リアクション
* 午前九時。 僅かな時間、ひっそりと静まりかえったはばたき広場の白い石畳の上を、百合園女学院吹奏楽部の演奏が流れ始める。ヴァイシャリーの大運河の流れをモチーフにしたオリジナル曲だ。 同時に、両翼の先から翼の付け根まで、各大通りとの集合点にかけられた、ピンクと水色のリボンにハサミが入れられる。 ──チャリティ・バザーの開幕だ。 バザー開催を知って、知らずに広場に元々用事があって、単に通りがかって……様々なヴァイシャリーの住人が次々に広場を訪れ始める。 その中から真新しい制服の新入生を見分けて、稲場 繭(いなば・まゆ)が声をかけた。 「ようこそ、百合園女学院へー」 おどおどする新入生に、繭は百合の意匠が入ったパンフレットを手渡す。新入生がぺらんとそれを開くと、はばたき広場の俯瞰図に、店の配置と名前が並んでいた。 「会場の地図です。迷ったら調べてくださいね。後ろにはお店の紹介もありますよ。……これから、よろしくお願いしますね」 「はい、こちらこそよろしくお願いします」 と頭を下げる彼女を見送って、繭は再び新入生を捕まえる。今度は中学に入学したてだろうか、身長は繭とそう変わらない。初々しく白い首筋を味わってみたい……、そんな吸血鬼らしい衝動が頭をもたげかけた。 「中等部の新入生さんですか? みんな私よりも年上な人ばかりでしたから、入学してくれて嬉しいです」 「あっ、先輩だったんですね……って、あう、あたしったら余計なことを……失礼しました」 繭も童顔で小学生に間違えられそうになるけれど、もう立派な先輩だ。だから自信を持ってこう答える。 「気にしないでください。……私は稲場繭です。よろしくお願いしますね」 会場に飾られた、小さな色とりどりの百合の花束。フィル・アルジェント(ふぃる・あるじぇんと)はそっと指先でつまんで、結われたリボンを整える。 引きっぱなしの椅子をテーブルに戻し、管弦楽の演奏をちらりと見やって、後ろ髪引かれる思いを断って。 「演奏を聞く時間くらい、後でありますよね」 自分に言い聞かせ、バザーの店が立ち並ぶ方へ向かう。フィルの片腕には花やリボン、色紙の細工を詰めたバスケットが下げられている。会場の飾りつけが彼女の仕事だった。 (もう一年になるんですね) フィルは会場を回りながら、客としてはにかみ、また先輩に交じって部活動にいそしむ新入生たちの姿に、眩しげに眼を細める。 パラミタに来たばかりの頃は、何もかも初めてのことばかりで。新鮮で、それから戸惑いもあって。あの子たちもそう思っているのだろうか。 「宜しければご案内しましょうか?」 パンフレットを手に先ほどから同じ道を往ったり来たりしている新入生らしき生徒に、フィルは話しかける。 「は、はい。ありがとうございますっ」 ぴょこんと頭を下げる彼女にフィルは大丈夫と言うように、 「そんなに緊張しないでくださいね。どこに行きたかったんですか?」 「ええっと、じ、実は……」 地図の上で指差したのは、校長の桜井 静香(さくらい・しずか)ら白百合会のバザーだった。 「ミーハーだと思われますか? 私、桜井校長……静香お姉様に憧れてここに来たんです」 彼女は頬を赤らめる。 それをフィルはほほえましく思った。自分は去年、もう後悔はしないって気負って銃の訓練をしていたけど。今は尊敬するお姉様もできたせいか、あの時の気負いもほんの少しだけ薄れたような気もして、いつか覚悟に変わっていって……。 「気さくな方だから、きっとお話しできると思いますよ。ぜひ一緒に行きましょう。私もついていてあげますから、ね?」 「私、百合園に入学して良かったです! こんなお優しいお姉様にお会いできたのですもの」 上品なエプロンドレスの裾を颯爽と、しかし静かに翻し、片手にモップと竹箒、もう片手には高級はたき。彼女の前にゴミはあれど、通った後にはぺんぺん草一本、食べかすひとつ残らない。 高務 野々(たかつかさ・のの)は、先輩メイドとしての姿を周囲に示していた。 「ええ、この角を右に曲がると、紫の看板が見えますから、そこですよ。──はい、バレー部特製たこ焼き屋台はあちらです」 道案内も難なくこなす。何と言っても彷徨うメイド、困っている人がいたらどこからともなく現れ、助け、そして去っていく──まるでヒーローみたいだけれど。 「頑張っているわね。もうどこから見ても立派なメイドね。頼もしいわ」 埃っぽくなったエプロンを替えに掃除担当者用テントに戻ると、見知った顔に声をかけられた。白百合会・書記の山尾陽菜(やまお・ひな)だ。……名前は今日、進行表の役職を見て、やっと判明したのだけれど。 「はい。去年の分も頑張るつもりです」 「去年の分?」 陽菜はきょとんとしている。野々はやっぱりな、と思う。自分は当時、新入生の一人に過ぎなかったのだから。 「去年の歓迎会でお会いしたことがあるんですよ。せっかく書記さんが私にお菓子を、とお声をかけていただいたのに、もう十分頂いたからと断って、手伝いに入ってしまったのです」 「そうだったの。でもそれがどうして?」 「それは……嘘だったのです。申し訳ありませんでした」 野々は神妙な顔つきで頭を下げる。 「私もメイドとしてゲストをもてなす手並みを学ばせて欲しいのです、なんて言いましたが、ほんとーは甘いものが苦手で、食べたくなかったからなんです。お手伝いする気持ちはありましたけど、それが主要素ではないと言いますか……」 普段は掴みどころのない表情をしていることが多い野々には珍しく、真摯に反省している様子だ。 「今までずっと気にしていたの?」 そんな彼女に、陽菜はふっと息を漏らした。 「それは断ってもいいことなのよ。女の子は甘いものが好きだろうなんて、私たち生徒会の思い込みだし。ちゃんとホステスに気を遣わせないようにできたならゲスト合格なんだから──ええと、ちょっと待ってね」 陽菜はエプロンのポケットからチケットのつづりを取り出すと、ミシン目で千切って野々の手のひらに載せる。スミレ色の紙片には、可愛い文字でおにぎり屋と書いてあった。 「お昼になったら、一緒にご飯にしましょう。去年しそびれた貴方の歓迎会、もう一度しましょうね?」 「……あの、天むすありますか? あと、出来れば赤だしも」 おずおずと尋ねる野々に陽菜は自信たっぷりに答えた。 「あるわよ。さあ、お昼までもうひと頑張りしましょう」 「はいっ」 野々は下したてのエプロンを身に着け、再び困った人を探しにテントを出て行った。 |
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