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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)

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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)
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リアクション


●Open Your Eyes

 辻斬り事件は解決した、ということになっていた。誘拐事件も一段落したはずであった。
 それでも桐生 円(きりゅう・まどか)と同行者たちが街の捜査を続けたのは、もう一度『あの人』に会いたかったからだ。
 けれどもまさかあの人が、空からやってくるとは思わなかった。
 黒い翼広げ、石像を抱えて彼女は飛んでいた。飛んで……ツァンダ郊外にある公園の外に着地した。
 すでに公園は宵闇の中にあり、ドラゴニュートらしき人物の容貌をはっきりと確認することは難しい。
 されど円は、今目の前にいる人物が人違いであるとは思わなかった。
 このとき円が『あの人』に会えたのは結局のところ偶然だったのかもしれない。会えるという確証があったわけではない。目撃情報を統合し、地道に捜索を続けただけだった。
 しかしときとして、地道な捜索こそが真実の扉を見つけることがある。
「こんばんは、ぼくの事覚えてる? なんか困ってそうだし。話を聞いてみたいなって思って」
 驚かさないように円はゆっくりと相手に近づき、なるたけ優しく声をかけた。
「きみ、本当にドラゴニュート? なんか、違和感があって。悪い人じゃなさそうなのに、強引に人を探してるし。困った事に巻き込まれてるんじゃないかなって、気になっちゃって」
 ドラゴニュートらしき人影は、円が怖いのかじわじわと後退した。運んでいた石像を背に隠すようにしている。
「ねえ、円……あの人、もしかしたら呪いをかけられているんじゃないかな?」
 漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)は怪訝な顔をした。あの人物が一言も口を利かないことが気になったのだ。
 あの人は何か不安を感じているように見える――。
 不安、といえば月夜は、樹月刀真のことを思い起こさずにはいられない。
 刀真はどうやら月夜がまだ怒っていると思っているようだが違うのだ。
 怒っているのではない。不安なのだ。
 かつて彼女は刀真の唯一のパートナーだった。その頃は彼と繋がっているという明確な意識があった。だから不安はなかった。
 それなのに……彼が他のパートナーを増やすにつれて、月夜は漠然とした不安を感じるようになったのだ。
 嫉妬、というのとは少し違う。刀真の好みから自分が外れているのではないか――そういう不安だった。
 玉藻 前(たまもの・まえ)も不安にとらわれていた。その不安は月夜のものとは違う。
 それは現在、ここに刀真がいないという不安だ。
 桐生円もそのパートナーたちも頼りになるのだが、やはり己のマスターである刀真がいないというのは心細い。万が一、自分や月夜に何かあったときはどうすればいいのか。
 あるいはまた、刀真が自分のあずかり知らぬところで危険にさらされる危険性もないではない。
 やはり無理をしてでも自分は、刀真の傍にいるべきだったのではないかという気がしてきた。いや、自分だけではない。月夜もだ。チームを分かつべきではなかった。
 だが玉藻前も月夜も、今はその不安を押し殺していた。
 それよりもドラゴニュート……あの人に問いかけよう。目を見開き真実を見きわめよう。
「具合悪かったりします?」
 オリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)が言った。
「怪我をされているとか?」
 だが調べさせてくれというのは難しそうだ。下手に近寄れば、相手はまた逃走を図るかもしれない。
 ――まあ、今回はとことん追いかけるけどね。逃げられても。
 円はそう思っているが、その考えをおくびにも出さず言った。
「よかったら、事情を話してくれないかな? もしかして、喋れないとか?」
 この質問が適切だったのだろうか。それとも円たちの、誠意ある問いかけがついに相手の心に届いたのだろうか。
「話せ……る、わ」
 ついに、ドラゴニュートのような少女(そう、少女の声だ!)は口を開いたのだ。
「ただ……話しづらくなって……るだけ……」
 チューンの狂ったラジオのように、彼女の声にはノイズが混じっていた。
 しかし返答こそ、円たちが待ち望んだものだ。
「んー、良くわかんないけど! これって一歩前進じゃない?」
 ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)が嬉しそうな声を上げた。
「これで縁ができた、っていっていいんじゃないかなー!」
 さらにミネルバは、温めたミルクのように優しい口調で彼女に呼びかけたのである。
「ほら、縁って大事、大事。頼れる人がいないから一人で頑張ってるんでしょ? だったら、今から頼れる人を作ればいいの! 一人で失敗したら知恵を合わせて頑張るものなのだ! ミネルバちゃんは難しい事苦手だけど!」
 念のためミネルバは殺気看破を発動している。だがあのドラゴニュートらしき少女からは、危険なものを感じない。
「話しづらくなっている原因はわかりませんが、見せてもらえない〜?」
 直せるかもしれないしぃ、とオリヴィアは言うのだが、彼女は首を縦に振らない。
「ドラゴニュートさん、ところで名前、教えてくれない? ボクは桐生円で……」
 円の発言を遮るように、ドラゴニュートらしき少女は言った。
「わからない? あたしは……龍杜 那由他(たつもり・なゆた)
 雲間からのぞいた月明かりが、このときさっと差し込んだ。
 月の光に照らされたのは、変わり果てた姿の黒い鱗、禍々しい翼。
 けれどよくよく見れば、その瞳は確かに、龍杜那由他その人なのだった。
 そして円は知った。
 那由他が運んでいた石像は、人型をしていると。
 人に似せたものではない。人を石に変えたものだと。
 それは、玄武ならびに三剣士との混戦に紛れ連れ去られた鬼久保偲(瀬山裕輝のパートナー)だったのだが、そこまでは円にも判別できなかった。


