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ナラカの黒き太陽 第一回 誘いの声

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ナラカの黒き太陽 第一回 誘いの声
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リアクション

1.タシガン<1>

 薔薇の学舎の一角に用意された、対策本部。
 現地からもたらされる映像が複数のモニタに表示され、最新の周辺情報は常に集められるようになっていた。
 その中央に立つ、仮面の男。薔薇の学舎現校長、ルドルフ・メンデルスゾーン(るどるふ・めんでるすぞーん)は、目の前の机上に広げられた資料を無言のまま見下ろしていた。
「こちらが所内の地図、それと研究所に残されている所員の名簿だね。もっとも……研究所内部がどうなっているか、データ通りにいく可能性は極めて低いけどね」
 ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)の言葉に、黒崎 天音(くろさき・あまね)は頷く。
「こちらが、研究所にむかう人物の簡易名簿だよ。さっき、とりまとめておいた。後で全体の顔合わせをしてから、資料の配付予定だよ」
「その際は、我の持っている『銃型HC弐式』は、災害救助用の装備でもあるからな。救出側で人を探す手段をもっていない者、上手く使えそうな者に貸すぞ」
 ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が黒いたてがみをわずかに揺らし、低い声でそう言った。
「さすがに、手際が良いな。ありがとう」
 二人のやりとりに、ルドルフはそう言うと、さらに先ほどまとめた資料を手渡す。
「これが、既に分かっているゲートの場所だよ。今のところ、四ヶ所ほどになる。その先はどうやら、地下世界に繋がっているらしいね」
「地下世界……」
 ナラカと、そしてザナドゥのことだろう。天音は思案げに細い指先を顎にあて、目を伏せた。
「内部からの連絡手段は、通信機や携帯電話が使えないと思ったほうがいいだろうね。そのときは、ウィリアム、頼むよ」
「かしこまりました」
 ヴィナの傍らに控えていたウィリアム・セシル(うぃりあむ・せしる)が厳かに頷く。
「ボクも協力するね。手段は、多いほうがいいでしょ?」
 皆川 陽(みなかわ・よう)も、そう申し出た。もっともこちらは、パートナーのテディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)は微かに複雑そうでもある。陽をルドルフ校長の傍においておくことが、密かに不安なのだ。またジェイダスのときのように手を出されでもしたら、冗談ではない。一方、ユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)は、ただニヤニヤとその様子を見ている。
「頼むよ。まだわからないことが多すぎるからね。実際の目で見た情報をここに集めて、その上でまた現場にフィードバックすることが、重要になると思う」
「ゲートへの調査は、直接僕とブルーズも向かうつもりだよ」
「よろしく頼むよ」
 頷くルドルフの横で、ヴィナが呟いた。
「この靄、ザナドゥの共工という人物の仕業と仮定するとして。彼の人物はレモに何をさせたいのだろうね。情報がまだ揃っていなさ過ぎるから、まずは知ることが大事なのだろうけどね。さて、知って何をすべきか……全ては霧の中、か」
「ああ……」
 レモ・タシガン(れも・たしがん)の行動について、ルドルフは報告を受けている。
 タングートの共工という人物に対して、ルドルフとて驚異とある種の好奇心は抱いていた。だが、今はそれよりも、この地の不穏を洗い流すほうが先決だ。
 はたして洗い流したその先に、なにがあるのか。それは、ルドルフもまだあずかり知らぬことだった。


 それから一時間後。一同を集めたルドルフは、彼らに向かって挨拶をした。
「諸君。このたびは、タシガンにおきた異変にともに立ち上がってくれたことを、まず感謝するよ。資料のほうは、すでに配布済みかと思う。とはいえ、実際にはどのような状況にあるかは不確定だ。その都度、臨機応変な対処を望む。
 最優先は、研究所の所員たちの保護と、その救出だ。その後、地下世界へと繋がったゲートの封鎖を試みる」
 ルドルフはそう前置きをすると、作戦概要について話し始めた。
「先ほど申請してもらった希望を鑑み、いくつかのグループを作成した。作戦中は、基本的にそのグループでお互いに助け合い、共闘してくれ。大まかには、まずは研究所までのルートの確保、その後、研究所に突入しての研究員の保護、およびゲート制圧という流れを想定しているよ」
 その他に二三の注意点や、移動についてを述べると、「作戦開始はこれより一時間後。それまでに、各自準備や調整をすませておいてくれ。……危険なこともあるだろうが、君たちの勇気と力を、僕は心から信じているよ」と、ルドルフは告げた。
 ヴィナや黒崎を中心に、慌ただしく出立の準備が始まる。そんななか、東條 梓乃(とうじょう・しの)は、きょろきょろと周囲を見回していた。
「ティモシーはどこに行っちゃったんだろう? もう、こんな大事な時に……」
 梓乃は、タングートという見知らぬ土地に興味はあったものの、パートナーのティモシー・アンブローズ(てぃもしー・あんぶろーず)に「やめときなって。シノじゃタングートの女悪魔達に、頭からばりばり齧られて終わりだよ」と揶揄されて、出鼻をくじかれてしまっていた。
 たしかに、同行しようにもレモとはそれほど親しくもないし、今回はルドルフ校長の手伝いをしようと、本部に残ることに決めたのだ。しかし、そう自分をひきとめたティモシー本人の姿は、先ほどから見当たらない。
「まさか、一人でタングートに行ったりしてないよね……」
 あるいは、またなにか賭け事をしているのかもしれない。なにかにつけ「退屈」が口癖のティモシーにとって、賭け事は最高の退屈しのぎらしい。
 きびきびとした所作で人の輪を離れ、ティモシーを探していると、予想外なことにそこにいたのはルドルフだった。
「ルドルフ校長?」
 一人で、供も連れずにどうしたのだろう。そう梓乃は会釈しつつもやや訝った。
「ああ……君か。どうしたんだい?」
「人捜しを、してたんです。お考え中、お邪魔をしてすみません」
「かまわないよ」
 ルドルフはいつものように優雅に答えるが、どこかその言葉は空疎にも感じた。
「今回は、ルドルフ校長のお手伝いをさせていただきたいのですが……対策本部に伺ってもよいですか」
「ああ、もちろん。……そうだね」
 若干、ルドルフの視線が泳ぐ。
「校長?」
「……すまない。少しだけ、迷ってしまったんだ。こんなとき、ジェイダス様ならどうなさるだろうと考えていてね」
 ルドルフは、現理事長であるジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)を心から敬愛し、師匠と崇めている。その後を継ぎ、こうして校長となってもなお、ルドルフにとっての指標はジェイダスその人だけだ。
 とくに今、ジェイダスはタシガンを不在にしている。今回の騒動は、ルドルフ一人で事に当たらねばならない。校長となった今、それは当たり前のことではあったが……。
「こんな迷いは、美しさとはほど遠いね。忘れてくれよ」
 ルドルフは薄く微笑むと、一歩を踏み出す。その横顔に、梓乃は思わず口走っていた。
「ルドルフ校長は、ルドルフ校長らしくいらしてくだされば、それで良いと……思います」
 生意気だったろうか。そう、梓乃は目を伏せる。だが。
「……そうか。ありがとう、梓乃」
 ルドルフはそう仮面越しに微笑むと、梓乃の黒髪を軽く撫でたのだった。