First Previous |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
Next Last
リアクション
閉園時刻を過ぎ、門を閉ざしたサファリパークの前で高柳 陣(たかやなぎ・じん)、ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)、ティエン・シア(てぃえん・しあ)は立っていた。
及川 翠(おいかわ・みどり)たちがいたころにぎわっていたあの喧騒はもはやなく、金網の柵にとりつけられたライトが白光を内外に投げかけているだけだ。
測るように陣はその柵に手をかける。
「ちょっと陣、ティエン。あなたたち、本気でそんなことやるつもりなの!?」
ここへ無断侵入するという計画を、ここに来て初めて聞かされたユピリアは、事の重大さに蒼白し、いつにない硬い声と深刻な表情で止めようとする。
「それって犯罪よ!?」
「ああ。祭りの最中だし、多少の侵入者は目をつぶってくれるだろ。あ、念のために情報攪乱しといた方がいいか?」
平然とそんなことを言う陣に、「それ、どういう理屈よ?」とユピリアは疑問の目を投げかける。
「あなたたち、前もそれで犯罪者と報道されて、そのせいで窮地に陥ったのよね? 同じことをして、せっかく回復したシャンバラと浮遊島群の人々の信頼関係にまたひびを入れようっていうの?」
結論から言うならば、陣の「すべての始まりである風の神殿へナ・ムチを呼び出す」という計画は、不可能だった。
かつて夜に侵入された経緯から――猛獣たちがうろつく園内に、まさか夜中に身ひとつで侵入するなんていう人間がいると思われていなかった――警備体制を問題視した太守府の指示が入り、経営陣が園内警備を強化していたからだ。
それでもコントラクターの能力で無理をすればできないことはないが、彼らはともかくナ・ムチが通れるとは思えない。
ユピリアの言うことももっともだ。
「しかたねえ、ここで話をつけることにするか」
陣のあきらめる言葉に一番ほっとしたのはティエンだろう。
昼間、ユピリアに浮遊島群の服を買ってもらっていたからだ。ツーピースで、下はふわふわのフレアスカート。ちょっとかわいすぎるかもしれないと思ったが、これを汚したり柵に引っかけたりするかもしれない行動は避けたい。
それで、門のところで待つことにした彼らのもとへ、義仲に連れられたナ・ムチが到着する。
陣の元へ歩み寄るナ・ムチは面をこわばらせていた。それは誘拐されたというツク・ヨ・ミへの心配のためではなく、あきらかに怒りからくるもので、彼が激怒しているのは間違いようがない。
義仲がちらちらと視線を投げることからして、道中、からくりを聞き出しているのは間違いない。
「……あんな嘘でおれをだまし、呼びつけるとはどういうことですか」
冷たい、氷のような怒りが彼を包んでいる。向けられた一瞬で凍りつきそうな、冷ややかな視線を受けて陣は、これは一筋縄でいきそうにない、厄介なことになったと内心思いつつ、ナ・ムチの怒りを鎮めにかかる。
「悪かった。だが、こうするのが一番手っ取り早いと思ったんだ。ただ呼び出したところで、あんたは来てくれそうにないと思ったから」
この状況に、後ろで血の気を失い、何も言えなくなっているティエンをかばって、これが彼女と義仲の策であることを陣は口にしなかった。
「おれがキンシに連絡をとって全島に警戒体制を強いたり、鉄心さんやかつみさんたちに助力を求めて動いてもらったりするとか、考えなかったんですか!? 大勢の人が動く騒動に発展するかもしれなかったんですよ!?」
すでに鉄心から、陣の元へ確認の連絡は入っていた。
彼は事情を聞き、彼らの意図に理解を示してくれてはいたが、今おもえばその口ぶりから、こうなるのではないかと予想しているのがうかがえるものだった。
「あなたはおれのツク・ヨ・ミに対する想いを利用したんです!」
ナ・ムチの最も腹立たしいところはそこだった。
「……そうだ。すまない」
率直に自分の失態を認め、頭を下げて謝罪する陣の誠意ある態度に、ナ・ムチも溜飲を下げようとする。何より、彼らが悪意を持ってこうしたわけでないのは、心のどこかで分かっていた。
深く息を吐き出し、切り替えるように一度目を閉じると、怒りを消した面であらためて陣の方を向いた。
「誘拐が事実でなくてよかった。
それで、そうまでしておれを呼び出そうと考えたのはどういった理由からですか? それほどまでに大事な用件とは?」
「あー、まあ、それなんだが」
はたしてどう切り出したものか……。
言葉を選んでいる陣を見て、義仲が一歩前に出てナ・ムチの注意を引いた。
「用があるのは俺だ。俺が、おぬしは陣と契約してはどうかと思ったのだ」
ずばり直球である。
「契約?」
「悔やむのが分かっておるのならば、一度くらい我を通すのも悪くはない。
どうだ、陣と契約してみぬか? コントラクターは自由だからな! 生きる道などいくらでも選べる」
「意味が分かりません。おれが悔やむというのは、どういう意味ですか」
本気でとまどっている様子のナ・ムチを見て、陣が補足する。
「こいつはな、おまえは内心この浮遊島群から出て行きたいと思っているのに、いろいろなしがらみからそれができないでいると感じたんだ」
「正直に言おう。俺はおぬしらともっと冒険がしたい。世界は広い。もっと広い世界を見に行かぬか?」
「あ、あのね!」
義仲の味方をするように、ティエンが勇気を出して前へ出た。
「僕、この2か月、ずっと考えてたの。今まではシャンバラとカナンの交流のことを考えてたけど、そこにこの浮遊島群も加わって……僕は、まだまだ知らない世界があることを知ったの。僕が知らないだけで、でも同じ、この世界に生きる人々や国のこと。それで、きっともっと、この広い世界にはそういう場所がいっぱいあるに違いないって!