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 仁科耀助が、雷霆リナリエッタとクローラ・テレスコピウム、セリオス・ヒューレーに語っている。
「そう、那由他が例の誘拐犯だ。既に三人さらっているが、オレが把握しているだけでさらに三人を誘拐した。いずれも石に変えて魂のようなものを奪っている」
 しかも、新たに誘拐した三人の中には……と言う耀助の言葉に悲痛な色が混じっていた。
「三人の中には……那由他の親友アルセーネも入っているんだ」
「仁科、お前は知っていて止めなかった、その理由を知りたい」
 クローラが問うた。
「それは……」


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 詳しく話す時間がないので端的に言いたい、と前置きして那由他は述べた。
 途切れ途切れに語ったその要旨を、彼女の口調で書き起こせば以下のようになる。
「まず認識しておいてほしいのは、八岐大蛇(やまたのおろち)は想像上の怪物ではなく実在する龍……正しくは龍神族という存在だということ。
 八岐大蛇は龍人族のなかでも最強の一体よ。だから人間の力では倒しきることはできず、その脅威を防ぐためには巫女の体内に封印するほかない……ええ、私の体の中には、八岐大蛇が存在しているの。医学的な意味と言うよりは、霊的な意味でね。
 巫女の坐は代々受け継がれる。宿した大蛇と施した封印も受け継がれるけれど、封印だって万能じゃない。その効力は年を経ることで弱まっていくの。あたしは先代である母より、代々八岐大蛇の封印が弱まっており、私か次代で解けてしまうことは聞かされていたわ。
 想像がつくと思うけど、封印は早い内に解いたほうが龍神族の力は弱まる。自分の代で封印を解き、弱いうちに再封印してしまおうと思って、あたしはマホロバからシャンバラへとやってきたの」
 封印を解くには、マホロバ人の乙女八人の魂を一時的に借りる必要があるということだ。
 那由他の姿がドラゴニュートのような異形に近づいて来たのは、封印が解けかかっている証拠らしい。
 封印に綻びをかんじた最初のうちは意識を失い、夢遊病のような挙動をしていたと彼女は言うが、このところではかなり自分の意思でこの状態をコントロールできるようになったという。
 なお、アルセーネ竹取と知り合い友人になったのは、運命的な偶然だと那由他は説明した。
「アルセーネの龍の舞手としての踊りは、ドラゴンや龍神族の力を一時的に抑える効果があると言われているわ。彼女も私の考えに賛同してくれたから、希望者に舞を伝えた。舞い手は多ければ多いほどいいから……」
 アルセーネのもとを那由他が訪れ、相談したのはこのことだったのだろう。
 しかもアルセーネは、舞を伝授する以上の『貢献』をしている。
「そう……アルセーネはその身を捧げてくれた……封印を解く鍵の一人として」


