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【蒼空に架ける橋】後日譚 明日へとつながる希望

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【蒼空に架ける橋】後日譚 明日へとつながる希望
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 船を下りたグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)は、まっすぐホテルへは向かわずに、パートナーのゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)と連れ立って、壱ノ島の市場へやって来ていた。
 チェックインは午後3時から。まだ大分時間がある。それまでいろいろ見て回るつもりだった。
 祭は仮装で行われるというだけあって、目抜き通りは人があふれていた。そして彼らは全員いずれも劣らぬ華やかな衣装をまとっている。夜空の星々のようにラメで輝く黒衣、ありとあらゆる箇所に何重にもレースを重ねたドレス。本物の花々を直接大量にあしらった、奇想天外なものもある。そのだれもが丸やひし形、花弁のような意匠が施された色石のはまった仮面で目元や口元、あるいは顔全体をおおっている姿は、ヴェネチアのカーニバルを想起させる。
 一方グラキエスはといえば普段どおりの魔鎧姿なのだが、この絵本の世界から抜け出してきたようなファンタジックな人々のなかにあっても特段浮き立つこともなく、不思議とマッチしていた。
「あれから2カ月経つが、こちらでは特に何か起きているというわけでもなさそうだ」
「何かとは何です? エンド」
 周囲を見渡し、人々の明るい表情や商品であふれた市場の様子を見てつぶやいたグラキエスの独り言を、盛況で騒々しいながらもしっかり耳に入れたロアが問う。
「ん? いや、7000年前オオワタツミは肉体を失って荒魂だけとなってもよみがえったというからな」
「今度もまたオオワタツミが復活するのではないかと? 笑えない冗談です」
「はは。たしかにな」
 グラキエスも同意する。
 彼も本気で心配しているわけではなかった。ただの杞憂、ただの軽口だ。雲海は晴れ、赤い橋は青空に伸びて、人々は屈託なく笑顔だ。どこにも恐怖の影はない。
 好ましい思いで見ていると、ロアが気遣う様子で訊いてきた。
「それにしてもエンド、大丈夫ですか? もう大分歩いていますが。どこかで少し休みますか?」
「平気だ。むしろ、調子がいいくらいだ。このまま浮遊島群一周の旅に出てもいいくらいにな」
「またそんなことを」
「ははは」
 本当に調子はいいのだろう。向けられた笑顔からロアはそう判断をした。顔に赤みがさしているし、足運びも軽そうだ。しかしこの先もといえば、それは半疑的だ。今もそうだからこの先もそうという保証はない。冗談だと思うが……。
 疑惑の眼差しを向けるロアの前、ちょうど通りすぎようとした路地の露天に無造作に並べられた一品がグラキエスの目を引いた。古ぼけたちいさな壷のようなそれは、すり切れてほとんど見えなくなっているが古代文字のようなものが表面に描かれてあって、実に考古学好きな彼の心をくすぐる品だった。手に取ってもっとよく見たいと、無意識的に足が自然とその店へと向かう。
 ロアがそれを見過ごすはずはなかった。
「エンド、この混みようです。あまりあちこち行くと、たちまちはぐれてしまいますよ」
 3歩と歩く前に、しっかり見咎められる。
「たとえどんなに離れようとすぐ見つけますけどね。私たちはエンドと一緒にお祭りを楽しみたいんですから、はぐれないようにちゃんと一緒に歩きましょう」
 もちろん、ここへはみんなで楽しむために来たのだ。
 自分だけの楽しみはひとまず横に置いて──でもあとでまた来ようと、しっかり路地の場所と露天商の顔は覚えて──グラキエスも「すまない」と戻る。
 ロアはとなりのゴルガイスを見上げた。
「アラバンディット、先導をお願いしますね」
「うん?」
 グラキエスと同じく屋台の売り物の方に気を取られていたゴルガイスは、何を言われたか理解できていない顔だ。見返してくるゴルガイスにふうと息を吐き、あらためて言った。
「きみが一番体が大きいんですから、壁になってわれわれの前を歩いてください」