そのう……うまく言葉が見つからないけど、そういう所へ、みんなで行けたらいいなって!
僕、ナ・ムチさんとももっと冒険したいです!
んと、お友達になってください!」
ぺこり。頭を下げてお願いしてくるティエンを見下ろして、ナ・ムチは最初心底からとまどった表情を浮かべて陣を見る。
ナ・ムチの視線に、陣は肩を竦めて見せた。
「俺はべつにかまわない」
ナ・ムチは再びティエンへと目を戻し、ふっと口元を緩ませた。
「ありがたい申し出とは思いますが、それはお受けできません」
「どうして?」
「おれには、ここでやることがあるからです。
以前かつみさんにも言いましたが、おれの生きる場所はここです。ここ以外の地を求めたことは一度たりとありません」
「それで良いのか!?」
終始抑制されたナ・ムチの態度に、カッとなって義仲は思わず叫んでいた。
「俺にはおぬしが己を抑えているように見える! 先ほどのあわてようといい、ツク・ヨ・ミ嬢を心底好いておるのだろう!? おぬしも男なら、惚れた娘の1人や2人、幸せにせぬか!」
「ひとは、生きる道を間違えれば、不幸になります。あなたたちがその道を選んだように、おれも、おれの道を選びました。
おれは今、幸せですよ。愛する故郷にいて、愛してくれる祖母や、友人たちがそばにいてくれて。やりがいのある目標を持ち、全力でそれに取り組んで、充実した日々を過ごしています。それで十分です」
そうして生きることもできずにいる人だって大勢いる。生涯かけてするべきことを見つけられた自分は幸運なのだ。
ナ・ムチは、陣、ティエン、義仲、ユピリアを順に見ていく。そして言った。
「おれのことを心配してくださって、ありがとうございます。そのことには、心から感謝します」
その表情、声に、これはナ・ムチのなかではとうに結論の出たことなのだと義仲も悟り、それ以上は何も言えなかった。
『おれは幸せです』
帰り道。ナ・ムチは自分の用いた言葉を振り返る。その言葉に偽りはなかった。彼らにした答えには、一片の嘘もない。
自分が選んだ道だ。淋しさを感じるときがないかと言えば、それは嘘になるが……たとえこの道を歩くのが自分1人でも、この敷いた道の先には、必ずツク・ヨ・ミがいる。
いつか。自分の命が尽きたあとでもいい。数十年、数百年先の未来、彼女が堂々と島を歩けるようにするのだ。
だれも、彼女の額にある刺青を見ても気にしない、そんな島にしてみせる。
新たに決意を固めたナ・ムチの耳に、そのとき、愛してやまないひとの自分を呼ぶ声が聞こえた。
「ナ・ムチ……」
最初、空耳と思った。
顔を上げると、道の伸びた先に祭り用の白い仮面をつけた少女がたたずんでいる。月明かりに照らされたその少女の面は見えなかったが、それがツク・ヨ・ミであるのは間違いようもなかった。
ナ・ムチは目をしぱたき、驚きのあまり止まっていた足を動かして、そちらへ歩み寄る。
「ツク・ヨ・ミ。どうしてここに」
「あの……館へ、行ったら、お仕事中だって言われて……それで、キ・サカに連絡したら、友達と祭りに行ってるって……」その言葉の数倍、嫌味と文句を言われたのは黙っておくことにした。「源さんが、こっちだって教えてくれたの……」
緊張に言葉を詰まらせながら説明をする。ナ・ムチは小さくため息をついた。
「そうですか。
ですが、夜道の1人歩きは危険です。祭りで普段以上に路上に人の目はありますが、その分危険もあります。そういうときは、鉄心さんたちと一緒にいるようにしないと」
「……ごめんなさい」
「それで、ウァールはどこです?」
「あ、彼はいないの。わたしだけで」
「あなただけ?」
ますます感心しないと眉根を寄せたナ・ムチに、あわててツク・ヨ・ミは言った。
「あのっ、風森さんがね、あなたに伝言をって……彼、今朝の便で地上へ戻ったのよ。わたしも明日のお昼の便で帰らないといけなくて、でもいくら連絡とろうとしてもあなたにつながらなくて、それで、もう直接行った方が早いんじゃないかって、あのっ」
懸命の弁明も、ナ・ムチのため息を深くするだけだった。
「落ち着いてください。大体事情は把握できました。
それで、帰りの便やホテルの部屋はとってあるんですか?」
「…………」
仮面の下で、ツク・ヨ・ミは恥ずかしさに赤面する。なんだか自分がばかにしか思えなくなってきた。
「……朝一番の乗合馬車で帰るから……」