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 仁科耀助が語った事情も、ほぼ那由他の告白と同じものだった。
 このとき、
「話の輪に入ってもいいですか〜」
 舌足らずな声がした。
 クローラとリナリエッタは振り返る。
 ああ、と声の主に気づいたセリオスが、身を屈めて話しかける。
「どうしたのかな、お嬢ちゃん? もう暗くなるよ、そろそろ家に帰らないと……」
 ありていに言って彼は、その少女を追い払おうとしたわけだがリナリエッタが言った。
「あ、大丈夫よ。この子、きっと私たちの仲間だから」
 そうよね? とリナリエッタは、十歳前後とおぼしき少女に言った。
「はいです〜」
 少女は屈託なく笑った。
「気配を感じさせず近づけたのは、ベルフラマントでも使ったんでしょ?」
「それも正解ですよ〜」
 ほらね、とリナリエッタは耀助たちに告げて、
「お名前は『ハルカちゃん』だったかしら?」
「そうですよ〜。でも、本名は〜」
 彼女、いや、は『ちぎのたくらみ』を解いた。
緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)です。『ハルカ』に変装していたほうが身を隠しやすいので」
 失礼しました、と頭を下げる遙遠に、
「失礼? とんでもなーい」
 リナリエッタはウフフと笑ったのである。
「今の姿のほうが断然イケてるわぁ。好みよ……普段なら逆ナンしてたかも」
「そ、それはどうも」
 面と向かって褒められると照れるもので、遙遠はいくらか恐縮しつつも改めて耀助に問うた。
「かいつまんでですが、今のお話を聞かせてもらいました。
 ですが仁科さん。あなたは最初の問いに答えていませんね。……どうしてあなたは、那由他さんのことを知っていて止めなかったのかということです」
 決まっているだろう、と仁科耀助は、これまでにないほど真剣な表情を見せた。
「那由他を救うためだ」
 彼の特徴である細い目が、今はしっかりと見開かれている。
「彼女はオレの大切なパートナーだ。封印に綻びが出ていると聞かされたとき、そしてこれがもたらす那由他の物凄い苦しみを見たとき……オレは最初、できるだけ封印を長く保たせる方法を探ったんだ。しかしそれは、流れる滝を逆流させるようなものだ。つまり、見つからなかった。
 だからオレは逆に封印を解く方法、そして再封印する方法を探すことにした」
 それゆえに那由他のなすがままを許したのだ。むしろ、彼女がマホロバ人の乙女をさらえるようにさりげなく手助けすらしてきたと彼は言う。彼が美少女についてつけていた『ナンパメモ』の真の目的もここにあった。
「那由他を救うことが、この世界を救うことと同じだとも思っている。手早く大蛇の封印を解き、龍の舞で鎮めて倒す……つまり再封印することができれば、もたらされる破壊は最小限で済むはずだ」
「破壊、とおっしゃいましたね? シャンバラには、ティフォンやティアマトを始め、『グレータードラゴン』と呼ばれる人では倒せないような強力な龍が数匹生息していると言います……八岐大蛇もその一匹、と見ていいのですね」
「間違いない。だから悩んだ。
 もし八岐大蛇が全力の状態で復活し世界を破壊と混沌の末に堕としたとしたら……きっと那由他は生きていられないだろうから……」
「おっしゃることは、わかりました」
 ですが、と語気を強めて遙遠は言った。
「それほどの大事、どうして一人の胸に秘めていたのです。
 我々はそれほど信用に足りないですか、仁科さん!」
 遙遠の眼差しは人を殺せるほどに強く、切ない。
「それは……無関係の人を巻き込みたくなかったから」
 ふわりといい香りが耀助の鼻をくすぐった。
「仁科ちゃん、あなたナンパ系のクセして、中途半端に真面目だったりするわねぇ……でもちょーーっと考えが足りないんじゃあない?」
 リナリエッタは人差し指を伸ばして、ピンと耀助の額を叩いたのである。
「世界に破壊をもたらすような八岐大蛇が相手なんでしょう? 否応なく巻き込まれちゃうわよ、みんな」
 さっき俺は言ったな、とクローラは耀助に告げた。
「俺たちのことなら遠慮なく巻き込め、と」
「そうさせてもらうよ、先輩……みんな。だからさ」
 顔を上げた仁科耀助は、あの人なつっこい糸目に戻っている。
「だからもう『仁科』じゃなくて『耀助』って呼んでよ。耀助ちゃんでも耀助君でもいいけど、どうも苗字だと他人行儀でさあ。
 ……だって俺たち、もう他人じゃないだろ?」
 彼は笑った。


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 龍杜那由他は円たちに語った。
 八岐大蛇の封印を解くには、八人のマホロバ乙女の魂を受け取る必要がある、と。
 魂を取られた乙女たちは石化するが、決して死んだわけではない。だが、大蛇復活まで霊的な存在として巫女の中にとどまるのだと。
「かわりに彼女たちの身には、虚空である魂の器だけを置いたわ。これを私たちは『魂の交換』と呼んでる。
 けれど安心して、彼女たちは決して死んだわけではないから。いずれその魂を返すから……」
 言いながら那由他は立ち去ろうとする。
「もうお膳立ては整った。あとは、大蛇を孵(かえ)すだけ……危険だからしばらく、身を隠させてね」
 大丈夫、と那由他は請け負った。
「アルセーネはもちろん、乙女たちはみんな心清き人たちよね……だったら、大蛇の邪悪さも薄れるはず。予想以上に、弱い八岐大蛇しか出てこないかもしれないわ」
 封印が消え去るとき、もう一度あたしは姿を見せる、そう確約して那由他は背を向けた。
 そして、ぱっ、と異形の翼を拡げる。
「どうします……?」
 オリヴィアが円に問うた。
 今なら、那由他を拘束することはできるだろう。監視下に置いておいたほうが何かと都合がいいはずだ。
 けれど那由他の意思を無視することが、危険な結果を招きかねないのも事実だ
「ボクは彼女を……信じるよ」
 円は言った。
 晴れやかな気持ちだった。

 復習しておこう。
 さらわれた乙女は、
 事件の発端となった蒼学の少女三人、
 アルセーネ竹取、
 奇稲田神奈、
 黄泉耶大姫、
 鬼久保偲、

 の七人。
 加えて、那由他自身。
 これで、八岐大蛇復活に必要な八人が集まったことになる。