「ああ。それはかまわないが、どこへ行くんだ? あてはあるのか?」
 もっともだ。
「そうですね……もうお昼を回っていますから、どこか食事に入りましょうか。
 エンド、何か食べたい物とか行きたい所はありますか?」
「な――いや、ある」
 ないと答えかけて、ふとある場所を思い出した。
 初めてこの島を訪れたときに入った店だ。店主も客も、みんな親切でかいがいしくグラキエスのことを本気で心配してくれて、会話もとても楽しかった。出された料理はどれもおいしかったし。
 行けば、また彼らに会えるだろうか。
 グラキエスの希望に、ロアとゴルガイスも賛成した。
「ではそこへ行きましょう。アラバンディット」
「おう」
 指示どおり、ゴルガイスが先頭につく。そして店に向かって歩き出したのだが、数歩と歩かないうちにまたもロアの小言が飛び始める。
「これから食事なんですから、ジャンクフードは控えてください。いいですね? 2人とも」
 しっかりグラキエスの目が店頭のお菓子やフルーツへ向いたのを見逃さない。
 まるきり口うるさい父親のようだ。
「……いや、父というより母か」
 ぽつりつぶやく。
「何か言いましたか? エンド」
「いや、何でもない」
 しっかり耳に入れたという顔つきで見咎めてくるロアに、笑って首を振って見せる。そのとき、グラキエスは突然両足の間に入ってくる何かを感じた。そのまままっすぐ上に上がってきたそれは、力強くグラキエスを突き上げる。
「!?」
 後ろにそっくり返りそうになったグラキエスは、両足が地面を離れたことに驚く間もなく反射的に身を前傾させ、そこにあるもの――ゴルガイスの頭にしがみつく。
「おまえか。驚かせるな」
「人混みがすごいからな。こうした方がおまえも見やすいだろうと思ってな」
 身長250センチのドラゴニュートのゴルガイスは、人間より頭2つ分は楽に突き抜けている。その彼が肩車をすれば、たしかに見晴らしはいいだろうが、グラキエスとて身長186センチの立派な大人だ。
 大人が大人を肩車するというゴルガイスの行動はすっかり人目を引いて、周りじゅうがあんぐりと口を開けて見入っている。しかしそれをした当人は一切そういった周囲の反応は意に介さず、グラキエスを肩車したまま歩き出し、彼の興味を引きそうな物があればそれがよく見える位置まで移動したりと、市場にいる間じゅうまめまめしく動いたのだった。




 浮遊島群で大規模な祭りが開かれているという。
 パーティーに招待されたとあれば、これはもう行く以外に選択肢はない。
「はっはー! 戻ってきたわよ、浮遊島群!」
 ホテルのバルコニーから見える島の景色に、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は胸を張る。
「これで有給休暇、全部使い切ってやったわー!」
 まだ今年は残り半年ぐらいあるけど、そのことについては考えまい。
 そもそも今年の前期は結婚したり、新婚旅行へ行ったりと、いろいろいろいろあった。だから有休なんか、なくなって当然なのだ。
「あ、そーか。これも2度目の新婚旅行と思えばいいんだわ」
 そうと決まれば、ホテルの部屋なんぞにこもっていることはない。外はあんなにも楽しそうなんだから、これを満喫しなくては!
 部屋へとって返したセレンフィリティは、さっそくベッドに飛び乗って、足元に放り出してあったバッグを持ち上げ、なかから用意してきたドレスを引っ張り出す。
 セレンフィリティのエメラルド色をした瞳に合わせた色調のクラシカルなタイプのドレスだ。壊し屋セレンとの異名を頂戴するほど活発的な普段の彼女のことを思うと、これはふさわしくないように思えたが、髪を優雅に結い上げ、化粧もいつもと色調を変えて仕上げると、意外にも「どこかの貴族令嬢風」に見えなくもない。
 壁の姿見の前でチェックをしていると、公私ともにパートナーのセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)がバスルームから出てきた。
「セレン、準備はできた?」
 セレアナもまた、サファイアブルーのクラシカルな、気品あふれるドレスだ。セレアナの持つ硬質な美貌がより際立つデザインだ。セレンフィリティと2人で並べばさらに互いが互いを引き立てるのを確認して、選んだドレスだった。
「できたできた。ばっちし!