「始発までの時間はどうするんですか? まさか駅の待合所ですごすとかいうんじゃないでしょうね?」
読まれ、先手を打たれたことに、ツク・ヨ・ミはますます恐縮して身を縮めると、ごまかすように急いで言った。
「そ、それで、あの、風森さんからの伝言なんだけど。
『傷つくことをおそれて何もしないでいたら、何もしなかったことに傷つくときがくる。言葉で伝えきれない想いもあれば、言葉にしなきゃ伝わらない想いもある。何が本当に正しいか迷ったら、自分がこうしたいっていう思いに従え』って……。
あの……意味、分かるかしら?」
「――ええ。分かります。まったく、だれもかれも、地上の人はおせっかいですね」
そう口にしつつも、それが自分を思っての行為であることを知るナ・ムチは、笑みを止めることができない。
ナ・ムチがやさしい顔をして笑んでいることに、ツク・ヨ・ミは意味が分からないながらも「そう。よかった」と、ほっと緊張を緩ませた。
「伝言をありがとうございます。
それでこれからですが、今夜はおれの館で泊まるといいでしょう。今からホテルがとれるとは思えませんし、とれたとしてもろくなものではありませんからね」
ナ・ムチはポケットから通信機を取りだして、館のメイド長に部屋を用意するよう連絡をとる。彼の意識が自分からそれて、初めてツク・ヨ・ミはナ・ムチをまっすぐ見ることができた。
その横顔をつくづくと見ているうち、ツク・ヨ・ミの胸に不思議な動悸と、自分が口にした、巽の言葉がよみがえる。
『言葉にしなきゃ伝わらない想いもある』
「……あの……あのね、ナ・ムチっ」
通信を終えるのを待って、ツク・ヨ・ミは思い切った。
「わたし……まだ、だれにも言ってないんだけど……。魔女じゃ、なくなったみたいなの」
「え?」
「たぶん、おじいちゃんと同じなんだと思う。あの輪のなかでのことはほとんど覚えてないんだけど、わたしもかなり神器の影響を受けたらしくて……。なんとなくだけど、自分のことだから、分かるの」
ツク・ヨ・ミの突然の告白に、ナ・ムチは言葉も発せないほど動揺していた。そして、彼がいたましげな目を向けそうになったのを見て、あわてて手を振って見せる。
「わたし、全然つらくなんかないわ! 気づいたときはものすごく驚いたけど、でも……嫌じゃなかった。今すぐ死ぬとか、そんなわけでもないし。それに、みんなと同じになったってだけだもの! ほんとよ!?」
両親には泣かれるかもしれない、と思った。でもきっと、分かってくれる。
ナ・ムチは何かに耐えるようにぎゅっと目をつぶる。長い沈黙のあと、ゆっくりと目を開いてツク・ヨ・ミを見た。
「分かりました。あなたは自分の変化を受け入れているんですね。それならおれには何も言う権利はありません。
でも、それをなぜおれに言うんです? おれに、何の関係が?」
「それは……わたしにも、分からない。たぶん、わたしは……意味があってほしいと、思ったんだわ。あなたにとって。
意味があったのかしら……?」
最後、おそるおそる、自信なさげに付け足したツク・ヨ・ミを、ナ・ムチは無言で見つめる。
緊張に、痛いほど胸の動悸が早まるなか、ツク・ヨ・ミは息を詰めてナ・ムチからの言葉を待っていた。
このまま何も言わないのではないかと思えるころ。ようやくナ・ムチは切れ切れの息を吐き出し、震える声で告げた。
「……ああ。あなたは、なんてずるいひとなんだろう。そうやって、何もかも知った上で、まだおれに求めるんですね。自分は一切譲歩しないで」
「そんな! わたしは――」
「いいでしょう。いくらでも、好きにすればいい。初めて会ったときから、あなたのものだったんですから」
『連れて行ってあげる』
迷子になった幼い彼に向かって差し出された手。
幼心にも、これほど美しい人を知らないと思った。それは10年経った今も同じで、彼女はあのころのまま、彼の前に立っている。
「全部あなたのものです」
もう一度繰り返し、ナ・ムチはツク・ヨ・ミの腕を取って引き寄せ、抱き締める。ツク・ヨ・ミは意味が分からないながらも、伝わってくるナ・ムチのぬくもりに胸の鼓動をさらに早めながら――その背におずおずと両手を這わせたのだった。
First Previous |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
Next Last