれた空気は、クリアな音となって外へと飛び出した。

「あなたの一番が欲しい 欲しい 
 欲しがるだけじゃ叶わないなら 私もあなたに与えるから
 この細胞は あぁ 私以外を求めてる

 世界のどこかで 愛を告げられる人
 あの子みたいになりたいと 憧れになる人
 何があれば満たされる? 辞書には何を足せばいい?
 醜い私の醜い細胞は 今日も返事がない

 あなたの一番が欲しい 欲しい 
 何かと引き換えに美しくなれるなら 醜くても構わないから
 この細胞は あぁ 私以外を求めてる

 28日じゃ足りないでしょう
 もっと長い時をかけて すべてを生まれ変わらせて」

 ゆったりと歌われたバラード調のその曲は、会場をさっきまでとは打って変わって静まり返らせた。しかしそれはもちろん、彼女の歌がつまらなかったからではない。あまりの悲しい歌声に、耳を澄ませ聞き入ってしまったからだ。途中、スピーカーの調子が悪くなり僅かに声が途切れたものの、そんな些細なことは誰ひとり気に留めなかった。
「歌が元凶じゃ……ない?」
 スピーカーがおかしくなるよう細工をした正悟は、周りを見て小さく呟く。歌を完全に聞いてしまった者がアンデッド化し、それを彼女が操っていたとでも踏んだのだろうか。しかし、彼の周りは拍手を送る観客ばかりで、誰ひとり姿形を変えてはいない。自分の意識もしっかりしていることから、洗脳の類もないと思われた。それが、スピーカーに仕掛けをした自分の功績か、最初から見当が外れていたのか、彼が知ることは出来なかった。その近くで、タガザの歌を聞いていたのは比賀 一(ひが・はじめ)だった。
「なんだか、前聞いた歌もそうだったけど、タガザの歌ってやけに美を求める内容だな……」
 ふと思った疑問を口にする一。さらに彼には、もうひとつ疑問があった。
 この講演会はそもそも、誰が持ち込んだ話なのか、という点だ。
 仮にアクリトだとしたならば、彼がモデルに興味を持ったということなのだろうか。著名人だからといえば不自然ではないが、アクリトとモデルという単語が結びつきづらいのも事実だった。では、タガザから持ち込んだのかと言われれば、それも疑問が残る。大学でやる以上、アクリトをターゲットに選んで何かをしでかすということが第一に考えられる。が、今までの被害者は主にモデルだったことから、それも的外れな推論となる。
「うーん……本当はここらで手を引いた方がいいんだろうけど、このままだとモヤモヤするっつーかすっきりしないっつーか」
 一は少し迷った後、あることを決めた。それは、この講演会が終わった後も、様子を伺い続けることだった。
「今までセンピに課金しすぎたり追跡失敗したりだったしな。結末くらいは、見ておきたいもんだぜ」
 そう言うと一は、警備員になりすますべく、そっと席を離れた。
 壇上では、歌い終わったタガザが軽く手を振り、袖へと下がっていくのが見えた。もう姿の見えないタガザを引き戻すように、講堂の中はアンコールの声が充満していた。