 どう? イケてる? すてき? キスしたいくらい?」
 してもいいのよ? と目をパチパチさせてくるセレンフィリティに、ぷっと軽く吹き出す。
「その口さえ開かなければねえ。
 ああちょっと、そこに座って」
「え?」
 意味が分からない様子のセレンフィリティを鏡台のイスに座らせて、セレアナはセレンフィリティのまとめてあった髪をほどき始める。そして櫛を通してあらためて結い直しだした。
「ちょっと崩れそうだったから」
「あら。それがいいんじゃない。手を差し込んだらほどけてしまいそうなのが魅惑的でしょ?」
「今はだめ」
 まあ、そうして誘惑したい相手はセレアナだけなのだし。セレンフィリティは「はーい」と素直に返事をして、気持ち良さそうにセレアナが髪に触れてくる感触を楽しむ。
 最後にフェイクパールでできた木の実モチーフの飾りピンを何本か、耳の後ろから下の方までUの字型に差していき、完成した。
 清楚でありながらはなやかな髪型だ。
「さあできた」
 ぽん、と肩をたたいて離れていく。
 ベッドに置いてあったパーティーバッグを持ち上げて、2人はさっそく外へ繰り出した。
「あっ、あれ食べたい! セレアナ!」
 屋台で焼かれている貝のたてるじゅうじゅうという音やおいしそうなにおいにつられて、そちらへ向かおうとするセレンフィリティをセレアナが制する。
「だめよ。ドレスが汚れちゃうわ。
 それに、この格好で買い食いはみっともないわよ」
「えー?」
「いいから。レストランは予約済みよ。そこでシーフードを頼めばいいじゃない」
 説得に応じたものの、やっぱりちょっと未練があるそうな目をして見ているセレンフィリティに、セレアナはそう言うと、腕を組んで先を急がせた。予約の時間は迫っている。ホテルで浮かれすぎて愛し合った分、遅れてしまった。
 なんとか間に合って着いたレストランの予約席は、壱ノ島が展望できる場所だった。そこで2人、おいしい料理をつつきながら2カ月前の出来事を振り返って笑う。
 いつもそうだけれど、終わったあと、談笑にできる冒険はすばらしい。
 レストランの方々から飛んでくる、彼女たちを見つめる熱い視線は無視して、新婚夫婦らしく出てきた新鮮なシーフードを互いの口元へ運び、食べさせあったりもした。
 食事も終盤近く、デザートのパンナコッタを食べていたとき、セレンフィリティは外から聞こえてくる声が変化したことに気づいた。
「何かあったのかしら?」
「ああ……そろそろパレードの時間じゃなかったかしら」
「パレード!」
「見たいのね?」
 セレンフィリティの反応に、セレアナがくすりと笑う。セレンフィリティが大きくうなずくのを見て、セレアナはスプーンを置いた。
「じゃあ行きましょう」
 2人は店を出ると人の流れでパレードの方向を読み、そちらへ向かう。道の両側に並んで、花や紙ふぶきを振りまきながら歩く女性たちや楽隊、そのあとに続く花とモールでふんだんに飾られた山車と、そこに乗る美女たちに声をかけたり手を振ったりしてパレードを存分に楽しんだあと、2人は対照的に静けさを求めて河川へ向かった。
 船乗りにゴンドラを頼んで乗る。
 時刻はすでに夕方だった。赤焼けの太陽に染まった空を背景に、岸の方ではパレードを追いかける人やパーティーを移動する人たちの姿が見える。彼らの興奮した笑い声が風に乗って届くのが耳に心地よかった。
 目を閉じて肌をなぶっていく風を感じ、クールダウンしていたセレアナは、セレンフィリティがやけに静かなことに気づいて目を開けた。
「セレン?」
 考えてみると、ゴンドラに乗ろうと言ってからずっとセレンフィリティはひと言も発していない。あの陽気なセレンフィリティらしくない。
 心なしかうつむいて見えるセレンフィリティの横顔を、そっと覗き込むと、エメラルドの双眸に涙がにじんでいるのが分かった。
「セレン!」
 目を伏せたセレンフィリティのまつ毛の間から、涙がほおを伝い落ちる。
「セレ――」
 一体どうしたの!? と問おうとしたセレアナの言葉を奪うように、セレンフィリティが突然彼女を抱き寄せ、その唇をふさいだ。
 言葉を封じた唇は、セレアナを激しく求めながらもかすかに震えている。またも流れたセレンフィリティの涙を、触れ合ったほおで感じた。
 セレアナ、セレアナと、彼女の名を一心につぶやくセレンフィリティの心の声が聞こえる気がした。セレアナは驚きに硬直していた体から力を抜き、キスを受け入れる。
 なぜ突然セレンフィリティがこんなことをしたのか、理解できた気がした。
 セレンフィリティは泣いているけれど、きっとこれは、悲しみの涙ではないから。
 自分に刻まれた一生消えることのない傷。それを含めて愛してくれてありがとう。側にいてくれてありがとう。
 セレアナを求めてすがりついてきた体、震えながらも重ねられる唇はそう訴えている。それに対し、セレアナも全身全霊で応え――2人は溺れるようにキスを互いに返し続けた。